下働き:'Why, Mary Ann, what ARE you doing out here?'
Je suis une poupée de cire, une poupée de son
私は蠟で出来た人形、音の出る、大鋸屑の詰まった見せ掛けだけの人形
Mon cœur est gravé dans mes chansons Poupée de cire, poupée de son
私は自分の歌う歌の中にしか心が無い蝋人形、音の出る、子ども用の、大鋸屑の詰まった人形
suis-je meilleure, suis-je pire qu’une poupée de salon
私はサロンに飾られている高価な人形よりも、優れている?それとも、悪い?
Je vois la vie en rose bonbon Poupée de cire, poupée de son
私には人生がバラ色のキャンディーのように、ピンク色のフィルターが掛ったように見えるの 私は蝋人形、恋も知らずに、うわべだけの恋の歌を歌う
Mes disques sont un miroir Dans lequel chacun peut me voir
私のレコードは鏡、その中に誰でも、私の姿を見ることができる
Je suis partout à la fois Brisée en mille éclats de voix
大量のディスクが作られて、彼方此方に、千もの私の声が、沢山の欠片にわかれて、一度に、いろんな所に飛び散ることができる
Autour de moi j’entends rire les poupées de chiffon
私の周りで笑い声が聞こえる、襤褸切れで作られた人形のような軽薄な女の子達の
Celles qui dansent sur mes chansons Poupée de cire, poupée de son
皆、私の歌に乗っかって踊りや恋に夢中になっているの 私は蠟で出来た人形、音の出る、大鋸屑の詰まった見せ掛けだけの人形
Elles se laissent séduire pour un oui, pour un non
彼女たちは恋を歌う歌詞の内容に引き摺られて、軽はずみに、うわべだけの誘惑に身を任せて、自分の気持ちに関係なく受け入れてしまう
L’amour n’est pas que dans les chansons Poupée de cire, poupée de son
恋は歌の中だけにあるわけではないのに歌の中の恋に夢中になっている 音の出る、子ども用の、大鋸屑の詰まった人形
Mes disques sont un miroir Dans lequel chacun peut me voir
私のレコードは鏡、それは誰もが私の姿を見ることができる場所
Je suis partout à la fois Brisée en mille éclats de voix
私は、多くの声の欠片にわれて、同時に、いろんな場所に存在できる
Seule parfois je soupire Je me dis à quoi bon
一人で、時々、ため息をついて、こんな事に何の意味があるのかと呟く
Chanter ainsi l’amour sans raison Sans rien connaître des garçons
男の子のことを全く知りもしないのに、理由もなく、恋を知らずに、人形のように、うわべだけの恋の歌を歌っているだけ
Je n’suis qu’une poupée de cire, qu’une poupée de son
私は、ただの蝋人形、音の出る、大鋸屑の詰まった見せ掛けだけの人形
Sous le soleil de mes cheveux blonds Poupée de cire, poupée de son
私のブロンドの髪のが放つ光のような太陽の輝きの下で 蝋人形、音の出る、大鋸屑の詰まった見せ掛けだけの人形
Mais un jour je vivrai mes chansons Poupée de cire, poupée de son
でもいつの日か、私は私の歌のように、生きてみせるわ、この歌みたいに、本当の恋をするの 今は、音の出る、大鋸屑の詰まった見せ掛けだけの蝋人形だけど
Sans craindre la chaleur des garçons Poupée de cire, poupée de son
男の子達の性的な情熱を怖がることなくね、蝋人形、音の出る、子ども用の、大鋸屑の詰まった人形
気づいたら、小さい、振袖姿の女の子になって、黒い着物姿の男の人に抱かれていた。
何となく、ああ、『いしく』だ、と思った。
『いしく』は、私に頬を寄せていた。
そうやって、愛しげに触れられることは、別に嫌ではなかったことを思い出した。
何とも思っていなかったと言ってもいいけど、痛いわけでも、虐げられてるわけでもなかったから。
そうやって『いしく』に抱かれたまま、何か、方向性を持つ、光の粒の上に乗っているみたいに思えた。
矢印みたいに、横に、上に、上昇していく。
どこに向かっているのかは分からないけど。
向かう先は柱みたいで、横の広がりと、上昇する広がりを持つ、垂直ベクトルみたいで。
十字架にも見えた。
きっとそれは、柱を知っていたら柱という概念だと認識されるもので、垂直ベクトルを知っていたら、何らかの方向性の交わりという概念だと認識されて、十字架を知っていたら、十字架という概念だと認識されるなにものかで、多分、人間には、完全には知り得ないものなんじゃないか、と、漠然と思った。
天地開闢の時から、天と地を繋ぐ、光の柱だ。
その時からずっと、全てを見守って、覚えてくれているんだ、と、漠然と思った。
ここから帰ってくるんだ、と、何となく思った。
『亡くなった人の魂』という概念になっても、この柱が覚えてくれているから、その概念さえ認識出来さえすれば、いつでも、どこでも、『帰って来てくれる』し、『迎えに来てくれる』し、『傍にいてくれくれる』んだ、と。
私達の横を、光る矢印みたいな何かに乗って併走してくれている、あの、白い、ノースリーブワンピースを着た女の人が見えた。
「ベートーヴェンピアノソナタ第一番、第四楽章、prestissimoが聞こえるわ」
「私、聞こえない」
「良いの、今は、そういう曲だって認識してないんだもの。これから見るものには関係無いし」
「何を見るの?」
「何が見える?」
あ。ここは、屋敷だ。
あそこが、蔵。
「…ねぇ、あれって」
いつの間にか、屋敷の庭に立っていた『いしく』に、私は話し掛けた。『いしく』は、私を、まだ抱いたままだった。
「おお、下働きだ」
…タヅさんだ。
今見ても、凄く若かったんだな。兄ちゃんより少し若かったのかもしれない。顔が、全然、よく見えないけど、朧気でも、顔の中央が高い、というか、横顔が綺麗で、覚えてないけど、美人だったんだと思う。
「何処を見てるんだろう」
「そりゃ、お前、本命を、さ」
「本命?」
「厄介な女だ、自分が下働きなことが我慢出来んから、主人の家の男の子を生んだことにしがみ付いとる。自分の子は道具だから可愛がっとるが、本当は本命しか見ちゃおらん。そりゃ虐げんだろうが、自分の子は空気と同じだな」
「道具?」
「下働き生活から抜け出す道具さ。結局失敗したが。上手くすりゃ、本家の奥方になれる」
「…そうなの?」
「父さんが死んじまったら、どうだ?」
「どう、って?」
「妾腹の年の離れた弟を可愛がって、頭が良いから学校に入れてやろうか、などと思ってる『未婚のお人好し』が家督を継ぐんだぞ。下働きから、一気に、学校にも入れてもらえるような扱いの男の子の母親だ。道具に使わん手があるか」
「『未婚のお人好し』…?」
「そっちが本命だ。同じ顔なら、老いていく好色爺より、自分と年の近い、お人好しが好いだろ、そりゃ。確かに、父さんが生きてるうちは、嫡男に、下働きなんぞ選ばんし、亡くなっちまえば自分で嫁を選ぶだろうが。だが、父さんが死ぬ前に縁付かせれば、どのみち、あの女に本命が手に入るわけぁ無かったんだが、そういうことが分かる程は賢くなかった。だからこそ、父さんが気に入ってたんだがな。何でも言うことを聞くと、侮って」
「同じ顔…」
「お人好しだったよ。情が深くて。家畜でも何でも、苛めたのを見たことがなかった。下働きにも、無意識にでも、蔑んだ態度を取ったりはせんかった。あの時代にしちゃ珍しい。ああいうのを人徳と言うんだろう、家畜も、よく懐いたし、人が周りに集まった。…父さんより」
「父さんより?」
「見てる人は見てるもんだよ。父さんも分かってた。嫡男の方が、自分よりも、人の上に立つ器があることは」
何故かそれは、知ってる話のような気がした。
情が深くて、他人の為に平気で涙する人だった気がする。
分を弁えていて、出過ぎたことはしないけど、物事を丸く収めてくれた。
姿を見掛けるとホッとした。
賢いけど、ちっとも威張らなくて、小さい子に対しても、間違った時に、自分の非を簡単に認める人だった。
…それは多分、父さんが『出来ない』ことだった。
「あれは父さんが、一番愛して、憎んだ子だ」
「憎んだ?」
「憎んで、妬んだ。喇叭を三回吹き鳴らす前に、捕まえたがってる」
「喇叭を?」
「もう、喇叭は、既に、二回吹かれてる。あの本を書かれた時と、あの本が守られた時。あの本の内容が公表されたら、三回目。筆塚も建ててもらえるような人格者から、好色な嘘つきになる。それが我慢出来んのだろ、一番惚れた女の生んだ『息子』が、自分を告発するのが」
「…貴方って、結局、何?」
「父さんが祭りで羽目を外した時の『間違い』だ。秘密を握りつつも、味方の振りして、共犯者になってやったから、簡単に依存してくれた。自分の頭が良いと思い込みたくて、自分の間違いが認められないから、俺みたいなのに、逆に、簡単に引っ掛かった。誰にも、悩みも間違いも打ち明けられないから、『間違い』の子とだけ秘密を共有して、頭が悪いから、身分が低いから、と、好きなだけ侮れる『下働き』にしか、結局、安心して欲情出来んかった阿呆だ。侮り過ぎだ、自分が『下働き』の本命じゃないとも気付かんとは」
『いしく』は、微笑んで「可哀想になぁ」と言った。
「一番惚れた女も、結局、無理言って本家の嫁に迎えても、早死に。相手には、薄っぺらい中身を見抜かれていて、形式的にしか相手にされとらんかった。何回会っても、相手にされん」
「…あれ、何?」
蔵の近くに、真っ黒な塊が、蹲ってるように見えた。
「父さんさ」
「…その前に居るのって…」
…姉さん?
「おお、三月ウサギだな。帽子屋やお前と、ずっと、お茶会していたかったろうに」
ふと、白いノースリーブワンピースの女の人が出て来て、姉さんの姿と重なった。
着物姿の女の人が、顔を覆って、泣き崩れた。
「子どもを助けてください」
…えっ?
「姉さん?」
「お前を探しとるんだ」
「えっ?」
着物姿の女の人は、髪を振り乱しながら、泣いている。
「子どもを助けてください。小さな手を握って寝て、毎日、髪を梳いてやった、小さいあの子を、返してください。賢い、小さな男の子を、返してください。…優しい、その子達の兄を、返してください。…あの家の子どもは、全部、私の子ども」
譫言のように、女の人は、泣きながら「子どもを助けてください」と言ってる。
『いしく』は「お前、魄が縛り付けられとるんだ」と言った。
「辺獄で、母親の愛情に救われるのを待って、ずっと童のまま、ああして、『母親になれなかった』女に、縛り付けられとる。彷徨っとるんだ」