久那土神:'Would you tell me, please, which way I ought to go from here?'
「呼びました?」
「え?」
「神様です」
カミサマデス?
「え、えっと」
わー、可愛い。
相手は「可愛いでしょう」と言って、ニコッと笑った。
「貴方に分かり易く、且つ、怖くないように、この集落で今月授かる子の姿を借りているもので。まだ性別などありませんけど、貴方が概念として分かり易いように、二歳くらいの姿にさせて頂いています」
「が、概念。…は、一旦、脇に置いておくとして。…何で、俺そっくりなんでしょう…」
確かに、翼君くらいの年の子かなぁ、とは思うのだが、宇宙空間のような場所に、綺麗な、極彩色の衣装を着て、羽衣のような美しい領巾を身に付けて浮かんでいる『神様』は、ビー玉みたいに大きな黒目をした、色白の、黒い艶のある短い髪をしている。…俺の、小さい頃の写真そっくりの顔をしていた。
…あ。童形の、神様?に、…会っちゃった、ってこと?
「助かりましたよぉ。『彼女』を連れて帰って来てくださって。これで、滞っていた話が、やっと前に進みます」
「はぁ…?」
「私、来な処、来名戸祖神、久那土神と申します。来な処、即ち『来てはならない場所』、道の分岐点や峠、村境で、悪いものを防いでいるとされておりましたが、転じて、道を守る神、交通、旅の安全の神となりました。更に、貴方の『概念』の中では、疫病退散、五穀豊穣、縁結び、家内安全、子孫繁栄の御利益がある神です。…私、毎年ねぇ、神無月になりますと、集落の縁結びを出雲でやってくる、って伝承がある程度には、子授かり担当なんですけど。手強かったですねぇ。あれじゃ、生まれる予定のものも生まれないですって。…最推しの左手の親指の皺まで覚えてるなんてねぇ。あれじゃ、生活に他の存在が入り込む隙間が無いじゃないですか。愛情深いのは誠に結構ですけれども、最推しは、別の子にしないと」
「最推し…?あ、あの神様、随分立派な御姿をされている御様子ですが…手に御持ちの、それは、天狗面でしょうか?赤い…」
「はい。男女一体の為、衣装は、飛鳥時代に仏教受容して浸透し始めた後、天平の頃の女性貴族のイメージですけど、貴方、随分、道祖神に対して、道俣神のイメージが強くていらっしゃるんですね。一神あり、天八達之衢に居り、其の鼻の長さ七咫、背の長さ七尺余り、まさに七尋といふべし。猿田彦イメージに引っ張られていらっしゃるんでしょう、だから、私の持つこれは、天狗面で…要は、男根ですよ。私達にも、陽石の形の石像があるじゃないですか。…あれって、考えたら、不思議ですよね。道祖神の五穀豊穣と子孫繁栄の概念をくっ付けるには、あまりにも『男性的』で。豊穣と出産で、縄文的な『地母神』的な要素を入れるなら陰石の方が良さそうなものですが。案外、江戸後期とか、近世に入ってからの概念なんでしょうかね…」
見てると、二歳くらいの俺が話してるみたいで、目がチカチカするな…。
「…俺は、天狗面に対して、そんな概念を持ってるんですか…?」
『神様』は、「何とも言えませんねぇ」と、明るく言った。
「『人間』って、長い物とかに、そういう概念を抱きがちなもので、貴方が持ってるとか、持てないとかは、分からないですけど、羅馬のtintinnabulumにも、似たような感じの物はありますから。割合、無意識化でも、『人類』が共通で持ってる概念なんじゃないでしょうか」
「暫く、天狗面の鼻を見たら、気不味い気持ちになりそうですけど…」
『神様』は「覚えていらっしゃればね」と言って、領巾を揺らして微笑んだ。
「必要なことは覚えていられますが、不要であれば、どんどん、忘れてしまうようなことです。特に、ここで見聞きしたものなんて」
「…ああ、そうだ、『淳緒』だった時のことなんて…。本当に、断片的にしか…」
「『降籏高良』として生きるには、本来、不要ですからね。特例で、思い出しただけ。必要なくなれば、また忘れるでしょう」
「特例?」
「貴方、今、結構な、『道の分岐点』にいらっしゃるから、私、この地域担当として、サービスで出てきたので。でも、済みません、入れ歯担当じゃなくて…。そこは先に謝っておきますね」
「えっ?」
「…八百万も神が居りますから、日本国内の何処かには『入れ歯と寝たくない』を聞き届けてくれる存在も、無いとは言い切れないんですけど…。ちょっと、今回は、解決してあげられないです、担当違いで」
「担当違い…」
…通りすがりの場所の街灯の電球が切れてたから、そこの自治体の存在が不明であるが故に、市役所に電話したら、市役所は市役所でも、うっかり、電話番号の数字何個か違いの『子育て支援課』の番号で、内線で担当部署に回される時みたいな気不味さ…。
「…あっ、何か、そんな願いに、御気遣い頂いて、何だか、申し訳ございません…。たった二泊三日のことで、そんな…」
電話だったら最初に『こちらに御聞きして宜しかったでしょうか』って聞いた方が良いやつでしょうかね…。
「左様ですか、歯痛でしたら、東京の荻窪白山神社か、大阪の綱敷天神社の末社の、稲荷が元になっている歯神大神、別名、歯神社がございますけれども。熊本県玉名郡和水町西吉地にも、歯の神様が鎮座していらっしゃるそうです。こちらも歯痛ですね」
結構、事務的…。
問い合わせに電話で答えてくれる市役所の人みたいな感じなのかな、『俺』の概念の『神様』って…。
俺の性格とかが反映されてるんだとしたら、ちょっと複雑な気分…。
「歯神社…。名称がドストレートで、御利益を感じますね…。今のところ、歯は大丈夫です…。有難うございます…」
「入れ歯ですと…御寺さんになってしまいますが、奈良の弘願寺は、歯の健康祈願と入れ歯供養の歯がため地蔵があるとか。近年では抜けてしまった乳歯や、故人の入れ歯を納める方もいらっしゃるそうですよ。ただ、入れ歯供養なので、御願い事に副うか否かは…」
市役所職員風口調、外見二歳児、天狗面所持の、天平文化女性貴族衣装着用の『神様』…。居そうで居なさそう、というか、他所に絶対居ないだろうから、『俺』が作り出した概念の『神様』なんだと説明されると、まぁ、八百万もいらっしゃれば、こういうこともあるかな、…と納得しそうにはなってきた。
「お、お気遣いなく、有難うございます。…本当に、思ったより、色んな神様がいらっしゃるんですね…」
「この国、コンビニより神社の方が多いですからね。それにしても、いやはや、大変ですね、集められて。怖かったでしょう」
「…と、申されますと」
「貴方、すっごく、丁度いい存在なんですよ、御先祖様達にとって。だから、もう、彼方此方の御先祖が、貴方を跡取りに欲しくて、争奪戦ですよ。んまー、縁結び業務的には、代行してくれるものなら、貴方を発見する為に御縁を集めてくれたところで、そうなのねー、集めたいのね、くらいの感じですけど。粘着されてるみたいで、貴方は怖かったでしょう」
「…は、はぁ?あ、跡取り、ですか?」
「御祖が、貴方に、すっごく期待を掛けてるんです。だから、何度生まれても、嫡流の長子に生まれがちな上に、体が丈夫で、割合、頭が良いんですよ。皆、貴方が欲しいんです。大変でしたねぇ」
『神様』は、そう言って、大変可愛らしい様子で労ってくれたが、俺には、全く意味が分からなかった。
「『俺』より頭が良い弟なら、居たはずなんですけど…。ピンと来ませんね、何か、頭が良い、とか言われても…」
「その子は、あと何回かで、輪廻の輪を脱するんです。『人間』の世界の跡取りにするには、高位の魂過ぎるんですよ。そろそろ、人間の姿で抱える苦労は、学習しきる頃です。なので、次も、何処かで、容姿と頭脳と家柄と資産に恵まれて生まれて、跡取り問題からスルーされちゃうと思います」
「す、凄い…。そうすると『俺』、弟より、苦労知らずみたいに聞こえますけど…」
「あー、伝え方が悪かったでしょうか。『高位』と言っても、本来『魂』に、上も下も無いんです。全部同じ宇宙という存在から生じた、『梵我一如』ですから。輪廻の回数も、それぞれ違うでしょうし、使命が違えば、苦労の種類も違うので、…貴方は…御祖にも親戚にも人間にも、モテてモテて仕方ない、みたいな、理不尽な苦労をすると思いますけど。それが宿命だと思ってください。運命は変えられますけど、宿命は諦めてください。どの家に生まれる、どの親に生まれる、どの性別に生まれる、とかは宿命なので、生まれた以上は変えられないんです。変えられる運命として、生まれた後に、家や親と縁を切るとか、自分で性別を選ぶ、とかは、出来るでしょうけど」
…『理不尽な苦労をしますけど宿命だから諦めて』って?…えっ?…えーっ…?な、何を聞いたんだ、今。
「…兄も、いませんでした?『俺』。多少の?事情はあれど、普通、そっちが嫡男では…」
「うーん、『芸術家』とか『職人肌』の魂って、使命が別、とでも申しましょうか、そういったことには不向きなんです。支配者層向きではない、とでも申し上げましょうか。支配者層が出資者になる方の存在です。太古は、生産の中に芸術が存在しましたが、それこそ、時代の潮流によって、『芸術家』は、生産に不向きな魂になってしまいました。誰かが生産した余剰で養われて、芸術家にとって美しい物を作り出す事が本懐ですので、多少、支配者層の造り出す社会の枠組みからはみ出し気味なんですよ。本人の才覚としては嫡男になれる器量を持ち合わせていたとしても、本人の魂の持ち味の良さを生かせませんので。…皇帝ネロもヒトラーも、芸術家肌でしたし、歌を歌わせてあげたり、絵でも描かせてあげたりしていた方が、支配者層になるより、良かった可能性もありますもんね。歴史にIFは無いですけれども、『芸術家』に家とか権力を継がせない方が良い場合もあるんですよ」
…何か、怖い固有名詞が聞こえたような?
「…そうだ。縁結び、って、仰いました?この集落で…兄妹を結び付けたり、なさいませんでした?」
しかし『神様』は、あっさり、「結び付けませんでしたよぉ」と言った。
「んもー、昔は異母兄妹ならOKだったのに、ルールを勝手に変えてぇ。だから、私はやってませんー」
「…ええ…?」
「お腹空いてるって言うから、五穀豊穣、御米を豊作にしたら、米余りで減反、とか言い出して。じゃあ、キャベツを豊作にしたら、豊作貧乏だー、とか。勝手にルールを変えておいて、こうじゃないって後から言われてもぉ。理不尽ですよぉ。勝手に戦争しておいて、神の怒りだー、とか。石油の利権欲しがったの、神じゃないですからぁ。そんなの、昔は、欲しがらなかったじゃないですかぁ。日本書記では『燃ゆる土燃ゆる水を献ず』とかって珍品扱いしてても、鎌倉くらいからは臭水って呼んで嫌ってたじゃないですか。もー、寝て起きて、目が覚めたらルールが変わってる感じなんですよねー。キャベツだって、前は、キャベジって呼んでたのにー。こんなに愛してるのに。水も、空気も、土地も、何の見返りも求めずに与えているのに、勝手に取り合って、神様が怒ってるって言われても。別に、そんな狭量じゃないですしぃ。そもそも、私、極端な話、戦神でもないですし」
可愛い『神様』は、然程怒っている様子もなく、平坦な口調で、そう言った。
「…何か、申し訳ございません…」
「あー、そうだ、あそこのことを仰ってるんでしょう?あそこは前回、御夫婦だったんですよ」
「ほぇ?」
変な声出しちゃったよ…。
「奥さんの方が、旦那さんを好き過ぎて、早めに、追い掛けて生まれてきちゃって、うっかり異母兄妹になっちゃったんですよ。それで、前回は子どもが生まれる前に死別なさった御夫婦でしたので、今回は奥さんが、慌てて妊娠したがって。ただ、来てくれる魂が、なかなか見つからなかったので、私が、外つ国の概念のところから、前回、奥さんと仲が良かった、縁のあるお嬢さんに来て頂いて、娘さんになって頂いたんです」
…何か、とんでもない話を聞いてるような…?
「前回もねぇ、牧師さん達に英語を習ってらして、本当は、英語の讃美歌も歌えたような、優秀なお嬢さんだったんですよ。時代的に、隠していらしたでしょうけど。魂は、知識欲に溢れていたはずです。そう考えますと、前回は、伝道師と申しますか、神殿に仕える巫女さんのような役割も、多少、担っていらしたかとは思いますが、元来、そんな風に、他人に、自身が解析した物事を教えるのが上手い方なんです。そして本当は、珍しい、個性的なものも好きなのに、時代的に、それを公言することも許されなかった。だから、今回、御夫婦の妹として美以の国に生まれたこと自体は、魂は喜んでいたのでは?英国人になりかけていたくらいには」
…んんんんん?
「な、なりかけて?ならせてあげたら良かったのでは…」
『神様』はキョトン、とした顔をした。
「心にもないことをぉ。日本人の男の人を好きになったら、国籍は、あっちじゃない方が結婚し易いでしょう?私、知ってるんですよ、何か、手続き、色々あるんでしょ?後々、絶対感謝しますよ、『神』に」
「…はぁ?」
こ、心にもないことを?????
「好き合った人と、海を挟んで遠距離恋愛なんて、出来る性格じゃない癖に、自分のこと、何にも分かってないんですね。貴方って、実際は、もっと保守的ですよ。物分かりの良い振りして、別居婚なんか選んだら、多分傷付きますよ」
「…へぇっ?」
…あれ?
…何か、グサッとした。
…好き合った人と、離れ離れ、って。
何か…。
確かに、何か、頭では納得出来ても、気持ちで納得出来ないような…。
…えっ?嘘。そうなの?俺って、やっぱり、『誰かとずっと、長く一緒にいたい』人なの?
『神様』は、俺の戸惑いに構わず、続けた。
「いやはや、それにしても、御先祖の墓前で『彼女』だって、御盆に報告するなんて、今日日、なかなか出来ることじゃないですよぉ。いやー、立派だ。御先祖も、喜んでらっしゃいまして。縁結び、家内安全、子孫繁栄の御利益、ありますよー。確かに承りましたぁ。ここからが、やっと担当業務ですよ、もー」
「…何を、承られたので…?」
「日本は言霊の国ですから」
?????
「えっと、あんまり、その…、分からないんですけど、縁結びの御利益とか言われても…。誰かを『好き』、とかって、あんまり、どういうことか、分からないし…」
『神様』は、初めて、可愛い顔の眉根を寄せて、「あー」と言った。
「…貴方って人は…。前回も、そぉんな感じでフワフワして、きちんと学ばないまま、『享年二十五歳』で亡くなったんでしたねぇ。もー、御先祖、吃驚してたと思う、いくら貴方のお父さんが悪いからって、まさか子孫を残さないパターンで、本家の有望株が適齢期で消えるとか。今回は、『享年二十五歳』を肩代わりしてもらえたんですからね?きっちり長生きして、この子の面倒も見るんですよ?んもー、毎回、美人の、年回りの合うお嬢さんと巡り会えても、毎回、全く気づかなくて、退廃的な美貌の未亡人の方に行きそうになるわ、見た目清楚系美少女の妹の方に行きそうになるわ、挙句、毎回、失恋もし損なうなんて。それじゃ経験も蓄積されないでしょうよ。どういう了見なんです。そろそろ、きっちり傷付いて学ばないと。勉強ばっかりしてたって、教科書に書いてないことは、赤点ですかぁ?留年ものですよ、ホント」
外見二歳児からの、突然のディス。
「う、え?ぅえぇえ?…何で、両親も『神様』も、勉強ばっかりするな、みたいなことを…。どうやったら、誰かを本当に『好き』って、分かるんですかぁ。そんなの、教科書に、本当に書いてないですし」
「そうですねー、ベタですけど、同じことを違う人に言ったり、したりしたら、自分の気持ちが、どう違うか、っていうところで判断しても宜しいのでは?何か、あれでしょ?比較研究とか、なさってらっしゃるんでしょ?自分の気持ちでも、比べて納得、とか、してみたら如何でしょう?」
「ベ、ベタとか、仰るんですね?」
「長生きなもので。『あーこれ百回見た』みたいな展開、あるんですけどぉ。やっぱり、ベタが一番ですよ。第一印象は最悪だけど最終的にくっ付く、とか。眼鏡を外すと極端に容姿が良くなるとか。ヒロインにイケメンの幼馴染がいる、とか。複雑な過去を持つイケメンが出てくる、とか。一人暮らししてる高校生が出てくる、とか。地味目の黒髪ベタ塗りのヒロインの親友が、白抜き髪の派手目にしてあってキャラ分けされてるとか。幼い頃別れた幼馴染と高校で再会、とか。言いたいこと言えずに擦れ違い、とか。彼女が海外に行くから別れる、とかいう展開になったら、キッチリ空港まで追っ掛けて、止めに行って、復縁する、とか」
「…すっご。全部、どっかで見たことありますね…?何か…メタいな…?」
「ベタでしょー。そうそう、空港まで彼女が行って、キョロキョロしてる、やっぱり来てるわけないわよねー、からの、足元から写す画角で、テーマソングが流れて、彼女の驚く顔がアップになって、カメラ、そこから引きになったら、彼氏が走って、彼女の元に駆け寄るんですよぉ。そんで、彼氏に気付いた彼女は、手にしてたスーツケースの取っ手を離して」
「古っ。…えー、何でだろ、そんなドラマ見たことないはずなのに…」
「そう、何故か『あーこれ百回見た』ってなるでしょ?タイトルも分からないのに。そういうのが、結局、記憶に残るんですよ。ベタの『概念』みたいな感じで、無いはずの記憶が蘇るでしょー。これがベタの力です」
が、概念。
「…『自分』って、何なんでしょう。自分のことなのに、自分のことが、一番分からない気がして…」
『神様』は、不思議そうに、「はぁ」と言った。
「本当の自分なんてものは、割合、近代に出来た概念なので、幻想とも申せましょうが」
「…幻想」
「幻想ですよ。自由恋愛も、近代の発明品ですから。繁殖欲求から、家や国同士の関係性構築の材料や、氏族として生き永らえる手段と変化していって、行きついた先が自由恋愛です。古い時代の婚姻が、恋愛の無い婚姻と考えると、個人的で自由な事柄ではなく、もっと社会的なものだったわけですよ。だから『縁結び』が重要だったのです。家格が合う、年回りが合う、健康かどうか、土地持ちが、持参金が出せる家か、幼い頃から顔見知りか、などとね」
「生き永らえる手段…」
「身も蓋も無いとお思いになるでしょうが、それこそ、実は、貴方が、恋愛に幻想、夢やロマンを抱いている証拠ですよ」
グサッと来た。
…えっ、恋愛下手な朴念仁のはずなんですが。
そんなロマンチストなんですか、俺は。
「…貴方の分かる範囲の概念に落とし込んで説明しますか?」
「…お願いします」
あんまりスピリチュアルな感じの解説だと、絶対噛み砕けない自信があるから…。
「それでは、文化人類学的な御話では如何です?」
「ギリギリ…いけそうです」
それも、理解出来る自信ないけど…。
「性別役割分業、というもの、お分かりになります?」
「…例えば、男性が狩猟、女性が採取、という感じの分業、って認識で宜しいでしょうか」
「はい、例えば、そんな感じです。では、何故、それを行っていたか」
「何故…」
「アマゾネスの例を考えると、実は、生物学的には必ずしも、男女の役割は、分けなくてもいいわけです。例えば、多くの文化で、戦闘要員を男性にすることの理由を、母体保護などとしてしまうと、アマゾネスの例の説明が出来ない。体の丈夫な女性も運動神経の良い女性もいたでしょうし、虚弱な男性も、女性より非力な男性もいたでしょう。本来それは、性差ではなく、個体差のはずなんです、男性の方が筋肉量が多くなりがち、などといった、性別的な傾向は存在するにしても。だったら、得意な人が、性別に関係なく、好きな仕事をやればいいでしょう?現在のように。それを、何故、多くの文化で、性別によって、分けたのでしょう」
「…何故?」
ヤバい、本気で分からん。
「何事も例外は存在しますが、一例として、それは、婚姻の為です」
「性別役割分業が?!」
「はい。男性が肉や魚を捕り、女性が木の実を採る、と、わざと分業しておくと、どうなるか。婚姻関係を結ばないと、男性は木の実を食べられず、女性は肉類を食べられません。木の実を食べたかったら、肉を食べたかったら、異性と婚姻を結ばなければならないのです、わざと分業しているのですから、その集落では、それが決まりです。このような決め事による外圧によって、人間は、異性と婚姻を結んできました。そうすることで、結果的に子孫が絶えない。その集落の子孫は生き永らえる、という仕組みが、性別役割分業の齎す効果の一例でした」
「…あー、性別役割分業が無いと…。一人で生きていても、肉も木の実も食べられるなら結婚しない、と、言い出す人間がいても、不思議じゃないですね」
「はい。そもそも人間は、外圧が無いと、積極的に婚姻、という、リスクも多い契約を、異性間で結ばないのだ、ということが、昨今の成婚率で、ハッキリしてしまったでしょう?もう、人間は、一人で生きていても、コンビニでハンバーグやチョコレートを買って食べて、幸せに暮らせるのです。自由や多様性、個人主義による地域集団との乖離可能の状態というのは、実際は、婚姻と、非常に相性が悪いのです。ただ、婚姻や性交、繁殖に内在していた『恋愛』という幻想は、形骸化しながらも残存しました。『あなた』と『わたし』が『自由』に選んだ『恋愛』という、比較的最近出来た幻想です。実際は、外圧によって『自由に選べない』、『行き当たりばったりではない』、家柄などが合う者同士、親に認められて婚姻を結んだ方が、高貴で上等で、品行方正だ、という歴史も、長く在ったのです。時代によって価値や意味が流動する、普遍性の無い幻想が『自由恋愛』です」
「…無味乾燥ですね?」
「構成する要素を抜き出したまでです、分かり易くする為に。実際は、何らかの事象に、良いも悪いも無いので。受け取り手や時代の問題ですよ、それこそ。今は、多様性万歳、なんでしょう?職業選択の自由、大いに結構。芸術家になりたいなら、向いてないのに支配者層の嫡男になんかならなくたっていいし、婚姻するもしないも、先祖供養するもしないも、地域集団からの外圧なんか無しに、自分で決められるわけで」
「要素を…抜き出して説明してくださったんですね、俺に分かるように…」
…そういう人、ホント、周りに多いから、やっぱり『神様』、俺に合わせて話してくれてるのかもな…。
これが俺の持つ、『神様』の概念…。
「だから、単に要素を羅列しただけなのに、それを無味乾燥だと思ってしまうことこそ、実は、貴方が、恋愛に幻想、夢やロマンを抱いている証拠なわけですよ。本当は、無味でも乾燥してる状態でも無くて、『あなた』と『わたし』が『自由』に選んだ『恋愛』だったらいいのになー、と思ってるわけです。そういう夢があったら、と。要素に分解して論じたくなんかないわけです、ロマンが無いから」
グッハ!
グサッと来た。
「砂漠の民が、迷い込んできた客を丁重に持て成すのも、長い目で見れば、砂漠という厳しい環境に、困窮した他氏族を放置することで、自身の子孫の未来の婚姻相手が死滅してしまわないように、という意味があるとも言われております。日本の昔話では、迷い込んできた女性は、集落の男性の婚姻相手に、男性は外敵、鬼として殺害された、という話が多い。そこに『人情』や『恋愛』の物語を付加するか、要素を抜き出して、無味乾燥な、『婚姻』による繁殖のための『手段』や『目的』としてしまうかは、最早、文化的な、受け取り方の問題と言えるでしょう。だから本来、『婚姻』や『恋愛』をしないとか、出来ないことなんて、何ら、個人の問題ではないと言えます。身分が低すぎれば婚姻が許可されない時代も長く在りましたし、社会が外圧を与えなければ、そもそも人間は、それらをやらない、と」
「…じゃあ、俺が朴念仁で…一生、自分のやりたいことだけやってて、そういったことに興味が持てなくても…」
「まぁ、そういうこともあるかもねー、くらいの感じです。性別役割分業も、婚姻の仕組みも、別に、神が作ったわけではないので。人間の都合で作られたシステムなだけですから、有用性がなくなれば、衰退しても、まぁ、そういうこともあるかもねー、くらいの。私としては、頼まれれば、縁結びはしてあげますけども。そういう概念ですから」
「はぁ…。スピリチュアルに寄らなさ過ぎて、ロマンの欠片もなくても、それはそれで噛み砕き難いんですね…。やっぱり俺、ロマンチストなのか…?」
「しかし、必要があるから、政治的妥当性とかが作られたんだと思いますから、敢えて物事を露悪的に伝えるのも、品が無いと感じるのであれば、それもあなたの個性なんじゃないでしょうか。わざわざ、ミッキーマウスの中の人の話なんかしても、喜ばれないのと同じです。小さい女の子に、良家の子女はディズニープリンセスじゃない、って厳密に説明したって、泣いちゃうだけです。正論は正解ではないのでしょう?ただ、『神の視座』から御話出来ることは、別にございます。今までの御話は結局、『人間に理解出来る話』でしかないので」
「神の視座?」
「御覧になります?」
「…いいんでしょうか」
「見て理解出来るかは、別の話なので。そして、必要がなければ、記憶に留めておくことも出来ませんから。私にしてみれば、機能階層の一種に過ぎませんし」
「レイヤー?」
可愛い『神様』が「いらっしゃい」と言うと、俺の体は、ふわりと空中に浮いて、『下界』を、上から眺める形になった。
どこの夜景なんだろう。
俺の傍らに浮いている『神様』は、煌く星空の中で、美しい領巾や纈裙を揺らしながら、両手に持っている赤い天狗面をこちらにむけて、愛らしく微笑んで、言った。
「あれが『現世』です。その上に、何層か、膜のように、網上の物が掛かっているのが、御見えになりますか?何層分見えるかは、霊格によるでしょうけれども」
「はー、薄ぼんやりと…。マスクメロンの皮の表面の網目模様みたいなものが…」
「天網恢恢疎にして漏らさず」
「はい?」
「天網です、これ。恢恢、って言うのにピッタリな様子だし、疎でしょう?」
「ええっ?」
テンモウデス?
「…あ、済みません。ちょっと、理解が、難しくなってきました」
「そもそも理解を期待出来るような概念ではございませんから、宜しいのですよ、謝らなくても。生きている人間は見ない想定の概念ですから」
…ひょっとしなくても、とんでもないものを、見せてもらえてるのかなぁ、今。
※道祖神研究、都市民俗学論で知られる民俗学者、國學院大學名誉教授、倉石忠彦(1939年12月15日 - 2023年6月25日)氏が、
「陽石の形の石像と五穀豊穣と子孫繁栄の概念は、地母神的発想からすると、男性的で合致せず、近世以降の発想なのではないかと思われる」
と発言されておりましたが、御著書発見出来ませんでした。