御盆の中日'How surprised he'll be when he finds out who I am!'
―見つけた。
ん?
―腹の立つ。鳴り物入りで迎えた若い後妻の癖に、娘一人産んだだけで、これまた早死にしやがって。これまた頭の良い、俺より仕事の出来る、俺より顧客の信用の高い女に生まれやがった。それは俺が取るべき手柄だったのに。まぁいい。今度は、頭が良い息子を産んでくれれば。
―ああ、気に入らない。
え?
髪が短い、眼鏡の、白いTシャツに、黒いパンツスーツ姿の女の人が見える。
誰もいない、パソコンだらけの部屋の、デスクの上の書類を片付けてるみたい。
「黒岩さん、残業?」
誰か、男の人が声を掛ける。
『黒岩さん』は、美人だけど、少し固い表情で、「はい」と言った。
「何で?仕事納めじゃん。帰省とか、しないの?」
『黒岩さん』は、警戒した表情で「帰ります」と言った。
「若しかして、帰省する場所が、無いんだったりして」
『黒岩さん』は、ビクリ、と震えてから、返事をせずに、手にしていた書類を、丁寧に揃えた。
誰かに弱みを握られたくない、っていう気持ちが伝わってきた。
「俺もなんだ。実家とは、ほぼ、縁を切ってて。帰省する場所が無いんだよね」
『黒岩さん』は、少しだけ警戒心を解いた表情で、男の人の顔を見返した。
うわ。
声を掛けた男の人の『してやったり』という感情が、伝わってきた。
「へー、稚菜さんの御両親、長野の人なんだ、俺も、A市」
男の人に『稚菜さん』と呼ばれた、髪の短い、眼鏡の女の人は、「偶然ね」と言って、微笑んだ。
「うちも、そうみたい。父は木曽の人だけど、母はA市の、S地区出身なの。二人して、北海道の大学で知り合ったんですって」
「S地区って…。JR大糸線から、H駅で降りる?…俺の出身のO地区と、めちゃくちゃ近いじゃないか…。俺、あそこの公園で遊んだことあるよ」
「そう?私は、行ったことないけど…」
「…ねぇ、『稚菜さん』。俺と結婚しない?」
「え?」
「身内と縁が薄い者同士さ、家族を作ろうよ。子どもが出来たら、俺、育児休暇を取る。協力し合って、子育てしよう。仕事も辞めなくていい。駅が近めの場所に、お金を出し合って、戸建ての家を建てて、そうして、『誰が見ても幸せそう』で、『他人の羨むような』『自慢の』家庭を作ろう。『会社の皆も羨ましがる』よ、きっと」
―あの女よりは頭が悪いから。『俺』の思い通りになるはず。俺より仕事が出来る『女』なのが気に入らないから、『家』に縛り付けてやろう。
あ、『赤ちゃん』、泣き止まない。
「何でだよ。育休明けて戻ったら、俺より、産休でいない女の方が良いって言ってる顧客が、こんなにいるって、どういうことだよ」
『赤ちゃん』、泣き止まない。
「何で、生まれたのが『女』なんだよ。良いパパ演じても『長男』じゃないんじゃ、コスパ悪いじゃねぇか。『跡取り』がいないんじゃ『羨ましがられない』」
「黒岩さんはやってくれたのに?黒岩さんは、丁寧だったのに?黒岩さんは、親切だったのに?黒岩さんは段取りが良かったのに?黒岩さんは出来たのに?黒岩さんは調整してくれたのに?」
―ふざけやがって。またか。あそこまでやんなきゃなんないわけ?俺がしなきゃいけないの?あそこまで。俺も、おんなじようにやんなきゃダメなの?あそこまで出来なきゃ、『女』より、評価されないのか?『女』の方が、俺より頭が良かったら、比べられるじゃないか。俺は男で、長男なのに。『妹』の方が、可愛がられてて。『妹』は死んだのに、親は、まだ、『妹』を諦めてなくて。
『お兄ちゃん、やめて』
『こんな屋上まで、何で?』
『入っちゃいけないんだよ、ここ』
『…松本の繁華街が見えるね。凄く高い場所』
―怖がらせてやろうと思っただけだったのに。頭から真っ直ぐ落ちてった。足なんか滑らせやがって、鈍臭い奴。お前が死んだりしたから。
―怖くて、帰れない。俺の『家』なのに。
―防犯カメラなんか、まだまだ少ないと思ってたのに。親父は、勘付いてて。…農家を継ぐなら黙っててやるって。
―結局『家』かよ。
―じゃあバラせよ。どうせ、『家』が大事だから、『長男』の醜聞なんて、漏らせない癖に。
―『家』の名義を俺にせずに死にやがった、親父。…気に入らない。
―気に入らない。…気晴らしに『俺』に引っ掛けられた商売の女のくせに、俺の子を妊娠したとか言い出して。広告代理店の人でしょ、とか言い出して、金、せびってきやがって。本当に『俺』の子かよ?堕ろすのに、本当に、そんなにかかるのかよ?弱味握って、言い値を払わせるなんて、気に入らない。
―全部売り払ってやる。ピアノもヴァイオリンも、こんな物も、あれもこれも、『妹』の物が取ってある。気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない。
―嘘だろ。
―鍵付きの日記?『妹』の。
―鍵が無い。
―嘘だ。
―何が書かれてるんだ?
―書かれてるはずがない、『あの日』のことなんか。
―でも、何が?何が書いてあるんだ?
―気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない。
「はぁ?昊、…自分の『妹』と?…なーんだ。『俺以外の奴の弱味』じゃん。ありがとなぁ、瑞月。これ、兄ちゃん、金にするよ」
笑ってる。すっごく安心して、楽しいみたいに。
―嘘だろ。『鍵』を持ってる女が、刺して来る。
―弱味を『俺』に握られてるはずなのに。
―『俺』より弱いはずで、『俺』より頭が悪いはずで、『俺』より学が無くて、『俺』より良い学校を出ていない、『俺』に弱みを握られてる『女』が、『俺』を刺して来る。
―見つけた。そういうことか。
え?
―腹の立つ。『俺』の最後の妾の癖に、子どもが産めないことを隠して『俺』に近付いて、『俺』の『長男』の書いた『本』を隠し持って、『俺』より長く生きて、『本』を隠し通しやがった。
―『俺』の死に際に、怯えながら死ね、と言って、『本』の内容を呼んで聞かせてきた、あの『女』。これは、『俺』が『長男』に見せた『良い夢』と『悪い夢』だって。自分が『子ども』と思って可愛がってきた存在に『俺』がしたことを、残してやる、と。
―あの『本』の中身が世に知れたら。『預かり物』のことが知れたら。隠れなく、知れ渡ってしまったら。
―気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない。あの『本』は、『長男』は何処だ。
「母さん?…嘘だろ?…『俺』の『娘』に、全部…」
「もうお前の『娘』じゃない。『妹』だ。お前の『妹』に、この『家』の物を全部譲る。私が可愛いのは、お前じゃなくて、あの子だから」
―気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない。
―『女』なんかに。
―『娘』なんかに。
―『妹』なんかに。
―『俺』より、力が弱くて、頭が悪くて、何も持ってないのに。
―いつも、『俺』より、
「ここまで」
気づくと、私は、小さい子の姿で、振袖を着ていた。
白いワンピース姿の、髪の長い女の人は、首から、小さな鍵の形をしたネックレスを下げていた。
「ここまで、って、どうして?」
「見る必要ない。聞く必要ない。知らなくていいし、怖い目に遭わなくていいし、考えなくていい」
「どうして?」
女の人は「大好きだったから」と言って、抱き締めてくれた。
「友情は壊しちゃったけど。大好きだったから。まだ、アリスは好き?ヴァイオリンは、嫌いになっちゃった?」
「…習い事、させてもらったことがないの。ヴァイオリンは分かんないけど。…アリスは、好き」
白いワンピースの女の人は、私を抱いて、「遊ぼう」と言って、立ち上がった。チラチラと、着物姿にも見える。顔は、よく分からない。
「ほら、冥府の蜥蜴。尖筆をキイキイいわせて、ずっと何かをかいている」
『うん、 よく わかんないけど、もう 良 い よ。 だいぶ 良く なった。 でも 俺 混乱 して 喋れ な い んだ。 分 か ったの は、 何か が びっ く り箱 み たいに来て、 俺が、 ロケッ ト みた い に 飛び上がったことだけ』
背が高いんだな。綺麗な人。陪審員の服。裁判の判決や事実認定を行うから、彼の言うことを聞かないと、罪を、隠れなく知らせられてしまう。
「海のように深い情を持った、帽子を被せられた白ウサギ」
不思議な襟の服に、チグハグの、紳士みたいな帽子をかぶった、優しい目の、綺麗な顔の人は、黙示録の喇叭を三回吹き鳴らした。悪い蟲を殺すニガヨモギの天使。一番怖いアプシンオンを持ってる。告知官を怒らせたら、訴状を読み上げられて、罪を、隠れなく知らせられてしまう。
「天界のチェシャ猫。自分のことだけは操作できずに、微笑みを残して消えていく」
天使の中で最も美しいのに、反逆者。今までの人生で見た中で最も奇異なもの。目が眩んでしまう。反逆して、罪を、隠れなく知らせられてしまう。
女の人は「三兄弟なの」と、教えてくれた。
「Duchess」
『ほら、面倒見たいならちょっと見せてやるよ!』
黒いベルサーチのドレスで、赤ちゃんを抱いてる。
「カレーにルーを入れ過ぎてしまう、もう一人の証人」
『そういうのは駄目』
小柄な男の子。
玄関で寝てる卵男。
忠告をしてくる大学教授。
代用彼女。
沢山、沢山いる。
「どれが好き?どれに会いたい?」
本当は。
「お母さん」
でも、来ないもん。
うんと昔に死んじゃったから、来ないもん。
泣いてても、来ないもん。
死んでから、振袖ごと焼かれても、来ないもん。
来て、くれないもん。
あの子は、どこ。
あの子がいないと。
私が、独り占めにしたいのは。
あの子だけ。
目が覚めた。手元に置いてあった携帯電話を見る。
「嘘。十四日?」
…信じられない。
眠ってる間に、日付が飛んじゃったとしか思えない。
「嘘…」
誰からも、連絡すら来てない。
自分が、若しかしたら、切り離された場所に、一人でいたのかも、って、錯覚しちゃうくらい。
急に、メッセージが入った。
水戸さんだった。
「そうだ、会う、約束の日になっちゃったんだ」
御盆は、死んだ人が帰ってくるんだって。
迎え盆は昨日だったんだ、と思いながら、結局、私は、シャワーを浴びることにした。