雀蜂と入れ歯:The wasp in a dentures.
暗くなる前に苧干原本家に戻ると、夕飯を作って待っていてくれた綾さんが、銑二さんを紹介してくれた。
フサフサの白い髪に、眉毛まで真っ白で、モジャモジャで長い眉毛は長くて、痩せていて、如何にも、おじいちゃん、という感じがした。
…若手…。
そうか、若手か…、うん。
相手は、俺を見て、暫くフリーズしてから、感嘆の声を上げた。
「は、はぁー?…ああ、おどろいた。及木さんところの貴ちゃんと同じ顔だわ」
聖伯父のところで迎え火を済ませてきた、と報告すると、銑二さんは、俺をべた褒めした。
「良い子だっ。そうだ、貴ちゃんと同じ顔の子だから、良い子に決まっとる。偉いっ。あの子は神童だったから」
…ちょっと、分かるかも。
…何でか分かんないけど、うちの母親みたいなのが、いきなり田舎にいたら、何か、そんな感じになっちゃうかもね、って、何故か思っちゃった。
…何で、そんなこと思ったんだっけな。
あと、正直、顔だけで、こんなに信用されるんなら、生まれて初めてだっていうくらい、『貴ちゃんと同じ顔』で良かったと思ってる。
台所にあるダイニングテーブルの上座に先に座っている銑二さんは、俺達二人の顔を見比べて「付き合ってねぇだろ」と言った。
うお、何故それを。
「貴ちゃんと同じ顔の子が、そんな、ふしだらなこと、するわけない。女の方が粉を掛けようとする、そういう顔だよぉ。違う違う」
…『貴ちゃん』に対する信頼度、逆に高過ぎて変じゃない?
「よし、俺と同じ部屋に寝よう。お前さんの貞操は、貴ちゃんの為にも、俺が守る」
何でよ。
何で、十八の女の子の貞操より、俺の貞操の方を守ろうとするのよ。
あと、誰から守るっての?瑞月?
瑞月は、途中から、銑二さんの話を聞くのを止めて、天麩羅を食卓に出す手伝いを始めたし、綾さんも、慣れた様子で、大皿に煮物をよそい始めた。
…ああ、何か『大叔父が珍しく味方してくれた』とか『綾さんは大叔父に意見しない』って言ってたけど。
…こういう感じで、思い込み激しく、熱く語るのを、普段は周りが放置してるだけなのでは…?
「朝方、鳥の声で起きたら、胡瓜もげよー、瑞月。働けよぉ?そんな、大変な仕事でもねぇんだから」
瑞月は「はい」と言って、冷えた瓶ビールとグラスを、銑二さんの目の前に出した。
銑二さんは、およ、という顔をして黙った。
…対処法、手慣れ過ぎ。
銑二さんは、既に、揚げたての野菜の天麩羅と、ビールの方に意識が向いている。
瑞月は、「はい」と言って、俺に向かって、すっかり食事の用意が出来た席の椅子を引いてくれた。
…頂きます…。
食事をしながら、例の質問をすると、銑二さんは、再び俺を褒めた。
「突然言うんじゃなくて、きちんと、前もって、こういうことをする、ってことで泊るってのがね、もう。…いやぁ、偉いっ」
…その…それは、瑞月の功績なんですけど。
酔ってます?銑二さん。
だが、瑞月は黙って天麩羅を食べているし、綾さんは、銑二さんを気にせず「そうねぇ」と言うしで、誰も銑二さんの発言を気にしている様子が無かった。
…年寄り連中に話を聞いてもらえなかった、とかいう理由も、分かる気がする。
普段の発言の温度が高過ぎて、何か言うと、周りから『またか』って扱いになりがちなんではなかろうか、この人。
悪い人じゃなさそうだけど…。
綾さんは、本当に、「偉いっ」と続ける銑二さんを気にせず、話を続けた。
「あたしは、もうちょっと、梓川寄りの場所から嫁に来たから、Oの出身ってわけじゃないんだけど、柳澤さんのところの恵美子さんとは、野菜のやり取りがあるから、明日、車で送ってあげるわねぇ。あ、そうだ、トマトも西瓜もありがとうねぇ、随分大玉じゃない、半分で、これ?ラップして冷やしておいて、明日、出しましょうかね。熱中症予防にも良いのよぉ」
「あっ、はい…」
「高良、御塩、いる?御醤油の方が良い?天麩羅にかけるの」
「えっと、じゃあ、塩で…」
…綾さんは、大人しい方の人、って、瑞月は言ってたけど。
…凄い、この場にいる人間、全員、マイペースじゃない…?
誰も、俺以外と会話が成立してないけど…?
他の親戚に会うの、心配になってきたな…。
ただ、こういう感じでも、瑞月が家に泊ることを、銑二さんが周りに自慢していた、ということは、本当は可愛がっているのだろう。
表面に、現れにくいだけで。
愛情を伝えるのって、難しいですよね。
俺も、今日、聖伯父の愛情の重量を知りましたし…。
…本当に、食事と入浴後、銑二さんと同じ部屋で寝ることになってしまった。
「瑞月は仏間に寝せっから!安心、安心」
…いや、その。
だから、なんで、俺の方の貞操の心配を…。
仏間で寝るのと、ここで銑二さんと寝るのと、どっちが貞操の安全が守れるのか、というのは、議論しても分からないかとは思いますけど。
俺としても、夜這いを行うような甲斐性も勇気も積極性も、元からない人間ですし。
でも、あんな、仏間の、御先祖様ミラーボールが回ってる御供養ダンスホールみたいな畳の部屋で、そんな気も起こせないと思います、正直…。
火災避けに、仏間の盆提灯は、電飾の物に切り替えた、っていうのは、良い判断だと思うんですけど、…いや、ホント、あれ、凄いよね…。盆の間中、ああなんでしょ…?
御先祖的には、あれって、どうなんですか?嬉しいもんなんですか?
で、あそこで十八の女の子を寝せるって…。
うーん、まぁ、『貞操を守る』って意味では、御先祖セコムみたいな感じで、却って良いんですかね…。安眠できるかは分からないけど。
…いや、瑞月の睡眠の心配より、俺の心配だよね。
…初対面の後期高齢者と同室か。
眠れるかな…。
「うんうん、『つねちゃんふみちゃん』なー。俺の祖母ちゃんの猫、『ふみちゃん』だったよ」
「おお、そうですか」
寝る前に、こういう話が聞けるのは、有難いか。
凄いな、実地。Jasmine様様だ。
「あっ、そうだ、明日、蜂の子食べような!」
いや、話の途中ぅ。
「あっ、はい。…で、えーっと」
「昼は帽子かぶれよ、頭の皮、剥けるぞ!」
「あっ、…はい。…それでですね」
…難物。
聞き取り、今までで一番、難しい可能性、ある?若しかして。
「おお、そうだ、三日目の一日目の、分家の、善重さんちな、あんたのお祖母さんの、喜代子さんの親戚だから」
「…そうでしたか」
母方の祖母だ。幼稚園の頃亡くなったから、入院がちながらも、小学校に上がるまでは生きていてくれた母方の祖父の孝よりも、馴染みが薄いが。
顔が、あまり思い出せないレベル。
聖伯父は、父親似だと思うが。
「喜代子さんもねぇ、…悪い人じゃなかったんだけど。あのー、みどりさん、っていう、すげぇ美人が同学年に居て、対抗意識があったんだよなぁ」
「…降籏家の人でしたっけ?」
茉莉花さんのお祖母さんかな?
「よく知ってんなぁ、そうそう、小松分家に嫁に行ったんだけど。学生の時ぁ、あれだよ、ファンクラブがあったんだよ、電車で見掛ける、他校の子がファンクラブ作ってて」
「ほー」
まぁ、茉莉花さんのお祖母さんが美人だったって聞いたところで、味噌も醤油も材料は同じで大豆から出来てるんだよ、って聞いたくらいの納得感しかないけど…。
「で、自分の娘に貴ちゃんが生まれたら、美人の神童だったもんだから、豪く自慢にしてて。…着せ替え人形みたいにしちゃってねぇ。気持ちは分かるんだけども。…ちょっと、あれだな、依存してた感じしたな、貴ちゃんに。…あのー、あれだよ、貴ちゃんが凄いのであって。そりゃ、学校にやった、学費出したのは、親かも分からんけど、…勉強したのは貴ちゃんなんだけども。…貴ちゃんが偉いと、自分が偉い、っていうのかね、こう…、やっぱり、依存してた感じ、したな。娘を手放したがらない、というか。あんたんとこの身内を悪くいうつもりはないけど」
「ああ、…ちょっと、イメージは出来ます」
馴染みが薄い身内なのに、イメージ出来る理由は分からないけど…。
「それでまた、みどりさんとこの息子ってのが、今ひとつ、こう。頭は良い奴だったんだけども」
「えっと…、瑞穂さん、ですっけ」
「よく知ってんなぁ、そうそう。まあ、貴ちゃんと比べたら、なぁ、あれだろ、今、教授だろ?」
「母は助教ですね、教授は父です」
「ねー、まぁ、そういうことよ。ホント、美人だし、頭は良いしで。初恋泥棒だったよな、貴ちゃん」
呼び方、ダッサ。
…いかんぞ俺、話者さんに突っ込んだら。
「はぁ、初恋…」
「瑞穂も、瑞月の父親の昊も、貴ちゃんにゾッコンだったからな」
…え?
「うーんとな、そういうわけで。俺は、お前さんの貞操を守るよ。…貴ちゃんが結婚したって知って、急に、瑞穂、会社の後輩と結婚したらしくてな。…いや、ちょっと、まぁ。今も、周りが、貴ちゃんの住所を教えんようにしてる。ま、瑞穂、みどりさん達も妹も亡くなって、実家取り壊してから、帰って来ちゃおらんが。あれだろ、貴ちゃんて、ストーカー避けに、学校のホームページに顔写真、載せないんだろ?」
「…初耳なんですが」
「な、そうだよ、貴ちゃんと同じ顔の子が、そんな、ふしだらなこと、するわけない。相手の方が粉を掛けようとすんだ。そうなんだよ」
何か、あったのかな…。
うちの母親の為に、周りが、瑞穂さんに、うちの住所を、知られないようにしてる…?
しかし、銑二さんは、それ以上の詳細を話してはくれず、「寝るぞ」と言って、俺に背を向けた。
あ、えっ。そんな、嘘。
…あー、入れ歯、外したぁ!
水っぽい音がして、正視したくない形状の青いケースに入れられた何かが、銑二さんの手によって、畳敷きの客間に並べて敷かれた、俺と銑二さんの布団の枕元に置かれた。
…え、俺、これから、入れ歯と寝るんだ。
待って、神様。
優将とÉmileと同衾した時、せめて女の子とってお願いしませんでしたっけ。
…なんで、配役が、後期高齢者と入れ歯に変更になったんですか?
あ、あれですか、映画化の時に配役にお金掛け過ぎて、ドラマ版の配役にまでお金足りなかった、みたいなやつなんですか…?
改悪されてません?
ホログラフィック理論ってやっぱ、受付窓口、無さそうぅ。
わぁぁぁぁ、前の配役に戻して、せめてぇ。