迎え火: 'Call the next witness!'
結局、何故か瑞月も一緒に、伯父夫婦と四人で、まだ明るいうちに墓に行った。
米の入った御捻りと、供花、線香、白樺の皮、水、御萩を持って墓に行き、それ等を御供えしてから、白樺の皮を焚いて、その火を、手持ち提灯に移した。
こうして、迎え火の火を提灯に灯して家に持ち帰り、仏間の盆提灯に火を移し替えることで、御先祖を、家に連れて帰るのだと、伯父は言った。
「麻殻を焚くんじゃないんですね、迎え火って」
俺の言葉に、聖伯父は不思議そうに「白樺の皮を焚くんだよ」と言った。
…そっか、白樺の木が一般的な地域と、そうじゃない地域があるし、焚く素材も、地域性が有るんだ。
聖伯父は、俺に提灯を持たせると、先祖の墓に手を合わせて、「高良が、彼女を連れてくるくらい大きくなりましたよ」と、寂しそうに言った。
ちょっ、ちょいちょいちょい、や、やめて、聖伯父さん、御先祖への報告は。
虚偽になってしまう。
…あー、改めて、罰当たりかもぉ。御先祖様、ごめんなさいねぇ?
家に戻って、盆提灯に、手持ち提灯の火をうつして、キッチンに移動してから、聖伯父は、俯き加減で、「何が聞きたいの?」と言った。
瑞月とは、微妙に目が合わない。
うう、気まずい…。
俺と目が合った瑞月は、一呼吸置いてから、「先ずは、改めて御挨拶をしましょう」と、綺麗な声で言った。
…?
「親御さんより先に、伯父さん夫婦に紹介して頂けるだなんて、思いませんでした。初めまして、苧干原瑞月です」
あ、うっそ。
こいつ、『彼女』として、俺の両親より先に、伯父さんに紹介してもらった、という形で、聖伯父さんの自尊心を擽ろうと?
…効いてるぅ。
伯父さん、ニッコニコー。
おい、天才かよ、こいつ。
流石、治安悪い国でも生き延びてきただけはあるわぁ。
だって『彼女です』とは名乗ってないんだよ、ギリギリのところで、嘘も言ってないんだわ。
スッゲー。コミュ強過ぎんだろぉ。
台所に置かれた、六人掛けのダイニングテーブルに座って、一通り、質問事項を聞いた聖伯父は、「つねちゃんふみちゃん?」と言った。
「あー…聞いたことあるけど。んー、もっと言うと、仕事で、市の教育委員会に、『つねちゃんふみちゃんの像』として、降籏本家の蔵の前の石像を郷土誌で紹介しようとして、篤さん、先代の本家の人に断られたことはある」
「へー?農協で、そんなことを?」
あ、あらー、業務で?
思ったより、面白い話、聞けちゃった。
「もうちょっと昔、お客さんに、私的に地元の歴史研究をしてる人がいて。あそこの像も、価値があるんじゃないか、みたいな感じで、伝手で、市に調査協力呼び掛けてくれ、みたいな話になって。でも結局、持ち主の調査協力が得られなくて。あんまり良い話が無かったからだろう、ってことで、その人も納得して、立ち消え」
え?…来た来た来た。
「…『あんまり良い話が無かった』っていうのは?」
「んー、その。像を作った経緯が、亡くなった子どもの供養だったらしいんだけど。火事で亡くなった子達らしいんだよね」
…ほう。
「…と、言いますと」
「男の子が、放火して、好きだった、身分違いの女の子と心中した、みたいな話が、明治くらいにあったらしくて。その子達が、亡くなってるはずなのに、家々を別々に尋ねて回って、自分の家か確認してくる、って、噂になってたらしいんだよね。それで、供養の像が作られたらしいんだけど。他所の人には、道祖神と間違われて、何で蔵の前に置かれてるんだ、とか、しつこく聞かれるから、余所者には見せたくなかったとかなんとか」
…ビンゴ!
やだ、聖伯父さん!凄いじゃーん!
しかし、瑞月は、俺の顔を見て、小さく、首を振った。
え?
瑞月の目線の先を見ると、千代子伯母が震えていた。
「…千代子?」
「あ、あたし、なんてことを」
千代子伯母は、ワッと、泣き出した。
「どうしたんだ」
「い、言えないよ、何で、言わないといけないの、あ、あたし」
パニックになって、テーブルに突っ伏す千代子伯母に、瑞月は、そっと寄って行って、背中を撫でた。
少し落ち着いた千代子伯母は、瑞月の顔を見て、「十八だったわね」と、小さな声で言った。
瑞月は、「はい」と、小さな声で言った。
「…いいよ、あんたになら、話しても、いいよ…」
そう言って、千代子伯母は、静かに泣いた。
「あの時の子が生まれてたら、今頃、十八」
聖伯父は、ハッとした顔をした。
「妊娠六週目で、心臓が動かなくなっちゃったって言われて。…産んでも、心臓に障害がある子が生まれるって言われて。…でも、認めたくなくて。でも、そのうち、…血が出て来て。最初で最後の子を、妊娠十週で諦めなきゃならなくなって。…でも、不妊治療は嫌だった。お金を掛けても、妊娠出来なかったら、どうしよう、って。その、結果が出る間中、自分には、妊娠する力が無いんだって、考え続けなくちゃならないんだ、と思ったら、…怖くて、踏み出せなくて。でも、この人が、不妊治療まではしなくて良いって、言ってくれて。…でも、長男で、夫の両親と、同居で。…周りは優しくて、子どものことは、聞かないでくれたけど。…あたし、ここの人間じゃないんです」
俺が「そうだったんですか」と聞くと、「熊本」という答えが返ってきた。
確かに、訛が少ない方の人だと思っていたら、他所から来た人だったらしい。
「西瓜の名産地、って、歌、知らない?…あの…、高校卒業して、向こうの農協に勤めてた時に、他所の農協と提携して、農業従事者の視察受け入れの仕事が会った時に知り合ったのが、この人で。…思い切って、こっちに嫁入りしてきたんだけど、最初は、こっちに知り合いも、誰もいなくて、なかなか、子どもも出来なくて。…あんなこともあって。だから、あれは、…年寄りが、偶に拝んでる、あの像は、水子のもんだと思ってて…」
「ああ、子どもの供養、ですか…」
「…知らなかった。悪い噂の霊を供養するためのもんに、…あの子の御供養とか、子どもが欲しいとか…祈っちゃってたんだねぇ…」
ごめんねぇ、という、小さな声がして、千代子伯母は、両手で、再び顔を覆った。
見れば、瑞月も泣いていた。
「そりゃあ、効果が、無いはずだわねぇ…。でも、あの像、女の子の顔が、可愛くって。…一時期、心の支えだったの。今でこそ、沢山、お喋りしてくれる人もいるけど…」
結局、そのまま、聖伯父の家を辞することになった。
別れ際に、聖伯父は、そっと教えてくれた。
「その、地元の歴史を研究してる人は、亡くなったんだけど、集めてた資料は、遺族が、柳澤さん、っていう、前に、市役所に勤めてた人に、譲っちゃったんだ。今、その人が、自分の家の蔵にあった物と、纏めて管理してるはずだよ。それこそ、八十手前の人なんだけど」
瑞月が、涙を拭いながらも、「柳澤嗣品さんですか?」と聞くと、「そうだよ」と、聖伯父は、驚いたように言った。
俺が「明日、伺う予定で。聞いてみます…伯父さん、凄く、本当に、助かりました。迎え火も、ちゃんと出来て、良かった」と言うと、聖伯父は、俺の左手の親指を、自分の右手の指で、そっと摘まんだ。
「伯父さん?」
「貴子は、こういう話、嫌がるんだけど。手相なんか、ただの皺だ、って言って。でも、ほら、高良の親指ね、仏眼相があるんだよ、生まれた時から」
「…気にしたことも無かったですけど…。どれでしょう…」
「親指の第一関節に、目みたいな形になる皺があるでしょ?これを持ってる人間は、御先祖から、期待をされた人間なんだって」
「…伯父さん」
「うちの家は、及木の、この家は、俺の代で絶えてしまうんだけど。…高良は、きっと、御先祖様に期待を掛けられたことを、成し遂げられると思う。やりたいように、やりなさい。助力は惜しまないから」
苧干原本家に戻る道すがら、少しずつ暗くなってくる空の下で、連れ立って歩きながら、瑞月は、まだ泣いていた。
「…生まれるとか、生んでもらうって、どういうことなのかしら。…許されない経緯で生まれても、こうやって、十八まで育つ子もいれば、…望まれたのに、十八になれない子がいて」
確かに、それは、答えが出ない事柄だろうとは、思うけど。
「やめるか?」
俺の言葉に、瑞月は、泣き顔を上げて立ち止まり、俺の顔を見詰めた。
「『聞き取り』って、こういうことなんだ。生活の中に立ち入って、誰かの人生の一部を、聞かせてもらうことでもあるんだよ。今日みたいに、誰かの傷に触れることもあるし、記録する、ということで、誰かの苦しい記憶も、ずっと保持し続ける。紹介さえしてくれれば、一人で続けるから、辛いようだったら、やめたほうがいい」
瑞月は、首を振った。
「…実は、ここに来る前、海外の友達に、軽く、フィールドワークや、座敷童のことを話した時、…異教徒的だ、って、言われてしまって」
「うわ。グサッと来るな。…それは、民俗学をやる人間には、禁句ですよ…。『異教』って、キリスト教から見て、ってことだろ…?平等性を欠いた言い方だ。公平じゃない。…学問っていうのは…もっと、フラットに、客観的に、物事を見ないと…」
俺は、その言い方、許容出来ない。
「そう、だから、…その時、私も思った、不公平だって。その…、私は、結局、日本のことも、分かるから、妖怪、っていう概念にも馴染みがあるし、宗教は、最初は、全部、Euhemerismだと思ってるから…」
凄い。
「…そうだと思う、俺も。死後に祭り上げられた偉人が神の起源、ってことだな」
エウヘメリズムとは、偉人が、死後に祭り上げられたことで神格化に繋がり、それが『神』とされるようになったのが、神の起源、とする考え方のことだが、つまり、その理論だと、どの神様も、最初は人間だった、と考えることが出来るのだ。古事記日本書紀って、そうなんだろうな、と思うし、そこが全ての最初、って考えたら、決して、何かの宗教を基準にして、他の宗教をpaganismなんて、侮蔑的には言えないと思うんだ。
「そう、そう思う。ただ、…今日、迎え火とか、ちゃんとやってみたり、いろんな人の話を聞いたりして、ああ、国籍を『選ぶ』と言うほど、やっぱり自分は、何方の国の文化のことにも、詳しくなかったかも、って思って。何か、多分だけど、…知って良かったんだと、思うわ」
…そう言ってもらえるなら、何だか、救われる気がするけど。
MadでSelfishだとだけ思わずに、何かの、役に立ったと、少しでも思ってもらえるんだったら。
「二泊三日は、少なくとも、続ける。…明日は、柳澤さんの所に、行きましょ?」
「…ありがとう」
「知る、って、きっと、自分の何かが、変わることでもあるのね」
空が染まってきた。
俺が、この世で一番美しいと思っている夕焼けが、ここで始まる、と、思った。