裏切者:How am I to get in?
優将の家の前に行くと、紫苑高校の制服姿の優将がいて、立って、業者に、自分の家の荷物が運び出されてくのを、暗い中、家からの灯りに照らされて、いつもの無表情で見詰めてた。
優将の家の駐車スペースには、珍しく、黒のセダンが一台停めてあって、見たことない車だな、って、思った。
「優将、これって…?」
「…あー。ババァがさ、荷物引き取りに来ただけ。もう、職場にしてる所に、荷物全部持ってくってさ」
「そうなんだ…」
…優将が引っ越すわけじゃないんだよね?
何か、モヤモヤするけど、聞けない。
「…髪、切った?優将、そんな短いの、高校受験以来じゃない?」
「んー、切った切った、今日」
「髪色も、黒くしたんだね?」
珍しい。
こっちの方が似合うけど、何か、大人っぽくなって、ちょっと、…知らない人みたい、って、思った。
「やー、六月から、毎月色変えてるからな…。そろそろ髪も休ませたいわ…。さしもの俺も、頭皮が気になったよね、今月は流石に」
「そ、そう…」
頭皮が…。
じゃあ、もうちょっと間をあければ良かったのに。
何か、髪が黒くないといけないことが、近々あるのかな?って思ったけど、…何となく、聞けない。
暫く、二人で、並んで、優将の家の前に立って、様子を見てたら、黒いドレスの、綺麗な女の人が出てきた。
…ベルサーチのドレスかな?
巻き髪で、派手。
暗くても、ラメがキラキラ光ってる。
「あ、季湖さん?」
「やだ、茉莉花ちゃん?大きくなったわねー。はい、あげるぅ」
季湖さんは、手に持っていた袋を、全部、私に手渡してきた。
「ど、どうも。あ、フリーズドライのライチとマンゴー?」
「フルーツティー好きでしょ?紅茶かヨーグルトに入れてねぇん」
「あ、ありがとうございます」
お店で使い切れなかったやつの在庫処分だって、いつも優将は、嫌な顔するけど、確かに、あんまり店舗で売ってるの見たことないし、これで作るフルーツティーは、結構好き。
ドライフルーツとは違った、不思議な食感だから、紅茶に入れるのが一番良いと思ってる。
あれ?
「…季湖さん?」
珍しく、私のことを、季湖さんが、ジッと見ている。
「…じゃあね」
…あれ?
『またね』じゃないんだ。
優将、今日は、悪態をつきもしない。
ずっと、業者さんの動きを見詰めてる。
「あ、はい、また…」
私の挨拶に、季湖さんは、珍しく、静かに微笑んで、黒い車の方に向かっていった。
暫くすると、優将が「行ったか?」と、小さな声で言った。
「あ、季湖さん?うん、今、車、発進したでしょ?」
「ごめん、茉莉花。ちょっと、親父の部屋、来てくんない?二階の」
優将は、まだ小声だ。
…何か、変。
「分かった、入るね?」
優将は、私の手から、フリーズドライの袋を取って、スタスタと先に中に入ると、玄関先に置いてくれた。
この家の二階に上がったの、久しぶり。
階段を上って一番奥が季湖さんの部屋、真ん中が優将、一番手前が、優将のお父さんの、将基さんの部屋だ。
将基さんの部屋って、まだ、荷物とかあるのかな?
伽藍洞なんじゃないか、と思って入って、私は、息を飲んだ。
パソコンと、大きなモニターと、作業用のデスクと椅子だけが残されてて、真っ暗な部屋の中で、ずっと、青白い光を発しながら起動してる。
エアコンが点いてるのか、部屋の中は、ひんやりしてる。
「何これ…。モニター?」
優将は、部屋の電気を点けてくれた。
「親父が置いてった機材と、家の前の防犯カメラの映像。セコム入ってるし、こんなん、気にも留めてなかったんだけど。気づかんくて、ごめんな、茉莉花。…やっぱ、凄いわ、あの大学教授。電話で、誰かが、小松さんに、うちの防犯カメラの映像を横流ししてる、って言われて。…見たら、ドンピシャ」
「小松さん、って…?」
どういうこと…?
「…うちの親父が、茉莉花のとーちゃんに、うちの防犯カメラの映像を横流ししてる」
「…何それ…」
動悸が早くなる。
「理由は分からん。うちの親父が自主的にやってんのか、瑞穂さんに頼まれたからやってんのかは分からんけど。…犯罪、だと思う。個人情報だ。顔も住所も名前も性別も紐づけされた、俺等の家の前のプライバシー映像は、うちの親父が、瑞穂さんに、横流ししてる。厄介なことには、親父には悪気が無いかもしれん…。単なる親切心でやってる可能性が有る。やめろって俺が言っても、話が通じない可能性も高い。…外科医としては優秀なんよ。情を交えずに他人の体を切開出来る人間だから。でも、うちのババァみたいな、操縦役のフォローが無いと、社会では、こういうことをしちゃう恐れがあるんよね」
体が、冷たくなってく。
夏なのに。
「ああ、ホントだ…。中澤さんちは、絶妙に映ってなくて、…うちと、優将の家の前が、バッチリ写ってる」
何これ。
怖い。
「中澤さんちとも相談して、もしかしたら、警察に通報するかもしんない。…どうなんのかな。医者が、自宅の防犯カメラ映像横流しって。…逮捕は無くても、噂が広まったら、長野の病院、潰れっかもな…」
優将は、「クソ親父」と言って、パソコンの前の椅子に座った。
「こんな近くに裏切者がいたなんて。…ホント、ごめん、茉莉花」
優将は、ハッキリと「何とかするから」と言った。
頭が真っ白になった私が、返事出来ないでいると、優将は、「これを見てほしい」と言った。
「…何これ…」
常緑学院の制服?
でも、私じゃない。
家の前を、ウロウロ、ウロウロしてる。
「こいつ、先月、この辺りに、よく出没してたんだわ」
「顔が見えない…。髪も、結んでる?よく分かんないね」
「んで、これが、茉莉花の誕生日の日の映像ね。夕方。お前が出掛けてて、帰って来なかった日、あったろ?その日だな」
え。
赤いワンピース。
「同じ女だろうけど。…俺さ、こいつ、時々、見掛けてたのよ。夏なのに、血みたいに真っ赤なアクシーズのワンピース。全然涼しくなさそうな色。長袖の袖を捲って着てるなって感じ?薄手だけど冬物なんじゃ?みたいな?これしか持ってねーの?みたいな感じの。これか、制服、って感じ」
「え…。アクシーズファム?…知り合いに、そういう服着る子、いないけど…」
「まー、アクシーズの服着る女も、アクシーズの服も、嫌いじゃないけど、人選ぶよな。ブルべと骨ストを、じっくり丁寧に殺す服、と言うか」
「い、言い過ぎじゃない?物によるよ、アイテム多いんだから。でも、安くもないしね、可愛いけど。私も、スカートくらいしか買ったことない。あー、そっか、グレイッシュと言うか、上品なくすみカラーの服とかあるから、ブルべ冬とかだと、モスグリーンとか、こういう、ワインレッド選んだ方が似合うかも?」
まさか本人も、パーソナルカラー診断を防犯カメラ映像でされてると思って、こんな、高そうなワンピース、着てないだろうけど…。
「あっ、嘘」
赤いワンピースの女性は、私の家の郵便受けに、手を入れて、何かをしている。
そして、次に、優将の家の郵便受けの前に移動して、同じ動作をした。
「…何、何したの?この子」
「盗聴器」
全身の血の気が引いた。
「…どういうこと…?」
「うちの親父が、防犯カメラの映像を横流しするのとは別に、茉莉花の誕生日の夕方から、俺と、お前んちの郵便受けに、盗聴器が仕掛けられてる」
心臓が波打つ。
怖い。
「これは、れっきとした犯罪の証拠だから、警察に届けるけど。それまで、俺等が盗聴器に気づいたたことが、相手方に知れると、あんまり、良くないかも。普通に通販とかで買える、五百時間録音とかのやつみたいだから、販路じゃ、犯人特定難しいかもだし。それまで、高良とかにも、黙っててくんない?解決したら話すから」
「わ、分かった」
「お前も、ほとぼりが冷めるまで、なるべく、彼氏んちとか、いた方が良いな」
「え?」
…え?
「うちの親が、ホント、ごめん。盗聴器は別件だけど。盆明けまでに、何とかするから。それまで、何とか、無事でいてくれ。彼氏にも、事情話したら、流石に、ボディーガードくらいしてくれるよ」
「…うん、御盆、丁度、会うんだったんだ…」
「茉莉花…?」
涙が止まらない。
恥ずかしい。
私、『優将が守ってくれる』って、思い込んでた。
…そうだ、彼氏に、助けを求めるべきなんだ。
「あ、ご、ごめん。帰るね…」
「茉莉花?」
泣いちゃ駄目だ。
慰めさせちゃう。
私は、走って部屋を出て、階段を駆け下りた。
…どうしよう。
どうして、今日なの?
お父さんは、変なことばっかりして、このまま、瑠珠に、お父さんのこと知られたら、友達でいてくれなくなっちゃうんじゃないか、って、思っちゃうし。
高良にも、盗聴器のことは相談しちゃ駄目で。
…周りで、『怖いこと』が起きてるのに、彼氏の家に行くのは、って、自分で、ブレーキ掛けちゃってる。
どうしよう。
捕まってる所が、無い。
涙が止まらない。
優将の家を出た。
もうすぐ、門だ。
どうして、今日なの。
何で、こんな、何もかも、いっぺんに来るの。
立っていられない。
でも、誰にも慰めさせちゃ、駄目だ。
今日は、慰めてもらう為だったら、何でもしてしまいそうな自分がいて。
…不誠実な事をしたくないなら、部屋で、一人で震えてる方が。
「茉莉花さん?」
「…高良?」
「一緒にハンバーガー、食べる?夕飯、もう済ませちゃった?」
高良だ。
「泣いてるの…?」
「…一緒に、食べても、いいのかな」
ごめん、高良。
ここには、盗聴器があるの。
ここで喋ってると、誰かに聞かれちゃう。
…高良。
でも、高良だ。
何か、安心しちゃった。
優しい声が「友達でしょ」と言った。
「優将、入れてくんない?まだ業者さんいるから、無理?」
私の後を追っ掛けてきたらしい優将が、「高良」と言って、驚いた顔をした。
「うちの父さんが、優将と夕飯食べて帰って来いって言って、お金くれてたんだけど、食事に誘いそびれちゃって」
優将は「そういうことか」と言った。
「あー…気づかんで、ごめんな。高良、中入って。一人でいない方が良いわ」
高良は「何それ」と、不思議そうに言ったけど、私を見て、微笑んでくれた。
「優将、茉莉花さんも良いよね?」
「ん。一人でいない方が良いわ」
「そ、そう?じゃ、お邪魔しようか、茉莉花さん」
「う、うん」
全然状況は変わってないんだけど。
凄く、安心した。
困った時、高良が来てくれた、って、思った。
やっぱり、優しい、高良。
「ワッパーと、ワッパージュニアと、アボカドワッパージュニア、だと?…選べねぇ…。しかも、クーポンも無しに、チリチーズフライまで…。大富豪の買い物かよ…」
優将は、口元を両手で押さえながら、感心しきった様子で、ダイニングテーブルの上に、紙袋から食べ物を出す高良の手元を見詰めてる。
「そんなに喜ばれるとは…。優将と食べるようにって、父さんが、多めに持たせてくれたから、色々買ってきたんだけど、どれが好きか分からなくて。氷溶けそうだったから、飲み物も買ってないんだけど」
「選べねぇ…」
「…どれも好き、ってことで良いかな」
「もう俺、ハンバーガーショップ、トンマナから既に愛してるから…。高良ありがとう過ぎる…」
高良が「ト、トーンマナーまで…」と困惑したように言った。
トーンマナーって何だろう…。
「そもそも、食べ物の店のトンマナ最初に考えた人のことは、俺、一生尊敬するって決めてっから。…御覧、これがバーガーキングのトンマナだよ、高良」
「喜び方が特殊…」
私が「優将、そんなにハンバーガー好きだったの?」と言うと、二人はフリーズした。
…えっ?
「あんまり、一緒に、ハンバーガー食べに行ったこと、無いよね?」
優将は動かない。
高良は、フリーズしたまま、目が、あちこち泳ぎ始めた。
え?
そ、そうなのかな。
そっか、ハンバーグも、好きだもんね?優将。
あれ?
何か。
…胸が、ギュッ、ってして。
泣きそう。
何でだろう、こんな、つまんないことで。
秘密にされてた、みたいな感じかして。
別に、全然、つまんないことなのに。
あっ。
顔が熱くなる。
「そっか、彼女とかと行ってたんだ、大好きな御店に。ごめん、詮索して」
私の言葉に、高良が、真っ青になって「切り分けよっかぁ」と、突然言った。
え、えーっ?
「あ、う、うん。三等分にする?ハンバーガー」
ホールケーキみたいに…?
そういう食べ方、したことないけど。
高良は、気持ち大き目の声で「包丁借りて良いー?」と優将に言った。
優将は無表情で、返事をしない。
な、何何?
どうしちゃったの?高良。
キッチンに向かった高良が「あ」と言った。
…凄い、食器が、ほとんどなくなってる。
コーヒーを淹れる道具も、ティーセットも。
優将が、やっと喋ったと思ったら、「蝗が通ったあとみてーだろ」と言った。
「容赦ねぇよなぁ、金目のもん、ほぼ持って来やがった。武士の情けか、キッチンスケールと、電子レンジと、冷蔵庫と、古い薬缶と、切れ味微妙な包丁は一本残ってるけど、皿は、今日から紙皿だな、こりゃ」
そう、優将が言う間も、二階からは、業者さんが動き回る音がする。
高良は「…Wedgwoodの、苺柄のマグカップは…?」と言った。
優将は返事をしない。
私は、マグカップの定位置を覗いてみた。
…無いみたい。
少なくとも、食器棚には見当たらない。
可愛いカップだったから、季湖さんのだったのかも。
ちょっと残念だけど。
「そっか、えっと、残念だったね?私、フルーツティー淹れるよ、残った食器で。ああ、ポットは残ってるみたい」
高良は、貼り付いたような笑顔で「お願いしようかなー」と言った。
どうしちゃったんだろう…。
高良は、一瞬困った様子を見せてから、「じゃあ俺は」と言った。
「買ってきた食品を…全て、…正確に三等分にする…」
私と優将は、声を揃えて「…えっ?」と言った。
そこからの高良は凄かった。アルミホイルで包丁を研いで、ケーキを綺麗に切り分けられる無料アプリを、突然、携帯にインストールして、多分、この場で可能な限り、三等分にした。
そして、チリチーズフライを、キッチンスケールで、本当に三等分にしようとした。
優将は、前傾姿勢で、キッチンで真剣に作業する高良を見ながら、両手で口を押さえて、「うそだろ」と言った。
「チリビーンズまで等分しようってのか…?無茶しやがって…」
「いや、コツが掴めてきた。…チリビーンズで、1、2gくらいの調整が出来るんだよ。かかってるチーズで、微差は出てしまうかもしれないけど…。ほら…」
「…なっ。豆を割ろうってのか…?」
「…はい、ピッタリ!」
「す、スゲェ、スゲェよ、高良。有言実行しやがった」
私も、高良の表情が真剣過ぎて、全部を忘れて、キッチンスケールの数字表示を見てしまってた。
凄い、本当にやった。
凄い。
意味は全然分からないけど…。
な、何だろう、男子校ノリ?
ついてけないけど、何か、とにかく、高良は凄かった。
何か気不味い?感じの空気も、どっか行っちゃった。
少なくとも、怖い感じはしなくて、何か、高良凄いな、って、ひたすら思った。
業者さん達は、高良の死闘の間に引き揚げて行った。
ハンバーガーは美味しかった。
「優将、ワッパーと同じくらいの顔の大きさなんだ…。小顔過ぎる…」
高良の言葉に、優将は「ハンバーガーと顔の大きさ比較されたことないんだけど…」と、困惑気味に言った。
高良は「俺も初めてだよ…」と言った。
「自分の顔と同じくらいの大きさの食べ物、って考えたら、そりゃ、全部食ったら腹も壊しそうだな、って、何か、納得しちゃった…」
「お前も小顔じゃん…」
「…ハンバーガーと比べたらどうかな…」
「ハンバーガーと比べんでよ…」
「ワッパージュニアよりは、流石に大きいと思うよ、いくら優将の顔でも。ワッパージュニアの方にしないの?」
「俺の顔の骨格のサイズから離れてくんない?…ワッパージュニアだと少ないかなぁ、と思って、ワッパーにすると、多いかなぁ、みたいな…。ワッパー単品か、ワッパージュニアとサイドが妥当…?」
真剣に、何の話してるんだろう、と思うと、可笑しくなっちゃって、何か、ニコニコしちゃった。
…やっぱり、彼氏といるより、楽しいなって、思っちゃって。
ハンバーガーとか、分けっ子して、皆で食べて。
別に、これでいいのに、って。
凄く沢山は、望んでないのに、って。
食事は、紙皿と、紙コップだけど、皆がいて、別に、これでいいのに、って。
でも、一歩、この場所の入り口に立てば、盗聴器と防犯カメラがあって、そう遠くない未来、警察に通報しないといけないことがあって。
…御盆が明けたら、どうなっちゃうのかな、って思うと、時間が止まればいいのに、って、思っちゃった。
あんまり、沢山、考えたくない。
ふと、携帯が鳴った。
高良が「父さんだ」と言った。
電話に出た高良は「え?」と言って、自分の携帯を、優将に手渡した。
「優将、父さんが、話したいことがあるって」
優将は「あー」と言って、電話に出た。
「…はい。はい。はい。そうします。はい。承知しました。お休みなさい」
優将は「電話切られたけど」と言って、高良に電話を返した。
「今日は、高良んち、業者呼んでるから、うちに泊めてほしいってさ」
高良は「うちに業者?」と言った。
「そうそう。そんで、朝、俺が送ってくから、家まで。で、高良、うち泊まるんだったら、コンビニで、下着とか買えば?」
「え?泊って良いもんなの?…良いなら、良いけど」
「ん。今から、一緒にコンビニ行こうか」
「あ、じゃあ、私も、そろそろ、家に帰るね。御馳走様」
二人と一緒に家を出て、自分の家に戻ると、瑠珠からの着信に気付いたから、自分の部屋にエアコンを入れて、ベッドに座って、掛け直した。
「もしもし、瑠珠?電話くれた?」
電話先で、「あー、茉莉花ぁ」という、いつもの声がして、家に一人でも、友達の声が聞けて、普通に嬉しかった。
お父さんのこと、バレたくないな、ホントに…。
「ごめん、お昼、一緒にトイレに行った時にさ、茉莉花のグロスと、自分のアトマイザー、間違って持って来ちゃって」
「あ、ホント?」
気づかなかった。
…結構、ぼんやりしてたからなー、今日は。
「これ、瑞月からの誕生日プレゼントじゃない?Blossomのリップグロス&パフューム。可愛いよね、ドライフラワー入ってて。ネーム入りだから、すぐ分かった」
「あー、そうそう。ハニージャスミンとストロベリーのやつ」
カリフォルニアのブランドなんだけど、2WAYでリップグロスとパフュームが一つになってて、『Marika』って、わざわざ、プレゼント用にネーム入れてくれたんだな、って。
ハニージャスミンのロールオンパフュームが気に入ってて、何となく使っちゃうんだけど、センス良いなって。
「失敗したー、今度返すから。ごめん。アトマイザー、10mlのにしたの忘れてたよ。細長いから間違ったんだなー。ドジ過ぎ。アトマイザーはあげちゃう、御詫び」
「え?良いの?悪いよ」
瑠珠、いっつも良い匂いだし、ちょっと嬉しいけど。
「やー、いーよ、可愛過ぎてパケ買いしたら、思ったより良くてさ。布教。使いかけで悪いけど。茉莉花、絶対似合うし」
「そう?」
電話しながら、籠バックの中身を見る。ポーチの中に、確かに、いつもの、グロス付きロールオンパフュームは入ってなくて、見覚えのない透明の、細長いアトマイザーが入ってる。
「えー、良い匂い、中身、何?」
「ジルのオードパルファン」
「あ、ジルスチュアート?」
「そそ、季節違うけど、クリスタルブルームのスノーオードパルファン。外身、マジ可愛いんだって。一目惚れしたから、ドレッサーに置きたくて買っちゃったよー。珍しくピンクの方選ばなかったんだけど、中身も当たり」
「えー、ホント?買っちゃおうかなー」
「いいね、御揃いしちゃう?今より、冬とかのが合いそうな名前だし。…あ、それでさ」
瑠珠の声のトーンが変わった。
「え?何?瑠珠」
「実は、今日、あの後、日出んち、行ったんだよね、様子見に」
「え、優しー」
私とか、自分のことで精一杯で、全然、考え付かなかったな…。
やっぱ、瑠珠優しいと思う。
瑠珠は、ちょっと照れたように「そ?」と言った後、声のトーンを戻した。
「そしたら、あの子、いなくて」
「…そうなんだ。え、日出んちって、学校めっちゃ近いよね?」
「うん、徒歩通で、家、多分、クラスで一番近いはず。…やー、このカッコで行ったからさ、失敗だったな、と思ったんだけど」
…あー、タンクトップとショーパンか、確かに、友達の家に行くには、露出多めかな。
私は、割と、その姿、見慣れてるけど…。
「…なんか、あの子のお母さんが言うには、合コンの後から、日出、家にいないことが増えたんだって、ほら、カラオケ行った時のやつ、紫苑高校の子達と」
「え?塾とかじゃなくて?」
「うん、塾行ってないらしいんだけど。…まー、変な話なんだけどさ」
「…うん」
「親が、交通用ICカード、使わせてないらしいんだわ」
「え?」
「必要ないでしょ、って」
「…えー?」
「塾も習い事もしてないし、家と学校の往復は徒歩なんだから、って、持たせてないんだって。遠くに行く時は、親が来るまで送り迎えだって」
「でも、持ってなかったっけ?日出」
それに、高良の出没しそうな本屋の周りとかにいたんだから、電車移動くらいしてるんじゃないかな。
「…内緒で買ったんじゃない?親に」
「へー、…なんか」
「うん、過保護な家?なのかな…?一人っ子らしいし?で、それがさ、お母さんが言うには、日出んち、親戚が警視総監なんだって」
「あ、え?うっそ」
警察の偉い人なんだ、全然知らなかった。
「そう、だから、問題起こされたら困るんですけど、って言われちゃって」
「は?」
「あー、その…、最近家にいないの、うちらと遊んでるせいにされてんのよ。合コンもさ、まぁ、親に、合コンだって言わなかったらしいんだけど、うちらと遅くまでカラオケ行ったことになってて。最近も、友達と遊んでるとかって言うんだけど、内緒で服とか買ってるみたいだし、何か知らないか、って。ICカードも無いはずなのに、とかって言われて。知りません、って言ったんだけど」
「…あの合コン以外で、遊んでないよね?日出と」
「うん、ほら、あの子、家が近過ぎてさ、帰りに一緒にショッピング、とかも、そんな、無いしね。Halleluiahは何回か一緒に行ったっけ?くらいで。…あとさ、知らなかったんだけど。前、あの子、バナナと仲良かったんだって」
「うっそ、女バスの?!」
「そー、女バスのバナナ。たっちょから聞いたんだ」
バナナは、バスケ部の立花椰子さんの渾名だ。
椰子なんだかバナナなんだか、私も、あんまり分かってないんだけど、天使みたいなフワフワの天パの短髪で、色素薄くて、バスケ部で一番美人。
顔小さいんだよねー、脚長いし。
文武両道、成績も良いし、スポーツも万能、みたいな。
理系行くって言ってたっけな。
たっちょは、同じクラスの田中彩乃なんだけど、隣のクラスに田中綾乃がいるから、うちのクラスは『たっちょ』で、隣のクラスの方は『あの』で呼び分けられてる。
ややこしいけど、たっちょが女バスで、あのが女バレ。
バスケ部とか、バレーボール部って言わないで、女バスとか女バレって言っちゃうのは、高校受験で入学した、共学の中学校出身の子達が使いがちな単語だから、途中編入組って、すぐバレちゃう。
変だな、とは思うんだけどね。
男子のバスケ部のこと、『男バス』って呼ばないのにな、とか。
でも、まぁ、癖だから、仕方ない。
立花椰子さんは、小学校で、男子に、『立ち、バナナ子』っていう、サイッテーの渾名付けられたから、中学校受験して、女子校に逃げたって言ってた。
今も渾名で『バナナ』は残ってるから、どうサイテーなのか分かんなくて、優将に聞いたら、「分からんままでいい」って言って、教えてくれなかったから、あんまり良くないことなんだろうなって思ったから、何か悪くて、私は『椰子さん』って呼んでるんだけど。
「日出、バナナと小学校で仲良くて、一緒に常緑学院を中学校受験したら、あの子だけ落ちちゃったんだって。だから、高校は、バナナと同じ学校行きたくて、また受けたらしいんだけど」
「…えー、でも…。女バスかぁ…。無理じゃない?結束力固過ぎって言うか」
「うん、女バスと女バレは無理。部活やってなきゃ、あのグループの中に入れないよー。バナナは、マジ良い奴だけどさ。大体、スポーツやる子達と、日出、絶対、キャラ合わないって。意地悪とかじゃなくて、話が合わないでしょ、あの運動音痴じゃ」
「そっか、小学校の頃と同じつもりでいたら…」
「そーそー、多分だけど、バナナ追っ掛けて入学したら、中学校で既にグループが出来てて、あの子、入れなかったんじゃない?それこそ、他校に彼氏とかいるグループじゃん」
「…わー、悲惨」
「まーねー、それで、うちらといるんだな、って。良い意味で、うちら、どのグループとも、浅く広く仲良いし、玲那みたいな、グループ渡り歩いてる子も、瑞月みたいな転校生も一緒にいれちゃうし。楽なんじゃん?」
「あー…そういうことかー。そだね、玲那に年子のお姉さんいる、とか、瑞月は一人っ子、とか、そういう話、するけど。あんまり…日出の話って、日出は、しないね」
私も、家の事情は話してないし、瑠珠も、私くらいにしか、家の話はしてないけど、確かに、日出って、本来だったら、聞き役に回ることが多い。そんなに主張がないタイプで、だからこそ、合コンの後の行動って、憑き物に憑かれた感じで、引いちゃったんだけど。
「…ね。で、…言えないんじゃないかな、ホントはバナナのグループにいるはずだったけど、中学受験も友達作りも失敗したとか、服も親に決められてて、ICカードすら内緒で買わないといけないような厳しい家だ、とかさ」
「…あー。そだね、言い辛いか」
服かぁ。
別に、センス悪いとか、思ったことないけどな。
日出、合コンでも、ネイビーのシャツワンピとか着てて、頑張り過ぎてない感じがして、凄い印象良かったし。
「そー、だからなんか、連絡取れないと、気になっちゃって、お節介かなって思ったけど家行って、親に迷惑がられた、っていうね…」
「瑠珠…優しー…」
そうだよね、結局、気に掛けて連絡くれるのって、瑠珠が一番多いもん。
瑠珠はまた、照れ臭そうに「んー」と言った。
「でもさ、それで良かったって、多分。うちらといて正解だったんだって。服も、聞いた限りじゃ、親が決めてて、ICカードも無い、みたいな感じだったら、マジで、他校に彼氏いるような子達と買い物行く、とか、キツくない?多分、上手くいかなかったって、中学受験で一緒に受かってても。バナナがバスケ部入った時点で疎遠になる未来が見えてるって言うか」
「んー、かもねー、私も、女バスと女バレは、多分無理だなー、仲良過ぎるもん。入る隙間が無さそう、って思っちゃう。ラクロスも。女テニでギリかな」
一人一人は良い子なのに、不思議っちゃ不思議。
グループになると、急に難しくなるって言うか。
「分かる、ラクロスも仲良いよね。女テニはね、個人競技なせいか、そこまで壁感じないけど。一時期入るか迷ってたし」
「あ、そうなんだ。何で入んなかったの?瑠珠」
「…家の事情もあるから、絶対決まった時間に登校して練習、とか、微妙だし。朝練の時間、メイクしてたいなって」
「…そっか」
瑠珠らしい理由ー。
「ま、何にせよ、日出が、誰と何処行ってるか、とか、分かんないけど。そろそろ御盆だし、親が気を付けてれば、そんなに出歩かないかな?新学期にでも、本人に聞いてみようかなって。否定はしといたけど、うちらをダシにされてんのも嫌じゃん、あそこんちの親に、うちらのせいで素行悪くなった、みたいな勘違いされてるって、何かさぁ。…あ、そだ、ごめん」
「え、何何」
「うちのママ、彼氏、もう変わってた。あれ、マエカレだったわ。イマカレ、バー経営者だって」
「…ん?」
それはそれでパンチのある情報だけど、瑠珠のママの彼氏が、うちのお父さんじゃなくなったってことかな?
それは助かったけど。
「何かねー、ほら、それこそ、うちらが、茉莉花の誕生日でオールしたじゃん?あのくらいに、別れたんだって、キモくて。だから、先月?」
「んん?」
キモくて、って、理由聞くの、怖いなー、何か。
…どういう心構えで聞くのが正解?この話。
「何かねー、めっちゃ若い子と浮気されてたんだって。だから別れたって。ママもパパと籍抜いてないんだから、浮気もクソもないと思うんだけどね」
「…おお、…うーん」
うちのお父さんの話と、瑠珠のママの不倫の話と、どっちに反応していいか分かんないけど、なんか、凄いな…。
私が混乱してると、瑠珠は「それがさー」と言った。
「相手、うちらくらいの年だったんだって。マジキモくない?」
…う、うわー…。
「え?パパ活的な?」
「じゃない?でも、高校生くらいに見える子と、って、まぁ…別れるかな、って気はしたよね」
…お父さん、何やってんだろ…。
確かに、盗聴器とか防犯カメラ映像の話より、キモいかも。
何か、呆れて、どうでも良くなってきたな…。
電話の向こうから「ちょっと、風呂ぉ」という、瑠珠に似た声がした。
「分かったー。眞音、先、入ってぇ。ごめん、お姉ちゃんだ」
「あ、切るね。アトマイザー、有難う」
「んー、今度、絶対返すからねー、グロス。お休みー」
「お休みー」
…電話は切ったけど。
…変な話、聞いちゃったな。
身の周りも落ち着かないし、…そっかー、彼氏といる方が、安全っちゃ、安全なのかもな。
何か、ホント疲れた。
※出エジプト記 10章 12節‐15節
主はモーセに命じた。「あなたの手をエジプトの国に差し伸べなさい。いなごが出て来て国中を覆い、雹の害を免れた物を食い尽くそう。」モーセが杖を上げると、神はまる一昼夜、東風を吹かせた。朝になると、東風がいなごの大群を運んで来た。いなごはエジプト全土の隅々まで埋め尽くした。エジプト史上、これほどのいなごの大群は、後にも先にも一度も見ないものだった。いなごが全地を覆ったので、太陽の光もさえぎられて薄暗くなった。雹の害を免れた作物は全部いなごに食べられてしまった。エジプト中の木や草が食い尽くされ、緑のものは何一つ残らなかった。