再会: 'What do you know about this business?'
髪の長い女の子がいる。
図書館かな?
ネイビーの長袖のワンピースに、ワインレッドのリボンと、セーラー服みたいな襟がついてる。
髪の毛にも、ワンピースについてるのと同じリボンがついてる。
小学校四、五年くらいかな。
…顔、俺そっくり。
…新潮文庫の村岡花子訳と、講談社のハードカバー版の掛川恭子訳の『赤毛のアン』シリーズの読み比べをしてる、だと?…十歳くらいだよな?
―見つけた。
ん?
―腹の立つ。正妻の癖に、息子一人産んだだけで早死にしやがって。今度は、あの顔と頭の良さで生まれやがった。それは俺が持つべきものだったのに。まぁいい。また、あの顔の、頭が良い息子を産んでくれれば。
―ああ、気に入らない。
「貴ちゃん」
女の子は、少し迷惑そうに、声のする方を見た。
「貴ちゃんて本を読むのが凄く速いよね。テストもいつも百点だし」
女の子は、『壁の染みが喋ってるわ』とでも言いたげな、全く相手にしていない表情をして、黙っている。
…キッツ。
声を掛けた方が、その、体温を感じない視線に、少し怯んでるのが伝わってくる。
「でもなー、そういうのは可愛くないんだよね。せっかく美人なんだから。俺より悪い点を取ってよ。そしたら、お嫁さんにしてあげる」
…アホが喋ってんのかな?
…うわー、『貴ちゃん』、なっがい溜息吐いたなぁ。
「誰かに可愛いと思われる為に生きてるわけじゃないから結構よ」
『貴ちゃん』、火の玉ストレート。且つ、『お前にも』可愛いと思われたいわけじゃない、って、遠回しに言ってる。…十歳くらいだよな?
「…でも、貴ちゃん。同い年なのに、貴ちゃんの方が、俺より頭が良かったら、比べられるじゃないか。俺は男で、長男なのに。小学校で、栽培委員会だって一緒なのに、貴ちゃんが、花殻の取り方とか、水のやり時の確認方法をシステム化しちゃうから、六年生も喜んじゃって…」
スゲーな『貴ちゃん』。何やってんの、小学校で。
「喜んでるなら結構な事ね。そういう話ならボランティア活動も、意味が有ると思えるわね」
…『貴ちゃん』、小学校の委員会活動を『ボランティア活動』だと割り切ってたの?
相手が歯噛みするのが分かった。
「下級生なのに、あそこまでやんなきゃなんないわけ?俺らがしなきゃいけないの?あそこまで。俺も、おんなじようにやんなきゃダメなの?」
「…同じようにしろ、なんて、私、一度でも言った?私と同じ熱量で仕事をしろとも、言ったことが無いけど。…出来ないなら、やりたい仕事だけやれば?所詮、ボランティア活動でしょ?お金を貰ってやる仕事じゃないんだもの」
『貴ちゃん』、本当に小学生…?
相手は、ギッ、と唇を噛んだ。
「俺、出来ないから、他の奴にやってもらうから。代わりにやってくれる女子、いるし」
…アホが喋ってんのかなパートⅡ。
「そう、好きにしたらいいようなものだけど、何で、わざわざ私に、それを言ってくるの?」
…あー、『貴ちゃん』。
…もしかしたら、このアホ、『貴ちゃん』に気が有るんだと思う。
シレッとお嫁さんにしてあげるとか言ってたし。
『他の女子は俺に優しいし、頭も俺より良くないから可愛い』って言って、気を惹きたいんだと思う。
大失敗してるけど。
「もう少し読みたかったけど、そろそろ片付けて、帰るわ。…マシューが亡くなった後のマリラのシーン、村岡版も、やっぱり有るじゃないの。後年追加されたのね。もっと古いバージョンと比較するべきかしら?」
『貴ちゃん』、何やってんの、だから。小学生だよね?
相手は「何だよ」と、嫌そうに言った。
対して、『貴ちゃん』は、実に普通に「残念ね」と言った。腹を立てた様子すらなかった。
「働いてないから文句を言われるのではなくて、働いたら文句を言われるなんて。働いた人間に対して御礼も言えない人間が、遠縁の親戚だなんてね」
相手は、ハッとした様子で黙った。
「つまり、出過ぎた真似をしてるって言いたいんでしょ?比較されて、自分の不出来が目立つって」
『貴ちゃん』、火の玉ストレート、パートⅡ。
「自分のことを頭が良い風に見せたいのなら、『知らない』とか『出来ない』とか、簡単に口にしない方が良いと思うけど?出来ない方が偉い、出過ぎた真似をして、同い年の自分にも同じ仕事ができるかのように上級生や周りに期待させないでほしい、なんて、物を調べたり、出来るようになる努力をしたりもしないうちに、よく言えるものだと感心するわね。要は、自分ではなく私の方を変えようとしてるわけよ、努力無く。第一、私と同じように出来なかろうが、同じようにやりたくなかろうが、他の人に仕事をやってほしかろうが、私に黙って行動すればいいのに、わざわざ言って来て、優位に立ちたいのか何なのか知らないけど、『俺の言う通りにすれば』お嫁さんに『してあげる』って。結局、自分より勉強が出来て、仕事が出来るのが気に入らないって話でしょ?持って回った言い方しても、中身はそれだけよね」
『貴ちゃん』、遠回しに『お前の中身もスッカスカ』って言ってる。
…あと、『お嫁さんにしたい』の方も本心かもしれない。
汲み取ってやる必要はないけど。
「理解出来るか分からないけど、説明してあげるわね、本を片付けながらの片手間に。仕事というのは、システムと人間同士の関係性で成り立っているのよ。システムがきちんと機能している事の方が、働く人間の能力値の高さより大切なのよ。学校教育もシステムでしょ?北海道の先生が教えても、沖縄の先生が教えても、同じように読み書き計算が出来るじゃないの、私達小学生は。それは、日本の学校の教育システムの御蔭よ。自分が、システムの恩恵を受けて育っていることが理解出来ていないから、仕事の内容をシステム化することに対して文句が言えるんでしょうね。そして、役職も本来は、組織図という、システムの一つだけど、リーダーシップを発揮すべき六年生が、仕事のシステム化を出来るわけじゃなかったから、代わりに、四年生の私がやっただけ。六年生、特に、委員長、副委員長がリーダーシップを発揮しない、システム化が出来ない、そして、気の強い、役職の無い五年生が指揮をとる場面が出て来ている、となると、実際は、組織図が破綻していて、指示系統が、委員長達からのトップダウンにはなっていないわけよ。出過ぎるなと言われても困る理由は、ここね。だから、出来る人間が、その辺りのサポートに回って、委員会を回している、というわけ。これが、人間同士の関係性、というものね。六年生が全部の仕事を把握していて、仕事を下級生に振れる状態なら、わざわざ誰も、システム化なんてやらなかったでしょうよ。この時期、パンジーの花殻取りは、水遣りよりも頻度が高いの。同じ回数作業したら、水の遣り過ぎで、根腐れする花が出てくるわよ。だから、水を遣らなければならない花を区別出来る仕組みを作っただけ。農家の息子なら、分かりそうなものだけどね?親もシステマティックに栽培時期や栽培方法や栽培場所を区別しているでしょうに。そういう意味では、花殻の堆肥小屋への移動は、リヤカーが一つしかないから、大勢で、何回かに分けてやると非効率なのよ。だから、重いリヤカーの中に花殻を一度集めて、堆肥小屋へ移動する工程は体育の先生の仕事にしてもらうように交渉することで、私達の仕事も削減してるんだけど、それについての感謝もされないってわけね。まぁ、いいわ。感謝される為にやっているわけでもないし、ボランティア活動ですからね。頼まれもしないのにシステムを整えるからには、貧乏くじを引く覚悟も、ある程度は有ったもの。こうやって、文句を言われるような、ね」
おい、アホ、何で『貴ちゃん』を相手に文句言ったんだよ…。
勝てる算段の無い喧嘩、吹っ掛けるなよ。
あと、周りも、『貴ちゃん』と同じように出来る小学生が、そう何人もいるとは、既に思ってないぞ、多分。
いろんな意味でヤベーな、『貴ちゃん』。
四年生って言った?
…これ、周りと話が合ってない可能性あるなぁ。
「ごめん」という、小さい声がしたが、『貴ちゃん』は、本を片付け終えてから、「何時まで経っても仲良くなれないわねぇ」と言った。
率直ぅ。
「仕事を削減する、とか、私なりに親切にしたつもりでも、こうやって、わざわざ、人気の無い所で文句を言ってくるんだもの。まぁ、言われても、遣りたい仕事しか遣らない人なのね、としか思わないけど」
…いや、『貴ちゃん』。
人気の無い所で言ってきた、プロポーズだった可能性はある。
逆効果な上にボコボコにされてるけど。
シレッとお嫁さんにしてあげるとか言ってたし。
「遠縁で、付き合いも、程々に長いんだから、同じ委員会に入ったら、こうなることも予想出来なかったわけじゃないでしょうに。第一、放送委員会になりたいって言ってたじゃないの。わざわざ、栽培委員会に一緒に来たのは、どういうわけ?」
…『貴ちゃん』に気が有るんだと思う。
汲み取ってやる必要はないけど。
「ゴウ君が、…『貴ちゃん』と栽培委員会したいって、言ってたから」
『貴ちゃん』は、首を傾げて、「だから?」と言った。
「それが理由?意味が分からないんだけど。それに結局、ゴウ君は、放送委員会の方に入っちゃったじゃないの。…給食の時間に、放送で、ビートルズ流すとは思わなかったけど。渋い、って、先生の方が驚いてたわね…」
「それは…。ゴウ君の友達も『貴ちゃん』と栽培委員会したいって言い出して、ゴウ君が六年生の皆でジャンケンして、負けたから…」
…『ゴウ君』と『ゴウ君の友達』も、若しかして。
っていうか『皆』って、何人いるんだよ。
『貴ちゃん』、モテ狂ってないか?
『貴ちゃん』は、再び首を傾げた。
「よく分からないわねぇ。花が好きだから入るものじゃないの?栽培委員会って。要は花壇のお世話よ?花が好きじゃないのに、ジャンケンしてまで入るなんて、皆、随分と軽薄なのね?花も命よ?大事にお世話してあげようって気が無いから、『花のお世話』に対して『遣りたくない仕事』が出てくるんじゃないの?命に対して責任を持とうとは思わないの?それだって、花は動かないのだし、動く家畜の世話ほどは、大変ではないはずだけれどね?」
んー、『貴ちゃん』が好きだから入ったんだと思う、花じゃなくて。
命に対して責任を持とうなんて気は毛頭無い状態で入ったから、仕事に不満があるのかもよ。
スゲー、全っ然、話が噛み合わない二人だな。
「あら、ゴウ君」
おや、顔は分かんないけど。
小学生にしては背が高い。
スタイル良いなぁ。長袖Tシャツにジーンズ。
…小学生なのに、黒い長袖Tシャツの上から、何かのライブTシャツみたいなの着てるな。
結構、特殊かも…。
「ねー、貴ちゃん、一緒に帰ろうよ。鞄持ってあげる」
…わざわざ迎えに来て、自主的に荷物持ちを…。
スゲーな、『貴ちゃん』。
「別に大丈夫なのに。自分で持てない重さの鞄は選ばないもの。どうして、いつも迎えに来てくれるの?もうそんなに小さい子じゃないわ?」
…汲み取ってあげよっか、『貴ちゃん』。『もうそんなに小さい子じゃない』から、六年生の恋愛対象なんじゃなぁい?
迎えに来てくれた相手は、モジモジと「いや」と言った。
「この前、中学生が、朝、家まで迎えに来てくれたって聞いたから…えっと…」
…その中学生はヤバいかも、中学何年生だか知らないけど。
…『ゴウ君』と帰ろっか、『貴ちゃん』。
キナ臭いから、護衛に。
「お兄ちゃんのクラスメイトなの。お父さんが追い返しちゃったわ。遅刻するから、って」
それはそう。
朝から何やってんの中学生、クラスメイトの妹を迎えに行って遅刻はヤバいだろ。
『貴ちゃん』が「もう来ないと思うけど」と言うと、『ゴウ君』は「いいから、一緒に帰ろ」と言った。
「…そうね、ここからだと、帰る方向も一緒だし、積極的に断る理由も無いわね」
『貴ちゃん』正直過ぎだろ。
『ゴウ君』、ちょっと凹んでるぞ。
あと、アホは空気にされている。
…かなりプライドが傷付いたみたいだな。
「まー、可愛いわねぇ。お母さん、髪を伸ばして、リボンを結んであげるのが夢だったのよ、娘に」
「小花柄より、無地かチェック柄の方が似合うわよ」
「ほら、買ってきたわよ。服。喜ばないの?」
「自分で選んだ服が着たいですって?ああ、そうなの。じゃあ、もう、私が買った服は喜ばないわけ。お金を貰って、自分で服を選びたいって?そう、貴女はもう、私があげるものは、お金しか喜ばないのね」
「ほーら、やっぱり着たいんじゃないの。似合うわぁ」
「貴女は、お兄ちゃんより頭が良いけど冷たい」
「お兄ちゃんは、近所の農協に勤めて、同居してくれるって」
「近所のお嫁さんに行って、専業主婦になったら、お母さんとランチしましょうね。お洋服買ってあげる」
「長野を出たいですって?ここじゃない場所に、何があるのよ。都会に出て行って、駄目になった人、いっぱい知ってるわ。どうして、家から通える学校じゃない場所に行きたがるの」
…。
…あ。『貴ちゃん』、髪切って、眼鏡掛けちゃった。
でも、モテてるなー。
あ、何か、常緑学院と、ちょっと似た制服だ。
中学生くらいかな。
「モテるよねー、貴ちゃん」
「でも、彼氏がいたこともないけど、私」
「貴ちゃんが髪切ったら、ショックで学校休んだ男の子、何人かいたじゃん。モテてるんだって」
…何かこう、湿度を感じるモテ方してるな…。
凄いけども。
「…髪は…自由に切りたいんだけど」
「そっかなー、伸ばして、リボン結んでた時、凄いモテてたじゃん」
「…流行りの髪型ではないじゃない、好きでも嫌いでもない髪型だったし」
「でもモテてたし、可愛いって思われるよ」
「…可愛いって思われる為に学校に来てるわけじゃないし、…長く付き合ってる彼氏が一人いる方が、モテてる感じが、するんだけど、私には」
一緒に話をしていた制服姿の女子は、「あっそ」と言った。
…可愛いと思われたい人もいる訳で。
…価値観の相違って、難しいよな。
「不自由ね…。もし自分に子どもが生まれたら、男子校か女子校に、早いうちに入れてあげて、あんまり、異性のことを気にしなくて済む生活をさせてあげたいわ…」
相手は「変わってるね」と、困惑気味に言った。
「でも、勉強しに来てるの、学校には…。私の髪が如何とか、だから休んだとか言われても…。私の髪なのに。それがモテてる指標って言われても…」
「えー…。あー、進学校行ったら?勉強ばっかしてる子しかいない所だったら良くない?話が合う人も増えるかも」
おー、アホも同じ高校に受かったんだ。『ゴウ君』もいるじゃん。へー、制服の無い高校なんだ。中学の制服着てる。
…入学式後で既に告られてる、『貴ちゃん』。
ヤバ。
アホ視点で見ると、アホの嫉妬もヤバ。
…入学一日目で告白してきた相手と付き合うんかーい。
『貴ちゃん』、結構チャレンジャーだな。
「貴子さん、彼氏と別れたんだって?」
…スッゲー見たことある眼鏡の長身の人、学ランで出てきたなぁ。顔が分かる。
見たことある人は、「早くなーい?」と言って、明るく笑った。
「付き合うのも早かったけど。入学式直後とかウケるー」
煽んなって。高校の廊下で絡むにしても、もうちょい話題選べよ、彼氏と別れたばっかりの女子に。気でもあるのか。
『貴子さん』は、気を悪くした様子もなく、「あー、ちょっとね」と言った。
「自分より私の成績が良いと機嫌が悪くなる人だったもんだから、面倒で。順位の貼り出しの度に険悪になって。…進学校なら大丈夫と思ってたのに…」
…思ったより、ジェンダー的な苦労してんな、『貴子さん』。
見たことある人は、キョトン、として、「へー、努力してる他人に八つ当たりすんだねー、自分の成績が振るわなかったら」と言った。
「よく分かんない。得意科目も不得意科目も人によって違うのに、あんな、合計得点の順位の貼り出しで見た成績で比べるのって、あんまり意味無いけどなー。俺、文系行くから、理系教科捨てることにしたしぃ。でも、じゃあ、現国出来る方が数学出来る人より、頭良いとか悪いとかじゃなくない?点数の良い悪いじゃなくて、進路に必要な教科かそうでないかだと思うんだけどなー。貴子さん、災難だったねー」
「…そう言えば、降籏君って、不機嫌なの、見たことないわね。いつも楽しそう。クラスの女子全員、下の名前で呼んでて」
…コミュ強ぅ、『降籏君』。
真似出来る気はしないわ。
「そうそう。楽しいよ。俺と付き合うー?とかいって」
「あら、いいわね、楽しそう」
へぁっ?!
「へぁっ?!」
声が揃っちゃったよ…。こんな時に。
いや、告ってきた人と付き合う決断が鬼早いのよ。
チャレンジャー過ぎない?『貴子さん』。
「あら、冗談だったの」
『貴子さん』、キョトンとして、スタスタ立ち去っちゃった。
…付き合わない決断も鬼早いのよ。
「うふふ。降籏君って、明るくて、冗談言って、面白いわねぇ」
おや、『貴子さん』、珍しく笑ってる。
「待って、貴子さん!」
おや、『降籏君』…って、ええええええー?
「付き合ってください!」
…学ランで、高校の廊下で、スライディング土下座告りだとぉおぉおぉ?!
「降籏君?」
『貴子さん』、珍しく、ポカーンとしてる。
そりゃ驚くわ。
「え、えっと、あの、冗談じゃなくて、好きです、付き合ってくださいっ!お願いします!」
ど、土下座。
…スゲ工エエェェェェエエ工。
こいつ、剛の者だよぉおぉおぉ。
引かれたり、振られたりする可能性もあるのに、なんっつー心意気だぁ。
プライド全棄てじゃーん。
ちょっと感動したぁ。
『貴子さん』、まだポカーンとしてる。
そりゃ驚くわ。
あれ?笑ってる。
「土下座のままスライディングしてきて告白される事なんて、多分、もう一生無いだろうから、付き合うわ」
…そうかもねぇ、無いと思う、少なくとも他所で聞いたことは無い。
「や、やった、やったーーーーー!」
立ち上がって、高校の廊下で、映画の『ショーシャンクの空に』みたいなポーズ取ってるけど、良かったな、『降籏君』。
耳まで赤いけど、頑張ったな。
勇者だわー。
…ギャラリーの数、スゲェー。
いや、まぁ、見るよな、廊下という公衆の面前で、スライディング土下座告りからの、ショーシャンク。
とんだエンターテイナーだよ…。
真似は出来ない…。
…いや、でも。
もし、こうやって、全部を棄てて、『好きだ』って、言えてたら。
そんなこと、出来ないけど。
おい、アホ。
お前も、ギャラリーの中にいたんだな。
お前にも出来ないだろ。
プライドを全部棄てて、『好きだ』とか言えないから、椅子取りゲームに負けたんだ。
好きな子の眼中にも入れなくて、公衆の面前で、お嫁さんにしたい子を掻っ攫われた。
知ってる。
そういう奴だ、お前は。
プライドが高くて、完璧主義で、一個でも何かが駄目になると、自棄になって、やりたい放題やるんだ。
…何で、知ってるんだ?と言うか、誰?こいつ。
それに俺、全部を棄てて、『好きだ』って言いたくなるほど、誰かを好きになったことも無いし。
え?
…亡くなった旦那さんが好きなんですね、って、言ったら。そうだ、って。旦那さんとの子どもが欲しかったけど、諦めたから、俺のことも、誰のことも、この家にいる、自分より年が下の存在を、自分の子どもだと思って接するって。…有難い、母が早くに亡くなったから、って、答えて。でも、ちょっとしか年が違わないのに、年上面されると、何か、引っ掛かって。少なくとも『母親』だとは、やっぱり思えなくて。
あれは、いつのことで。顔も思い出せない、あの人は、誰で。どうして、あんな気持ちに、なったんだろう。
泣かれるのが、凄く嫌だった。
泣いているのを見ると、胸が苦しかった。
今も、人が泣いてるのを見るのが、平気じゃない。
バスの中だ。
母さんが泣いてる。
凄く珍しい。
あんまり、泣かない人だから。
バスの、窓の外を見ながら、泣いてる。
あんまり、心配掛けたことも、俺は、無くて。
母親を、こんな風に、泣かせたことも、泣くほど心配させたことも無いつもりなんだけど。
…違うか。
お祖母ちゃん死んじゃったの、って、俺が言ったからだ。
あんまり、分かってなくて。
母さんは、そうよ、って言って、外の景色を見る振りして、泣いてた。
でも、窓ガラスは白く曇ってて、何にも見えなくて、…冬だったんだと思う。
言わなきゃ良かった、って、思ったんだ。
あれは、何歳だったんだろう。
胸が、ギュッ、として、自分が泣かせたんだ、って。
当たり前だけど、母方の祖母が亡くなった時も、母方の祖父が亡くなった時も、父方の祖父が亡くなった時も、母さんは泣いてた。
お祖母ちゃん、聖伯父さんより、母さんが冷たいわけじゃないんだ。母さんが選ぶことが、お祖母ちゃんの好きな距離感じゃなかっただけなんだ。長野を出なくて、実家の近所に嫁ぐ、っていう選択をしなかったお母さんの生き方を、お祖母ちゃんは、あんまり好きじゃなかったと思うんだけど。俺は、他人の選んだ服と髪型で、誰かの決めた進路を選ぶ生き方をする母さんは、やっぱり、母さんじゃないと思うから。分かり合えなかったかもしれないけど、それは、愛してないってことではなかったから。伝わらなかったかもしれないけど。
お祖母ちゃんの言うことを、母さんが、全部聞いてたら。
母さんが、父さんを選ばなかったら。
『俺』は、父さんの子じゃなかったんだなぁ、って。
母さんの選択が、『俺』を守ってくれたような気がする。
「いつでも守ってくれるよ」
お祖父ちゃんだ!
凄く、会いたかった。
「お前の名前は、穂高神社から字を取ったんだから。生まれる前も、何度も、無事に生まれるように、御参りに行って。だから、守ってもらえるよ。大好きだよ、高良」
そうだ。
真っ直ぐ、「大好きだよ」って、言ってくれる人だった。
黒い甚平を仕事着にしてて、墨がついても、平気なように、って。
何枚も持ってた。
髪も黒かった。
年齢の割には白髪が少なくて、フサフサした、綺麗な髪だった。
艶々で、墨のついた筆みたい、って、思ってた。
「宝とは、多可良、高顕」
そう、こうやって、字を書いて、教えてくれた。
読めるようになるように、って。
「素晴らしい物や事が、表に顕れ出ているから、高顕、転じて、宝となったんだそうだ。うちの宝物だよ。皆が、お前のことを、好きだよ。生まれる前から好きだったんだよ。もう、生まれてくる前から、うちで可愛がられる事が決まってたんだ。皆が、お前のことを、好きだよ」
上手に書かなくていい、って、いつも言ってくれた。
それより、読む人のことを考えて書くんだ、って。
読む人のことを考えてない、思い遣りの無い字は、お祖父ちゃんは分かるんだぞ、って。
上手に書けなくても、丁寧に書いたら、絶対、褒めてくれた。
俺は分かるぞ、って。
「字が読めたら、何千年経っても、そこに、何が書いてあるか読めるから。字を教えてあげるからね。タイムカプセルみたいなんだよ。どれだけ時間が経っていても、字さえ読めれば、何が書いてあるのか分かるんだ」
そうだ。
お祖父ちゃんが教えてくれた、字を読む技術で、俺が不幸になる訳が無い、って、気がする。
俺を守ってくれる為に、字を教えてくれたんだとしたら。
やっぱり、字が読めることで、起きたことが、俺に取って、悪いことの訳が無い、って。
そうだ、字が御上手なんですね、って、言われたんだった。声が綺麗で。歌を教えてくれた人に。
顔は思い出せないけど。
あの人よりも上手い字とは思ってなかったから、そう言ったら、年上の落ち着いた人が好きなんですね、って言われて。
何で、そんなこと、言われるんだろう、って。
…泣いてるのを庇ったら、殴られたんだった。
泣かれるのは、苦手だ。
いつの自分も。
慰めたくなったり、庇いたくなったり、する。
でも、殴られた『俺』の顔を覗き込んで、余計、泣かれたんだった。
「あ、目を覚ましたのね」
近い。
花の香りがする。
頬に、相手の長い髪がかかる。
気付けば、廊下に倒れている俺の顔を、傍らに正座して覗き込みながら、瑞月が泣いていた。
「驚いたわ、変な歌が聞こえたら、倒れてしまって」
「…ああ、驚かせて、…ごめん」
…優将さんの膝枕でしたか。
何に驚いていいか、もう分からんな。
「高良、ゆっくり起き上がりな。もうちょっと寝ててもいいし」
そう言ってくれる優将に、「うん」と言いながら、俺は、半身を起こした。
「…讃美歌、って、どんなのよ。結局、俺は、聞こえなかったけど」
廊下で胡坐をかきながら、訝しそうに、そう言う優将に、同じく、廊下に座っている俺と瑞月は、顔を見合わせるしかなかった。
「…こういうのって、信じてないけど、幽霊、なの?あんなにハッキリ、声を聞いちゃうなんて。一瞬、変なものも見ちゃったし…」
「あ、そうだ。小さい男の子、見えた?歌ってる」
俺の問いに、瑞月は、指で涙を拭いながら、困った顔をして、言った。
「いいえ?声だけなんだけど。…着物姿の何人かに、自分が、歌を教えてるシーンが見えたのよ。自分も着物で…」
優将が「あ」と言った。
「…そっか」
そう言って、優将は、『千歳の岩よ』をハミングした。
俺と瑞月は、声を揃えて「それ!」と言った。
優将は、瑞月の顔を見ながら、小さい声で「お久しぶりです…」と言った。
?????
瑞月も、キョトンとした顔をした。