監視:Would the fall NEVER come to an end!
さて。
泣いてスッキリしたところで。
今の話、『変』だったよね?
それについて、うちの父親が気づいてない、なんてことが、あるんでしょうか。
えー、高校生なんだから、親に秘密があるのが当たり前、と仰るからには。
俺の好きにしちゃって、しかもそれを秘密にして良いことと解釈しますよ?
あと、ですね。
俺という一個人は、『良い人間』であろうと努力することについては意義を感じる奴なんですが、『素直』な奴ではないんですよ、他人が、もっといい大学を受けろとか口を出して来ると、進路変更してやろうかと思う程度には。
その俺が『良い子ちゃんで、聞き訳が良くて、親の言いなりの子』だと思っていたなら、それは確かに誤解ですよね。
はーい、苧干原瑞月からも、まだ、連絡は無し、と。
中澤家、親に無断で、再訪しまーす。事後報告もしませーん。
再訪した俺に、来客を迎えた際の、水色の半袖ワイシャツとスラックス姿のまま、昨晩の風で散らかってしまった庭の手入れをしていた中澤氏は、ギョッとした顔をした。
「忘れ物ですか?」
「ええ、ある意味」
ネイビーのTシャツの首が、弱くなり始めている日光の中でも、少しジリジリする気がした。黒のチノパンが暑い。
やはり台風一過、という気がする。
「お時間は頂きませんから。…それほど。先程伺った御話に、足りない部分がある気がしまして」
「…お母さんそっくりかと思ってたけど。お父さん似だね、切り出し方っていうか…頭の良さっていうか」
不本意ぃ。
でもまぁ、今更否定も出来ない程の奇矯さを持ち合わせている自覚はある。
父親のように、人間関係として、俺のその部分を受け入れてもらえるか否かは、運みたいなもので、そういう部分は多分、遺伝してないけど。
「お時間をあまり頂いてしまうと宜しくなさそうですから、二点。柴野家についてと、小松家について。ああ、このまま庭先で結構ですよ」
不躾にも、連絡なしで再訪した俺を、再び家の中に招き入れようとしてくれるような素振りを見せる、人の好い中澤氏に対し、俺は、それほど長居しない旨を言い添えた。
「先ず、一点目。小松家のお嬢さんに対しては、随分、過保護に振舞われるのに、柴野家の息子さんに対しては、些か、放任気味と申しますか、対応に、随分違いがあるように思います。…何か、あるのかな、と」
中澤氏は、顔を曇らせた。
そう、不自然なんだよな。
この、人の好さそうな御仁が、そりゃー、高校生にもなれば染髪を諫めない、なんてのは理解出来ても、繁華街で、優将を一人、ウロウロさせるのを、是としていたとは、あんまり思えないんだよ。
「その…季湖さん、ですか。柴野家の奥さんが、息子さんの為に、家事代行サービスを依頼しているというのは聞き及んでいます。店の経営で忙しいから家を空けがち、というのも、納得出来ない話でもないんですけど。それ以外は放置され気味、という感じが、どうにも拭えないと申しますか。そんなにお金があるんでしたら、シッターを雇うですとか、もう少し、幼かった彼の面倒を見るとか、ケアに回るような人を雇っても良かったのでは、と」
中澤氏は、黙って俯いた。
「…父も、貴方は没分暁漢ではないと思っているはずです。だから、貴方が、近所の育児放棄を見て見ぬ振りしているとは、俺も思わないですが」
中澤氏は、返事をしない。
「俺は…父に、貴方は、やっぱり、物分かりの悪い、道理の分からない人だった、とは報告したくないですが。いえ、父が、こんな事に気付いていないとも思えないんですけれども。…分かってて、敢えて、突っ込んで聞かないような事なんでしょうか」
中澤氏は、諦めたように「明良ちゃんは、そうかもね」と言った。
「他言無用願います。…友達を失くしますよ、こんな事を漏らしたら。宜しいですか?」
悲しそうな声だった。
「聞く時は、覚悟して聞きなさい。優将君を友達と思うなら、聞いたら、忘れてあげて」
「…承知しました」
「住み込みの御手伝いさんは居りました、何人か。母親代わりに世話をしてくださる方ですね。保護者代行と考えても宜しいかと。しかし、優将君が酷い悪戯をして追い出している。一人も、長く続いた人は居ません。ですから、季湖さんが、途中で、家事代行サービスに切り替えました」
「そうだったんですか…。優将が?」
保護者役をしてくれる人を、大事にしない?優将が?
…何か、引っ掛かるな。
「そうです。…御存知でしょうが、本来、彼は、そういう子ではありません。うちの子に遠慮して、わざと、試験で、うちの子より低い点を取るような、賢い、遠慮を知っている子です。反抗や我が儘で親や他人の気を惹くなんて、幼稚なこともしない。…それこそ、茉莉花ちゃん以外の人間に我が儘を言っているところも、見たことが無いです。それが、親が雇った人間を追い出す程の、酷い、効果的な悪戯をした、というのは、…不自然でしょう。分かりますか?」
一呼吸置いてから、「つまり」と、中澤氏は言った。
「恐らく、追い出したいようなことを、相手からされていたんです。優将君は白状しませんでしたが、…何らかの、虐待でしょう」
あ。
「保護者代行はしてもらえなかった、ということでしょうか」
中澤氏は、「そうです」と言った。
「親が、ずっと帰って来ないんですよ?そして相手は、判断力も、告げ口する能力も低い、愛らしい男の子だと思っている。…最初のお手伝いさんは、優将君と、十歳も違わなかったのかな?一回り違いくらいだったでしょうか」
「それって…」
「相手にとっては充分対象範囲内だったということでしょうね。無論、年の離れた人もいましたが…」
中澤氏は、長く、深い溜息をついた。
「流石に変だと思って、季湖さんに報告したんですが。…家事代行サービスに切り替えてくれただけでした。結局家の中に、そういう風に籠られると、我々の目からも、何が行われているかは見えない。そうかといって、あまり深く掘り下げると、彼の心を傷付けかねない。…結局我々は、親ではないので。賢い彼の判断に任せるしかない。家の中に人を入れて、そんな目に遭わせる可能性が出てくるなら…」
「繁華街をウロウロさせていた方が、まだ…?」
「補導されるなり、他の大人が助けてくれるなり、未だしも、解決方法の幅が広がります」
そこで乙哉さんに出会った、というのは、確かだけど…。
確かに、助けてはもらえてるけど。
「そうは仰いますけど…」
中澤氏は、俺の言葉を聞いて、更に、言い難そうに、続けた。
「優将君のプライドも傷付け難いでしょう、その方が。…言えますか?そんな。親が帰って来ない代わりに寄越された御手伝いさんに酷いことをされたのではないか、ハッキリ言いなさい、それくらいなら、外をウロつかないで、うちを頼りなさい、君の親は、どうせ帰って来ないのだから、と。…言えませんでした。気が弱い、と思われるでしょう。ですが…。どう傷付いたか、根掘り葉掘り聞き出して、…君は力が無いから、と。親がいないから、と言って、無理矢理、手を貸すようなことは…対等ではない気がして。彼から頼ってくれたなら、話は別ですが。君なら言えますか、親が金を出して、信頼して雇ったのであろう人に、そういう事をされた、と、近所のオジサンに相談出来ますか?」
「…想像が、難しいです」
「そうでしょう。結局、我々は、親にも、他人にも、そういう扱いを受けたことが無い。彼が我々を信頼しているか否かとは、別です、言いたいか、言いたくないか、は。恐らくは、そういう事です」
「季湖さんに報告はしたんですよね?季湖さんは、何と?」
「…『そう』、と」
「え?」
「御自身も、御父様の借金で、店に出なきゃならなかったのは、十二だったそうで。『初めては、きったない親爺だった』と。若いオネーチャンでラッキーだったじゃない、と」
―ババァより恵まれてるから感謝しな、ってさ。俺って、殴られてもないし、家もあって服もあって、金もあって、風呂も当たり前に入れてて、飯も食えてて、借金もなくて、売り飛ばされねぇし、頭いい、制服も月謝も高い学校に行けて、顔も身長も恵まれてんだから、ってさ。両親揃ってるでしょ、なんて。
あ。あれって。
「そういう世界は、あるんですよ。我々が、『ある』のに見て見ぬ振りしているだけで。子どもでいさせてもらえない人はいるんです。季湖さんは運良く脱出出来て、御医者さんの奥さんになれたわけですが。…批判は出来ませんでした。親の金で大学に行かせてもらって、留学させてもらって。親兄弟どころか、従兄にまで可愛がられたんですからね。自分の子どもも、そういう世界に触れさせないで育てることに、今のところ、運良く成功しています。…運が良いだけです。運良く、仕事がある。運良く、家がある。運良く、犯罪に手を染める機会が無かっただけ。殺人を犯すことも、盗みを犯すことも、未だ、運良くやっていないだけ、と考えたら。…批判は、出来ません。感覚が自分と違うからって、何か言って、相手を変えようとするのも、何かが、違うと思って。…無力ですね」
そうだな。
無力、というのが、この世で一番、悲しい言葉に、今は思えた。
父さんって…、どこまで分かって、突っ込まなかったのかな。
俺が「今聞いたことは忘れます」と言うと、相手は、ホッとした顔をした。
中澤氏は「以上です」と言った。
「自分から言えるようなことは、こんなもんです。あの、…『優将君の話』も、確証は、無いですから。本当に、忘れてあげてください。では、二点目、いきますか?」
俺は「はい」と、やっとのことで言ってから、小松家の話題を切り出した。
「小松家は、監視されていませんか?」
「…なっ、…どういう…」
「先程、サポートに限界が来ている、という言い方をなさっていたのが、気になっていたんです。…普通、そういう言い方する時って、資金不足や人手不足で、御飯を他所の家の子まで出してあげられない、とか、家事等の世話をしてあげられないとか、資金や人手が限界に来ている時にしませんか?ほら、子ども食堂が閉鎖される時とかに、そういう言い方、しません?…どう考えても、そんなわけないですよね、うちなんかにまで、奥さんが不在でも、御手製のケーキとクッキーを用意してくれるような、持て成してくれるゆとりさえ感じる御宅で。と、言うよりも、中澤家に、何か変化があったから、サポートに限界が来ているわけではない。単刀直入に申し上げますと、『サポート』っていうのは、小松茉莉花さんの監視でしょう?」
中澤氏は、真っ青になった。
俺は、そのまま続けた。
「…父が、気付いてないとも思えないですが。結局、あれですよね、優将のことって、愛ある放任に切り替えた、という意味では、サポートの限界が年齢的にも来てるって考えて良いんでしょうけど。稚菜さんと御宅は、連絡が些か密過ぎる気がします。貴方って、『近所のオジサン』にしては、小松家の事情に詳し過ぎるんです。要は、小松茉莉花さんのことを稚菜さんに密に報告する、というサポート体制を取っているのではないですか?それで、小松家のお嬢さんに、彼氏が出来たり、部活を始められたりすると、以前のようには監視及び報告が出来ないので、それが『サポートに限界が来ている』、という言い方の真意かな、と」
中澤氏は震え始めた。
…何か、苛めてるみたいで、あんまり、良い気持ちがしないな、こんな人の好い親戚を。
父さんが、この人を可愛がるのも、分かる気がするんだよな。
「責めているんじゃないんです。本題は、この先なんで…」
中澤氏は、ハッとした顔をした。
「そうだ、小松家は、監視されているって?」
「はい。…小松瑞穂さんって人、変ですよね?どうして、稚菜さんが、茉莉花さんに会ったかどうか、分かるんでしょう。どうやってチェックしてるんでしょうか?」
中澤氏は、冷や汗を流しながら、両手で、口を押えた。
俺は、そのまま続けた。
「稚菜さんは、分かるんです。先程申し上げた通り、貴方達が密に報告しているから、瑞穂さんが茉莉花さんに近付いたか否かが分かるんでしょうけど。瑞穂さんは、稚菜さんが茉莉花さんに会ったかどうかを、どうやって知るんでしょう?変な話、そこさえ誤魔化せれば、母親と娘が自由に会えないなんてことは…」
中澤氏は、目を白黒させながら、両手を胸元に移して「そう言えば」と言った。
「その…。会社には、鴛鴦夫婦を演じなければなりませんから。だから、あの刃傷沙汰の後も、夫の見舞いや看病を、会社に向けた建前だけでも続けなければならず、それで、稚菜さんは精神的に追い詰められた。だから、今も、別居は隠し通していて、夫婦でランチタイムを取る、というカモフラージュを行っているそうなんです。そこで、瑞穂さんに言われるんだそうです。『フラワーアレンジメントセラピーの後、茉莉花に会っていただろう』とか、…筒抜けだそうで。だから、迂闊に、茉莉花ちゃんに接触出来ないんだと。…でも、言われてみれば確かに、何で、筒抜けなんでしょう」
「…考えたくはないですが。何かの監視方法か、稚菜さんにとっての中澤家の人々のような、協力者がいる、と、俺は結論付けました」
俺が「だから、小松家は、監視されていると思います」と言うと、人の好い親戚は、泣き出しそうな顔で、俺を見詰めた。
※ヨハネによる福音書 8章1節‐11節
「イエスはオリーブ山へ行かれた。朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、ご自分のところにやって来たので、座って教え始められた。そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。『先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところであなたはどうお考えになりますか。』イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。『あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。』そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと真ん中にいた女が残った。イエスは、身を起こして言われた。『婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。』女が『主よ、だれも』と言うと、イエスは言われた。『わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。』」