白状:`Yes, but then I came and rescued he!'
千伏嬢と別れてから、父が「やっぱりあの子じゃないよな」と言ったが、何のことかは分からなかった。
「それにしても…友達がパチンコって、流石に…」
うーん、比較的放任主義の父親が、俺の交友関係に疑念を抱き始めた。
まぁねー、全然、良いワードでは無いですよね。
それって乙哉さんの『発明』なんだって言ったところで、霊障と同じレベルで信じてもらえなさそうだし。
昨夜の、父親との電話を回想する。
「コミュニケーション能力と言えば。あの、ゆーま君、だっけ。あの子にも、秘密があるんでしょ?今日も、泊ってるの?」
「…うん。秘密、って?」
「コミュニケーション能力が高過ぎるよね。イケメンなのに、自分の存在感を消すのも上手過ぎる。ディズニープリンセスみたい」
「どういう例え…?」
「ほら、ディズニーのキャストのお姉さん達よ。プリンセス。凄い美人だけど、ディズニーから家に帰ると、どんな顔してたか思い出せない。『ディズニープリンセス』っていう役に徹してて、派手な格好なのに、ディズニーにいれば、全く違和感が無くて、寧ろ、そんなに際立った存在感に繋がらない」
…おお、思いの外、上手い例えだった。
それは、本当に、そう。
不思議なくらい。
「で?JR止まったから親が家にいない、ってのは、方便なんでしょ?」
…何でバレてんの。
「父さん…」
「うちじゃあるまいし、親もね、何とかして、家に帰る方法、探そうとするのよ、普通。タクシー使う、とか。だって、未成年の子が、一人で家にいんのよ?なのに、もう、JRが止まりきる前から、そこのお宅の親は、帰る気が無い。うちに泊めていいか、って連絡、JRが止まる前だったでしょ」
「あ…」
「それに、もう一人の子が誰だか知らないけど、ゆーま君って、うちに連泊じゃん?昨日泊まっちゃったから、って、寧ろ、家に帰ろうとするもんじゃないの、台風の時は」
父は明るいが、ハッキリした声で「白状しなさい」と言った。
「あの子は、あまりにも、他所の家に泊り慣れてる。もう一人の爆イケの子とは、ちょっと違う」
「ば、爆イケの子…」
そうだけども。優将さんとÉmileがイケてなかったら、周りの誰もイケてなさそうではあるけども。Émile、爆発させちゃいましたか、何かを。イケメン度合いを…?火薬とかで?可燃性のイケメンって、訳分かんないけど、強そう。流行りの塩顔で、男性的な顔立ちだし、口も唇も大き目で、スタイルも良くて。
…首長族、首長族の中では、全員イケてない。
駄目だ、そう、極端に考えたところで、劣等感は消えない。
「やー、爆イケ。イケメン過ぎて、ビビり散らかしたよねー、脚は長いし。胴体と脚の比率、三対五くらいじゃない?本当に高校生?」
『ビビり』なんて謎の物体、散らかさないで、文系教科の専任教授。意味は分かるけど、教授が、その年で使う言葉であることに対しては、違和感しかない。
「一つ年上ではあるけど…高校生だよ」
自分で言っておいて、父は「まぁ、彼の体に於ける脚の比率は良いとして」と言った。
「ゆーま君と、もう一人の、今日泊まってる子は、日常的に、親が家にいないね?」
父は「白状しなさい」と、もう一度、明るい声で言った。
…全然、欺き通せない、『俺より頭が良い人間』のこと。
ごめん、優将、茉莉花さん。
他所の家の家庭の事情を全部説明すると、父は電話越しに、「正直に言い過ぎよ」と、困ったように言った。
「…家に泊めてる、もう一人の子が、女の子だってことまで、よくもまぁ、親に、正直に…。そうか、一緒にバイトしてる子達って、そういう経緯があったのか…」
「白状しろって言ったじゃん…」
「いや、正直で偉いなとは思ってるんだけど。二人泊めてる、じゃなくて、なんか、こう、延べ人数での報告とかでも…」
「いやいや、しないでしょ、延べ人数での報告、泊める友達の数で。どうやるの…」
「えっと…。十五人の救助隊が十回救出に入ったら、その現場の作業に入った延べ人数は百五十人だから…。その方式でいくと、ゆーま君を、家に、出たり入ったりさせる?あ、そうすると、もっと報告人数増やせるね。理由としては、JRが止まって親が家に帰れなくなった子が増えることで、より、不信感は増しただろうけど…」
「台風の日なんだってば…。優将に、何させる気だよ。逆に難しいでしょ、延べ人数での、泊める友達の報告。…寝具を二つ出すからさ、友達の数は、誤魔化せないじゃん、母さんにだって。そしたら、説明を控えるしか、上手な嘘のつき方が無かったんだよ…」
「そんな種明かしまで…。思春期なのに偉い…」
「独特の褒め方…」
「さーて。うちの従弟に聞く内容が増えたねぇ」
「中澤さんに?」
「そーだよ、敏だよ。あいつ、近所の家の育児放棄、二件も黙認してるってことだろ?」
「それは…。事情があるのかも…」
本人達が知られたがってない、とか…。
父は、冷たい声で「事情?」と言った。
「それが良いことか悪いことかは、俺が、敏に直接聞いて判断するから。場合によっては、俺は勝手に動くし、敏のことも許さないよ。俺も、自分の従弟が没分暁漢だとは思いたくないけどね?」
「父さん…」
時と場合によっては、破壊神みたいな解決方法考え付く人だからなぁ。
嗚呼…。知られたくはなかったが、欺き通せない以上、こうなる可能性も、大いにあったわけか。
俺も中澤さんの話を聞いて、いろいろと判断するしかなさそうだな…。
図らずも、それは、優将と茉莉花の家の事情を、本人達に無断で、詳細に聞いてしまう可能性を示唆していたが、展開によっては、自分の父親の行動を止めなければならないかもしれないので、俺が同席しない、という選択肢も無かった。
…また選択肢一個だよ。別に、父親とランチが食べたい訳でも無いのに、何で、明日の予定が、そんなことになっちゃうの。
父は「そうか」と言った。
「…その。泊ってる女の子って、身長、どのくらい?常緑学院の子なんだよね?」
「身長、何か、関係ある?平均じゃない?うちの母さんくらいかな」
「あー…。ゆーま君って、夏休み、暇?」
「分からないけど…。何?」
「高良がいない間、歴史さんの散歩のバイト、してくれないかなって思って。八月十三日の朝から、十六日の昼までの間で」
「ああ…。御互い気に入ってる仲だから、喜ぶかもな。聞いてみる」
「そう?じゃ、後で、あの子と連絡先交換させてよ」
「分かった、提案してみる」
そんなこんなで、昨日の電話の時点で、今日は、父と昼食を取ってから慧の家に行き、中澤さんと話す内容が決定しており、その後、別の電話で、夕方に、優将と、苧干原瑞月の家に行くことが決定になったのだった。
考えてみるとハードスケジュールな気がしてきた。
体力より気力を使いそうな内容だな。
そして、今日のランチは、最近駅から徒歩三分のところに出来たインドネシア料理の店に行こう、という父親からの提案があったのであるが。
うーん、優将の印象が悪くなってしまうだろうな。千伏さん、最後に、爆弾落としていったなぁ…。
「えー、この辺でパチンコ店って。あー。この駅周りだけでも三軒か」
父が、そう、ブツブツ言っているところに、この暑さで、流石に、作業着の上は脱いでいる、見たことがある人物が、声を掛けてきた。
「おや?降籏さん」
「…乙哉さん?」
乙哉さんは、右手で、何か丸い物を掴んで回すような仕草をしたが、俺には意味が分からなかった。
「やー、台風の間、打てなかったもんで。こちらは?」
「父です…」
「ほー、こちらも降籏さん。奇遇で」
父は「もしかして」と言った。
「ゆーま君がパチンコで会ってるオジサン…?」
…正解。『変な』をつけないでくれるだけの社会性があるのは助かったけども。
父は珍しく「高良」と、低めの声で言った。
「まさか、御前まで、パチンコやっちゃいないだろうね…?」
あ、そういう誤解を?
まー、優将さんを友達になって以降、家に女の子は泊めるわ、優将さんは素行が悪そうだわ、となると、そういう疑いは持たれてしまうか…。
すると、乙哉さんは、慌てて、「違います」と言った。
「その子は、やっちゃいません。優将にだって、ほとんど、やらせちゃおらんのだから」
「ほとんど、じゃなくて、完全に、やらせちゃいけないんです。あの子は高校生ですよ。どういうことなんですか」
父が生活指導モードに入ってしまった。
そう言えば教員だった、というのを、こういう時は思い出すよな。
乙哉さんは、人の良さそうな目を泳がせながら、両手を胸元辺りで組み合わせて、「あの」と言った。
「あの子ぁ、親がおらんのです。いや、そりゃ、親ぁ、生きちゃあおります。でも、守ってくれる、親がおらんので。あの子の家の場所も、俺ぁ、知らんのですけど。…パチンコの店の裏でしか、会えん子なんです。俺ぁ、あの子が、気になって、それで」
「育児放棄を発見しているのなら、通報すべきだ。貴方、大人でしょうに」
乙哉さんは、「ねぐ?」と言った。
父は、幾分、ゆっくりと話した。
「育児放棄のことです。虐待ですよ。親に放置されてる子、ですよね?あの子は。知っていて、何故、通報しないんです」
乙哉さんは、しどろもどろ、「学が無いもんで」と言った。
「でも、昔ぁ、しょっちゅうでした。道に浮浪児がおった頃も知っとる。皆、首に、汚れで首輪が出来とった。けど、あの子は、綺麗な服着て、親は生きとるのだから。殴られてもおらんし…。かっぱらいもしとりません、良い子です」
父は困ったように「そういうことじゃないんですよ」と言った。
「昭和の頃とは、訳が違うんです」
それを聞いて、乙哉さんは、困った顔をした。
…ここも、分かり合えないだろうなぁ。
優将の話を聞くだけでも、乙哉さんは恐らく、相当の苦労人だ。この人の価値観では『通報』までのことじゃないんだ。きっと、本人は、もっと酷い目に遭って、もっと酷い状態のものを見てきたんだろう。
乙哉さんは、もう一度「学が無いもんで」と言った。
「沢山、良い方法は、思い付きません。でも、…会えんようになってしまう、通報なんかしたら。俺の見えんとこに、きちんとした人達に、連れて行かれてしまう。それじゃ、きっと、…可愛がられない。…心配で、心配で。あんなに小さかったのに。会えんようになる。うちに来いと言っても来ない。あの子の友達とは会わせてくれるし、連絡先は教えてくれても、家も教えてくれん。相手も、一線、引いてくれてるんだろうとは思います、賢い子です、俺ぁ、最近は楽隠居でも、前ぁ缶詰工場の会社も経営しとったもんで。そういうことは知らんでも、こっちの家族に、迷惑かけんように、してくれてるもんだと」
父は、悲しそうに「ですが」と言った。
「保護者は、貴方ではないのですから…」
「分かっとるつもりです。でも、見てしまった」
父は「え?」と言った。
乙哉さんは、「どうしてですか」と言って、泣いた。
「あの頃より、便利です。あの頃より、綺麗です。あの頃より、物も溢れてて、不衛生に青っ洟垂らした子もおらんです。誰も、俺の周りで、腹を空かせとらんのに。あの頃の俺と同じ目をしとった。駅前を、ウロウロ、ウロウロして。親のカードの入った財布を、誰にも取られないように抱えて、キョロキョロ、キョロキョロしとる。親子連れが歩いていると、こっそり後ろを歩いて、子どもが一人で歩いているんではない、という演技をしとった。賢い子ですが、誰も、あの子を守っとらんかった。そして、可愛い子だったから、大人に…。いや、これ以上は、言えません」
…痴漢に、遭ってたところ、見たんだ、多分。
乙哉さんは、悲しそうに「家のことは、今も、一つも話してくれません」と言った。
「施設にやられてしまうんですか、あの子ぁ、そうなんですか」
父は「落ち着いてください」と言った。
「彼も、義務教育は終了しておりますから。…それに、事情も、全然分かりませんし、全てが判明しても、施設云々の決定は、我々には無いんです」
「お願いします」
子どもを助けてください、と、蚊の鳴くような声で言って、乙哉さんは、グチャグチャの顔をして、泣いた。
「俺ぁ、学が無いので。どうしてやるのが一番良いのか、分からんのです。俺のおらんところで、きちんとしたところに暮らせた方が良いのか、可愛がられる保証がないなら、せめて、苛めん俺が分かるところに置いといた方が良いのか…」
―淳緒さんの言うことは学があって詩的だと言われる。
あ。
一瞬、目の前の男性が、黒っぽい着物姿に思えた。
甲蔵さん。
そうだ、あの頃。『父』に手習いをしていた『俺』は、学校に行く前から、『学がある』って言われ方を、周りからしてて…。
相手は泣きながら、「子どもを助けてください」と、もう一度言った。
「せっかく、死なんで育ったんです、放っておかれたのに。苛めんでやってください。苛めんであげてください、お願いします」
俺は、涙が止まらなくなった。
来てくれたんですね。
『俺』が、あんまり泣いて、『冊緒』を探すから。そうして、そのまま、死んでしまったから。
心配して、来てくれたんですね。
いる。
着物姿の、小さな男の子と、振袖姿の、小さな女の子が。
不思議そうに、乙哉さんの顔を見てる。
そうだ、夕暮れ。
畑仕事の終わりを、真っ赤な夕暮れの中を、労いに、いつも、声を掛けに来てくれていた、優しい、子ども好きだった、分家の人。
今も、穂高連峰の上の空と、大地を染める、赤い夕陽が、この世の何処で見る夕陽よりも美しいと、俺は思っている。赤と紫と橙が、決して人間には作り出せない色で染める空が、この世の何処で見る夕暮れより美しい、と。今の俺は、この場所で育ったけれど、帰省先で見る、両親の故郷の夕陽が、今も、この世の何処で見られる夕陽より、美しいと思っている。
その、この世で一番美しい夕暮れと、一緒に思い出したのは。
他の誰でも無く、『俺』達を心配してくれていた、貴方だった。
―子どもを助けてください。
また、助けてくれようとしたんですね。
貴方に出来ることは、確かに、小さかったかもしれない。所謂、正解の、世間一般の『正しい』ことでは無かったかもしれない。
でも、それでも、本気で、手を差し伸べてくれたことの方が、俺は、大事だと思うから。
正論は、やっぱり、正解じゃなくて。
乙哉さんは、優将の、大事な人なんだって、思う。
そうか。
乙哉さんにも、迷惑を掛けたいわけじゃないから。
黙って、消えることを選びたいんだろうな、って、何となく、思う。
優将は、夕陽に染められた空気みたいな、透明な赤い、透き通った優しさを持つこの人を、悲しませたくないんだろう、と。
学が無い、なんて、悲しいことを、言わないでください。
『俺』は、貴方より優しい、貴方より意志の強い人に、会ったことは無かったんだから。
本家筋を継ぐのを断って、地縁のある場所を出るのは、あの頃、どれだけのことだったでしょう。
『父』なんかより、ずっと、素晴らしい人でした。
多分、貴方から教わったんだ。
自分より力の弱い、幼い存在を、虐げない、という、一番、大事なことを。
父は「分かりました」と言った。
「どうなるかは、分かりませんが。…まず、私と、友達になりましょう」
乙哉さんは「はぁ」と言って、泣き顔を上げた。
「連絡先を交換しましょう。あの子のことは、私が、教えられる限り、教えて差し上げますから。これから、あの子の家の事情を確認しに行きます。あの子の家のことも、分かったら、御伝え出来る範囲で、御伝えしますから」
乙哉さんは、「ありがとうございます、ありがとうございます」と言って、父に頭を下げた。
こういう風に使うのか、コミュニケーション能力って、と思いながら、俺は、涙を拭った。