小松瑞穂:ought to know which way she's going, even if she doesn't know her own name
泊りに使った荷物を、駅のコインロッカーに預けた。
夏のセール時期だから、駅前の店だけじゃなくて、駅近の店も梯子した。
Loftの近くにある、レディース以外にも、メンズの服とか、スポーツ・アウトドア用ウェアのショップとか、美術館が入ってる店で、一緒に買い物をしながら、「何だったんだろうね、あれ。皆、走って行っちゃって」と、瑠珠が言った。
私にも実は分からなかったから、「ねー」としか言えなかった。
セール時期だから、服は欲しいんだけど、何か、普段買ってる系統の服がピンと来なくて、ワンピースばっかり見ちゃう。
瑠珠は「珍しいね」と言った。
「ワンピ買うの?しかもノースリーブ。着てるの、見たことないけど」
「んー、何か、気になっちゃって。でも、今、夏物買っても、あんまり長く着られないかなぁ」
「あー、特に、ノースリーブだとね。でも、気持ち分かる。ノースリーブ買いたくなるのは。台風一過ったって、今日、暑過ぎ。袖のある服着てたら、袖、引き千切りたくなったかも」
そこまで?!…確かに瑠珠、今日、タンクトップ着てるけど。
私が「あー」とか、適当に相槌を打ってると、「それ買う?」と瑠珠が言った。
「白のノースリーブワンピ。試着すれば?カーディガン羽織れば、違う時期も着られるかも?」
「…そーかな」
「そーだよ、今日、ずっと、ノースリーブワンピ見てるよ、茉莉花。試着しなって。多分似合うよー。今までチャレンジしなかっただけだって」
「ホント?」
「ホントホント。大体、セール時期なのに、サイズ欠けが無くてラッキーじゃん。着てみなってぇ」
結局、何だかんだ、ほぼ、瑠珠に乗せられる感じになっちゃった気がするけど、買っちゃった。
買ったばっかりで、タグを切ってもらったワンピースを着たまま、店舗を歩くと、あちこちの鏡やガラスに、長い黒髪の、白いワンピース姿の自分が映って。
…何か、変な感じがした。
ポニーテールにしてて、良かった。
髪を降ろしてたら、もっと、不思議な感じがしたかもしれない。
何となく、だけど。
ランチに、店舗に入ってるサブウェイで、一緒にハーブティーを飲んでいると、瑠珠が「珍しいね」と言った。
「サラダだけ?…アボカド、好きだよねー」
「…んー」
朝御飯、珍しく、凄く、しっかり食べちゃったから、このくらいでいいなって。
なんか、夢見も…悪かった、っていうか。ちょっと、食欲ないかも。
高良、凄かったな。…煮干しで出汁取って、御味噌汁作ってくれるんだよねー。蕪の茎と実の御味噌汁、初めて飲んだ。蕪、柔らかくて美味しかった。お母さんみたい、を、通り越して、おばあちゃんみたいだった。親が出汁取ってるの、見たことないし。
…瑠珠に言えないこと、ばっかり。
瑠珠に、何で大荷物なの、って聞かれても、台風が怖いから高良の家に泊めてもらったって言えなくて、台風で洗濯干したり出来なかったから、後でコインランドリー行きたいから、って、嘘ついちゃったし。家のドラム式洗濯機、乾燥機能付きなのに。
何で高良と、高良のお父さんと一緒にいたの、って聞かれても、偶然会った、としか言えなくて。それ自体は嘘じゃないけど、高良のお父さんにも、家に泊めてもらったことを言えてないから、御礼も言えてないし。
高良と、バイトしてたことも、高良に瑞月の連絡先を教えたことも、瑠珠には言えない。
…そもそも、育児放棄のことだって、言えてない。
瑠珠はBLTサンドを食べながら、「元気出して」と言ってくれた。
「似合ってるよ、それ。あ、そうそう、彼氏は、どう?」
「…あー」
最後に連絡したの、いつだっけ。
「夏だしさー、デートで、それ、着れば?丁度良いじゃん」
「んー、ありがと。そだね、後で、台風どうだった?とか、連絡してみる」
「何か…付き合ったばっかじゃなかった?夏休みに入ってからだったよね?あんま、連絡、してないの?」
ギクッとして、「あー、相手が…」と、咄嗟に言ってしまった。
狡い。
…私からだって、連絡してない癖に。
瑠珠は「あー、あんま連絡してこないタイプ?」と言って、ハーブティを一口飲んだ。
「いるいるー。親と一緒の時、連絡してこない奴とかも、案外いるからね。夏休みって、しょっちゅう会うか、あんまり会えないか、かも。意外と暇じゃなかったりね。うちも、この前、法事入ってさ。制服で出たよー」
いやいや、一人暮らしなのよ、相手。
とかも、言ってないな…。
「御盆に入っちゃうと、マジで、家族で過ごす家とかだと、他所に帰省するとかで、会えなくなったりするからねー。確かに、今日連絡取っとくのは、アリかも」
「んー、そだね。ありがと瑠珠」
「…何かさ」
「うん?」
「…最近、日出とも、連絡してないの。帰省とか、するのかな?」
「あー、私も、日出のこと、聞いてないな」
…瑞月からは、連絡来て、高良に瑞月の連絡先、教えちゃったんだけどね。それも言えない。
「ねー、彼氏にも、聞いといた方が良いかもよ。御盆、会えなくなるかも」
『彼氏』に、御盆に帰省するのかどうかすら、聞きもしなかった。
…なんか…。あんまり、関係としては…良くない?
別に嫌いじゃないのに。…格好良いとは思ってるし。
でも。
台風の時、頼んなかった。
彼氏だけど、うちの育児放棄のことだって、言えてない。
陰鬱な気持ちになりかけたところで、瑠珠が「げっ」と言った。
「嘘でしょー、最寄り駅、被ってんのかなー。この時間に、まさか、彼女のとことか行かないよね?」
「どうしたの?瑠珠」
「ママの彼氏が海老アボカドサンド買ってる。外回りなのかなー、スーツ着て。ウザ」
「え、嘘」
「あー、あれあれ。わー、目ぇ合わさんとこ。見た目イケオジだけど、胸とか見てきて、キモいんだよねー。何の仕事なんだろ。絶対他にも女いるってぇ」
「…嘘」
「そー、茉莉花の誕生日の日も、家に来てたから、カラオケのオールに誘ってくれて、助かったー。逃げてんの、あいつから」
「名前、分かる?」
「えー、興味無ぁい。みず…なんとか。ミズノ?」
「…そうなんだ」
小松瑞穂っていうんだよ、その人。
…へー、お父さんって、…私の誕生日の日に、瑠珠んちにいたんだ。
親に期待なんて、とっくにしてないけど。
…瑠珠には、知られたくないな…。
瑠珠のママの彼氏が、うちのお父さんだって…。
何か疲れちゃって、サラダを食べ終わったら、コインランドリー行かなきゃ、って、嘘ついて、解散してしまった。
高良の家で、洗濯と乾燥を済ませたものが多いから、洗う物なんて、ほとんど無いし。…中身は、お泊りセットなんだ。
…頭の中、グッチャグチャ。
親になんて…。もう、期待なんて、してないのに。
私も、瑠珠に、嘘ばっかりついてて。
あーあ、私だって、お父さんそっくりじゃん。
…ん?
『つまらないことを言うな。手を出すな。俺は、こうするより他に、仕方がないんだ』
何か、思い出しそう。
あ。
「茉莉花ちゃん」
「…水戸さん」
また、凄いタイミングで会っちゃった。
「…また泣いてる」
「ホントだ…」
自分でも、気づかなかった。
黒い半袖ワイシャツの相手は、引く程男前だった。前髪が伸びたのか、分けてて、…ああ、この人の髪が伸びるくらいには、会ってなかったんだ、って思って。何だか、体の力が抜けるような感じがした。変な話だけど、暑さは忘れた。
相手の手が、優しく、ノースリーブワンピースから剥き出しの腕の、二の腕に触れた。
「…懐かしい服、着てる」
「褒め方、変わってるね…」
相手は、「そう?」と言って、抱き寄せてきて、頬に、軽くキスしてきた。
本当は、嫌。
キスされるのが嫌なんじゃなくて、街中で、こういう風にされるのが、何か、嫌。
でも、その、『何か』が、上手く伝えられなくて。
それでも、…誰かの体温を感じるのは、痛み止めみたいに、効いた。
涙が止まらなくなった。
耳元で「うち来る?」と、囁かれた。
…不味いな。今の気分だと、多分、流される。
相手がしてくること、誰かの体温を感じること全部に、多分、何にも、抵抗出来ない。
酷い気分だから。
「ん…。今日は、荷物多いから。違う日にする」
「そう?持とうか?荷物」
「あー、ごめん。汚れ物なの。悪いから。台風で、干せないから洗えてなくて、乾燥まで済ませたいから、コインランドリー行きたいの、これから。あんまり、中とかも、見られたくないし、今日は、もう行くね」
私、また、嘘ついた。
相手は「そう?」と言った。
親切で言ってくれてるかもしれないんだけど、中身、お泊りセットなんだ。
絶対、荷物、持ってほしくない。
…このまま、この人の家に行けちゃうんだもん。
泊れちゃう。
私が涙を拭うと、相手は、フーッと溜息をつきながら、「分かった」と言って、抱き締めて来ていた腕を、解いてくれた。
「御盆って、暇?家族と過ごしてる?帰省とか、する?」
相手の言葉にギクッとした。
『家族』となんて、過ごすわけ、ないから。
「いや…暇だよ。…じゃ、御盆に会おっか?」
相手は、少し嬉しそうに「そう?」と言った。
「帰省しないからさ、俺。御盆、ずっと一人なんだ。じゃ、十四日のお昼とか、どう?」
「オッケー」
「良かった」
「何が?」
「全然…連絡来ない気がして。でも、偶然会えたから」
またギクッ、とする。
…うん。楽しかった、昨日。怖くても、犬とか、いて。…連絡しなくても、楽しく過ごしちゃってた。
「家、近いんだっけ。優将とかと、会ってる?」
「…え?」
ギクッ、とした。
相手は「会ってんだ」と、小さい声で言った。
「…家、近いもんね?」
「ん…。うん。でも、優将は別に、いっつも通りっていうか」
…別に、ってことないか。玲那と別れたんだった。
…そうだよね。彼氏に言ってないけど、他の男の子の家に泊りに行って、男の子二人と泊ったのは、本当なんだから。
…言えないけど。
「優将、何か言ってた?」
「…え、別に」
「そう。…じゃ、十四日に。泣いてた理由は、また今度聞く」
水戸さんは、駅前から、自宅の方向に、去ってった。
…サイテー、私。
日出のことだって、言えないかも。
彼氏がいるのに…。他の男の子の家に泊っちゃったんだ、怖いからって。
彼氏以外に、そういう頼り方するんだったら、怖くても、家で、一人で震えて泣いてた方が、誠実だったかも。
相手も、瑞月と、抱き合ってたのかもしれないけど。
相手が誠実かどうか、っていうことと、私が誠実か、ということは、別だから。
相手が、仮に、誠実なことをしてなくても、私が、誠実でなくていい、という理由にはならない。
でも、楽しかったなぁ、高良の『家』。
一人じゃなくて。
怖いこともあったけど、楽しかった。皆で、御飯食べて。
涙が止まらない。
彼氏のことを考えると、何だか、ジャリジャリしたような感覚がある。
裁かれるような気分。
ああ、そうだ。山百合の咲いてる坂で転んだ時も、慧と喧嘩した後も、こうやって、酷い罪悪感で。『彼氏』がいる、っていうだけで。『彼氏』の存在に逃げてる、ってだけで。
え?
『陪審員』
何?これ。この感覚って。
あ。
視界の隅に、グレーのスーツ姿の男の人が見える。
…今日だけは、出くわしたくない。
私の誕生日に、私といなかった、私の、血を分けた人と。
駅のホームに駆け込む。雑踏は嫌いだけど、隠れ込みたい。
優将。優将。
…いるわけ、ないのに。だけど、同じ駅にいない可能性も、ゼロじゃないから、心の何処かで、探しちゃってる。
それでも、『家』の方向の電車に乗り込むと、ホッとした気がした。
隣の『家』には、いつも優将が住んでて。それだけで、何となく、一人じゃない気がして、本当に救われてるんだってことを、再認識しちゃって。
頭はグチャグチャ。
自分が、何が悲しいのかも、よく分かんない。
でも、いつか、自分の名前も思い出せなくなっても。
優将のいる『家』の方向は、分かってるんじゃないか、って。
そんな気がした。
そう言えば、『アリス』の本にも、お姉さんしか出て来ない。
親がいないはずはないのに。