水戸大空:Why you are painting those roses?
おそいよ、瑠珠。
私、もう来てるのに。…えー。
『今日は来れなくなった』らしい。
理由は聞かないでおこう。
後で話したかったら、多分話してくれる。
瑠珠のメッセージが短い時は、ほとんどの場合、瑠珠に、すごい面倒なゴタゴタが起きてるから。
あそこんちも、なかなか凄いからなぁ。
今日は珍しく、自分の家から、こっち方面に買い物に来たんだけど、瑠珠の買い物に付き合う予定だったんだよね。
だから、別に私が何か、すごく買いたいってわけじゃないんだ。
両手で廂を作りながら、白っぽい空を見上げた。
電線の黒い平行線が、やたらクッキリ見える。
平行。
本日は曇天なり。
無収穫で帰るよりはいいか、と思って、私は歩きだした。
待ち合わせ場所の建物は、わりと新しいホールの前だった。
築二、三年かな。
駅から結構近いし、談話スペースではタダでお茶が飲めるんだ。
どっかの予備校も近くにあるらしくて、そこで自習する予備校生や中高生も多い。
席は早い者勝ち。
中学校の頃は、偶に来てたんだけど。
ちょっと離れて見ると、壁面いっぱいのガラスの窓が、鏡みたいに光る。
一階の入り口の右側には、花屋が入ってる。
トルコギキョウ、アルストロメリア、あと、多分何か、蘭。スターチス。コデマリ。白、紫、ピンク、紫、緑、橙、黄色…。
うちのお母さんもフラワーアレンジメントする人だったけど、私、里歌さんが教えてくれた花しか、名前知らないんだなぁ。名前を教えてもらうまでは、薔薇や百合くらいで、知ってる花は終わりだったもん。
一筆描きみたいに適当に描いたチューリップ。
ばら組さん、ゆり組さん、ふじ組さん。さくら組さん、すみれ組さん、つくし組さん、もみじ組さん。ぱんだ組さん、こあら組さん。
何がどんな花か なんて、全然知らなかったなぁ、あの頃。
幼稚園の時は、組別にワッペンと帽子の色が違った。
ワッペンの形はチューリップの形。スモッグは、女の子がピンク、男の子が水色。
年中組さんは、さくら組さんのワッペンと帽子はピンク。
つくし組さんは黄緑。
もみじ組さんは赤。
私のいた、すみれ組さんは。
何故かオレンジ色だった。
年長組さんのふじ組さんが紫、年少組さんのぱんだ組さんが濃いブルー、こあら組さんが赤紫。
パンジーでも気取ったのか、それにしても、紫や青系統の色を余所に回してまで、何故うちの組だけ『すみれ』でオレンジ色だったのか。
今考えても謎だ。
でも、その頃は、『すみれ』って何だか、よく分からなかった。
桜や土筆の色が、大体実物と合っているみたいに、何かオレンジ色で合ってるもんだと思ってた。
優将だけ、もみじ組で、私と慧は、すみれ組。
いつだったか、幼稚園のスクールバス降り場で会った里歌さんは「ゆーま君もみじ組さんね、赤。本当に、すみれ組さんは何で紫じゃないんだろうね?みかん組みたいよねー」と言った。
『すみれ』って紫なの?!
その時のショックは、実は密かに、今も引き摺ってる。
その後、写真付き絵本で見付けた菫は、確かに紫だった。
実物は、父方のお祖母ちゃんの家の近くに、雑草と一緒に、地味に沢山生えてた。
そんなに珍しい花でもないのに知らなかったんだ。
私が『すみれ』って花を知ったのは、やっぱり、里歌さんが切っ掛け。
何でもない些細なことも、逃れようもなく里歌さんの記憶に結び付く。
その場でボーッとしながら、そんなことを考えてたら、小洒落た店内でアレンジメントをしていた、ベリーショートの女性店員と目が合った。
お互い、ヘラッと笑って、浅く一礼した。
すみません、買いません。
一礼したまま前に進んで、私は、そのまま、ホールの中に入った。
何となく入っちゃったけど。談話スペースは人が多かった。
お茶だけ、その場で注いで飲んで、紙コップを捨てて、私は談話スペースを出た。
ホール入り口付近、玄関ホールの、入り口から入って左の方にある託児所から、超音波みたいな声が聞こえてくる。
小さい子が喜んでるらしい。
奇声が笑い声に変わって、保母さんみたいな人の声と重なった。
ここで子供が泣くと、談話スペースまで聞こえてくることがある。
あの肺活量って、侮れないよね。
託児所の入り口からちらっと見える黄色い絨毯。
昔読んだような絵本。
きりんさん。くまさん。うさぎさん。
何だか妙に、懐かしい。
その反対、右側には、二階への階段入り口がある。そこに、立て札みたいにして、ポスターが貼ってあった。
何か、アマチュアの人達が集まって、創作発表してるらしい。
展示の場を求めて活動する団体とかで、ここの二階で、しばらくの間、展示をしてるっぽい。
入場無料。
よし。見ちゃおう。
絨毯張りの階段を上がっていくと、写真やら絵やらが遠くからでも見えた。
あ、大きい絵。黄色?
結構人は少ない。
案外面白い。
絵本や詩集、漫画まであるし。
思いがけないような言葉付き写真とか、持って帰ってもいい、お手製ポストカードとか。
あ、浜辺の写真。
何のかんので、結構じっくり見ちゃう。
参加者の年齢層に結構幅があるみたい。
こういうのも良いね。
あの蝶の絵とか、好きだな、私。
あ、イラストもある。綺麗。
あ、大判の絵。
これだよね、さっき、あっちから見えたの。
黄色の。
それは、黄色と青と緑だけで描かれた、子供の絵だった。
二人の子供が眠ってる絵。
手前が多分男の子、隣が女の子。
日溜まりの中。
左から、毛布を掛けなおす、女の人の手のようなものが伸びてる。
そちら側から青のグラデーションがかかってて、だんだん暗くなる。
柔らかそうな、優しそうな細い腕。
男の子の生真面目な、そこがまた可笑しい、微笑ましい寝顔。どこか迷惑そうですらある。
女の子の口は半開きで、柔らかそうな頬っぺたに、少し髪がかかっていた。
多分、主線が青なんだろうな。
陽光のような黄色に滲んで、子供の頬っぺたの辺りで、馴染んだ緑色になってる。
暗い青の影と、腕。形の良い爪。多分この女の人は、色白なんじゃないかな。
青い色に変化していくまでの、背景のグラデーションを、もう一度、黄色と、子供達の顔から追って見てみた。
腕のところまで見たら、涙が出た。
なんて青だろう。
穏やかで暖かそうな絵なのに、寂しくて寂しくて堪らなくなった。
なんて青。
胸の内側が引っ掻かれるような感じがした。
涙を拭ってから、暫く、その絵を見てた。
タイトル『四歳』
アクリル F50
作者 紫苑学院紫苑高等学校 TAKAHIRO MITO(17)
紫苑高校。あ。水戸さん?