生活指導:The Mock Magdalena's Story
何か、久しぶりに、父方の祖父の夢を見た気がする。
父方の祖父は、降籏良山という名前で、書道家をやっていた人だったが、本名は降籏多比良といった。
そう、祖父が教えてくれたから、和綴じの本なんて物が読めるのだ。
色々なことを教えてもらったし、本当に可愛がってくれた。
台風が去って、三人揃って朝食を食べ、諸々の片付け等の後、父親を駅まで迎えに行く俺は、伊原嬢と待ち合わせなのだという茉莉花の、十分後に自宅を出た。
一緒に歩いているところを見られない方が良いであろう、という、優将の入れ知恵だったが、歩幅が、俺の方が大きかったらしく、結局、駅前で茉莉花に追い付いてしまい、御互いに気づいて、顔を見合わせて微笑んだ。
本当は悲しい。
優将の長野行きは、決定したら、優将本人が伝えるしかないから。もし、優将が、ここからいなくなってしまうことが決まってしまって、それを、伝えられた時。俺も、茉莉花も、こうやって、微笑み合えるか、分からない。…でも、今は。笑っていてほしい、と思うし、笑っていたい、と思う。何かが、決定的になってしまうまで、楽しく、友達でいたい。
台風一過で、気温は高めだが、白いトップスに、ネイビーのチュールスカート姿の茉莉花は、陽射しの下に、ポニーテールから覗く白い項を晒していて、涼しげで、爽やかに思え、視覚だけでも、気温が下がるような、不思議な、穏やかな気分になった。
伊原嬢は、まだ到着していないらしい。
優将は、用事があるから、夕方、紫苑高校の最寄り駅で会おう、と言って、俺が自宅の鍵を閉めてからも、暫く、うちの庭先をウロウロしていた。別に、優将と一緒に家を出ても、茉莉花と一緒に歩いているのを誰かに見られる時のような問題は発生しないと思うのだが、美形の友人に対する理解は深まっても、行動原理には謎が多いと思う次第である。
茉莉花と、そうして顔を見合わせて微笑み合っているところに、物凄いタイミングで、うちの父親が到着した。
出先で白いポロシャツを買い直して着たらしい父は、茉莉花を見るなり、「…天使と妖精のハーフ?」と呟いて、目を丸くした。
茉莉花は、キョトンとした顔をした。
俺が「うちの父親」と言うと、「御世話になってます。小松茉莉花です」と、愛らしい声で言って、ペコリ、と頭を下げた。
ポニーテールにした髪の毛先と、ネイビーのチュールスカートが、動きに連れて、フワッと揺れた。
父は、「高良の父の、降籏明良です」と言ったまま、まだ、目を丸くしていた。
「えっと、その…。翻訳のバイトを手伝ってくれた友達…です」
俺の報告に、父は、目を見開いたまま、俺の顔を見て、言った。
「…何で、最初に、こんな高い山を選んだんだよ。そりゃ登頂失敗するよ…。そこに山があるから登るのは男の性かもしんないけど」
暗に『こんな美人に急に迫っても振られる程の恋愛初心者』とか言ってくれるなよ。
「…違う違う。いや、だから、彼氏がいるんだよ、この子は」
「そりゃいるでしょうよ…。あー、驚いた、目ぇ見開き過ぎて眼球めっちゃ乾いた」
茉莉花は、目を瞬かせながら、俺達親子のやり取りを見詰めている。
そこに、伊原瑠珠がやってきた。
…相変わらず涼しげな装いだ。
「あ、茉莉花。え、…あ、眼鏡取ったんだ」
俺を見た伊原嬢は、挨拶もそこそこに、頬を染めて、そう言った。
相変わらず見事に巻かれた長い髪は、垂らされたままだったが、白のタンクトップと黒のショートパンツに、黒いスニーカー、という、珍しくスポーティーな姿である。首には、蛍光オレンジ色のヘッドホンが掛かっていた。
…布面積どうした。
…うーん、ギリギリ、親に『友達です』って紹介していいか迷うレベルの露出。
父親は、目を見開いて、俺と伊原嬢を見比べている。
えーっと…と、ともだ…ち?かな。何て紹介しよう。そう言えば、一緒にケーキを食べたり、絆と三人でウィンドーショッピングをした仲ではある。
何を言うか迷っていると、茉莉花が「親子なんだって」と、伊原嬢に耳打ちした。
伊原嬢が「…そうなの?あ、伊原です。初めまして」と、父に向かって言っているところに…なんと、千伏玲那も来た。
…台風明けの午前中なのに、最寄り駅に皆、寄り過ぎだろ。うちの最寄り駅の利便性が、今は怖い。
まあなー、この駅が自宅から近すぎて、自転車を持たなくなって久しいからな。うちの合理主義の母親に、中学の頃、背丈に合わなくなった自転車を廃棄されてから持ってないが、正直困ってない。
常緑学院の、夏の制服姿の千伏嬢は、気不味そうな顔をして、ボブヘアの、頬に掛かる髪を、耳に掛けながら、「あ、…おはよ。眼鏡取ったの?一瞬分かんなかった」と言った。
父は、三人の女子高生の登場に、目を瞬かせながら、俺に聞いた。
「え、そりゃ日替わりランチしてみたら、とは言ったけど、飽くまでも比喩であって、いきなり三人?…『春』という字は、『三人の日』と書くにしても、多いでしょ」
「…違う違う」
多人数との不純異性交遊を『春』なんて綺麗な言い替えしてないで、行こうよ、教授。
本音言うと、親と一緒にいたい空間じゃないんだよ、知り合いの女子高生三人が揃ってしまった駅前。
千伏さんなんて、昨日、優将さんと別れてるんですよ。それを勝手に知ってしまってるだけで、気不味いったらないですよ。
伊原嬢が、困惑した顔で「日替わりランチ?」と言った。
「…お昼御飯食べて帰っておいで、みたいなこと?」
…井原さん、綺麗な誤解、有難うございます。
「あ、あの、玲那。…お早う」
「…お早う」
茉莉花は、玲那に挨拶するなり、睨まれた。
うわ。千伏さん怖い。般若が、ここにも。あれ、怒った女の顔がモデルっていうのは個人的には信憑性高いですね。
茉莉花は、困ったように問うた。
「…え?どうしたの?」
「…ねぇ。柴野君と付き合ってたのは、私だったんだからね」
急に、ドスの利いた声で、玲那は、そう言った。
「…玲那?」
玲那は、そのまま、茉莉花の問い掛けを無視して走り去った。
瑠珠が、唖然として、それを見ていた。
「―――何あれ。あの子、何で今日あんなに余裕無いの?」
呆れたように、瑠珠が、そう言った。
「…優将、玲那と何かあったのかな?玲那が、あんな言い方、私にしたこと、無かったのに」
茉莉花は「しかも何で過去形?」と言って、俺を見た。
え、何で俺に聞くの?
「あ、えっと。…何で、って。言って良いのかな。…昨日、優将と別れたらしいよ…」
父親と瑠珠が「えっ」と言った。
父親が女子高生と反応同じなのキッツ。
昼飯喰ってないけど帰りてー。
しかし、哀れな茉莉花は「そんな」と言った。
「別れたにしても、私に、なんで、あんなこと…」
…うーん、なんで、と、茉莉花さん、そんな、悲しそうに仰ってますが。俺としては、想定の範囲内かも。
この前、千伏さん、なーんか、こう、女の勘を発動させたような表情をなさってましたし…。
…いえね、俺は茉莉花さん、良いと思ってるんですけど。女の子側の気持ちになって考えてみろ、って優将さんが仰ってたからやってみますと、俺が優将さんの彼女だったら、彼氏の幼馴染が美人で料理上手だったら嫌ですね。
『彼氏の近くに置いておきたくない女』と申しますか、茉莉花さんの美点が全部不快なんだと思いますよ、この際。
…ほら、優将さんに自覚が御有りでないから…やっぱり、ややこしいことに。
次の瞬間、親父が突然、「Magdalene!」と言って、怜那を追っ掛けた。俺は驚いて、その後を更に追い掛けた。
…あー、Magdalene、Magdalena、携香女。確かに、LenaはMagdaleneのpetnameの一つではあるけれども。英語圏名称の短縮形から来る愛称の、元の方って…滅茶苦茶マニアックだな、教授。
わー、茉莉花さん達が、ポカーンとしてこっちを見てるよ。
…そうだよな、そりゃ、父親と一緒にいたい空間ではなかったけど、ダッシュで女子高生を追っ掛けながら走り去りたい空間でも無かったな。
結論、父親が邪魔。
そうこうしているうちに、父親が、玲那に追いついてしまった。
「やぁ、僕、降籏明良。大学教授だよ」
…登場の仕方がミッキーマウスと同じ教授は嫌だな。
あああ、千伏さんが、見たことない表情してる。驚きと呆れと恐怖のコラボ顔。ごめんねぇえぇえぇ。
夢の国でも、ミッキーは追うものであって追い掛けてくるものではないし、例え夢の国でも、大学教授に走って追い掛けられるのは嫌だろうし、最寄り駅で追い掛けられるのは、もっと嫌だろ。通報案件だな。
結論、父親が邪魔。
そして父はと言えば、走って女子高生を追い掛けたくせに、息一つ切れてなくて、フィールドワークで培った体力なのか何なのか、更に怖い。こんな細身の中年男性が自分の親なのが、余計怖い。
「隣は俺の息子。知り合いだろ?」
「はぁ、まぁ…」
当然の権利として、玲那は「何の用ですか」と言った。
いやいや千伏さん、本当に、ごめんなさいね、うちの大学教授が…。俺とだって、親しいわけでもないのに。是非通報しないで頂けると有難いのですが。
「君の態度が悪いから気になってさ」
…初対面の人間に、『態度が悪い』って、はっきり言えるの、凄いよな。
「あとねぇ、君、見たことあるんだよ。そのボブヘア。うちの大学の周りの店で、うちのゼミ生、引っ掛けようとしてただろ、制服で。あっちは成人で、君は未成年だからさ。ちょっと考えてくれない?」
…まさかの生活指導。
えー…千伏さん?
しかし玲那は、開き直ったように、「いいじゃん」と言った。
「あたしに良い大学の彼氏がいたっていいじゃん、別に」
「ゼミ生ってことは大学三年生以上だからさぁ。そろそろ就活関係してくるのに、彼女が未成年ってさ。SNSとか企業に特定されて内情がバレたら微妙でしょ。それが分かってても高校生を相手にする奴なんて、少なくとも落ち着きのある成人男性とは言いたくないからさ、個人的に。遊ばれて終わったらどうするの」
「…そんなの、別に、いつもだもん。リーマンと付き合ったこともあるし」
…聞かせないでぇ。知りたくなかった。
あ、もしかして。Magdalenaって、皮肉か?
…高度で分かり辛ぇ。
…や、そこまでのことは言ってないか?
実は、娼婦だという根拠になる記載が聖書にあるわけでもないし、西洋美術モチーフとしても信仰の対象としても人気のはずなので。
そうそう、携香女とも呼ばれ、雪花石膏の香油壺を持って描かれることが多いんだよな。
…ん?…何だっけ。
何か、忘れてるような…。
俺が、ほぼ無意識で、西洋美術のことを考えて、ミッキーマウス教授の奇行と、同い年の女の子の男性遍歴の情報から現実逃避してしまっていると、玲那は、つっけんどんに「いいでしょ」と言った。
「イケメンで、良い学校行ってるとか、良い会社入ってる彼氏の彼女にしてもらって、何が悪いの?そういう選び方しちゃ駄目?…意味無かったけどね、イケメンと付き合ってても。お姉ちゃんに見せびらかそうとしたら、一日、携帯が充電切れだとかで、連絡、取れなかったし」
―どういうこと?用事が有ったのに!
用事って…「お姉ちゃんに見せびらか」すことだったってこと?…口では、連絡取れなくて心配してた、って、言ってたのに。
…ああ、優将さん、本当に、ブランドのバッグ扱い、されてたんだね。
そっか…。
…そうなると…。ハンバーガー喰う理由にされても、割れ鍋に綴じ蓋だったってことなのかな。
でも、友達がブランドのバッグと同じ、持ち物扱いって、やっぱり、なんか。悲しいっていうか。
―友達をブランドもんのバッグみたいに言うな。
ああ、優将。そっか、そうだね。…本当は、そういう扱いは、嫌だね。
だから、怒ってくれてたんだな。
ミッキーマウス教授は、意外にも爽やかに、嫌なことを言った。
「君の倫理観なんか知らないけど、君が未成年なのは良くないでしょ。せめて、うちの学生巻き込まないでよ。それに、相手は、もう少し選びなさいよ。ああ、昨日別れた彼氏は同い年か?察するに。…余計な御世話だろうけど、他に彼氏がいるような女の子に、変な牽制しなくてもいいでしょうに。何をそんなにイラついてるの?別れたのが、さっきの女の子のせいってわけでもないんでしょ?多分このままだと、また、同じ様なことするんだろ、君。繁華街で、フラフラと、さ」
玲那は「放っておいてよ」と言った。
「別にいいじゃん。誰と、どうしてたって。…皆、あたしと付き合うけど、『本命』にしてくんないんだもん。遊び相手にはしてくれるけど、ちゃんと『彼女』にしてくんないんだもん。誰かに、…美人の友達に、文句くらい言ったって、いいじゃん…」
…そういう、リアルな話は聞きたくなかったなぁ。
俺、恋愛経験が無いに等しいのに、恋愛話の貰い事故が多いのは何なんだろうか、宿命だろうか。
「ムカつく。可愛い格好しても、髪とかメイク頑張っても、ノーメイクの、白Tにジーンズの美人の女が、全ぇー部持ってく。ブスの着てるブランド品より、大量料品店の服着た美人が良いんでしょ、どーせ。素材の勝ちなんでしょ?」
うわぁ。こちらも、この世の真理を。聞きたくない聞きたくない。
…まぁねー、我が家でも、優将さんが愛らしい寝顔を御披露くださいましたが。そして、赤Tを背景にして、Émileは寝起き姿でも綺麗で、切れ長のキャットアイと美しい鼻筋の横顔を披露してくださいましたし。寝てようが寝起きだろうが、そんな、最も飾れない状態でも、素材によっては見苦しい時間帯が無いんでしょうね。
真理って、時に暴力的ですよね。
俺は「待ってよ」と言った。
「そんな風に言わないで。優将は、千伏さんの外見に関係なく付き合ってたんだから」
優将さんが貴女の外見を重視していなかった可能性が高いのは本当なので。
ハンバーガー喰う理由にしてたとは絶対に教えられないことが、相手の劣等感の強そうな感じから、決定的になったけども、えーっと、良い風に言わせてください。丸い卵も切りようで四角ですが、逆もまた真なり、ってことで。俺も一応、美醜なんて相対的なもので、首長族からしたら全員不細工、という持論は持っているので。天使と妖精のハーフというチョモランマみたいな登頂対象の山を登山しかけておいて、説得力はないけど。それに、これだけイケメンと美形に囲まれてれば、俺も、劣等感くらいは持ったので、更に説得力はなくなったけれども。
しかし玲那は「そんなことないもん」と言った。
「浮気されてたから、別れてやったんだもん。…手も出されなかったし」
…うっ、うおー、ああ、性的同意のお話、出もしなかったってことなんですかねー。知りたくなかったぁあぁあぁあぁ。
あー、もー、本当にねー、外見で人を判断しちゃいけなかったんだよね。遊んでて、他人に物を貢がせてるイメージ、俺も、知らない時は持ってましたもん、美形の友人に対して。
友人の名誉の為に、俺は「優将は、浮気なんてしてないよ」と言った。
俺とÉmileと同衾して、俺とÉmileの作った飯を喰ってただけですよ。
…あれ?言うと、余計ややこしい感じになりそうなのは何でなんだ。
ああ、そうだ、高二の夏の思い出…それだった。
誰に御願いすればいいんだ?面子を、せめて女の子にしてください、っていう内容は。ホログラフィック理論に、御意見用の受付窓口とかあったとしても可視化されてないだろうから…。
まー、貴女より長い時間一緒にいました、とは、どの道言えないんですけど。
案の定、相手は「あんたに何が分かんの」と言った。
ですよねー。貴女より長い時間過ごしてたから分かるんですとは、口が裂けても言えないんだから、そりゃー、そう言われますよね。
「でも、千伏さん、優将が浮気してたなんて証拠、無いでしょ?」
「だって、電話で…あたしのこと、エミちゃんって、呼び間違えたもん…」
あ、ち、違っ。
ちょっ、馬鹿、優将、ミスってこれかよぉ。やっべ、今だけは笑ったらマジで詰む。くっそー。
父親が「微妙な三角関係!?」と言った。
ウッザ。
結論、父親が邪魔。
かなり前に、石製爺の調査目的で済州島に行ってから、韓国語も覚えたのは尊敬してるけども。
しかし、異様に記憶力の良い父親は「あれ?エミちゃんって」と言った。気づくな喋るな、ややこしくなるから。
俺は、全てを誤魔化す為に「とにかく」と言った。
「何かの誤解だし、別に、何かあったって、容姿のせいじゃないでしょ」
しかし、相手は、悲しそうに、「そんなことない」と言った。
「…お姉ちゃんにも言われるもん。あたしが、お姉ちゃんよりブスだから、『本命』にしてもらえないんだって」
…いや?それは真理ではないぞ。第一、そんなことを妹に言える時点で、少なくとも俺は、その人とは付き合いたくないんだが。
稍あって、父は笑顔で、「黙って聞いてればさぁ」と言った。
笑顔で言うことじゃないだろう。このミッキーマウス怖い。あと、黙ってなかったじゃん。
「何だい、『してくれない』『してくれない』って」
玲那は「え?」と言った。
父は、「他人に期待するからいけないんだよ」と言った。
「相手に自分の立場を引き上げてもらおうと思ってるから失敗するんだ。ステータスの高い相手に選んでもらおうとしてる。そんなの、君に、若さ以外のブランドが無いって言ってるようなもんだし、実は君が相手を選んでない。彼女に『してもらえない』、本命に『してもらえない』、って、他人に『選んでもらおう』とばかりしてる。他人が自分を『選んでくれる』って期待するから、裏切られると悲しいんだよ。恋愛のゴールが『本命の彼女にしてもらえること』だと思ってるのも気に入らないね。何か誤解があるかもしれないから言っておくけど、恋愛関係だって人間関係なんだからね。友人関係も人間関係だよ。『友達にしてもらえること』が友情のゴールじゃないのは分かるだろうに、恋愛に対してだけ、何でそんなに盲目的なの?人間関係なんだから、それだけじゃないなんて、分かり切ったことだろう?」
…高校生の恋愛に、
大前提として:恋愛とは人間同士の関係です。
小前提として:友情とは人間同士の関係です。
結論:よって、恋愛も友情も人間関係です。
みたいな、三段論法みたいなの使わないであげてよ。
それに、盲目的でこそ恋愛かもしれないじゃないですか、Love is blindですよ。それこそが、結局、自分に足りなかったんだ、と、俺は思っている次第ですが。
「いいかい?王子様や貴族が美形なのは、王様や金持ちが美人のお嫁さんを貰いがちだから。だから、遺伝的な傾向として、金持ちは外見が良くなりがちなんだよ。目を背けてるだけで、感覚的に理解出来るだろ?それが統計的な真実なんだろうな、って。人間は公平に扱われるべきだけど、実は平等ではない、って。結局、人間は、自分に与えられたカードの中で、努力みたいなことをしてみるしかないんだ、って。野球選手と結婚したかったら、女子アナになって、スポーツ報道コーナー担当になった方が、結婚出来る確率が上がるのは、理解出来るだろ?言ったって誰も喜ばないから、言わないだけで。早い話が、女子アナになる努力をしないんだったら、野球選手と結婚した女子アナを妬まない方がいいんじゃない?ってこと。女子アナや、野球選手の嫁になれる、なれない、じゃなくてね。実際、嫉妬って、自分と同じくらいか自分より下の立場の人間に起こす感情なんだよ。ブスのブランド品より美人の大量料品店の服なんて失礼なこと言って拗ねて僻んでるってことは、実は、美人のことを自分と同じくらいか自分より下の立場の人間だと認識してるってことだよ。ブランド品の服が欲しくて、いろんなブランドの中から自分でブランド品を選んで、自分で働いた御金でブランド品の服を買う人が醜いかい?それに、大量料品店の服がブランド品より価値が低いような言い方をしたところで、僕らのほとんどが大量料品店の服の会社を起業出来もしなければ、企業として維持も出来ないだろう?何もかもが自分より低いと思ってるなんて、認知の歪みじゃない?それでいて、誰かに『選んでもらおう』なんて、自分が若さ以外はノーブランドだって自覚はある行動取って、駄目だったら拗ねて。矛盾の極みじゃないか。そろそろ、文句を言うのは別にいいけど、美人と同じ土俵に上がる努力をしてみない?寝転がって『お腹空いたなー、痩せたいなー』って言ったって、何も変わらないのに、その状態のままで、ジム通いして努力してる芸能人を妬んで叩く人間が多過ぎるよね。女子アナだって、大学受験したり海外留学して語学力を磨いたり、エステ行ったり、政治の勉強したり、とか、してると思うけど?」
嫌だな、『人間は平等じゃない』とか、この世の真実を伝えてくるミッキーマウス。夢の国とは逆ですよ。凄いよな、説教臭い、んじゃなくて、『説教』そのものを言ってくるミッキーマウス。
それに、その流れだと、素材の良い人間に努力されると『勝負の途中で慢心せず、眠らなかった兔と、自分の歩みが遅いことに文句ばっかり言って途中休憩が多かった亀の競争』になりそうで、本当に聞きたくない話になりそう。
…ええ、イケメンと美形も、ジム通ってプロテイン飲んでましたしね。
…あー、あー、聞きたくない、そんな不都合な真実。
玲那は「だから」と言って、声を詰まらせた。
気の毒になってきたな…。ごめんね、ミッキーマウス教授の相手なんかさせて…。
「…だから、可愛い格好して、髪とかメイク頑張って」
「身嗜みは基本事項だろ?プラスアルファが無いと。小綺麗で可愛くて若いだけじゃ、同い年の子と、あんまり条件が変わらないじゃないか。どうやって差別化するんだい、他の子と」
…そっか、赤Tには、『身嗜みは基本事項』って言わない優しさの代わりに、理容代を奢るという優しさを発揮したわけですね。身嗜みを基本事項に出来る才覚のある、この子には、はっきり言う優しさの方を選択したみたいだけど。
おっと、まるで赤Tには、身嗜みを基本事項に出来る才覚がないみたいな…。
真理って、時に暴力的ですよね。
意外にも父は、それから、「視点を変えれば良いだけだよ」と、優しく言った。
「誰かの基準に合わせて、誰かに『選んでほしい』って期待するのをやめればいいんだよ。他人に期待しないんだ。『君が』選べば良い」
「…でも…。だって、そんな、自信無い。選んだって…付き合ってもらえるか分かんないし、良い彼氏を自分で選べるか分かんないし。お姉ちゃんだって、あたしになんか、出来っこないって…。高校だって、第一志望落ちて、私立の滑り止めだし…。ただでさえ、お嬢さん学校で、金食い虫って言われて。お姉ちゃんは公立だったのに…。可愛くて頭が良かったら、自然に、『良い』人に選んでもらえるだろうけど」
「『良い』人なんて、二十歳かそこらで、おいそれといるもんかい。まだ出会ってもいない『良い』相手を理想化して、そんなに卑屈になるもんじゃないよ。人間皆、寝起きは口が臭い、くらいに思いなよ」
…そこまでの真実を突き付けなくとも。
如何に現実でも、夢くらい見させて?
「君だって、うちのゼミ生引っ掛けられる程度には外見が良いって、自信持ちなよ。あと、それねぇ、『お姉ちゃんの視点』なんだよ。『良い彼氏』って、お姉ちゃんの価値観。君のじゃない。要は、君のお姉ちゃんの鼻を明かせる彼氏が欲しいんだ。君が『好き』な人なわけじゃない人に、『選んでほしい』って思ってるんだよ。変じゃない?『君が好きな人』と付き合えば?それに、まーだ『付き合ってもらう』って言ってる。…付き合ってもらわなきゃ、ゼロなの?片思いだって、恋愛じゃない?『本当に好きな人を見付ける』とかって、君にとっては、全然駄目なこと?勉強だか、彼氏だかで、お姉ちゃんの鼻を明かすことだけが、君の人生なの?」
「あたしの、人生…」
規模がデカい。『人生』って。
だから、高校生相手には、あんまり、そういう、飲み込み難いサイズの話を突き付けないであげてよ。噛み砕いてあげて。
「学びなさい。何でも良いんだ。料理だろうが、何だろうが。努力して得た技術や知識は、誰にも、そう簡単には取り上げられない。奪われないから」
「奪われない…」
そうなんだろうな。『奪われ』続けてきたんだろうな、この子って。自尊心とか、自信とか、自分なりの価値観を持つ機会、とかを。だから、他人に、それらを補強してもらいたくなったところで、この子だけのせいじゃないと、俺は思うけど。
「君は、本当は、何が好きなの?」
「本当は…旅行に行きたい、沢山」
おお。
何か、今日、この子の口から初めて、『良い言葉』が聞けた気がする。
父も、「良いじゃない」と言って、褒めた。
…うん。良いと思う。急に、何か、『千伏玲那』という子の『他の同い年の子との違い』が、クッキリ見えてきた気がする。
「マチュピチュとか、知らない、いろんなとこに、行ってみたい。…お姉ちゃんと、顔合わせなくていい所。知らない景色を見て、美味しい物食べて。…でも、お姉ちゃんが、あんな空気の薄い所に、あたしが行けるわけない、って…」
「それは、真実?」
「…え」
「『マチュピチュに行く』為に必要なのって、旅費とパスポートじゃない?高山病の心配なんて、ペルーに入国した後でも良くない?それが君に可能か不可能かの基準って、『お姉ちゃん』が決めるんじゃないだろ?因みに、ペルーの公用語は?」
「…公用語?」
「スペイン語とかケチュア語とかだろ?『マチュピチュに行きたい』のに、現地の人達が話してる言葉も知らない方が、問題が無い?ヴィジョンが無さ過ぎなんだよ。ガイドブックくらい買った?絶対書いてあるよ、公用語が何かくらいは。実現に必要なのって、『お姉ちゃんの視点』じゃなくて、貯金とスペイン語の勉強じゃない?英語でも構わないけど。『叶うわけない』って思い込んで、可愛い服や美容室や化粧品に御小遣い使って、旅費の貯金はゼロ?想像して御覧よ、自分の価値観で全部を選んで、バックパッカーとかでもいいから、世界中旅行して、あっちこっちに友達が出来た自分を。英語だって現地語だって自然に上達するだろうし、何なら現地で彼氏作って帰って来なくたって良いだろうし。そうしたら、『お姉ちゃん』なんて本当に関係ないし、『お姉ちゃん』の鼻だって、自然に明かせると思うけどね?」
現地で彼氏。このヤバい父親の話の全てに肯首する訳にはいかないですが。…そっちの方が、『お姉ちゃん』を気にしてる『千伏玲那』より、魅力的に聞こえるのは確かだな。少なくとも俺の価値観では。
「もし実現したら、誰にも取り上げられないと思うよ、それを君が成し遂げた事実は。『自力で海外旅行が出来るように努力して勉強する自分』と、『誰かの本命の彼女にしてもらう自分』、どっちが好き?」
玲那は、目を見開いて、黙っていた。
Magdalenaが、本当はどういう存在で、本当に悔悛したのかは、俺には知り得ないけども。
この子が、海外旅行を成功させた話は、ちょっとだけ、聞いてみたい気がした。
一先ず、通報されなくて良かったな、ミッキーマウス。事情と結果は如何あれ、頼むから、二度と女子高生を追い掛けないでほしい。
意外にも素直な声で、玲那は言った。
「旅行成功するか、とか、全然、分かんないけど…取り敢えず、彼氏と別れたのを、誰かのせいにするのは、止める。…なんかホント、喋ってても、上手くいかなくて。こっそり見ちゃったけど、パチンコ行ってほしくない、とか、変なオジサンと会わないでほしい、とか、最後の電話で、いろいろ言ったけど。別に、相手が、あたしじゃない子のことが好きだったって、そうじゃなくたって、そういう、あたしが許せないことを変えてくれなかったのは、事実だったんだから。多分、これ以上は、続かなかったんだと思う」
パチンコ、というワードに、父は、慌てて「聞かなかったことにするねぇ」と言った。
…あー、そういうことか…。
噛み合うわけないよな。
この子が『パチンコに行ってほしくない』って、高校生の彼氏に言うのは、別に、間違ってない。正論だ。
でも多分、優将にしてみれば、『優等生風にしない』っていう乙哉さんの『発明』なのであって。そして…。乙哉さんが、優将にとって、大事な人なのであって。『会わないでほしい』って言うのは、乙哉さんの存在の否定に繋がるから。
もしかしたら、ミスって振られなくても、昨日、優将から、別れを告げてたりして、と、何となく、思った。
でも、噛み合わないなら、それで良かったのかもしれない。別れた方が正解なことってあるんだなって、何か、学んだ。
そして、やっぱり、正論は、正解じゃないんだ、って。
あと、神様仏様、『ハンバーガー喰う理由にされてた』という件を、この女の子に気づかせないでくださって、そこは、本当に、感謝しております。