預かり物の謎:Down,down,down.
『くすぐったいよ、ふざけないで』
あの人は、今考えると、よく、『私』を触った。
どこを触られたのかは、思い出せない。
顔が多かったのは確かだ。
あの人は『私』の『顔』が好きなのだ。
あの人も、綺麗な顔をしていた。
自分にも男の子がいる、と言っていたが、会ったことは無かった。
あの人は『私』が怠くなるまで、『私』を描いた。
『もう疲れたから、いい加減、止めようよ』
『私、知らないよ、お父さんに叱られるから』
父の名を出すと、あの人は、よく笑って、『私』を描くのを止めてくれた。
明るくて、引き笑いをする人だった。
何をされているのかも、何をする気なのかも、相手を自分が、どう考えているのかも分からなかった。
何で、そんなに、『私』を描きたがるのかも。
あの人から、『どこへ行く』と、よく、声を掛けられた。
蔵だと言いたくなくて、そういう時は、走って逃げた。
愉快そうな、引き笑いが、背後から聞こえるものだった。
あの時も、あの人は、私を驚かそうとしたんだと思う。
子どもっぽい所のある、明るい人だった。
私を驚かして、明るく笑うつもりだったんだと思う。
あの引き笑いをして、私に、『ふざけないで、うっとおしい』って、言われたかったのかもしれない。
どういう関係だったのかは思い出せないし、どういう関係でもなかったんだと思う。
ただ、きっと相手は、何か『私』と秘密を共有したくて、子どもっぽい行動に出てしまったんだと思う。
嫌いではなかった。
ただ、相手からどう思われているのか分からなかったし、相手も、自分が『私』を、どう考えているのかは、分からなかったのかもしれない。
『私』を、どう考えていたか、なんて、気づかない方が良いのだ。
ただ、『男の子の父親』で『絵を描くのが好き』であれば暮らしていけるのに、そんなことに気づく必要はない。
あれは事故だった。
『私』は、あの人のこと、何とも思っていない。
でも、蔵に行かないと、どこに、あの子がいるのか分からない。
どの蔵か分からない。
どの『家』か分からない。
蔵に行かないと、あの子と遊べない。
泣いてるからねえさん、って声掛けても、誰も聞こえない。
大好きだから兄ちゃん、って声掛けても、抱っこしてくれない。
『つまらないことを言うな。手を出すな。俺は、こうするより他に、仕方がないんだ』
お父さん、兄ちゃんがかわいそう。
燃えてる。
夜の火事は怖いよ。雷様の方が良いよ。ピカピカで。まぶしいだけだもん。
兄ちゃん、かわいそう。
あの子は、どこだろう。
真っ暗だね。
夜の火事が、赤くて。まぶしいだけじゃなくて、熱くて。
あの子が、いない。
「もう寝る?茉莉花」
優将が、ダイニングテーブルでウトウトしていた私に、声を掛けてきた。
「あ、休憩、終わり?聞く」
また、抑揚の無い声で「皆、物好きねぇ」と優将は言った。
高良は、既に、郷土資料を持って、さっきの位置にスタンバイ状態だったから、高良ほどじゃないけど、自分も、「物好き」って言われたら、否定は出来ないな、と思った。
楽しい話じゃないことは確かなんだけど、眠気をおしても、聞いておかないと、って思っちゃって。
優将は、ソファーの上で眠っている歴史さんを起こさないように、そっと、隣に座ると、翻訳した内容が書かれた紙の束を捲った。
「まー、胸糞。ですが、ここからが肝心ですよ」
高良が「どういうこと?」と言った。
優将は無表情で言った。
「胸糞悪いわー、とか、悲しいわー、って思うと、感情で目が曇って、要素が見えなくなっちゃうの。フラットに、ドライに見て行かないと、生きていけないでしょ。感情にどれだけ流されないか、って、大事なんです。今だけ、共感のスイッチを切りましょう。無理にとは言いませんけど。俺は、酷いことも言います。じゃ、まず、『サトさん』ですねー」
高良が「そこから?」と言った。
優将が「最重要人物でしょ」と言った。
「登場人物の中で、最後まで途中退場しなかったの、『サトさん』だけなのよ。で、何か、めっちゃ良い人じゃん、というか、『良い人に書かれてる』じゃん、『サトさん』って」
高良が「あ」と言った。
「『良い人に書かれてる』のか、書いた奴の主観で」
「そーそー、少なくとも、書いた奴は『サトさん』を味方だと思ってるし、男の子と女の子が死んだのを悲しんでんのも、これを書いた奴と『サトさん』と『甲造さん』だけなのよ、出てくる限りでは。ちょっと、えっと。飯盛女って?文脈的に、良い話じゃないね?」
高良が、言い難そうに「売春婦の場合もある」と言った。
ああ、…“commercial sex worker”ってことか。
優将は「明言を避けて偉い」と言った。
「で、サトさんってのは、『訳ありの女寡』なんだろうけど、これ、周りに知られてたのかね?」
高良が「と言うと?」と言った。
「『元の生まれが良く、教養があるので、父が、妹の身の周りの世話をするように、女中として雇った』んだろ?没落したとは言っても、売春紛いのことをさせられてた、って周りに知れ渡ってたら、娘の教育係に抜擢する?」
「あー、雇い主には白状した、くらいのことで、苦労人だ、とか吹聴してなかった可能性もあるのか」
高良の言葉に、優将は「そういうこと」と言った。
「少なくとも売春紛いのことをさせられてました、とは、自分からは言わなかったんじゃない?でも『父が手を付けないように、気に掛けていた』ってことは、まぁ、下働きに手を出した様に、使用人には、そういうことをして良い、と思ってるおっさんだったか、『売春紛いのこと』をしてたんだったら、手を付けても変わりあんめぇ、くらいの感じだったかも、と」
私が「酷い」と言うと、優将は「俺は、酷いことも言います、って言ったでしょ」と言った。
「売春紛いのことをさせられても、馴染みの客が一緒に逃げてくれて、そいつに死なれても、村の名士に『教養がある』って雇われ方してる、ってことは、結構美人で、…字くらい、書けたのかもね、当時としては、結構凄かったんじゃないの?『サトさん』って。この後、どうなったかは書かれてないけど。考えようによっては、『サトさん』メインと言っても良いくらいじゃない?この本。…『サトさん』の生い立ちは、やたら書いてあるのよ、故郷の話とか。もう、書いた奴の父親の名前も、母親の名前も、父親の後妻の名前も、下働きの名前も、何なら、書いた本人の名前も書かれてないのに。『後妻』は、これを書いた奴の『義理の母親』で、『自慢の妹』を産んだ『母親』なのに、書かれ方は後妻。下働きは、『弟』の『母親』なのに、書かれ方は下働き。自分の母親のことも正妻としか書いてない。俺は…あからさまだと思ったけど。『サトさん』って、『甲造さん』より、登場回数が多いのよ。…なんでわざわざ書いたのかしらんけど、他のことは書いてないのに、『父親にサトさんとの仲を疑われて大変面倒』なことは、書いてあるのね…っていう。まー…、こんなんは、掘り下げても仕方ないから、流しましょ」
高良は、キョトン、として、優将の指摘を聞いてる。
…こういうの、苦手なのかな。
案外、『俺』という人も無自覚だったのかも、そういう感じは、読んでて受けなかったから。
私が「はー」と言って感心すると、優将が「サクサクいきますよ」と言った。
「まー、あれね、『お香さん』ね、次は。…意外に、この人って、情報が無いのよね。『俺』も、好きは好きなんだろうけど、何か、外から偶に来る人だからなのか。『俺』は、木曽から来る『お香さんの対応』をしてた、ってわけね。…父親が『お香さん』の対応したのって、実は、『焼けたから返せなくなった』っていう時だけ…?で、『数えで十八歳』。適齢期ってことかな?」
高良が「そうかも」と言った。
「何なら男性の『数えで二十五歳』は、今の二十三歳から二十四歳。当時の男性の平均結婚年齢が二十五くらいだったから、これも適齢期だね」
「…あー、一番身近な、適齢期の娘さんってことねー。で、『両親の名代で、来てくださる』ってのは結局、『美以教会』に行ったついでに木曽から来てて、『様々なことを教えてくださる』って…宗教勧誘としか、俺には読めないから、飛ばします」
私が「そうだとしたら、ちょっと可哀想」と言うと、優将は「そう?」と言った。
「仲間になってくれたら、『預かり物』の宗教的な素晴らしさが分かって、返してくれるかもしれないと思ったら、『一緒に讃美歌を歌いましょう』とか『教会に行きませんか』くらい、言うでしょ~。親に言われて来てるんなら、尚更よ。『俺』も『蔵にあるもののために来てくれている』くらいは分かってんだから。ほら、『可哀想』とか共感してたら終わらないから、次」
高良が「あのさ」と言った。
「子どもを守ってくれるかも、みたいな書かれ方、してただろ、『預かり物』。あれって、どう思う?」
優将は「どうって?」と言った。
「そのまんまじゃない?」
高良は不思議そうに「そのまんま?」と言った。
優将は「んー」と言った。
「…えーっと。じゃあ、言います。『蔵の中に神棚がある。子どもを守ってくれるのではないか、と思っている』。『蔵の中に仏像がある。子どもを守ってくれるのではないか、と思っている』。『蔵の中に御札がある。子どもを守ってくれるのではないか、と思っている』。どう?」
高良が「あー」と言った。
優将が「でしょ?」と言った。
「何か、取り敢えず『良い』物が置いてあったら、良いのよ。『悪い』物じゃなきゃ。『子どもに悪いことが起きるかも』とは書かないんじゃない?これだけじゃ、何かは分かんないのよ、別に。…もっと言えば『俺』が『預かり物』を見たことがある、とも、書かれてないのよ。『返せぬ有り様になったのであれば、捨てるなりすれば、と思うが』って、少なくとも『返せぬ有り様になった』とは確認してないっぽくない?」
高良は「あー…」と言った。
「バイアス掛かってたかも!そうだね、茉莉花さん、これ、フィルターかもしれないね。俺『マリア観音』のことだとばっかり。像になる時は、白衣観音の姿が元にされることが多いんだよ、子どもを守ってくれる。ああー、そうなんだ、そうかも」
あ。
…あの時落ちてきたのって…?
私は、ぼんやりしかけてから、優将の声で、ハッとした。
「『返せぬ有り様になった』ってのも、変なのよ」
高良は「血染めになったから返せない、ってやつ?」と言った。
優将は「そうそう」と言った。
「何で返せないのよ。大体、返す気なかったじゃん、『俺』が言うことが本当だったら。『父』にとっては単なる金蔓だったんだから、実物の状態がどうだろうと、のらりくらり、返さなきゃ良かったのに。見せなきゃ、状態なんて、バレやしないんだから。なのに、『血染めになったから』返せないって言い出してるじゃん。隣の火事で延焼して燃えてなくなった、とか、嘘ついてまで。しかも『血染め』になる素材って何?洗えば良くない?結果、綺麗になったんなら、『血染めになった』とか、相手に、わざわざ言わんでもいいでしょう。あとは…返すんだったら壊れていようが、血染めだろうが、サッサと返せばいいのよ。極秘で、幕末から明治の宗教弾圧中に、多少の危険を伴いながらも預かってたんだから、相手も感謝してたろうし、賠償の義務もないでしょうに。何なら、『返せなくなった』っていう、この話が一番変でしょ」
…確かに。
高良が「御手上げ」と言った。
「頭、回らなくなってきた。…ごめん、優将は、そのことについて、どう思ってるの?」
優将が「ほらぁ」と言った。
「寝ないからですよ。睡眠不足でブロック遊びしようなんて、車作ってたらサグラダファミリアになっちゃってても可変しくないんだから。最低でも六時間は寝ましょう。…ま、それは、さて置き。飽くまでも俺の考えだけど。…『金蔓』から『金は貰わなくてもいいから返したくない物』に変わったってことよね、何かの切っ掛けで。『父』の弁を信じるなら、『血染め』になったから?…それか、『血染めになった』タイミングで、何かが判明した、とか」
優将が「もっと言うと」と言った。
「『子ども達は、遊んでいる場所の真上にそんな物があるとは知らない。子どもを守ってくれるのではないか、と思っている』ってのも、変じゃない?」
高良が「変?」と聞いた。
優将が「思い出してみて」と言った。
「何かの拍子に、『梁から落ち』るような感じで隠されてるのよ。無造作、っつーか。…上見りゃ、見えないわけ?まー、暗い、とか、あるんだろうけど。ビャクエカンノン?みたいなのが、なんか、こう、見守ってくれてる感じで遊んでる場所の真上にあったら…気づかん?少なくとも、大人が真上を見ても分かんない感じで隠されてるけど、何かの拍子に、『梁から落ち』るくらいの隠され方しかしてなかった、と。…じゃー、派手な見た目をしていないか、若しくは」
あ。
駄目。
高良に「茉莉花さん?」と呼ばれた。
「顔が真っ青だよ、今日は、もう、止めよう?…優将、後は、俺の部屋で」
優将が、「分かった」と言った。
「うん」とだけ、返事した。
もう寝た方が良い、って、自分でも分かった。
明日は、瑠珠に会って。
…現実に戻って。
友達のいる、『十七歳の私』に戻った方が、良いって。
あの時、落ちてきたのは。