慧から聞いた話の謎:Who Stole the a hidden treasure?
ソファーの上で、膝に歴史さんをのせながら、翻訳した文章を読み終えた優将は、「…うっ」と言った。
「えー、で、何、これを読むと…何かあるわけ?」
優将の足元に、郷土資料を持って、胡坐を掻いて座ってる高良は、左手で白いTシャツの腹側の皺を伸ばしながら、右手で歴史さんの頭を撫でて、「原因は分からないけど」と言った。
「少なくとも、俺は、あの和綴じの本が家に来てから、男女の座敷童っぽいものが見えるようになっちゃって」
「…翻訳して本を返したら元に戻るか、内容を翻訳しきったら、座敷童が見える、という霊障が治まるかと思ってたけど、内容を全翻訳しても変化がなかった、と」
優将の言葉に、高良は、静かに「そうなんだ」と言った。
高良に代わって、優将に頭を撫でられていた歴史さんが、気持ち良さそうに、目を細めた。
「何で見えるようになったか分からないから、何をしたら治まるのか、分からなくて。単純に、本を返したから元に戻るって気もしないんだよ、父親の大学の研究室に置いてて、コピー取った時は、家に無かったけど、別に解決してないし。まー、持ち主の手に渡せば、解決する可能性もあるけど」
優将は「今更、本を返すくらいで解決するとは、お前は思ってないわけね」と言った。
高良は返事をしなかった。
私は、ダイニングテーブルの椅子に腰掛けて、ホットミルクを飲みながら「私は見えないよ」と言った。
「前、何か、見えたかなー、って思ったのも、気のせいだったっぽいし。だから、内容を翻訳したから、とか読んだから、とかが原因じゃないと思う」
「そう、家に本が来たから、みたいな理由だったら、両親、若しくは、依頼者だって見えてていいはずなのに、そういう話も、聞かされてないだけかもしれないけど、無いみたいだし。でも、結局、このままでいる訳にもいかないから、和綴じの本に書かれていたことを調べてみようかなって」
私は「それでフィールドワークなの?」と言った。
優将が「それで座敷童を調べようってのね」と言った。
高良は、「それだけじゃないけど」と言った。
「あとは、この、中に出てくる『預かり物』だよね。これが、俺と父さんの見解が、ほぼ一致してて。多分、まだ、O地区の降籏本家の蔵を探せば、出てくるかも、って。それは、この地域から出るはずのない文化財のはずで。座敷童にしても、その文化財にしても、個人的に、学術的にも興味が高まってて。だから、親が金出してくれるって言うから、フィールドワークに行って、実地調査しようかと」
私が「そうだったんだ」と言うと、優将が、「文化財か」と言った。
「で?お前と、とーちゃんの見解は?」
高良は、困った様に、私の方を見た。
「…茉莉花さん、これ以上は怖がらせるかもしれない。だって、…『和綴じの本の中に出てくる小さい子』の上に落ちてきた物が何だったか、って話をしないといけなくなる。『死んじゃった』ら、怖いだろ?」
…あ。
私は「うん」と言った。
「…でも、聞きたい。怖くないとは言わないけど。高良だけ怖いのは、やっぱり、嫌なんだ。私が聞いたからって、何か変わるわけじゃないんだけど」
高良は俯いて、「有難う」と言った。
「結論から言うと、多分『預かり物』は、木曽のマリア観音」
…ん?
「宗派が美以ということは置いておくとして、教会、木曽、などの言葉から、宗教弾圧されていた頃に、隠れキリシタンが、マリア観音を、降籏本家に預けていた、というのが真相なんではないか、と。木曽だと、宿場町ということもあって、長野の物ではない物も流れ込むだろうから、そういう意味でも、宿場町から流れた物が預けられていれば、父さんの言う、『A市のO地区なんかで見つかるはずのない物』というのは当たってると思うんだ」
優将の膝の上にいる歴史さんは、微睡み始めてる。
優将が、怪訝な顔をして、言った。
「あー、その、転んだ信徒ってやつか、江戸末くらいに」
高良が「あ」と言った。
優将が「そうだろ」と言った。
「最近俺達は、マリア観音の話を聞いてるんだよ」
…どこで、そんな話、聞いたんだろう。
何か、私も、教えてもらえてないこと、結構あるのかも?
高良は「そうか」と言った。
「伝手で、どっかの村に隠してもらったらしい、って言ってたよな。…あの話か?」
…誰が?
優将は「逆だって」と言った。
「逆?」と高良が言った。
…確かに、何の逆?
全然分かんない。
「お前、あの話に引っ張られてるんだ、多分、無意識で。とーちゃんの見解はともかく、お前の見解は、あの話を聞いたから出たんだ」
高良は、キョトン、とした顔をした。
優将は、歴史さんを撫でながら、言った。
「あの話が無関係だとは言わない。寧ろ、そうそうある話じゃないから、無関係じゃないとは思わないが。俺は、『預かり物』がマリア観音だとするのは早計だと思う」
…優将?
何か、凄く、大人っぽい話し方、してない?
高良は、「と言うと?」と、驚いた様に言った。
優将は「『書かれていること』と、『書かれていないこと』、に、分けて考えてみよう」と、キッパリ言った。
「先入観があると良くない場合がある。あの話は一回忘れて、フラットに文章を読んでみたら、可変しなことが、いくつもあるぞ」
高良は、ハッとした顔をして、言った。
「『絶対に、自分の先入観で、同じものか違うものか、断定してはならない』って、父親にも言われてたのに…。そもそも俺は、木曽に先入観があったのか?」
「いや、それは、大学教授の父親も、多分マリア観音っていう見解なんだろ?マリア観音、という見解に至ったこと自体は寧ろ、誇ることだろうけど。もっと言うと、あの話自体も可変しかっただろ?」
私が「あの話って?」と言うと、高良が、ハッとした顔をした。
「あ、ごめん。茉莉花さんは知らないよね。前に学校で、慧の母方のお祖母さんの、木曽の家の話を聞いたんだ」
「慧の?」
里歌さんの御実家の話か。
「そう、慧のお祖母さんの実家が木曽路で、隠れキリシタンをしてて、見つかって、転んだ、つまり、転教、改宗を迫られたらしいんだ。江戸末くらいかな?それで、マリア観音かなんかを持ち出して、伝手で、どっかの村に隠してもらった、って」
そっか、縦軸が宗教で、横軸が民俗、って、高良、言ってたっけ。
そうだね、宗教弾圧だって、本当にあったことなんだ。
人が、沢山殺されたんだ。
誰も、もう、『見ない』だけで。
優将が「そうそう」と言った。
「あの時点でも『マリア観音かなんかを』って話で、『マリア観音』とは断定してないんだよ」
高良は「確かに」と言った。
「その…禁教じゃなくなってから、偶然、明治の頃、A市のメソジスト派の教会の信徒になったらしいんだよ、慧のお祖母さんの一家で。で、苦労して、日曜礼拝に通ったって」
「あー…。そうすると、和綴じの本との記述は合うんだね?」
お香さんが木曽から、日曜礼拝のついでに通ってくれてた、みたいな話?
私の言葉に、優将が「合うんだとしても」と言った。
「…まー、じゃあ、仮説を立ててみよう。和綴じの本に出てくる『預かり物』は『慧の母方の祖母の家の物』であり『隠れキリシタンの持ち物』であり『マリア観音』である、と」
優将、仮説とか、言うんだ…。
何か、知らない一面を見た気もする。
…いや、美術館の時と同じか。
優将が、私に見せてくれてる姿って、若しかしたら、選んで見せてくれてるものなのかもしれない。
そんなのは普通だ。
私だって、友達や水戸さんといる時の顔と、幼なじみといる時の顔って、微妙に違うんだと思うし。
…でも、何か、知らない人みたいで、ちょっと、悲しいような気もする。
何で、そう思うのか、分かんないけど。
高良が、「そうか」と言った。
「父さんは、明言を避けてる…?」
優将は「そうなんじゃない?」と言った。
「多分、って言い方してたんだろ?やっぱ、流石だよ。『A市のO地区なんかで見つかるはずのない物』って言い方しておけば、外しても、逃げ道もある。とーちゃんは、慧の言ってた話も聞いてないんだし。そういう意味じゃ、先入観も無いけど、材料も俺等より足りないのかもね?さて、じゃあ、今、検討しとくと良さそうな材料は、『慧から聞いた話』、検討が出来る材料は、『和綴じの本の記述』だな。そして、これは、さっきも言ったけど、『書かれていること』と、『書かれていないこと』、に、分けて考えるのが良い。この、三つ、かな」
スラスラ、そこまで喋った優将が「どーする?」と言った。
「こんな話してたら、確実に、日付変わるぞ。本当に聞く?皆」
高良は、「聞きたい」と言った。
私も「聞く」と言った。
優将は、無表情で「台風の夜にムズカシー話が聞きたいなんて物好きな人達」と言った。
「あとねー、ロジックは組んであげられるけど、材料が足りない分は、俺じゃ、どうにもなんないから。それこそ、実地で調べるなり、図書館に行くなり、検索するなり、してくださいな。俺に向いてて、俺が出来る話は、こんくらい」
高良が、「まずロジックを組めるのが凄い」と言った。
私も、そう思う。
優将は、抑揚の無い声で「あのねー」と言った。
「凄くはないって。たかだか、出てる材料からの組み立てをするだけですがな。レゴ組み立てんのと同じです。ブロック遊びね。ロジックとロジックを、好きにくっ付けると、何か、形が見えてくる気がするだけ、ですよ。車に見えたら車、って言って、恐竜に見えたら恐竜って言う、みたいなことです。リクツトコウヤクハドコニデモツク。何かの形に見えたからって、過信はいけません。…まぁ、偶々上手くいくと良いですね、と。俺も、大学教授を見習って、明言は避けさせてもらいますわ。さて、『慧から聞いた話』に行きましょうか」
うっ。
…何だろ、聞いちゃう。
グイッ、って。
…こういうのを、見せないでくれてたって、ことなのかな。
知ってたつもりだったけど、本当は、すっごく、頭が良いのかな、優将。
「さて、そもそも論、いきますよ」
優将の言葉に、高良が「そもそも?」と言った。
「はぁい、そもそも、です。何か話をする時の慧の信頼度って、どのくらいなんだ、って話なんです」
…高くなさそー。
高良も、目を伏せて言った。
「優将さぁん、それを言い出したら、身も蓋もないでしょうよ…」
「何で?『話』の内容が大事なのに、『その話をしてる奴』が信用ならんかったら、どうにもならんでしょうよ。ハシニモボウニモカカラヌとかまで言いませんが。あのですねー、『要素』で考えないと。『友達の話だから信じよう』なんて、『情』を入れないんですよ、要素には。だからブロック遊びだって言ってんです。実際は、話をした慧と、その話を聞いた人間の関係性とかで、いろいろ変わってくるんでしょうが、そういう外乱は考慮しないんですよ。あ、『友情を外乱って言うな』って?それはねー、優し過ぎるってもんですよ。情に厚かったら、こんな、温度の無いブロック遊びは出来ませんからね。要素で考えて、要素をブロックにして、ロジックを組んでいくんです。まだまだ、温度が高い」
高良は「まだ何も言ってないんだけど」と言ったけど、優将は「いーや」と言った。
「お前は、頭が悪いから気づかないんじゃなくて、優しいから、情で、要素の抜き出しを誤っちゃうだけ。フラットに聞いたら、絶対、俺より、歴史や文化のことは分かったはずなんだ。お前の頭が悪い、なんて謙遜、俺は聞かねーから。ロジックは、ブロックって言い方しましたが、まー、建物の基礎とか、骨格だと思ってくださいよ。それがガタガタじゃー困るんです。情に目が曇ると、簡単にガタガタになりますよ。出来上がったレゴの恐竜さん、立ってくれません、それじゃ。良いですか、ロジックを立てる時は、もうちっとセルフィッシュになりなさい、優し過ぎる、高良は。これを言ったら、これをやったら、誰かを傷付けるかも、みたいなのは、基礎が完成してから見直しても遅くないでしょうよ」
外乱とか、セルフィッシュ、って、なんだろう。
…あー、何だろ、自分が人間関係とかで、グッチャグチャに悩んでた時に、幼なじみは勉強してたのかも、とか思うと、打ちのめされる。
「さて、そもそも論。あの話って、慧の実体験でも何でもないんですよ。ばーちゃんからの又聞き、最悪は、親とかが、ばーちゃんから又聞きしたの更に又聞きした話ですわな。その話の信頼度ってどんくらい?俺、かなり割引して聞いた後、検索しちゃいましたわ」
高良が「検索したの?」と言った。
それは私も、ちょっと意外だった。
暑かったのか、歴史さんが、優将から離れて、ソファーの別の場所に寝直した。顎のところで、ポヘッとか、パチッ、みたいな、歯が合わさるような音がした。こんな時だけど、可愛くて、ちょっと可笑しかった。
優将が、ちょっと複雑そうな顔をしたのが、余計、面白かったけど、笑うのは我慢した。
「や、だって、変だったんだって、あの話。マリア観音って、いろいろあるじゃん、鏡だったり、白磁で出来てたり。で、木曽のって、石なんだよね、分かった限りだと。地蔵とかに似せてんの。で、寺とかに残ってる。だもんで、マリア観音を、どこかに預けたにしても、どういう形だったのかは分からん、というのが一つ。あと、見つかって、転んだ、って、本当なのかな、というのが、そもそもの話」
高良が「おー?」と言った。
優将が「あのさ」と言った。
「木曽のО村って、まだ残ってるじゃん、隠れキリシタンの証拠が、寺とかに。じゃー、仮に見つかったんだとしても、実は、転んでないから、残ったんじゃないの、という話で。で、一つの家だけ発見されて転ぶ?ああいうの、集落ごとじゃないの?あんまり聞かんくない?個人の家だけで、って。…で、転んでからじゃ、隠せなくない?全部バレてんのよ?普通、見つかる前に隠すし。じゃー、転んでから作った物、とかなん?あの話、時系列も、よく分からんのよ。それか、時系列が合ってるなら、見つかっても、キリスト教徒の物だとは、傍目には分からなかった、ってことだろ。仮にマリア観音だったとしても、少なくとも、見てすぐ分かる形のマリア観音じゃなかったんでは?で、もっと可変しいのは、『伝手で、どっかの村に隠してもらった』って話と、わざわざ、元がカトリックか何か知らんけど、メソジスト?に改宗してるって話よ」
私が「ほぼ全部、可変しいの?」と言うと、優将が、「そりゃね」と言った。
「あのー、集落単位のことが多いんでしょ?だから、特定の地域に残りがちなんであって。離島とかなら分からんけど宿場町よ。そんな、地域で協力してそうな土地柄でねぇ、なーんでそんな、『伝手で、どっかの村に隠してもらった』って子孫に言ってるくらい、ハブられてんの」
高良が「…村八分?」と言った。
優将は「そこまでは明言せんけども」と言った。
「周りと同じ宗教に、近所づきあいでしとけば、О村ではやってけたでしょうよー。なーんで、わざわざ、メソジスト派になる必要、あった?そんで仮に、他所に預けたのがマリア観音だったとしても、転んじゃったからって、何で、そんなに、周りに協力してもらえないわけ?…何か、変でしょ、この話」
「何か、聞いてると、…慧の家の方が、裏切り者、みたい?」
私の言葉に「明言は避けます」と優将は言った。
「はい、次。『隠れキリシタンの弾圧』」
私は「待って」と言ったけど、優将は「巻きで行きますわ、何時に寝るつもりなん」と言った。
私が黙ると、高良が、「優将」と言った。
でも、優将は「お前が後で説明してやれば」と言って、続けた。
「隠れキリシタン摘発があったら、記録が残るんですよ、そうでしょ?御役人にしたら飯のタネなんです、要素だけ抜き出して、温度の無い言い方をすれば。手柄だから。歩合制かは知らんけど、何人捕まえた、とか、綺麗にメモして報告するでしょうよ、雇い先に。今で言ったら公務員かね?…やー、やっぱり、一軒だけ摘発、って、ありますかねー?御役人大勢で来て、集落中をガサ入れしませんかね?じゃなきゃ、一軒だけ告げ口されるくらい嫌われてて、やっぱハブられてたんですわ。で、ですよ。集落一帯が摘発されてないから隠れキリシタンの証拠が寺とかに残ってんだろうな、というのは一回置いておいて。木曽に関係する、大規模な隠れキリシタン摘発、御存知で?」
高良が「あ」と言った。
「濃尾崩れ…?」
優将は「そー、江戸初期よ。流石に時代、合わないでしょ」と言った。
「そんなわけで、『慧から聞いた話』が、既に、これだけ可変しいのよ、『和綴じの本の記述』に関係あっても、なくてもね」
高良は、ハッとした顔をした。
「それに引っ張られてた、ってことか、俺」
優将は「俺から見たらね」と言った。
「…だもんで、出来たら、慧より、慧の親、若しくは、木曽で話が聞けた方が、良さそうだけど。流石に、こればっかりはね。さー、次は『和綴じの本の記述』だな。それの『書かれていること』と、『書かれていないこと』、に分けて考える、って話ね」
優将は、「一回休憩」と言って、立ち上がってキッチンに行き、「水飲んで良い?高良」と言った。
高良も「分かった」と言って、立ち上がった。