歴史さん:In fact it was an elephant.
暫くして、優将が、ハッとした顔をした。
「…あっ。お前。…クッソ、やられた…。わざと言ったんだな?」
高良が、困った顔をしたまま、「やっぱりそうなんだ」と言った。
「『霊障』なんて、冗談か例え話の類だ、とは思わないんだな?優将は。あの時だって、怖くは無かったのかもしれないけど、気にならなかったわけじゃないんだろ?本当は」
そうって、何のこと?あの時って?
優将は、凄く珍しく、頭を抱えて、「スゲー」と言った。
「俺の方が操作されるなんて、考えもしなかった。やっぱ頭良いわ、こいつ」
操作?…今、何が起きたの?
高良は、不思議そうに言った。
「俺は、自分の頭が良いとか、思ったことないけど。…まぁ、状況は分かったよ」
私と優将は、声を揃えて「え?」と言った。
「頭が良いと思ったことない、って言った?高良」
私の言葉に、高良は「そりゃね」と言った。
「何を頑張ったって、両親の方が、頭が良いんだもん。親は追い越せないんだ、ってなったら、自分の手持ちのカードで生きていくしか無いじゃん。多少親に似てたって、勉強したって、大学教授以上のポジションにはいけないんだろうな、って思うから、何とか、やりたいことと、出来ることの折り合いをつけていくしかないんだよ。頭が良かったら、もっと要領良くやれると思うんだけど」
顔を上げた優将が、「待て待て待て」と言った。
「おかしいおかしい。フツー、大学教授にもなれねーのよ。てか、環境が悪いわ。親と比べても話になんねーから。フツーは、両親揃って大学に勤めねーのよ、あんまり。そりゃー両親、お前より頭が良いかも分からんが。お前が頭悪かったら、お前より成績悪い奴、どうなんのよ」
「俺は、成績と地頭の良さって、イコールじゃないと思ってるからさ。その…。調べたら分かることを沢山知ってること、それを覚えてるとか、そのことについての調べ方が分かってる、とか、そういう、知識が多いことも、『記憶力が良い』『頭が良い』『お勉強ができる』と言うんだろうけど。そこからの発想力、とか、書いてないことを読み取る、ってね…。何か、『お勉強』プラスアルファが要るんだろうな、と。修行したら、その部分が何とかなる保証もないし。だから、自分は結局『お勉強』は好きな人間で、俺より頭が良い人っていうのは、きっと、出会えてないだけで沢山いるんだと思ってる。優将も、きっと、もっと頭の良い奴に会えるよ」
優将は、聞いたこともないくらい高い声で、「どうかなー?」と言った。
そうだね、まず『お勉強』が好きじゃない人の方が多いよ、多分。
優将は、一呼吸おいてから、穏やかな声で、言った。
「会えたところで…そいつが『俺の話を聞いてくれる奴』かどうかは、別じゃん」
あ。
優将って、…高良のこと、大事な友達だって思ってるんだな、って、分かった。
優将は、いつもの無表情に戻って、言った。
「お前のとーちゃん、お前のこと、自慢にしてて、見せびらかしたいんだと思うぞ。…良いと思ってると、そういう時、あるんだ」
…へー。優将も、そういうこと言うんだ。誰かを『見せびらかしたい』なんてこと、あるのかぁ。
高良は、ピンと来てない顔をして、言った。
「はー。まー、優将さんが、誰を『見せびらかしたい』のかは、一回置いておくとしてもだね。…本当に自覚無いの?」
何の話?
優将も、「何の話?」と言った。
「お前のとーちゃん、お前の料理、自慢したいんだぜ。そんで、お前にしか分かんないような、難しいこと、わざと言って、お前が分かるのが、嬉しいんだよ。『分かってくれる』って。お前のとーちゃん、お前のこと、自慢で、頭が良いと思ってて、お前に甘えてて、お前が大好きなんだ」
高良は複雑そうな顔をして「その話、思春期じゃなかったら素直に聞けたかもね」と言った。
…ちょっと可笑しい。優しいばっかりじゃなくて、こういう顔して、人の話を素直に聞かなかったりもするんだ、高良って。
優将は「まぁいいや」と言った。
「んで?『俺にしてない話』、してくれる気、あんの?」
高良は、少し目を伏せて、「分かった」と言った。
「歯を磨いて寝る気でいたから、眼鏡、取っちゃったんだ。眼鏡、してくる。あ、やっぱ、手元用の眼鏡、良いよ。有難う、優将」
「おー。ネイビーのメタルフレーム、似合うと思ったんよ。縁無しも合ってたけど。着けて来い着けて来い」
「あ、そうだ、茉莉花さん、苧干原さんの連絡先、送っておいてくれる?俺の携帯に。で、…ホットミルクでも飲もうか、皆で。父親と電話で話した後だから休憩したいし…」
「あ、分かった」
私は、携帯を操作して、すぐ、高良の連絡先に、瑞月の連絡先を送った。
うわ、瑠珠からメッセージ来てたー。あー、「明日会おう」か。台風だから心配してくれたんだ。
…うー。ごめん、瑠珠。高良に、瑞月の連絡先、教えるね…。
優将が、目を瞬かせて、言った。
「…そんな疲れんの?とーちゃんと電話すんの。てか、そんなに親と長電話出来んのがスゲーのよ、もう」
「あれは…電話という機能を利用した、講義なのよ、もう。疲労で脳が糖分を欲してる…。俺も、ホットミルクに、蜂蜜、入れよ…」
高良は「ああ、そうだ」と言って、キッチンに向かって、蜂蜜を二つ出してくれた。
「夕飯前に飲んだホットミルクに入れてもらったのは、頂き物のアルゼンチン産純粋蜂蜜。こっちは、元々家にあった、ウクライナ産の純粋ひまわり蜂蜜。試してみる?」
「…わー、色が、違う?」
高良は、優しく笑って「違う花の蜜なんだよ」と言ってくれた。
「向日葵の花の蜜なんだって。色が濃いよね?後味が、オレンジみたいな味がする気がするんだ。華やかな酸味?が残ると言うか」
優将が、「へー」と言って、興味深そうに、高良の傍に寄って行った。
優将の方が、少しだけ背が高いのに、高良より随分、子どもみたいに見えて、可笑しくなった。
「オモロー、蜂蜜だけで喰う、今」
高良が「くまのプーさんみたい」と言って、少しだけ意地悪そうに微笑みながら、ティースプーンを二つ出してくれた。
あ、私にも、試させてくれるのかな。…ちょっと、嬉しい。『仲間外れ』ってわけじゃないけど、『一緒』って、なんか、良いな。
私も、歴史さんを抱いたまま、ソファーから立ち上がって、キッチンに向かった。
…でも、この、高良の『ちょっと悪そう』な笑い、初めて見たけど、優しい笑顔より、女の子には、ヤバいかも、ギャップも含めて。優しい人が、一瞬だけ言うワガママ?あー、それこそ、優しい甘さ中の、ほんの少しだけの酸味みたいな、何とも言えない、味、と言うか。ちょっと、色気?
…本人、分かってないんだろうなー。
優将は、珍しく、少しだけ口を尖らせて「誰がクマだよ、ウサギー」と言った。高良が「ちょと、止めてよ、優将さん…」と言った。
仲良いんだな、と思って、笑いそうになったけど、我慢した。
「何だよー、じゃ、何の動物なら良いんだよー。お前、さっき、ちょっと悪い笑いしてる時、ケープハイラックスに似てたぞー」
…ケープハイラックスって何?
でも高良は、瞳を輝かせて言った。
「えー、ケープハイラックス知ってるの?よっぽどじゃない?わー、そんなに動物好きなら、言ってよ、もー」
…えー?
困惑する私を他所に、抱いてる歴史さんが、寝息を立て始めた。
優将は、ちょっと得意げに「おう」と言った。
「ケープハイラックスを見つけるまでは、クアッカワラビー推しだったんだけどな。…あいつは、最近、知名度が上がって来ちまったから…。ケープハイラックスの方を推していかないと。ああ見えて崖登りが得意、とか、理解されてなくて、檻から逃げ出したりしてたからな…」
高良が「わっかるぅ」と言って、両手で顔を覆った。
私、クアッカワラビーも、分かんない…。
「そぉーうなんだよぉ、優将。ケープハイラックス、ネズミっぽい見た目なのに、イワダヌキ目、イワダヌキ科、ハイラックス属の一種で、ああ見えて…」
優将と高良が、声を揃えて「ゾウの仲間なんだよな」と言った。
…全っ然分かんない。
顔を上げた高良が、左手で口元を覆って、言った。
「ネズミっぽいのにゾウの仲間で、ゾウの仲間なのに崖登りが得意で…」
優将が「分かるわー」と言った。
「そんで、『イワダヌキ目』なんだよな…。もう、お前は、ネズミなのか、タヌキなのか、ゾウなのか、と」
「たまんないよねー」と高良が言った。
「もう、あの、訳分かんなさと、笑顔がクアッカワラビーと比べると悪いとこも含めて、狂おしいほど好き…」
優将が、うんうん、と頷くので、私は、思わず、『何とかハイラックス』を画像検索した。
「えっと、…これ?」
私が、片手で歴史さんを抱きながら、携帯の画面を、二人に差し出した。画面を覗きこんだ高良は、近眼らしく、目を細めた。
「ああー、茉莉花さん、残念、これは、キボシイワハイラックス」
優将も、「惜しい」と言った。
「顔が、ちょっと違うんよね…。背中の色も。キボシイワハイラックスも可愛いは可愛いんだけど、可愛いだけが理由で推してるわけじゃないから…」
何が惜しいのかも分かんない。
高良は、優将の方を向いて、嬉しそうに言った。
「ね、キボシイワハイラックスも良いけどね…。骨格がサイに近いんだって、知ってた?」
「えー、知らんかった!」
そんなに盛り上がれる?この話題。
…あ。
気付いちゃった。
優将と慧が、こういう感じの盛り上がり方してるの、見たことない。
あー、そうだったんだ。
やっぱり私って、随分、フィルター厚めの現実見てて、見てなかったことがあるんだな、って思った。
この二人は友達なんだ。
優将が、蜂蜜を一口、ティースプーンで食べて「おお」と言った。
私も、携帯電話を、対面式キッチンの境に置いて、高良から、一匙、蜂蜜を貰って、口に含んだ。
「わー。…不思議。本当だ、蜂蜜なのに、オレンジみたい…。美味しい」
「そうそう、美味しいけど、ホットミルクより、パンとかの方が合うかと思ってたんだ。でも、今度は、こっちでホットミルク、作ってみようね」
高良が、優将に向かって、微笑みながら「美味しいでしょ」と言うと、優将が「んー」と言った。
ずっと、こういう時間が続けばいいのに、と思った。
…本当は、自分でも、ちょっと、分かってる。
台風で、怖かったのに、『彼氏』に連絡、してない。
『彼氏』の傍が、安心できる、安全な、落ち着く、嵐の時の避難場所じゃないってこと、気づいちゃってる。
そういう関係性だって、あって良いんだろうとは思うんだけど。
今、『楽しい』。
『しっくり来てる』。
じゃあ、『彼氏』の意味って、何なんだろう、って。
高良が眼鏡を取りに行ってる間、珍しく、優将が、少しだけ怒った顔で、こっちを見てきた。
「お前、怖がって、自分が傷付くのに、何で、他人を助けようとするんだ」
「…優将」
「自分が危ないかもしれないのに、何で、他人を助けるんだ?『怖い思い』したんじゃないのかよ。何で、首、突っ込む、わざわざ」
「わ、…分かんない。…でも、高良が困ってるって知っちゃったら…。困ってるって知ってるのに、一人で、怖い思いしてるのに、何にもしないでいたら。…多分、その方が、苦しかったと思うから。…助けられもしない癖に、って、自分でも、思ってるけど。そりゃ、もっと、他に、困ってる人、沢山、いるんだろうけど。知っちゃったんだもん、高良が困ってるって。…一人ぼっちで、やらせたくなくて、何か。困ってるんだったら、って」
言いながら、泣いてしまった私に、優将は、背を向けて、小さい声で「お人好し」と言った。
すると、急に、眠っていたはずの歴史さんが、起きて、優将に、ウー、と言った。
優将が「あれ?」と言うと、高良が戻ってきた。
「え?何、どうしたの?珍しい。歴史さんが唸ってる」
優将が「分からん」と言った。
私の泣き顔を見て、高良が「ははぁ」と言った。
「泣かすな、って言ってるよ。茉莉花さんを、叱るな、って」
優将が「濡れ衣だ」と言った。
私は、その、優将の、ちょっと焦った顔が可笑しくて、笑ってしまった。
高良も、笑って、言った。
「雰囲気は分かるんだよ。でも、言葉が完全に分かるわけじゃないから、歴史さんは、茉莉花さんが叱られて、泣かされたって解釈してるんだな。ふふ、歴史さん、すっかり、抱っこ犬だね」
高良は、そう言って、私の手から、歴史さんを抱き取ってくれた。
ああ、静かに話すな、と思った。
歴史さんは、すっかり落ち着いて、高良の顔を、ペロッと舐めた。
高良は、微笑むと「はい、仲直り」と言って、優将に、歴史さんを抱かせた。
優将は、「むー」と言ってから、歴史さんの顔に、頬を寄せた。
歴史さんは、優将の頬を一舐めした。
『仲直り』が終わったんだな、と思って、私も、涙を拭って、微笑んだ。
静かだ。
ここは、喧嘩も、腹を立ててることも、こうして、静かに、穏やかになって、仲直りして終わる場所なんだ、と思った。
外で、どんなに風が吹いてても。
「人懐っこい子だねー。こんなに抱かせてくれる子、初めて」
私の言葉に「あんま吠えねーしな」と優将も同意した。
高良は、優しい声で言った。
「そうだね。ただ、こんな小さい子でも、犬の鳴き声には、魔除けの効果が有るみたいだから。今日は、茉莉花さん、歴史さんとリビングで寝てね。歴史さん、御客さんを御守りするんだよ」
こちらに背を向けた優将の肩口から見える歴史さんの顔は、笑ってるように見える。
わー。
…こんな、小さいのに。確かに、いてくれるのと、いないのとじゃ、全然、違う気がするんだもん。守ってくれてるのかも。さっきも、本当に優将に『叱るな』って言ってくれてたのかも。
…泣きそう。
こんなに、小さいのに、守ってくれようとしてるんだってことが。
…そうだね。助けきることが出来ないからって、全然助けないのって、私には、違うかも。助ける気があるのと、ないのとじゃ、やっぱり、違うかも。
だって、こんな、小さい存在が、こっちを庇ってくれる気があるんだって思うだけで、こんなに、泣きそうな気持になるんだから。
やっぱり…、今後も、誰か困ってたら、あんまり、後先考えずに、助けちゃうのかもしれないけど、『それが自分だ』って、ことなのかもしれない。
優将が、ハッとした顔をして、こちらを見た。
「…一人にだけ、懐かねぇのは、何でなんだ?いじめられたわけでもねぇのに」
高良が「え」と言った。
「それは…偶々じゃない?この子にだって、好き嫌い、あるだろうし。…あっ」
優将と高良が、顔を見合わせた。
優将が「そうなんだよ」と言った。
「あの時、いや、あの後、誰に会った?」
高良は「それは…」と言った。
何の話なんだろう、と思ったけど、高良に「茉莉花さん」って言われたから、思わず「はい」って、言っちゃった。
「ホットミルク、お願いして、良いかな…。俺は、優将に説明する準備、する。…あ、怖がらせちゃうよね。いいや、ホットミルク飲んだ後、優将と俺だけで」
「だ、大丈夫、私も、聞く。ホットミルクも、作るから、一緒が良い、三人で」
優将が、呆れた様に「しゃしゃんなってー」と言った。
でも、「怖がってた癖にー」と優将が続けると、優将に抱かれている歴史さんが、また、ウーと言ったので、「…悪かったよ」と言った。
私と高良は、顔を見合わせて、笑ってしまった。
ああ、そうなんだ、やっぱり、守ってくれるんだ。
一緒にいられる時間は、沢山抱っこしたいな、って思った。
夜、一緒に眠れるなんて、幸せなんだな、と、思った。