連絡:What a dear little Tsunehumi.
目が覚めると、白い壁紙に、温かみのある木調の家具で統一された、自分の家のリビングと、そう変わらない広さの部屋にいて、その部屋の、木とモスグリーンの皮で出来たソファーの上に横たわっていた。
水色のタオルケットと、モスグリーン色のベルベット地のクッションには、見覚えが無かった。
ああ、そっか。高良の家に、来させてもらえてたんだ。
綺麗な木目のソファー。
土台や肘置きの木材も、ダイニングテーブルなんかの家具と色が揃ってて、色味が少ないけど、ホッとする場所だった。
高良みたいだな、と思った。
静かに話す声。何故か、絶対、危害を加えて来ないんだろうな、って、信用させてくれる感じの。
夕飯も作ってくれて、お兄さんみたいだ、って、思ったんだった。
なんか、小さい妹みたいに、大事にしてくれてるって、『何故か』凄く、伝わってきて。ああ、ここは、『安全な場所』なんだ、って。
気づいたら、傍にいた、青い甚平姿の優将が、可愛い犬を抱いていて、「起きた?」と声を掛けてきて、何だか、深呼吸が出来た気分になって、「うん」と返事した。
タオルケットを畳んで、ソファーの肘置きに置かせてもらうと、『歴史さん』と目が合った。凄く綺麗な、黒くて丸い目をしてる。夕飯の時に、『さん』までが名前なんだ、って高良が言ってたのが、可笑しかったんだった。
「…大人しい子だねー。私も、抱っこしてみたいな」
「ああ、良んじゃね?ほら、茉莉花の方、行ってみるか?」
優将が抱かせてくれた、その子は、毛中の周りの毛はゴワゴワだったけど、顔の周りがフカフカしていて、暖かかった。
「う、うわー、かわいい…」
その子が口を開けて舌を出すと、笑ってるみたいな表情になって、キラキラした、黒くて丸い目が、こっちを、真っ直ぐ見返してくれていて、信頼してくれてる印象を受けた。
他の人が抱いてる時より、表情が近くで見えて、凄く、嬉しくなった。
抱くと、呼吸や、心臓が、私より早く動いてる感じが分かって、命を抱いてる、って気がした。
「…わぁー…。抱っこされてくれて、ありがとうね…」
小さな舌が、頬を舐めてくれた。
ああ、嫌われてたら、抱かれたり、舐めたり、してくれないよね、と思ったら、本当に、凄く、信頼されてる気持ちになった。
この信頼を裏切りたくない気持ち。
絶対、優しく抱いてあげよう、って思う、ゴワゴワでボサボサだけど、フカフカの毛並みと、体温。
ここは、安全な場所なんだな、って、改めて思った。
こんな小さい子が、怯えないで、大人しくしてる。
そして、人間を信頼してるから、こうして、そんなに知らない私のことも信頼してくれて、抱かれてくれてる。
普段も、この子は可愛がられてて、だから、人間のことが好きなんだって。
信用出来るな、と、私も思った。
高良って、信用出来るな、って。
きっと、本当に、一生、友達でいてくれて、丁寧に接してくれるんだろう、って。この子が可愛がられてるみたいに、きっと、私にも、優将にも、酷いこと、しないんだろうな、って。
風の音が、どうでも良いと思えるのが、不思議。この子が、こうして、自分を信頼して抱かれてくれてて、高良は一生の友達になってくれて。別に、何も、ここには、怖いことなんか、無いんじゃないかって。
…怖い思いは、しちゃったんだけど。
翻訳、終わったけど…。
結局、高良の怖いのって、減ったのかな…。
まだ、着物の小さい男の子と女の子、見えるのかな。
なんか、本当に、あんまり、怖いのを減らしてあげられはしなかったんじゃないか、って思うと、溜息をつきたくなる。
そう言えば、眼鏡を取った高良は、一度、着物姿の男の人に見えた時と、何か、似てた。
でも、別に、あれ以来、何か、変なものが見える、とか、そういうこともなくて。
気のせいだったんだろうな、って。
…高良、綺麗な顔だったなー、やっぱり。
お母さんとそっくりなんだって。
新しく作った眼鏡のフレーム、優将が選んだんだって、ちょっと、得意そうに言ってて、何か、可笑しかった。
仲が良いんだな、って思ったら、何でか、嬉しかった。
「あれ、茉莉花、携帯」
「え、電話?…瑞月?ごめん、出る。あ、動けない」
結局、ソファーの上で、モフモフの子を抱きながら、電話に出た。
優将が、気を遣ってくれたみたいで、玄関まで出ようとしてくれたから、手で、『いいよ』と示した。
…居てくれた方が助かる。
何か、何話していいか、ホント、分かんなくて。
優将が一瞬、怪訝そうな顔をして、でも、頷いてくれて、一緒にソファーに座ってくれた。
あー、歴史さん、ごめんね、電話、うるさいかな?
良い子で抱かれててね。
「もしもし。…瑞月?」
「あ、茉莉花?こんな時間に、ごめんね。台風、どう?」
「あ、うん、大丈夫。何か、用事あった?」
「あ、あの…、いろいろ、ごめん、何か、ホント。何か…上手く、友達付き合い出来てない気がして」
ドキッとした。
英語の曲が微かに聞こえる。
瑞月が部屋でかけてるのかも、と思った。
「…瑞月?」
「その…。平和聖日のミサの為の登校日に、一緒にタクシーに乗った子達にも、謝りたくて。…でも、その…彼女いる子の連絡先、聞くのは、流石に、悪いし。柴野君?には、茉莉花から謝っててほしいんだけど…あの、眼鏡の子、高良、くん?の、連絡先、聞けたら、って…」
「高良の連絡先…?」
あ、声が裏返っちゃった。
驚かせちゃったのか、腕の中で、毛皮が、フカフカと動いた。あー、ごめんね、大人しくしてて。
「あ、えっと、実は…、ちょっと、法事で、親の実家に帰った時も、…ちょっと、話聞いてもらってたって言うか、…それで、えーっと。タクシーに乗る時も、助けてもらっちゃって、その」
法事?
あ、動かないで。
やだ、スピーカー押しちゃった。
「私、高良って子のこと、好きになっちゃったかも…」
…えっ。
思わず、優将の方を見る。
普段より、目の大きさが、倍くらいになって、こっちを見てた。
英語の曲が、さっきより大きく聞こえた。
私が彼で彼があなたなら
あなたは私よね
ってことは私達は皆同じ
あ、しまった、スピーカー、戻そう。
俺は卵男ッス(Ooh)
君達も卵男ッスよ(Ooh)
俺はセイウチだよ Goo goo g' joob
「あ、もしもし、ごめん。え、本当に?瑞月」
私の心臓の音が大きくなる。
電話越しに、恥ずかしそうに「うん」って言ってる声が聞こえる。
黄色い膿のカスタードが
死んだ犬の目から滴り落ちてくる
わぁ…。
マシンガン打ち粗野な女ドスケベな尼僧
座って英国式庭園の中で太陽を待とうよ
もし太陽が来なかったら
君が英国式の雨に打たれて日焼けするだけだよ
「あ、なんか、黙っちゃって、ごめん、茉莉花。…えっと、それで…。幼なじみの子とか経由で、私の連絡先、教えてもらえないかな。…相手が嫌だったら、返事来ないかもだけど」
「あっ。えーっと。うん」
小麦粉みたいな名前の警察犬連れた奴がエッフェル塔を登ってる
何か、ドキドキする。
うわー、そうなんだ…。
「分かった…あの、やってみる」
「ありがと、茉莉花。…またね」
「あ、うん、またね」
Goo goo g' joob
Goo goo g' joob
G' goo goo g' joob
Goo goo g' joob, goo goo g' goo g' goo goo g' joob joob
Joob joob...
「う、うわー、三人目だぁ…」
やっぱり、高良、モテるー。優しいしなー。
優将が「は?」と言った。
「え、三人目、って何」
「あ」
しまった。
「えっとー。…ほら、五対五の合コン、やったじゃん、紫苑高校と」
「うん」
「あの時参加した女の子…私と玲那以外…。高良のこと、好きになっちゃったみたいなんだよね」
「はー?五対五の合コンで五人中三人掻っ攫ってくとか、バケモンかよ」
「いやいや、ホント、すっごいよね…。や、綺麗な顔だし、分かるけど、何か。真面目そう、と言うか。静かーに喋るよね。大人っぽく見える?かな。優しそうと言うか」
落ち着く、と言うか。えー、凄い。そりゃー、打算と言うか、安定感を求める女子が多かったにしても、三人って、凄くない?
優将は「分かるわー」と言った。
「一回、怒ってたらしいんだけど、怒ってたって分からんかったもん、静かで。あと、『ええ声』よねー」
「分かる…」
「低すぎない、と言うか。独特の甘さがあるんよね、歌ってる時とかも」
「あー、分かる」
「高過ぎないけど、澄んでる、みたいな。声質が高いだけで、キーが低い?みたいな。話してる時も、声量はあるんだけどソフト、強い、とか、嫌な感じが無い、と言うか。…や、どーする?眼鏡取っちまって。料理上手とか知れたら。大漁旗の降籏さんよ。地曳網漁みたいになっちゃう。高良通った後、魚影が見付かんないわ」
「…あー、う、うわー。本当は高良の連絡先知ってるってバレたら、やっぱり私、誰かに刺されちゃうかもぉ」
「うぉー、否定してやれるだけの材料が無ぇ。や、三人はスゲーわ」
…でも、瑞月のこと、どう考えたらいいか、って悩み、…解決したかも。
変な話だけど、その悩み、高良の存在が、引き取ってくれた感じに、なっちゃった。
珍しく、二人で、ソファーに座ったまま動揺してたら、リビングに、顔を洗ったのか、眼鏡を外した高良が、紙の束を持って入ってきた。
「あ、茉莉花さん、起きた?御蔭様で、清書終わったよ、有難う。父親にも確認済み。これを、依頼者の苧干原さんに、明日明後日くらいに渡せれば、バイトの分はクローズかな」
優将が、驚きを隠せない様子で、「だから早いんだってば仕事が」と言った。
「あ、あの、高良」
「どうしたの?」
わー、やっぱり、優しい顔して笑ってる。
…どうしよう…。
「あのね、今、瑞月から電話があって。高良と連絡取りたいんだって。登校日の時の、タクシーの件で、御礼が言いたいとか何とか」
「…あー。あの子は、俺が、自分が依頼した和綴じの本の翻訳をしてるとは知らないんだよな…。ちょうど良いかも。連絡取ってみようかな。…凄いタイミングだなー、まさか、清書が終わったタイミングとは…」
「まー、良い機会だから連絡先交換して、…何か、こう…一緒に、高校生らしいこととか、すれば…?せっかくだし…」
優将が、ソファーから立ち上がり、高良の傍に行って、そう言った。
あ、ちょっといいフォローかも。
しかし高良は、不思議そうに、紙の束を揃えて、クリップで留め直しながら、言った。
「何、高校生らしいことって…」
私も思い付かなかったから「浴衣で花火…とか?」って、適当に言っちゃった。
優将も適当に「あーそれ良んじゃね?」と言った。
うわ、ホント、テキトー…。
高良は疲れた様に「いや…」と言った。
「これから御盆に、フィールドワークしようってのに。そんな…よく分からない『高校生らしいこと』をするのに、浴衣の子と花火してたらもう、夏を過剰摂取しちゃって、体がもたないよ。…一日は二十四時間だから、多分、それをやるんだったら、現地の蔵に実地踏査に行ってるな」
ん?フィールドワーク?え、実地踏査?
…わぁー、浴衣デートより、調査を取っちゃうんだぁ。
ええー、前途多難。
優将が「過剰摂取って」と言って、珍しく吹き出した。
「しかも『浴衣の子と花火』は満更でもなさそうで草」
高良は「はいはい」と言いながら、欠伸した。
…そうだよね。高良は彼女いないんだもん、高良が気に入ったら、瑞月と付き合うのもアリだよね。揉めるかもだけど、誰と付き合う、とかは、高良の自由じゃん。
「あ、あの、どう思う?」
高良は、私に柔らかに微笑み掛けてくれながら「何が?」と言った。
「えっと、急に、その…女の子から、連絡先、聞かれるって…」
高良、そういうの鈍いみたいだけど、流石に、何か、思ってるかなぁ?
「そうだね…。新しい霊障かな?って思ってるけど」
「何でぇ!?」
モテてるのにぃ!オバケとかと一緒なのぉ!?
…ええー?
思わず大き目の声で言ってしまったら、抱いてた歴史さんがビクッとした。
優将が、珍しく、慌てた様に、「シーッ」と言った。
「茉莉花、夜、夜」
「あ、ごめん、ごめんね」
私は、抱いてる子と、優将と高良に謝った。
優将は、珍しく、訝しそうに、私と高良の顔を見比べた。
「霊障って何?」
私と高良は、顔を見合わせた。
「…いや、やっぱりね、『怖くて翻訳できない』の、意味が分からんのよ。何か、話してないこと、無い?」
優将の顔が、どんどん、無表情になっていく。
高良が、困った顔をした。