学園祭:Womanizer Insects.
紫苑学院の近くまで来た。
常緑学院と同じ沿線の一駅違いだけど、駅からが徒歩十五分だから、十五時くらいになっちゃった…。
優将に電話をかけた。
二回目のコールで、優将が出た。
「もしもし」
「紫苑高校まで来たよ。校門の前まで出てきて」
「わかった」
「すぐ出てきてよ?」
電話を切ってから、紫苑高校に向かって歩き始めると、結構同じ方向に行く学生がいた。
ジロジロ見られる。
擦れ違った女子高生二人組にまで「あ、常緑ー」とか言われて、余計行きたくなくなってくる。
見せ物じゃないんだよ!あの制服、東高か。あー、もー!面倒臭っ!
…まぁ事実、この制服が珍しいんだよね。
十年くらい前に、制服を目当てに入学して来る生徒を増やそうとして、伝統あるセーラー服から、この制服にしたらしいから。私立って経営難なのかなー、って思う。そこまで思い切った策を取れるのも、私立ならではだと思うけど。今日この制服で男子校に来たら、余計目立つってことは分かりきってたし。普通、土曜日に私服で行くもんだよね。
あ、千円までは使っていいから、とか言えば良かった。
何で、あの時に思い付かなかったんだろ。私も千円借りて交換すれば、代金を控えておかなくても良かったはずだし。あんな軽く、「持ってきて」じゃないってば。
んー。でも、何か、嫌なんだよね、クレカの入った財布を落とされたら、とか思うと。親にも連絡しないといけないし、カードも止めないといけないし、とか思うと、モヤモヤする…。
それに…ここまで来て今更、引き返せないか。電話もしちゃったもんね。
失敗した、と思って、軽く落ち込みながら校門の前まで行くと、さっきの東高生二人組が、楽しげに誰かに話し掛けていた。
逆ナン?頑張るなー。
私は多分一生、そんな気力、出ないけど、放課後に逆ナン出来る体力と気力は純粋に尊敬する。
数学の後とかって、一日分の気力使い果たさない?
違う意味で、朝の電車の痴漢も凄いな、と思ってる。
朝の低血圧状態の時に、多分一生、他人の体を触ろうと努力する気持ちに、自分は、なれないんだろうな、って。
朝から何で、痴漢は、そう思えるのかなって。純粋に不思議。下着泥も不思議。他人の使用済み下着なんか、多分一生欲しいと思わないし、自分のだったらサッサと洗いたい。
あー、学祭が嫌過ぎて脱線した。
とにかく、逆ナンは勇者だな、今日の私には特に。
勇者二人に話し掛けられてるのは、…優将と慧だった。
慣れない事態に、困ったようにオロオロしていた慧が、私を見付けて手を振った。
「あ、おーい!まりかー!」
慧!声がデカい!
校門の周りの通行人の視線が、私に降り注いだ。
私は、出来るだけ明るく微笑んで、慧の呼び掛けに応じて、恨めしそうに、こちらを見ながら通り過ぎる東高生二人組と、なるべく目を合わさないようにした。
…ごめん。『獲物』を横取りするつもりとかは、全然なかったんだけど。
帰りたい…。
「あ、財布」
優将の手には、私の財布が握られてる。
お気に入りの、瑠珠からの京都土産の赤い蝶々の根付けが見えた。
…やっぱり、優将が持ってたのかー…。
財布を交換しようとして、校門の方に近付き、ふと見ると、高校の前に、見物人の人集りが出来てた。
「わ、常緑!」「マジだマジ!」とかいう声が聞こえる。
何これー?!
猿山?!
もう、絶対帰る!帰る!
財布を優将から受け取ろうとした瞬間、慧が、ぽわっと笑って、「ね、せっかく来たんだから、ちょっと見てかない?」と言った。
何の冗談?!
この人集りが見えてないわけ?!
早く帰りたいんだってば!
でも、私の焦る気持ちは全く慧には伝わらなかった。
慧は、「ポテト食べる?」と言って、私に微笑みかけた。
人集りが見えてるとしても、原因が私だとは思ってないってことかな。
…まぁ、慧らしいというか。
鈍いというか。
眩暈がしそう。
疲れて判断力が低下してきた私に、「おいでよー」と、もう一度慧が言うと、優将が人集りの前に立った。
何だか、少し静かになる。
そして、優将は、私の右手を掴んで、人集りの方に進んでった。
人集りがザザッ と後退した。
優将が、私の手を離した。
…気づいたら、私の体は、校門を通り抜けて、学校の敷地内に入ってた。
…仕方ない。行く…。
「うん、見てく」
「そう?あ、そうだ」
優将は、何かを思い付いたように、そう言った。
「何?」
「取り敢えず、こっちこっち」
優将が進むと、人集りがぱっくりと二つに割れた。
モーゼか。
私と慧は、その後に続いた。
私達がイスラエルの民でなくても…続くしかなかった。
男子校の学園祭の会場入り口に、一人で取り残される方が辛いかも、という判断で。
「あ、タカラ。ちょうど良かった」
人集りの割れた先には、いかにも賢そうな男子生徒が、呆気に取られた顔で、こっちを見て立っていた。
…そりゃそうでしょうねー。こりゃどうも、お恥ずかしい。何か今、自分の高校の偏差値すら恥ずかしい。普段は気にしないことにしてるけど。
「高良、これが、前言ってた幼なじみ。小松茉莉花」
「…どうも、フルハタタカラです」
「…どうも」
…『前言ってた』って何?
近寄って見たその人は、意外にも、なかなか好みの人だった。
顔だけなら慧より好みかも。
このくらいの特典が無いと、今日という日が悲し過ぎるってもんかもね、と思ってたら、乾いた木材が崩れ落ちるような、大きな音がした。
音のした方を見ると、私を見て固まってる、背の高い人がいた。
うわ、格好良い。
この人の方が、もっと好み。
表情が気になるけど。
ん?
あれ?
私、どこかで、初対面の人に、こういう反応されなかったっけ?
水戸。水戸タカヒロ。水戸さんかぁ。
校内の模擬の喫茶店で、慧達の友達に混ぜてもらって、適当に喋っていたら、別段校内を見て回るでもなく、学園祭が終わる時間になって、私達は、揃って校舎から出た。
あんまり歩き回らなくて済んで、ちょっとホッとした。
校舎を出てすぐの所にある、保護者会の出してる模擬店のテントが、早くに唐揚げが完売したと見えて、余所より相当早く片付けを終わらせてた。
まちまちの年齢のお母様方が、談笑しながら、エプロンや三角巾を外してる。
傍を通りかかると、中の一人が、走って、こっちにきた。
「茉莉花ちゃん!来てたのね。」
里歌さんだった。
「あら、ちょうど三人とも揃ってるのね。うちの車に乗って帰らない?」
「結構好評でね、唐揚げ」
嬉しそうに、そう言いながら、赤い軽自動車のキーを回して、里歌さんは、私達に、車に乗るように促した。
助手席に慧が乗って、後ろの席に、私と優将が座った。
「お母さん、食券、こっちにもくれたら良かったのに」
「身内に売るんじゃ、儲けた気がしないもの」
同じ調子でものを言う親子に、思わず笑ってしまいそうになる。
「里歌さん、保護者会の模擬店に出てたんですね」
「そうなのよー。今日だけなんだけどね。だから、慧とゆーま君と、一緒に帰ろうか、って、朝話してたの。」
「へー」
…あれ?そんなの、一っ言も聞いてないんだけど。
優将の方を見ると、鞄を抱き締めて、俯いていた。
んんっ?
「あら、ゆーま君、寝ちゃった?」
「あ、ホントだー。今日、模擬店で、売る係頑張ってたもん」
「あらー。疲れたのねー」
…狸寝入りのように見えるのは、私だけですか?
いや、突っ込むな、私。
この親子の間で、優将は眠ってることになっちゃったんだから。
「ね、茉莉花ちゃん。カッコイイ男の子いた?」
「え?」
「一緒にいた、眼鏡の男の子とか、ちょっと良いじゃない?」
「あ、タカラ?」
慧が口を挟んできた。
「あら、タカラ君っていうの?」
「うん。フルハタタカラ」
「まぁー。茉莉花ちゃん、ああいうインテリっぽい子どぉーお?」
「え?そ、そうですねー…」
「お父さんの若い頃に、ちょっと似てるわー」
私と慧は、声を揃えて、え?と言った。
一生懸命考えてみたけど、眼鏡以外に共通項は無かった。
…中澤さん、若い時は痩せてたんだ…?
「あ、でも、気に入った奴いたら、紹介するけど?」
気を取り直したように、慧は、笑顔で、そう言った。
紹介するけど、じゃなくて。
そこは、私に来る男を防いでほしいところなんですが。
鈍いなぁ。
いや、今、勘付かれても困るけど。
里歌さんがいない場所で気付いてほしいけど。
「…いや、別に…」
「そう?照れなくてもいいのにー」
照れてない。マジで放っといて。
「あら、そういうのは遠慮しちゃダメよ、茉莉花ちゃん。せっかく可愛いのに。女子高なんて行ってたら、彼氏の一人も出来ないうちに、三年間が終わっちゃうなんて、ザラなんだから」
…その高校を薦めたのは、里歌さんじゃないですか…。
え、嘘。
『女子高なんて』って言った?今。
…勧められたから、第一志望にしたのに。
そりゃ、塾無しで楽勝だったけど、もっと偏差値の高いところだって…。
…いいや、今更。
友達だっているし、別に学校、居心地悪くないし。
それよりも里歌さん、助手席に座ってる息子さんに、『可愛い』って箇所を、もうちょっと強調してやっていただけませんかね?
「高良じゃなかったら、いっこ年上だけど、水戸っちとか格好良くない?」
「え?」
「あら、カッコイイの?見たかったわー」
いやいや、確かに。
その二人は、見た目だけだったら、慧より好みでした。
ピンポイントで私の好みを言い当てる辺りは褒めてあげたい。
でも、私、一応、慧が好きなんで。
…もう、シャキっとしてよ!
勝手に好きになっておいて、身勝手な発想ではあるけど、そんな複雑な気持ちに包まれながら、私は、後部座席で、尚も続く中澤親子の男薦め二重唱を聞いていた。
「ね、ご飯、食べていくでしょ?」
「あ、はい」
ふと、優将の方を見ると、…起きて、窓の外を見てる。
…やっぱり起きてんじゃん。
「じゃあ、御馳走様でした」
「はーい、またねー」
美味しい肉じゃがだったなぁ。
満腹感に、ちょっと嬉しい気持ちになって、私は、鼻歌を歌いながら、中澤家を後にした。
中間服じゃ、夕方はまだ、流石に、ちょっと涼しいな。
「作り置きだけど」とかいって、冷蔵庫から出された、付け合せのひじきとか、金平とかも、大満足。ホント、『良いお母さん』だよね、里歌さんって。
和食派としては、大歓迎の献立だった。
金平良いなぁ。明日蓮根買って作ろうかな。
そんな、取り留めの無いことを考えながら家の前まで来ると、優将が、何かを投げてよこした。
「きゃっ?!」
慌てて受け取ると、
それは、私の財布だった。
…忘れてた。これのお蔭で…。
「…優将ー!」
優将は、悪戯が見付かった小さい子みたいに笑いながら、走って、自分の家の門の中に入って、閉めてしまった。
「おやすみ」
あの、いつもは無表情の優将が、珍しく笑ってる。
「…おやすみ」
優将が家に入るところまで見届けて、私も家に入った。
相変わらず、真っ暗な部屋。
照明用のリモコンで、リビングのルームライトを全灯にすると、人気の無い空間の、家具の輪郭がパッと浮き上がった。
マナーモードにしてた携帯の画面を見てみると、瑠珠からのメッセージが入ってて、短く、日曜日の待ち合わせ場所のことが書いてあった。
財布を開けてみる。中身が使われた形跡は無かった。
そう言えば、私、使った分、返してない。…今度で良いかな。
取り敢えず、お風呂に入ろう。
いつものようにバスタブにお湯を張って、いつものように服を脱いで、いつものように体を洗った。
お湯に浸かりながら、私は、今日の出来事を反芻してみた。
今日って、なんだったんだろ?
優将は、私の財布を、どうしたんだろ。
優将は何も言わなかったけど、多分、自分の財布と摩り替えたんじゃないかな。
そんな気がする。
でも、何で?
自分の黒い、御気に入りの黒い財布が、もしあったら、私は、多分、優将に頼まれても、あそこの学園祭には行かなかっただろうな。
じゃあ、私に学園祭に来てほしかったってこと?
私が行かなかったら、今日、優将は、どうなってた?
多分、普通に学園祭が終わった後、里歌さんの車で、中澤親子の二重唱を聞きながら帰っていたはずだ。
何か、それが嫌だった?
…まさか、慧が、『お母さん』が来るから?寂しくて?それで、私に来てほしかったとか?
…まさかね。小学生じゃあるまいし。
でも、単に女の子を呼びたいんだったら、私じゃない方が、都合が良いよね、普通。
適当に、付き合ってる女の子とか誘えば。
でも、まさかね。
第一、財布を本当に間違えて持っていったんだとしたら、それ自体、偶然以外の何ものでもないんだから。
いや、でも、あの財布を間違ったりはしないよね、やっぱり。
色も全然違うし。
まとまらない考えのまま、私は、小学生の頃のことを思い出した。
小学五年生くらいだったかな。
もうその頃は、うちも優将の家も、ほとんど親が帰って来なくなってて、授業参観とか三者面談くらいには出てくるけど、遠足のお弁当はコンビニ弁当とかだったりしてて。
義務教育を過ごした場所が、給食出る所で良かったな、ホント。
見かねて里歌さんが三人分作ってくれたりしたこともあるけど、その時期から、中学卒業まで、行事とかで必要な優将のお弁当は、私が作っていた。
明日は遠足だな、と思って、準備をしていた夜だった。
もう、お弁当は自分で作る用意をしてたし、おやつなんかは、夕方、慧と優将と一緒に買いにいっといたから、リュックやらシートやらを、納戸にしまっておいたのを出したりして、お風呂に入って、今日は早めに寝ようか、なんて思ってたところだった。
突然、窓ガラスを叩く音がして。
泥棒か、それとも勘違いか、と思ってビックリしてると、やっぱり、前庭の側のアルミサッシの方から、コツコツ、音がした。
カーテンを開けると、仏頂面で、リュックを背負って俯いた、優将が立ってた。
取り敢えず、優将を中に入れた。
今でこそ背が高い優将も、当時は、ちょっとチビで、私よりも少し目線が低いくらいだった。
半ズボンに、靴下。水筒に、リュック。完璧に明日の準備が出来た格好だった。
どうしたのか聞いても、一言も喋らない。
ただ俯いて、怒ったような顔をしてた。
取り敢えず、居間のソファーに座らせて、リュックをおろさせた。
私がリュックの中を探っても、優将は、やっぱり、黙って俯いたまんまだった。
探ると、ガサガサと沢山入っているお菓子の中から、お弁当箱が出てきた。
下手くそな結び目でハンカチが結ばれてて、結び目の隙間に、箸箱が挿してあった。
振ってみる。カチャカチャと、箸箱の中の箸だけが、プラスチックのぶつかり合う音を出してて。
空だった。
私は、優将の方を見た。
俯いたまま、膝の上で、握り拳を作って、じっとしてた。
その時、「分かった」と思った。
優将は、お弁当が欲しいんだ、って。
もう、里歌さんに頼むのは、恥ずかしいと思うような年だった。だから私も、自分で作ることにしたんだし。
でも、優将は多分それが出来なかった。
作れるとか作れないとか、そういうことじゃなかった。料理なら、優将だって、全く出来ないわけじゃないし、コンビニ弁当って手段もある。
優将は、『作ってほしい』んだ。多分、『お母さん』に。
でも、『お母さん』は、作ってくれないんだ。
それなら。
私が作るしかない、と思った。
それくらいしか、してあげられることも無かった。
私は、優将のお弁当箱を持って立ち上がって、台所に行った。
髪をゴムで纏めて、パジャマの上からエプロンをして、ついでに私のお弁当箱を出した。
早起きして作るつもりだったけど、今作って冷蔵庫に入れておけば、朝慌てることもないだろうし。
材料を出して、コンロでフライパンを温めてると、背後に人の気配を感じた。
その気配は、私の背中に顔を埋めて、お腹の辺りに、手だけは私よりも少し大きい、短い腕を回して抱きついてきた。
優将だった。
優将の顔のある背中の辺りが、湿って熱くなるのを感じて、私は、お構いなしに作業を続けながらも、優将が泣いているのが分かってしまった。
私がお弁当を作っている間中、優将は、そうしてた。
私が歩けば、一緒に歩いた。
とにかく、ずっと私にくっついたまま、優将は泣いてた。
タコさんウィンナーにミートボール。型抜きおにぎりに、海苔を切って作った模様。解凍したミックスベジタブル。卵焼き。別容器に、皮を剥いて切ったオレンジと、大奮発した苺。苺は、ヘタは取らなかったけど、オレンジの横に、ラップで二個くらい包んで入れた。
小学生の好きそうな物ばっかり詰め込んだ、今考えても、小五が作ったにしては、まぁまぁの出来のお弁当が、二つ出来上がった。
優将が、私の背中から離れて、じっと、お弁当を見てたのを、よく覚えてる。
口が半開きだった。
私は、少しだけ優将の顔を自分の方に向かせて、切り分けて余ったオレンジを、優将の口にくわえさせた。
優将は、それを食べた。
咀嚼しながら、涙をポロポロこぼした。
そして、私のパジャマの裾を掴んだ。
蓋を閉めて、お弁当箱を冷蔵庫に入れた。
今考えると、少しは冷ましてから蓋をした方が良かった。
でも、そんなことを知ってるような年じゃなかったし、作り終わったら、それなりに遅い時間になってたから、もう寝ないといけなくて、知ってても、そういうことに気を遣う時間も、多分無かった。
手を洗って、エプロンを取って、髪の毛のゴムを取っても、ずっと優将は、私のパジャマの裾を掴んだままだった。
電気を消して二階に上がって、私の部屋のベッドに、二人で入った。
私の部屋の電気を消すと、優将は、声を殺した嗚咽をもらしながら、ベッドの壁側で丸まった。
眠さが、悲しみの感情に拍車をかけていたのかもしれない。
赤ちゃんみたいだな、と、その時は思った。
その背中を軽く叩いて、布団を掛けた。
嗚咽が寝息に変わる頃、私も眠りの世界に引き込まれていった。
次の朝、目覚まし時計の音に、何事も無かったかのように起きて、顔を洗ったりして準備をして、優将と二人で朝ご飯を食べた。
それから、私は、二人分のお弁当箱を冷蔵庫から出して、ハンカチで包んで、ビニール袋に入れてから、お弁当箱用の巾着に入れた。
優将の巾着は、丁度、私のお父さん用のがあったから、それを使った。
黒地に、青の裏地の巾着は、新しくはなかったけど、それなりに見栄えはした。
巾着の紐を蝶々結びにして、既にリュックを背負ってた優将に後ろを向かせて、リュックのチャックを開けて、底の方にお弁当箱が来るように入れて、きちんとチャックを閉めた。
私の水筒と優将の水筒に麦茶を入れて、優将に水筒を渡して、優将にティッシュとお絞りを持たせて、二人で、私の家を出た。
学校に向かう途中、慧に会った。
いつものように、三人で学校まで歩いた。
これでやっと、いつも通りだと思った。
それっきり、私は、優将が泣いたのを見てない。
あれからだったな。優将のお弁当を私が作るようになったのって。
お父さんのお弁当箱用の巾着は、結果的に優将の物になっちゃったし、お弁当箱自体も、優将が沢山食べるようになったら、お父さんのを借りるようになっちゃった。
でも、高校に入ってからは、さすがに作っていない。
他に作ってくれる彼女くらいいるだろうし。
今更そんなに手作り弁当に拘ったりもしないだろうし。
でも、もし。
有り得ないことだけど、例えば、あの時みたいに、泣いて、寂しいから学園祭に来てくれとか言われてたら。
学校をサボってでも、行ってやってたんじゃないか、と思う。
多分、そうされたら、私は、優将の言うことを聞くんだと思う。
変な関係だな、とは、自分でも思うけど。
結局、考えがまとまらないまま、お風呂から上がった。
財布が、どうして入れ替わっていたのかは、追求しないでおこう。
それが、きっと一番良い。
優将が言い出すまで、お金も返さない方が良いのかな。
取り敢えず、私は、携帯のメモ内容を確認して、茶封筒に、使った金額分だけ入れて、机の中の引き出しに仕舞い込んだ。