双体祝言像の謎:Advice from a Professor.
早めの夕飯を終えてから、愛犬を、用を足しに、外に連れて行った。
少し雨が弱くなっていて、助かった。
室内用トイレを買ってペットシートを敷いても、自分の犬小屋の脇、という定位置で用を足したがるし、ペット用おむつも嫌がって、穿かせると、ションボリして、尻尾が丸まってしまうので、結局、歴史さんがウロウロ、ジタバタし始めたら、こうして、外に連れ出すことで解決している。
外トイレの躾が完了しているから、室内飼いに、今更戻すのも、悩みどころである。気候や天候以外の不都合が無ければ、慣れた小屋にいさせてやった方が良いのだろうか。
家の中に戻ると、玄関に出て来てくれた優将が、「ごめん」と言った。
「茉莉花、ソファーで寝ちゃって。あと、携帯鳴ってる」
「うわ、リビングに携帯置いてた?俺。ごめん」
俺は、歴史さんを優将に抱いてもらうと、携帯電話を受け取った。父からの電話だった。
「どう、雨、弱まってきたけど、大丈夫そ?」
「…うん、大丈夫。父さん、俺、聞きたいことがあるんだけど」
俺は階段を上がって、自室に向かいながら、話を切り出した。優将は、気を遣ってくれたのか、歴史さんを抱いて、リビングに戻っていった。
「父さん…あのさ、バイトの話なんだけど」
「お、…もしかして、翻訳終わった?」
「終わった、一応。あとは清書かな。確認してもらえたら、渡せる。今日中にパソコンのメールで、父さんにデータ送ってもいい?」
あとは、出来上がってる分に、意訳や補完も含めた『頭の中に残ってること』を書き足すだけで、仕上がるからな。…霊障で翻訳が完成したみたいで、それが、仕事として、良いのか、悪いのかは、判断つかんのだが。
「早っ。良いけどぉ。ええー?本当に、御盆前に終わらせるとか、有言実行過ぎて、やだもう、有能~」
「…その話もしたいけど。…やっぱり、文化財、出てきそうでさ。フィールドワークの段取りもなんだけど…もう、俺だけで、どうにかなる問題じゃないから、相談したいんだけど」
「…正面から、親に、きちんと問題を相談してくるなんて…思春期なのに偉すぎる…」
…古文書から凄い内容の手紙が出て来た時点で、俺の『バイト』の範疇を越えちゃってるんですよ。そりゃあ、プライバシー等の守秘義務以外だと、『スポンサー』及び『上司』に報連相しますよね。だから、偉いかどうかは分からんのだが。
この話が来なけりゃ、そもそも霊障が無かったんじゃないか、とは思うんだが、こうも、役者が揃っちゃうとね…。O地区周辺出身関係者が、身近に集まり過ぎてて。
俺に原因があって集められたのか、とまで思っちゃってさ。
今回の、翻訳のバイトとかいう謎依頼が無くても、どのルートかで、いつか、俺に、何らかの形で、似た様な話が舞い込んできて、やっぱり霊障に遭ったんじゃないか?とまで、思っちゃうんだよ。
逆因果律、とかみたいな話になってしまいそうだから、言えないんだが。
そうなると、バイトを依頼してきた奴のせい、とか、バイトを回してきた遠縁や、親のせいで霊障に遭ってる、とか、断言できないし。
そう、苧干原瑞月のせいにしてみたところで、解決しなさそうじゃん。どこの高校生が、古文書に念を乗せて、他人を霊障に遭わせるんだって話で。
しかも、霊障に遭う理由も、今のところ不明なんだよ。
本を手に取ったから、とかが理由だと、他の人間も座敷童を見ていても良いはずなのに、俺に言われてないだけなのかは分からないが、茉莉花さんも両親も、そういうことは言ってこないし。…優将は、多分、一緒に向こうに行きかけたんだよ。直感だが、危なかったんだと思うんだ。
内容を翻訳した、というのが理由だと、うちの父親だって、ザックリと読んではいるし、茉莉花さんも読んでるから、さっきの、翻訳内容の共有、みたいな、謎現象が起きたのだろうとは思うんだけど。父親と茉莉花さんが『座敷童が見えてる』とは、言ってこないし。俺が知らないだけなんだろうけど。そして、…それを言うと、優将。見えちゃってるんじゃないかって…思うんだけど…。優将は、翻訳自体はやってないんだよな。
気づいてないだけで、座敷童が見えるのと、異界に引っ張られるの以外でも霊障が起きてるのかも分からんのだが、何にせよ、そこは『不明』なんだ、まだ。
そして、何のせい、若しくは、誰のせいで起きてる霊障なのかすら、分からないから、誰を責めようもないし。
…誰のせいでもないなら、どうやって霊障を解決したらいいのか、とかも、全然分からないんだけど。一先ず、バイトとしての業務はクローズにして、依頼者の依頼を全うして、フィールドワークに移りたいんだよな。
サッサと苧干原瑞月に手紙を渡してやりたい、というのもあるし。
「その…会わせてほしい人がいるんだけど。依頼者に、会えないかな。直接渡したい物があって」
「いいよ?あの手紙の話?」
あ。
「分かってたの?父さん」
「実は、俺の癖で。…古い本ってさ、虫食いあったりするじゃん。紙魚とかいたりして…。…あれ、駄目なのよ、俺。本読むのに集中してる時に、頁に、チョロチョロ~って、ちーっさい虫が這ってくるやつ。あれが…駄目なのよ。集中力が切れる。和紙ってさー、美味しいらしいのよ、虫の気持ちになったことは無いんだけどぉ。黴とか、澱粉糊とか、そういうのを食べる虫もいて。…でさー、コピー、取るじゃん?スキャンとか。あの時、想像しちゃうんだよね、本から紙魚とか、出てくんじゃないかって。そんで、ゾワゾワゾワーって、コピー機入っちゃうかなー、って思って。だから、気持ち程度だけど、コピー取る前に、クリーニングしてんのよ、本の。で、コピー前にクリーニングしてたら、頁の内側から見付けちゃって。やばば、こーりゃ知らんことにしといて、俺の従弟経由で、何か、上手く伝えらんないかなーって思って、手紙を本に戻したわけ」
知らなかった。書斎は、あんなに散らかしてるのに、意外なこと、気にしてるんだな。あの部屋こそ、ダニとかいるんじゃないか?って疑ってるけどね、俺は。掃除機が掛け難いの何の。
「あー、じゃあ、…その件も含めて、会う算段、付けられるかな」
「んっふふ。良いよーん。うちの従弟の弱味握ってるから、これから電話して、依頼者も含めて、何とか、明日の午後、時間作ってもらお。一緒行こ、高良」
「…弱味?えっと、中澤さん?の?」
慧のお父さん、だよな?
「そーそー、敏。小三の時の夏休みの宿題と、読書感想文、代わりにやってやったのと、高校の時の交換留学用の提出書類に添える、動機書の作文、代わりに書いてやったの。留学経験で、大学の推薦入試、有利になったらしいから、中澤さんちの敏くんは、俺に一生、頭が上がらないんだよん。あそこは、敏の兄貴の英も似たようなもんだから、それで、英、A市のN地区に住んでるじゃん、って言って、俺の実家の管理とかしてもらってんの。人が住んでないと、換気しなきゃ、家が傷むからさぁ」
「従兄弟関係を、そういう操縦で乗りこなしてるなんて…。知らなかった」
あ、そっか、N地区か。O地区の近くの。前、慧が言ってたな。
「そーそー。んふふ~。俺ってば、文系教科だけは、割合強い~。ま、時間決まったら連絡するから、明日、駅まで迎えに来てよー、お昼、一緒食べてから行こ。貴子さんは、明日の朝、そのまま、ホテルから仕事行っちゃうらしいけど、俺は明日休みになったから。大学は八月、九月が授業無いから、ちょっと、お盆前から休んどいて、あとから作業巻き返そうかなって。中澤さんちの敏くん~、電話に出たーら最後~、おーれの用事~」
「ちょっ、電話口で『山口さんちのツトムくん』の替え歌やめて…」
音割れ。やっぱ天気悪いからかな、電話の音が、イマイチ。
あ、O地区で思い出した。
「ごめん、父さん、話変わるけど、郷土資料の話、聞いても良い?研究室でくれたやつ」
俺は、自室の椅子に座って、郷土資料のコピーの製本された物を開いた。
電話越しの父の声が、少しだけビジネスモードになったのが分かった。
「はいはい。『人文学演習調査報告書 第三集 A市M O地区の民俗』かな。二〇〇八年に、過去三回分の調査資料を纏めて出したやつ。やー、一冊出版するのに、何部刷ったんだっけ、三十万くらいかかっちゃって。三回分を纏めて、一冊で出しちゃお、ってなったやつね。どこの話?」
「おお、流石…。平成十九年に収集した分の資料、調査か編纂に携わってる?」
「んー、国道147号高家バイパス開通した年だっけか…。その頃は俺、院生だったはずだけど…。あー、博論準備してたかな?調査は行かなかったけど、推敲はしたんだわ。ゼミ生が調査したデータの見直し。A学院と、うちの大学の合同調査、っていう名目になってない?多分、第二回目の調査ね」
「…流石。なってる…。そう、平成十九年の、第二回目の調査、になってるな。それの、道祖神像の項目と記述が、ちょっと、変で。アジアの石造物、御専門だったかと思うんで、伺いたいんですけれども…。流石に、資料の現物見ないとキツい?掲載部分の写真撮って送る?」
「…あー、はい。石造物の説明のところかな?推敲したの、覚えてるわ。変だったでしょ」
…本当に、本のどこに、何が書いてあるか覚えてんの、凄いんだよな。
「うん、そうなんだ。…O地区には、三体しか道祖神像が無いはずなのに、四体目?っぽい記述があって、滅っ茶苦茶気になるんだけど…」
「思い出した、一行、離して書いてない?記述」
スゲー。その通り。
「そうそう、双体祝言像、ってやつ。『柳澤品弥作、彫刻。双体祝言像』、これだけ、書かれ方が違うからさ。他は、石工の名前とか無くて、作られた年代や素材が書いてあるのに、これは、写真資料もなくて、作られた年代や素材は書かれてないし、『道祖神』とも書かれていない」
「そうそう、俺の指示だわ。当時、『道祖神』ではない、と判断したもので」
「…あ、やっぱり、そうなの?」
…すっげ。
え?調査、参加してないんだよな?この人。
「やっぱり、って、何?そうそう、学生がねー、勝手に、『道祖神』の項目にしてたのよ、似てるから、って。双体祝言像、って分類にしたのも、学生ですぅ。写真も載せられなかったから、状態を知るのには良かろうと思って、形容の記述としては残しましたけども。…あー、そういう意味じゃ、やっぱ、学生にやらせた作業、確認も無しに出すってのは、無しねー。貴子さんってば、やっぱり素敵ぃ」
惚気だとしたら言い方が特殊ぅ。
あと、『写真も載せられなかった』って言った?
「そんで、三つの調査報告書を、そのまま載せてるから、尚更、知りたい内容だけ検索する、っていうのが難しいでしょ?あの資料。三つの内容を混ぜて掲載、とかもしてないから、重複も多いし」
それは思った。
何なら優将さんに見付けてもらいましたからね…。
「…そういう印象を持った。あの資料は、理由があって、ああなってるの?」
「当ったり前じゃん」
…ええ?
「そうなんだ、何で?」
「『資料』だからですぅ」
小学生の煽り方ぁ…。
「あの資料は、『資料』だから、あの掲載のされ方をされてるって仰るんですか?カラスと書き物机が似ているのはなぜかみたいな話?」
「突然の『不思議の国のアリス』。ウケる~」
そう言うと、電話越しに、父は、ゲラゲラ笑った。
皮肉だからウケんな。
「キラキラ飛んでる♪何だか分からんコウモリさん♪すんげー飛ぶじゃん空高く♪御盆なのかと思ったわ♪キラキラ飛んでる♪何だか分からんコウモリさん♪そんな、『目には見えないような、形而上学的な問い』じゃなくて、現実的に、答えがあるものです。御安心召されよ。宜しいですか、君、『資料』ですよ。編纂者の意図を入れて編集したら、それは、聞き取り資料ではなくて、編纂者の創作ではないですか」
「…ほぅ」
ビジネスモードに入ったな、降籏教授。
「こことあそこは重複している、この話は同じだから纏めよう、は、資料の内容を、編纂者が勝手に判断している、ということに他ならないのです。性質としては、項目ごとに分けられて編纂された資料も、そりゃあ、あります。その場合は、郷土誌、みたいな言い方になっていることが多いですね。そこいくと、フィールドワークの聞き取り資料って、少し勝手が違うんですよ。『聞き取り』の資料ですから、たどたどしかったり、重複していたりすることはあるでしょうが、それを勝手に『ここは同じ話だから纏めよう』とか『不要だから纏めよう』としてしまうと、話し手の意図が残らない場合があるんですよ。『同じ話』ではないかもしれないのに、纏めることで消去してしまっているかもしれない。それは編纂者の意図であり、最悪の場合は創作です。『資料』ではなく『こう読んでほしい』というリードのある創作物になってしまう、という。宜しいですか、要領良く編集するのではありません、なるべく、生きた人間から聞き取った資料として残さねばならない。だから、極力、『そのまま』掲載するんです。重複を承知で。だから、項目別に分けにくい場合が、どうしても出て来てしまう。なので、やはり本来は、必要な箇所だけ抜粋して読むよりも、全部通して読んで、自分で、資料の内容の繋がりや意図を『発見』するのが、資料との、望ましい対峙の仕方なんですよ」
「それで、『發見者の創造であつて、廢滅そのものゝ再生ではない』ということですか。耳が痛いですね。あと、ちゃんと『きらきら星』の替え歌にしたところも評価します。絶好調ですね、教授」
癖、強。
「ちゃんと説明もマザーグースも聞いてるとこウケるぅ。まぁ、個人の意見としては、それも理想論であり、作業者の意図の一切介入しない成果物など存在しないとは思っておりますがね。聖書だって、ヘブライ語やギリシャ語からラテン語に翻訳される際に、翻訳者の意図が相当介入したはずなんですが、我々は、それを更に、英語訳、和訳などして読んでいるわけです。今回も、あの和綴じの本を翻訳する時に、意訳や補完が必要だったでしょ?同じ日本語なのに。最初にヘブライ語で書かれた内容との乖離は、ゼロとは言い切れないんですよ。俺が、ヘブライ語読めないからこそ言うけど。そうなると、聖書研究と言うより、文学研究として、テキストの扱いを考えるなら、本来、聖書を読みたかったら、一人一人が、ヘブライ語を自分で勉強せねばならない、ということになってしまうわけです。なので、それが現実的な態度なのかと言われると、和訳超助かるから、個人的には、そりゃー理想論だろうなぁ、と思うし、同じ話で、聞き取りで要領得ない話を聞いたら、全然、纏めないで資料として書くのは無理だよねー、と思っていて。でも、『聞き取り資料』の書き方って、やっぱり、スタンスとか、スタイルが存在するわけでなんですよ。そんなわけで、君、あの『双体祝言像』の記述は、良いお手本になるから、改めて御説明しましょう」
「…台風の夜に電話で講義ぃ。…有難うございますぅ」
「あっは、有料級~」
ドラえもんがポケットから秘密道具出す時と同じ言い方~。
…実際、授業料取って、学生には、こういう話をしてる可能性あるから、一概に『よく言うわ』とか言えんな。
息子だから無料で聞けてるだけ、と言われれば、完全否定も出来ん、という。
ホント、『ムズカシー』話する親ではある。
電話越しに、父親は、『ムズカシー』話を続けた。
「そもそも、三回の調査を同じ場所でやるんだから、重複分は、どうしても出ます。でも、そのままの状態で残すことも大事なんですよ。三回の調査を一つに纏める書き方もあるでしょうが。三回の調査、って言っても、三日しか調査しなかった、ってことではなくて、一回の調査に三日、とか、時間をかけてるわけで、実際は。それを、チームで調査して、人数分の記述を、敢えて纏めずに書く場合、ああいう、ちょっと読み難い資料になることは否めないかもね。そこも、数ヶ月とか一年の調査を一回分として纏めて出す、とかとは、ちょっと、資料のタイプが違ってきます。そこで、問題ですが、三回分の調査を、重複を考慮せずに併記する『メリット』の最たるものは何でしょう」
ええええ。
「比較、の、しやすさですかね…、調査時期ごとの。えー…。仮に、一つの用語があったとして、一回目では、こういう意味だったけど、二回目と、三回目で、意味の変遷が有るか無いか、とか、世代ごとの認識が違わないか、とかが、見易い、…かな、なんて…」
父が電話越しに「御明察」と言って笑う声がした。
「宜しいか、君。科学を学んでいる自覚を持ち給えよ。まさか、漫然と、本として、郷土資料を読んでいるのではなかろうね。高校生に対して申し訳ないが、郷土資料の解説をする以上は、科学を研究する、学ぶ、という視点を持つ人間に対して喋る気でいるから、そのつもりで聞くように」
俺の口がウサギみたいに開きそう。
ほげー、って。
そう、高校生なんですけどね、俺。
そして俺の知能指数に対する配慮、ゼロ。
ムズカシーィィィィィ。
霊障の怖さと、大学教授と電話で話す面倒さと、どっちがいいか、秤に掛けちゃいけないけど、精神的負担は割合近いかなって思ってますぅ。
「科学。…人文科学、ということでしょうか…」
「左様。科学を、自然科学と、もう一つに大別した場合、人間の歴史と文化に関する学問は、人文科学と総称されます。科学を研究する際に置いては、比較研究は避けられないと考えなさい。例えば、座敷童のことをやるなら、座敷童の先行研究論文を山程読んで、自分の、疑問から展開した論を比較して論じることが出来なければ、話にならないよ。先行研究が出ているのも知らないで、独自の論だと思い込んで捏ね繰り回していても仕方が無い。比較研究、を、第一に考えなさい。既にある論を知らなければ、自分の論が新説かどうかも分かりようがないだろう?先行研究論文を読まないことを、何と言いますか?」
「ええ…?」
流石に分かりません、教授。
「それを、勉強不足、と言います」
ほげー。
台風の日に親が言葉で殴ってくるぅ。
「良いですか、勉強は楽しいもの。新しい知識が増えるのは喜び。でも学生がやってることは、いつまでたっても『お勉強』。研究は『修行』。論文を読むのは『お勉強』です。そこから得た知識を使ったプラスアルファが無ければ、研究とは呼べません。研究をするのであれば、前提として、『お勉強』は、するのが当たり前なんですよ。…荒井君の、修論八十枚書いたところで熱が出て、どうのこうの、って話も、普段から、先行研究の論文の比較をして、コツコツ書いて纏めておけば、修論の規定枚数なんか、引用部分だけでも、簡単に超えるはずなんだから、俺から言わせれば、不幸話として出せる時点で、ちょっとズレてると思うけどね?学部生は卒論手書きでも、うちは、修論からは、パソコン使用なんだからさ。研究テーマを続けていけば、博論だって、その延長上なんだし。ワードとかでデータに纏めておけば、すぐ使えるだろ?手書き時代なんて清書必須で、あれよりは楽なんだから。別に、あの子が悪い学生って言ってるんじゃないけど、研究をやっている以上は、『自分は勉強不足なのではないか』という問い掛けを、常に持っておくべきだね。そこまでやっても、『それ生産性あるんですか?』とか言われちゃうことがあるのを覚悟しなきゃいけないのが文系で、それに耐えるのも含めて修行だからね。怖いなら、修行なんてやめていいと、個人的には思うよ。バイトしたら時給が入る時間を、学費払って論文読んでるんだから、基本的に、経済で考えたら、怖くなるのが当たり前だとも思ってるしね。生産性がある風に論じて、研究費を引っ張ってくるのは、更に、その先の技術。修行に次ぐ修行ですよ」
…意外に手厳しいですね教授、あの怪談話にノーリアクションだったかと思えば、実は、そう思ってたんですか。
え、『何が怖いの?』ってやつ?
え、感じ悪…。
『普段からの自分の勉強が足りないだけなのに怖い話にすんな』ってこと?
親の仕事観の方が怪談話だよ。研究室棟の妖怪。誰しもが博士号取ってると思うなよ?
…電話で顔が見えないから、余計、何か、嫌だな。台風の夜に、何の話をしてるんだ、ってね。
研究室棟の妖怪は、続ける。
「さぁ、そして、あの郷土資料の双体祝言像の説明をする前に、最後の質問です。貴方は、フィールドワークを行った結果、何をしたいんですか?」
何これ、面接か何か?
「はい…『地元に残る記述と、実地で話者さんに聞いた、伝承の比較研究』です。この度、『地元に残る記述』の翻訳が終わりましたので、翻訳依頼者に、資料としての使用許可を取って。…以前、『それなら、伝承があってもなくても、一つの纏まとまりに出来るはず』、と仰っておられましたが、先頃、四十年くらい前からのO地区を知る女性からのお話が聞けまして、地元に残る記述に近い伝承が聞ける可能性が高まりましたので、御盆期間を利用して、話者さんを集めて、その辺りを中心に聞き取り調査を行いたいのですが…」
「えー、何何、どゆこと?!」
「…えー、O地区御出身の、旧姓、及木貴子さんという女性から、明治生まれのお年寄りの話等を聞く機会がございまして」
母親が『話者』、って、考えると凄いかも。
「うぉー、滾るぅ、何それ、何それ、んもー、この子、超優秀じゃーん。えー、出た?何か出た?」
落ち着いて、降籏教授。
「んー、まだ、現地で見てないけど。多分、俺も、この、『柳澤品弥作、彫刻。双体祝言像』は、道祖神じゃなくて、似た様な形の彫刻なんじゃないかと思って。母さんの話と合わせて、掻い摘んで説明すると、これ、多分、降籏本家っていう家の蔵の前に置いてある、『つねちゃんふみちゃん』って呼ばれてる像なんじゃないか、って。小さい子の供養で作られたのかも…と。母さん曰く、明治生まれの人には、小さいものを、チビちゃん、って呼ぶ感覚で、『つねちゃん』とか『ふみちゃん』って呼ぶ人達がいたらしいんだ。うちの犬の名前は、そこから付けたって。四十代の、しかも、大学進学でO地区を出ちゃった母さんから、これだけ聞けた、ってことは、フィールドワークで、もうちょっと上の世代に聞ければ、多少、そういう伝承が残っている可能性もゼロじゃなくて、ある程度の成果が見込めないかな、と。そして、この、『つねちゃんふみちゃん』に相当しそうな名前の子どもが、翻訳した文章の中に出て来て、やっぱり、その子どもの供養で作られた像の可能性があるんだよ。どうも、『家に入れてほしがる子ども』という話が、この像に繋げられそうで。そうすると、『座敷または倉に住む』『童形の』『神』若しくは『妖怪』という定義には微妙に入れられなさそうだけど、定義を広げて、これも『座敷童』とした場合には、逆に、O地区の『座敷童』伝承の独自性として取れないかな、と。明治三十四年くらいの事故?事件?が発端らしいから、民俗、とするには新しい方かもだけど、実際に起きた出来事から波及して出来た伝承と考えると…。結構イケるんではないかと…」
「よっしゃ、来いやぁ!んもー、やだー、フィールドワークで裏取れたら、論文に出来るじゃーん。やだやだ、この子、超良いー」
…調査で『裏を取る』って何、刑事か産業スパイ?
「…うるっせ、耳元で叫ぶな、夜だぞ教授…。ビジホだろ、今。壁ドンされんぞ…。そんで、『つねちゃんふみちゃん』の像であって、道祖神の双体祝言像ではないんじゃないか、と思ったもんで、郷土資料の、その部分の記述について、伺いたい次第でして…」
「いーっじゃん、いーじゃぁーん。その郷土資料の一文も引用しちゃいなさいよぉ、平成十九年の調査では、この様な記載になっているが、って」
ノリが『その服似合うから買っちゃいなさいよぉ』の、論文作成における資料引用のススメ。
「…興奮を治めて、教授。あ、えっと、『写真も載せられなかった』って言ってた?さっき」
「そーそー、撮影不可だったのに、像の写真を撮っていいか、所有者に聞く前に、学生が携帯で撮影したとかで、所有者と揉めかけて。フィールドワーク引率の当時の助教が交渉して、写真掲載しない形で、石造物としての記載は許可取ったとかで」
…おー、それは確かに、話としては、ちょっと面白そう。
もっと興味出てきたな。
「ほー、それで、結局、どういう経緯で、道祖神の双体祝言像っていう分類にされそうになったの?『つねちゃんふみちゃん』の像は」
「写真見たんだけどー、まー、確かに、あの地域で見たら、『道祖神』って思うかもね、って御姿をなさっとたんですよ、男女の石像、という点で。当時の俺の印象でね?でも、所有者は、『これは道祖神じゃない』『だって道の前に置いてないだろ』って仰っていたんだ、と」
「…ああ、母さんも、同じこと言ってたな。『道じゃなくて、蔵の前にあるのよ?多分、別の物よ』って」
「やだー、もう面白いぃ。そんでね、あのー、ハッキリ言うけど。どんなに、自分の中の『道祖神』に似てても、現地で『道祖神』って呼ばれている証拠が無いなら、『道祖神』って記載しちゃだめよ、『資料』なんだから」
「あ」
おおー、そこに繋がるのかー、さっきの話。
「んー、つまり、『そうは言っても道祖神そっくりだから道祖神だろ』ってことで、学生が『双体祝言像』っていう分類に、勝手に落とし込んじゃったのよ、所有者という『話者』さんの意図を無視してね。それは資料としては三流じゃねぇの、と。それじゃー、お前さんの主観による創作ですよ、と。…まー、オブラート無しで伝えました、若かったんで」
「…ははー、そういうことか…。だから、ああいう記載を取ったのか。『四体目の道祖神』じゃなくて、三体の道祖神と、似たやつ、ってことで」
「そそ、折衷案ね。…あのね、駄目よ、一番やっちゃ駄目なこと。『そうは言っても道祖神そっくりだから道祖神だろ』って考え方じゃ、現地に聞きに行ってる意味が無い。要は、『話者さんはこれを道祖神だという知識を持っていないから道祖神と言っていないだけ』で、『そうは言っても道祖神そっくりだから道祖神だろ』『俺は話者さんより道祖神に対して知識があるぜー』ってことになっちゃうのよ。いや、もう、そんな、話者さんより何年長く生きてて、そんな上から目線の知ったか出来んの、ってね。でー、あれでしょ、実際、道祖神じゃなさそうじゃん?赤っ恥ですよ、そんなの、知ったかぶりでしかない。で、写真は使えなかった。撮影許可も写真掲載許可も下りなかったから、学生に、写メも消してもらって。でも、調査して、実際、石造物としては存在してるので、聞き取りで、作った人が、その地域の石工だって判明して。写真は無いけど、資料を読んだ人には、像をイメージしてもらい易いように、『道祖神で言うと双体祝言像みたいなー』って、濁して。で、そんなのを書く項目も無いから、石造物で、道祖神のところに纏めるしかなく。じゃあ何の像だ、ってのも、その時の調査じゃ出なかったから、一行開けて、道祖神と同じページに書きました、と。んー、でも、高良が聞いてくるまで一回も問い合わせなかったし、追加調査もされてなかったし、三回目の調査では、皆『道祖神の双体祝言像』で納得して、スルーしちゃったのね、多分。…凄いな、高良。そうなんだよ、『道祖神、三体の内』なのに四体目?って、疑問に思ってくれたんだね。疑問からスタートするのが研究だよ。問いの無い研究なんかない」
…ちょっと照れる。
「その…撮影許可が下りなかったのは、どうしてなの?」
電話越しに、笑っている様な声で「ああ、それがね」と、父が言った。
「秘仏みたいな扱いの像だったから、なんだよ。本来は、調査隊になんて見付かっちゃいけない像だったの。存在自体が秘密」
『供養になるが、良い気持ちはしなかったようで、父は、妹が死んだ蔵の前に、それを置いているのを、余所者に見られるのを嫌がった』
『そうね。外からお客さんが来る時なんかには、蔵の中に仕舞っちゃうから、あんまり、知られてないと思うわ』
『『見せるもんじゃない』って言って、なんか、O地区以外から人が来る時期なんかは、仕舞われてたわ。出しっぱなしにしておけばいいのに、邪魔だろうなぁ、と思ってたの。まだあるんじゃない?降籏本家には』
おお。
「余所者に見られたらいけない、ってこと?」
「正解!本来は、余所者が集落に来る時には、蔵に仕舞われる物だったみたいね」
「それが、何で、蔵の前に出てたの?その時は」
幼稚園の頃の茉莉花さんの目撃情報も有るんだよな。同じ像だとしたら、だけど。茉莉花さんって、当時の地域住民の孫だから、余所者かどうか、微妙なラインだったとは思うんだけど。
興奮気味だった電話越しの父は、一気にトーンダウンした。
「…過疎化と高齢化が原因です…。石だから、重くて、いちいち、蔵に戻せなくなったんだって、所有者はヘルニア持ちだし、そんな、蔵の物を仕舞うためだけに若い人に頼めるほどの地縁もなくなりつつあって…。で、そーんな、御客なんて滅多に来ないし、来ても、石像になんか興味無いだろう、って、出しっぱなしにするようになった頃だったんだって…」
「おおー、将に、文化保持者側の事情で失われていく文化や伝承…。先祖から伝わるようには、『秘仏扱い』できなくなっちゃった、と…」
えええええ。
理由、『所有者のヘルニア』及び『年寄りしかいなくて、重くて蔵に仕舞えなくなったから』。
「そうねー、時代に合わないから面倒になってやめるパターン。『話者』さんにとっては、あることが当り前で、文化的重要性なんて感じてないから、まさか、他所からフィールドワークに来た若者が、秘蔵の物を写メるとか、想像もしてない、っていう…」
「…おお~い、そんなんアリかよー…」
原因、『過疎化と高齢化』及び『誰も興味無いと思った』。
椅子に座ってなかったら、ズッコケそう。
「ねー、まさか、そんな理由で『秘仏扱い』が形骸化するとか、調査隊も思ってなかったから、撮影したら、余所者には本来見せない物を、何、写真撮ってんだ、と叱られ。学生にしてみたら、『外に出てたじゃん』、と。そんで、まぁ、揉めかけた、という。…資料に書けないお話があったわけなんですよ…。ほら、例えば、市町村合併の資料に、『市町村合併の際に揉めた』とか、書けないから、『揉めたとは書かないけどお察しください』みたいな感じで、『書かない』という暈し方を選択したりしてるじゃん。揉めないわけないんだから、うちの自治体は借金が無いのに、借金持ちの自治体と合併は嫌だ、とか、合併して名前が消えるのは嫌だ、とかさ。『書かない』という暈し方で、グレーにしてでも残さないといけない資料だってあるんだから、そういうのは、資料から『読み取る』しかないんですよ、自分で」
「…くっだらね~。ヘルニアで伝統継承失敗とか、クッソリアルで、夢もロマンもねぇ~…」
「あのねー、日本の田舎に、何の夢を見てんの。平成十九年当時だって、電気も通ってりゃ、テレビも普及してましたよ、そりゃ。近代社会の中で、文化継承してる人間が、そのことに対して価値がないと思ってるケースって、本当に多いし。自分に体力が無くなった、継承者がいない、とかで、案外簡単になくなるのよ、文化も習慣も行事も民俗も。だから、記録しておかないと、なくなっちゃうの。それだって、経済が悪くなってきたら、腹の足しにもならん、って、研究費打ち切られるかも、という恐怖は常にあるわけで、文化研究に金を出してもらえるうちに記録しておかないと、本当に、文化、なくなるからね?」
「…最後は、金ですか…」
「あのですね、研究者と研究家との違いを御存知か?研究機関から研究費を貰って、所謂、雇われで研究を続けるのが研究者。貰わずに個人でやってたら研究家。それくらいの違いです。在野でも研究家として、研究は続けられます。しかし、研究機関からのお金を打ち切られたら、少なくとも、研究機関では、研究が続けられないんですよ。研究施設も、使わせてもらえない場合が多いし、個人の予算だけでは、作業人員も調査人員も手配が難しくなる。スポンサーがいなけりゃ、大規模調査どころか、小冊子の論文集すら発行が厳しいのが現実ですよ。で、自分の金ではない金でフィールドワークに行くんだから、そりゃー、成果を資料にして出版しないといけなかったり、フィールドワーク期間が決められてたりしますよ。お金を『汚い』とか言って嫌う人は、お金の方から嫌われますからね?『金なんて』って言ったが最後。金がなけりゃ出来ないことをしてるんだ、と思ってくださいな。志があっても、金が無ければ。最後は金、どころか、最初が金だったりするんです。他人の金を使うことを平気にならないと精神が摩耗しますよ」
「…子育てで使う言葉として、妥当?『他人の金を使うことに平気になれ』って」
「悪いけど、倫理観は自分で育ててくれる?貴子さんも、親の倫理観は信じるな、って言ってたでしょ?普通の人の考えで物事を行っても、普通の結果しか出ないじゃない。普通でない考え方をしないと」
…倫理ぃ。
「そこまでしないと、文化を、守れない…か。普通の考え方だと、残せない。記録、しないと…」
父は「そうねー」と、明るく言った。
「いや、今回、ラッキーよ、よく残ってたよ。寧ろ、余所者には教えない、平成十九年の調査でも、何の像だか教えてもらえないような秘仏扱いだったのに、『つねちゃんふみちゃん』って名称が判明しかけてるのが奇跡に近いんだからねー。そうよ、所有者以外にも聞けば分かるかも、ってのが、これで分かったね。平成十九年の調査じゃ、そこまで分からなくて、聞けもしなかった、ってことなんだから。今じゃー、外に出っぱなしのもんで、明治生まれの、降籏本家以外の年寄りは、少なくとも集落内では、隠す義理を感じてなかったっぽいじゃん、及木さんちの貴子さんが知ってる、ともなれば。O地区で、『降籏本家以外の人間』に聞いてみるのは、やってみる価値あるじゃん。資料公開許可を誰に取って、何処まで使って良いかも、O地区で確認すりゃいいことだし。もー、ホント、良いのが書けそうじゃないのぉ」
「そっスね…」
ホント、この父と話すのは、疲れるよなぁ…。
父は不遜にも、「はっきり言っておく」と言った。
「どんなに形が似ていても、名前が違ったら、『性質』が違う可能性があるんだ。逆に、どんなに形が違っても、名前が同じだったら、その地域では、扱いが同じの可能性がある。絶対に、自分の先入観で、同じものか違うものか、断定してはならない。そして、明言、断言は避けなければ。それが科学である以上、どんなに研究しても、『その可能性が最も高い』という説しか提示できない。完璧な、100%のものなんて存在しない。思い上がらないように、肝に銘じておくこと」
いやいや、『はい』って言うしか選択肢無いやつじゃん…。
また、実質一択じゃん。
「はい、肝に銘じます。で、母さんに最初から聞かなかったのは何で?フラットに見て、最高に『話者』じゃん」
「嫌がるかと思って」
「え?」
「興味があったら、自分から話してくれるだろうから、様子見てた。…だって、高良に、『じゃあ、地元の知り合いにフィールドワークの話者になってくれるように連絡しておくわね』なんて、一言でも、貴子さん、自分から言った?そりゃ、息子の自主性を重んじてくれて、ほとんど干渉もしないでいてくれる人だけど。…気づいてるでしょ、もう」
「…母さんが、地元、あんまり、好きじゃないのを?うん、…気づいてる。寧ろ、墓掃除に帰るの、偉いな、と思ってる。…聖伯父さんちに泊ったことも、無いもん。伯父さん、俺には優しいけど、折り合いは良くないんでしょ?」
「ね?俺ってば、愛妻家で恐妻家だからぁ」
「毎回、自分で、それを言って憚らないのは偉いと思ってる…」
「ね、アフリカの諺に、一人の高齢者が死ぬと、一つの図書館がなくなる、ってのがあるらしいけど。一人の話者さんに話を聞けると、実は、その人から、祖父母の話が聞ければ、その人の世代から、百年くらい遡った話が聞ける可能性だって有るんだ。一人の人に話が聞ける、ってことは、本当は、凄いことなんだよ。だけど、聞かれる側にとっては、どうかな?フィールドワークだって言って、生活圏に、いきなり人間が来て、調査だって言って、質問攻めにされるんだって、考えてみて。嫌がってるなら、聞かない。聞けそうなら、聞き方を考えてみる。何よりも大事なのは」
「大事なのは?」
「コミュニケーション能力です」
うっ。
…そこまで、得意としないやつですね、俺が。
油断すると『美形度の近似値』とか言っちゃう奴が。
「父さんって…あれだよね。敢えて空気を読んでない感はあるけど、コミュニケーションが不得意ではないもんね」
赤Tを尊重して上手くやっていける、って、なかなかだと思ってる。
電話の向こうで「この世の真実を教えてあげましょう」という、全然有難くない声がした。
「コミュニケーション能力の必要ない仕事なんてありません」
…不都合な真実。
聞きたくない真実だったな、と思っていると、父は、電話越しに、更に言った。
「コミュニケーション能力と言えば。あの、ゆーま君、だっけ。あの子にも、秘密があるんでしょ?今日も、泊ってるの?」