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座敷童の恋  作者: 櫨山黎
第八章
58/93

ベクトル:The dog's temper would remain.

 ワン、と、キャン、の中間みたいな、スピッツみたいな高い鳴き声が、響き渡っている。


 滅多に吠えない愛犬が、リビングをウロウロしながら、虚空(こくう)に向かって吠え続けている。


 俺は、さっきまで歴史(つねふみ)さんを抱いていたと思ったのだが。


 俺も茉莉花も、いつの間にか、床に座り込んでいて、動けない。




 暫く、二人で、向かい合って見詰め合い、呆然としていたが、急に、茉莉花が、滂沱(ぼうだ)の涙を流し始めた。


「死んじゃった」


 そう、そうなのだろう。

 今、俺が()()していたものを、この二人で共有したのだろう。



 いま、()()は、()()()()()()



 (かたわ)らに、小さい、着物姿の二人を見つけ、おれは、思わず、両手を伸ばした。



 ああ、せっかく生まれたのに、()()親に可愛がられなかったね。自慢の妹。十歳近く離れていたから、可愛がっていて、それはそれは(なつ)いてくれていたのに。あんな、暗い場所で、一人で死なせてしまった、小さい異母妹(いもうと)



 賢い子だ、小さいのに、一人で二ヶ月も生きて、片割れを探していたのか。お前は頑張ったのに、俺は見つけてやれなくて。信州の秋の山の寒さは、大人だって耐えられなかったろう。嗚呼、皆、お前が寒い時、炬燵(おごだ)に入ってたんだよ。何の(とが)も無いのに火付けの罪を着せられた、賢い異母弟(おとうと)、お前の母親も、どうなったか、俺には分からない。



 『いる』のに、『いない』ものとして扱われて、女の子、男の子、と呼ばれて。立派な名前があるのに、呼ばれず。


 誰も家に入れてやらず、御供養(ごくよう)に、と、像を作って、本人達に何の()()も無いまま、勝手に祝言をあげさせて、『子ども』でなくしてしまった。


 ああ、これは、やっぱり『発見されなかった子ども』の話なんだ。



 男の子も女の子も、お互いが目に入っていない。近くにいるのに、目線が合わず、キョロキョロしている。



 ()()だったのか。


 別々の場所で、死んだから。


 お互いが死んだことも知らずに。


 お互いが、お互いを、ずっと探しているのだ。


 別々の『観念』の場所に、閉じ込められている。


 『お互いがいない』という観念の場所で、ずっと、明治三十四年から、お互いを探して、彷徨(さまよ)っている。お互いが、『お互いのいる場所』という、ありもしない場所の観念を探して、彷徨(さまよ)っている。



 全文、翻訳(ほんやく)したが。


 座敷童が消えない。



 ただただ、動けもせず、涙だけが止まらない。どうしていいか、本当に分からない。




 玄関からリビングに戻ってきた優将が、困惑しきった顔で、俺の顔を見た。


 愛犬は虚空(こくう)に向かって吠え狂っているし、俺も茉莉花も泣いているし、何が起きたのだ、と思われても仕方なかった。


「どういうこと?え、電話して戻ってきただけで、何があったん?」


 そんな短い間だったのか。


 優将は、吠え狂う愛犬に「ツネ」と声を掛けてから、ビクリと震えた。


 見れば、振袖姿の女の子が、不思議そうに、優将の顔を見ている。




 …()しかして、優将。()()()()()()




 どうしよう。


 理由は何も分からないが。



 優将が()()()()()()ことは分かる。



 ()()()に。




 茉莉花が、「怖くて、もう解読できない」と言って、顔を(おお)った。


「ごめん、ごめん、高良。私、手伝うって、言ったのに」


「そんな、充分手伝ってもらったよ、ごめん、俺こそ。こんなことに巻き込んで、ごめん」


 俺の言葉に、顔を上げないまま、茉莉花は首を振る。

 着物姿の男の子が、ジッと茉莉花を見ている。


 泣いている茉莉花に、優将が、苦しそうに、背を向けた。

 慰めたい、と、背中に書いてある。



 …『一緒にいる』って何だろう。



 何で慰めたら駄目なんだ?せっかく、触れられる場所にいるのに。触れ合って、存在を確かめ合える、同じ『観念』の場所にいるのに。せっかく、()()()のに。泣いている人間を抱き締めて、慰めるのは、いけないことで。血縁でも何でもないなら、年頃になったら、離れなくちゃいけないのか?



 他人の彼女だからか?泣いている人間がいて、それを慰めたいと思っていて。…好きで、大事にしたい人間を、好きになっちゃいけないのは、どうしてなんだ?



 そうだ、俺だって、『茉莉花を好きでいてもいい』。そして。




 俺は、立ち上がって、優将を、背中側から抱き締めた。


 嫌だよ。()()、何にも出来ないで、見失って、()()()にやってしまうのか、俺は。


 優将が、硬直したのが分かった。


「有難う、優将。全文、翻訳できたよ、御蔭(おかげ)で」




 そして、多分、()()()()()んだ。本当に、ごめん。賢いお前を。




 優が、俺に、後ろから抱き締められたまま、首を俺の(ほう)に向かせて、言った。


「今?!あと、まだ、共同作業始めて、三日くらいじゃ?…そんで、二人共、なんで泣いてんの?…何が、どうなってんの?」


 茉莉花が泣きながら、「駄目だ」と言った。


「私、駄目だ。手伝うって言ったのに。凄い頭、悪い。中途半端に手を出して、何も出来なくて。一人で、怖い思い、させちゃう。役に立てない」




 あ。




『…誰かの役に立たなくても、その場所にいていい、っていうのが、分からないんだと思う。何かの役に立ってないと、自分のこと、必要とされてる、って、思えないのかも』



「違うよ、俺は、何かしてほしかったわけじゃない。困ってるって気付いてくれて、一緒に、何かしようとしてくれただけで、嬉しかったし、俺は」



 俺は、君の存在に『甘え』させてもらえたよ。




 俺は、優将から離れて、茉莉花の(そば)に行って、座った。


「…俺は、君がいてくれて良かった」


 茉莉花が、涙で濡れた顔を上げた。




 好きだよ。




 いつだったか、君は、()しかしたら、俺の大事な妹だったのかもしれないけど。


 俺の、大事な存在だったのかもしれないけど。

 そんなことは検証の仕様(しよう)も無いし。

 そんなのは関係なくて、俺は、君が好きだよ。

 君が、俺のこと、どう思ってても、関係無く、俺は君のこと、凄いと思ってる。


 君は、別に、完璧で強くて、何でも出来るってわけじゃないのに、(たい)して得も無いのに、俺を助けようとしてくれたんだ。

 困ってるって、気づいてくれたんだ。




「でも、俺の問題なのに、『怖い』ことも一緒に引き受けさせてしまった。それはやっぱり、良いことじゃないかも」




 多分、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を、翻訳(ほんやく)させてしまった。そんなつもりはなかったけど。怖くて当然だ、そんなの。




「ね、茉莉花さん」


 多分、今、生まれて初めて、女の子の名前を、ちゃんと呼んだ。




「この前の、茄子の味噌炒めも、キャロットラペも、美味しかったよ。有難う。俺、茉莉花さんが、駄目で、頭が悪いとか思ったことないよ。そんなことを思わせる為に、手伝ってもらった訳でも無いし」


 そうだ。俺は、この子が『好き』だ。認めよう。


 でも、良いんだ。『好き』の形には、もう(こだわ)らない。君のこと、好きでいいんだ。俺は、俺の考えた形で、君を『好き』でいる。完璧な人間も、完璧な人間関係も存在しないんだから、完璧な『好き』の形に、(こだわ)る必要はないんだ。完璧で正しいことより、グレーでも、君を助けたいし、楽になってほしい。


 君の全てを引き受けられないけど。


 俺には、やりたいことがあって、全部の台風の夜を、きっと、一緒に過ごせないけど。全部の誕生日を、クリスマスを、一緒にいられる保証は無いけど。


 人生の『一番』を君にすることが、きっと、出来なくて。


 『恋愛より楽しいことがある人間』だけど。


 別に、君に『好き』になってもらえるわけでもないけど。


 だからって、君が大事だと思う気持ちを、君に優しく接したい、という気持ちを、ゼロにも百にもしなくて、良いんだ、って。



「茉莉花さん。改めて、ちゃんと友達になろう。俺は一生、君の悪口を言わない。それだけは約束する。君が自分のこと、褒めてあげられないなら、俺は、一生、君を悪く言わない。俺は、一生、君を駄目だと思わない。そういう存在が一人くらい、いてもいいだろ?俺が他人に対して誠実になれる、ギリギリのラインは、ここだ。俺は、自分のことにばっかり時間を使いたいし、そういう時に、他人の気持ちを考えられるか分からない人間だ。でも、俺は一生、君を悪く言わない。俺が担保(たんぽ)できる誠実さの最上級だ、これが。頼まれたら結婚式のスピーチだって、君の子どもの出産祝いだって贈る。君が俺を友達だと思ってくれている限り、一生友達だ。それは裏切らない」




 そうだね、『同じ』人間なんかいないんだから、君と俺が『同じ』にはなりえないことは、本当は分かってる。でも、()()()()だったら、君が苦しいことを、少しだけでも引き受けたい。




「ベクトルのこと、ああいう風に考える人がいて、凄いんだなって思った。あと、俺が困ってるのに気づいてくれた。そして、得意なことじゃないのに、助けようとしてくれた。俺は君を凄いと思ってるし、感謝してる。有難う、茉莉花さん」


 本気で言ってる『有難う』だって、君は、分かってくれるよね。




 この子の(つら)さを、問題を、少しだけでも引き受けられますように。




 そして、この子の問題を引き受けたら、自分から、その問題を切り離そう。この場合、感情は雑音だ。


 やりたいことは、何だ?


『この子の気持ちを、少しでも軽くしたい』


 それなら、やりたいことを達成するための答えは何だ?


『俺は絶対に、君を裏切らない』




 俺は、君の全部を、引き受けられないけど。


 全部引き受けられないからって、全然助けないのは違うって思った。



 君が、自分が助けられないことでも、俺を助けようとしてくれたみたいに。




「ねぇ、茉莉花さん、これはね、()()が横軸で、()()が縦軸の話なんだ。もう、忘れ去られて、人はそれを『見ない』けど、確かに、あったことなんだよ。俺は、もう大丈夫。これは、『怖い』ことであるのと同時に、『解き明かしたい謎』になったから」


 そう、結局、翻訳(ほんやく)しても、霊障としての座敷童も消えなかった。

 そして、どうやら、霊障に、他人を巻き込んだ。

 それを、どうして良いのかは分からないが、行動は起こさなければならない。

 そして、霊障は解決しなかったが、『やりたいこと』は、残っている。






 おい。『出るはずのない文化財』。


 ()()()()()()()()蔵の(はり)の上から、『俺』の『妹』の上に、落ちてきやがったんだってな。


 ()()()()()()()。もう一度、(はり)から降ろして、白日(はくじつ)(もと)(さら)してやる。






 ここからは大丈夫、置換(ちかん)しよう、()()()()()()だ。


 大丈夫、俺達は置換(ちかん)可能(かのう)だ、茉莉花さん。ここからは、俺だけでやる。君は頑張らなくていい。






 気づけば、着物姿の二人は消えていて、歴史(つねふみ)さんも吠えなくなっていた。


 優将が、黙って、また、俺を()()()()()()()()らしい愛犬を抱き上げた。


 俺は、茉莉花の(かたわ)らに座ったまま、続けた。


「茉莉花さんの御蔭(おかげ)だ。あと、一緒に解読出来たり、御飯食べたりして、俺は楽しかったよ。うちの父親が言ってたんだ、そういうのを一緒にやったら、後からでも一緒に遊べるくらい、仲良くなれるかも、って。一生の友達になろう」


「…有難う。私も楽しかった。友達になってくれて…私の『御蔭(おかげ)』とか、そういう風に言ってくれて、有難う。なる、一生、友達に」


 茉莉花は、そう言って、涙を拭った。




「優将は、もう、友達だよな?」



 俺も、涙を拭ってから立ち上がり、優将の(ほう)を見て、微笑んだ。


 困ったような、泣きそうな顔をして、俺達二人を見ていた優将は、俺に背を向けて、言った。


「…ん。でも俺、お前の悪口、言うからな。そんな、…優しくないし、俺」


「そうかな、悪口言われたの、全然覚えてないな」


「…やっぱ、変、高良って。俺の話、聞くし。俺よりムズカシーこととか、変なこと、言うし。…俺の言うことに、操作…左右されないし。…全然左右されねーよな。『烏滸(おこ)がましい』とか『美形度の近似値』とか平気で言うし。変な単位作って…変な本の翻訳(ほんやく)に没頭して」


「そうだよ、俺って、そうなんだ」




 あ、…分かった。だから『友達』になろうとしてくれたんだな。




 『思いつく中で、一番頭が良さそうな奴に聞いてみた』




 全部は、最初から、あの言葉の中にあったんだ。『分かって』もらえるかも、って思ったから、俺を選んで、ベクトルの話なんか、してくれたんだよな。考えてみると、十字架と垂直ベクトルの話だって。


 一緒に話が出来て、一緒にいても、()()しなくて済む人間を、探してくれていたんだね。




「台風が怖いから一緒にいよう。ね、夕飯、食べよう、皆で。冷蔵庫に入れた煮浸(にびた)しも、そろそろ冷えてるし」


 俺が、「ね、優将」と言うと、優将は、歴史(つねふみ)さんを抱いたまま、こちらを向いた。


「俺、他人の意見に、ビックリするくらい左右されないみたいなんだ。他人の作る状況には振り回されても、結局自分のやりたいことが大事で、そういうののためだったら、他が、そっちのけに出来ちゃって、ブレ()()ないみたいなんだ」






『皆俺から逃げてほしいな』






「俺のことは遠ざけなくて良いだろ?」


 優将は、返事をしない。


「優しくなくてもいいんだ。『完璧な友達』なんて、別に()らない。()()、優将って、寂しがり屋で優しいんだって、思うことにしたから」


「…お前に、何の得があんの?俺といて」


「人間は、自分がしたいことしかできないはず、って、言ってたじゃん」




 お前と一緒にいたいんだよ、って言う前に、優将が、目を見開いた。






 ああ、()()()()。垂直に。何を考えているか分からない、UMA(ユーマ)だった存在と。俺達は、全然、違う存在のはずなのに。






「『分かってくれるかも』と思って、俺を選んで、信用して、「ムズカシー」話をしてくれたんだな?俺は、それを、友達になろうとしてくれたんだって、解釈(かいしゃく)する」


 育児放棄(ネグレクト)の話も、大事な『おんちゃん』と一緒に話をさせてくれたことも、他の話も、きっと、『分かってくれるかも』って、信用して、話してくれたんだね。




「あの本を一緒に読んでくれようとした二人は、一生『友達』だよ」


 腹立つけど、それは、父さんの言ってた通りになった。




「俺は一生、優将の話を、難しいって言わない。ちゃんと聞く。分からなかったら、分からないから説明して、って言う。それでも分からなかったら」


「分からなかったら?」


「一回忘れて、散歩して、何か、一緒に食べよ?そういう友達だっていいじゃん。友達とは、こうでなきゃ、みたいな方向性(ベクトル)、無いだろ?」



 完全に理解できなくたって、友達でいて、いいじゃん。



 茉莉花が、ヨロヨロと立ち上がって、言った。


「高良って、本当に、私に何も、こうしてほしい、って、押し付けないね。…だから、助けてあげたい、って、思ったのかな」


「そんなことないよ」


「え?」


献立(こんだて)に困ったら、心の中で、『茉莉花さん助けてー』って、思う。そしたら、あー、茉莉花さんは、茄子の味噌炒め作ってたな、挽肉(ひきにく)か夏野菜で、何か作ろうかな、とか、あー、レーズンって、ああやって使うのか、とか、アボカドって美味しいよな、とか、思うから。俺は、そうやって、頭の中の茉莉花さんに、一生助けてもらうんだ。『助けてー』って思って、頼ってるよ」


「…そう…なんだ」


「そうだよ。茉莉花さんは、料理が得意で、フルーツも、ちゃんと盛り付けて、出してくれる人なんだ。献立(こんだて)って、毎日のことだから、俺は、一生、友達の茉莉花さんに、助けてもらうんだ」




 だから絶対、駄目じゃない、君は。伝わるかは、分からないけど、君は、駄目じゃない。




「ね、俺達、ずっと友達だよね?」


「うん。…有難う、高良」




 泣かないでほしいな、って思うけど、何も出来ない。

 だから、言う。




「今度、また、カレーでも食べよ?次は作ってよ」


 じゃがいもと牛肉が、ゴロゴロしてて、半熟卵がのってるって、聞いたよ。何にも出来ないけど、俺は、それを食べたら「美味しい」って、言う。そして、君のこと、褒めるから。ちょっとでも、自分のこと、駄目じゃないって思ってほしい。


 泣いてるけど、笑って、「うん」って言ってくれたから、良かったな、と思った。






 好きだよ。





 

 一生、君を悪く言わない。


 俺の出せるだけの誠実さを込めて、それだけは、約束する。



 大好きな、友達。






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