翻訳: For it's all in some language I don't know.
お香さんが来た。今日は快晴である。諸々のことを教わる。内緒だ、と言って、讃美歌を歌ってくれた。短い歌だから、俺にも歌うように勧めてくる。男の子は、それを聞いて、面白そうに寄っていく。俺に懐いているので、お香さんの対応をする時にも、ついてきてしまうのだ。女の子は、お香さんに懐いた。お香さんも、可愛いと言っている。父の恥かきっ子だが、自慢の妹である。
―お香さん、顔が見えないけど。『妹』は…茉莉花さん、そっくりだな。
父は、そうは思っていない。Sから貰った後妻の子だが、後妻が死んでから、それほど可愛がっていない。父は、後妻と同じ時期に、後妻が連れてきた、若い下働きの女にも手を付けて、男の子を生ませた。女の子と男の子とは、同い年の姉弟だが、下働きの女に生ませた男の子は、同じ屋敷の中で、下働きの女に育てさせて、そんなわけだから、男の子は、自分のことを、父の子だとは知らない。その存在を憚るように、家では、男の子、女の子、と呼んでいる。正妻の生んだ、長男の自分ばかり大事にされている家で、そういうことが当たり前に育ったが、妹も弟も、自分に懐いているので、最近、あまり好い風に思っていない。
―『父』がSから来た下働きに、生ませた子。…優将そっくり。
Oの景色を誇りに思っている。堀屋敷からの屋敷林が、村全体を覆うように生えていて、遠くから、それが、田圃の中に浮かぶ城のように見える、と品さんに言うと、淳緒さんの言うことは学があって詩的だと言われる。
品さんは、村の中に入ってしまえば、開放的で、何も無いように思えると言う。
石工の次男坊、他所で、西洋の遠近法を習ったそうである。明るい人柄、碌山の知り合いだなどと嘯くが、真偽は分からない。渡仏したいなどと、よく冗談を言う。
―碌山?荻原碌山かな。美術館もあるくらいの画家。確か、明治の人だ。
若く見えるが年嵩。長男が死んだので、所帯を持って、石工を継いでいる。出稼ぎと称して、各地を見た、などと言うので、話を聞くのが面白い。
―うわ。笑うと糸目になるイケメン。目も鼻も口も立体的で大きいけど、横に広い、一重の目だから、笑うと、線だけで描けるような、直線的な印象の顔立ちになる。和風、というか。どの時代にいても、ある程度、綺麗、って思われる感じの顔だな。でも、ちょっと悪い顔して笑う時の色気がエグい。…見たことないけど、見たことあるような、不思議な系統の顔だな。背は高いし。…どこで見たんだ?
男の子は、自分の女の子が姉弟であることを知らない。そうは言っても、仲が良過ぎるので、後々、困ったことになるかもしれないから、いつかは教えてやるべきだろうか、と、迷っている。
お香さんから、今日も、土産を頂いた。数えで十八歳だと聞いている。勤勉にして清らかで、親孝行なので、こうして、両親の名代で、来てくださるのである。
様々なことを教えてくださる。日ごとに興味が増していく。自分も教会に行ってみたいような気がする。
蔵にあるもののために来てくれているのは分かっている。預かってから長い。返す当てもない。子ども達は、遊んでいる場所の真上にそんな物があるとは知らない。子どもを守ってくれるのではないか、と思っている。
―そんな物が、『子どもを守ってくれるのではないか』と思えるってことは、…そうなんだろうな。
男の子と女の子は、蔵の中で一緒に遊ぶことが多い。同じ家に住んでいるが、父が、二人が一緒にいるのを好まないので、隠れて遊んでいるのである。だから、二人が蔵で遊んでいることを知るのは、自分だけである。周りは、女の子が一人で蔵にいるところに、俺が偶に様子を見に行っているのだと思っている。父は、お香さんの弟に女の子を嫁がせる気だ。気は合わないらしいので、組み合わせとして、自分は好いとは思わない。父は、ただ、あの家との繋ぎに、妹を使う気でいるのである。お香さんの弟は、お香さんにべったりの甘えたで、俺のことも好かないし、親の名代で、木曽から、わざわざ、姉がOに来ることも、気に入っていない。時々ついてくるが、遠いので、泣きべそをかいている。男の子とは、気が合わぬでもないようだが、男の子が、頭が良いから遊んでやっているだけ、と感じる。男女七歳にして席を同じうせずとは言うが、皆、就学前なので、それでも、このように差があることかと、我が弟ながら、賢さに舌を巻くこともある。
―『就学前』。六歳くらい、ってことかな。明治三十三年に小学校令が公布されてる。やっぱり明治の話なのかな。
父は、女の子に振袖を誂える。本当に、愛らしい、自慢の妹なのだが、父も、そればかりは自慢にしていて、男の子の着物は、ほとんど気に掛けてやらないのに、女の子は、晴れ着をやって、女中に櫛梳らせて、烏の濡れ羽色の髪を美しく、切り揃えさせている。見せびらかしたい道楽と、お香さんの弟へ嫁に勧める為の工作だが、相手が興味を示さないので、無為に終わっている。なんの、幼い子等のこと、着飾らせて、互いの目に留まる、ということは、まだなかろうと思う。気が早い。
―相変わらず、お香さんの顔は分からないけど。…弟、ってのは、…慧に似てるな…。
あんまり妹が蔵で遊ぶので、サトさんが、お倉坊主であるようだ、と言う。サトさんの郷里に聞く、子どもの妖怪なのだという。男の子のことを教えないで、蔵で、内緒で一緒に遊ばせていれば、そういう風に言われるのだろう。
サトさんは、道祖神のことが分からない。自分の里で道祖神と言えば、丸い石なのだ、と言う。うちの妹が美しい顔をしているので、Oにある道祖神の像に似ていると言う。自慢の妹である。
サトさんは、苦労人である。家が没落して、宿場町にて、飯盛女紛いのことをさせられていたのを、馴染みの客とOに逃げてきて、所帯を持ったが、早死にされた。訳ありの女寡だが、元の生まれが良く、教養があるので、父が、妹の身の周りの世話をするように、女中として雇った。父が手を付けないように、気に掛けていたら、父からサトさんとの仲を疑われるようになった。大変面倒である。
分家の甲蔵さん、大変子ども好きである。自分も子持ちだが、男の子のことも、女の子のことも、気に掛けてくれる。甲蔵さんとサトさんばかりは、ツネと冊緒のことを、ツネちゃん、フミちゃん、と呼んでくれる。
冊緒、我が家の次男なので、父が、情け深い名付け親ぶって、名前ばかりは立派にしてやって、男の子、などと呼んで、長男の俺に、もしものことがあった時の跡取りとして、本人にも、親だなどとは教えず、屋敷で飼っている。ちゃんと学校にやってやりたいくらい頭が良い。お香さんの歌う歌も、すぐ覚えてしまった。他所では歌うなと教えるが、子どもだから、冷や冷やする。美以教会の大事な歌と教えても、分かるだろうか。
―ああ、着流しに襷掛け。優しそうな、甲蔵さん。親戚なのか。
数えで二十五歳になった。そろそろ嫁取りだと言われる。学校も出してもらったから、なにか文句が言える訳でも無い。お香さんが、また、来る。蔵にあるものを返してあげたいと思っている。
―『蔵にあるもの』。
父は証文を取って、預かり物をしているし、預かり賃も取っているらしい。あんな物を当時預かるからには、相応の対価を、と考えたのであろうが、時代が時代である。もう、うちが預からずとも、と思っているし、相手も、返してほしいから来るのだろう。父は、返す気が無く、金だけ欲しいから、大して可愛がってもいない妹を嫁にくれてやって、繋ぎにして、ずっと金を引き出そうと考えているのだろう。そんな大事な物だから、金を出し続けるのであろうので、相手にしても気の毒な話である。
返せば、お香さんは、もうOに来ないであろう。
大事な物のため、美以教会の集会ついでに、寄ってくれているだけである。木曽は遠い。
数えで十八とあれば、そろそろ相手も嫁入りである。縁がなかったのだろうと思う。
父は名士である。筆塚など建ててもらっているが、実際は、このような有り様である。外面が良いから、あまり知られていない。お香さんの両親も、この顔に騙されて、あんな大事な物を預けてしまったのだと思う。
―あんな大事な物。そして。
―『筆塚』。
―柳澤品弥作。明治24年(1891)建立。
品さん、女の子を素描する。度々、素描するが、女の子は、それほど喜んでいない。像を作る時の見本にしたいのだと言う。確かに美しい妹だが、あまり喜んでいないので、満七歳の頃には、遠慮させてもらおうかと考えている。品さん、男の子の方は、目に入っていない。単に、身分低い、下働きの子だと思っているのだろう。素描の時には、一緒に遊べないので、男の子も、女の子も、あまり喜んでいない。
―素描。未就学児の女児を、ずっと?そんで、男の子には目がいってない、って。…え、大丈夫なのか、これ。
臥雲氏逝去の知らせ。真の名士と思う。
―臥雲辰致のことかな?
蔵の梁から、預かり物が落ちた。頭に当たって妹が死んだ。預かり物が血染めになったので、返せなくなったと父が言う。
―えっ。
夏に近所で火事があった。これ幸いと、父が、女の子と証文を、便乗して焼いた。せめてもの供養にか、振袖まで焼いてやった。
―あっ。『明治34年(1901)、南の民家の火災の火焔を受け、損傷している。』…まさか。
男の子は、女の子が死んだのを知らない。焼くまで、亡骸を父が隠していたからである。ずっと探していると、父が、お前の姉は山へ行った、と嘘を言った。
姉だと知らなかったのも手伝ってか、山に探しに行ったのか、男の子もいなくなった。父が、男の子の火遊びのせいでの火災、ということにした。自分の子だなどと公表していないから、出来ることである。責めを負って、下働きだった母親はSに帰された。既に身寄りなど無いから、野垂れ死ぬだろう。
―そんな。
火災の後から、小さい骨が出た。当たり前である。妹のものであろう、振袖の切れ端が出たので、周りが、その骨だろうと言う。夏に自分で振袖を着ている訳はないのに、誰も疑わないのが腹立たしい。
男の子が火付けをしたことになっていて、女の子もいなくなっているから、身分違いの心中か、などと言い出される。そんな年頃ではなかろうと俺が言っても、一度噂が立つと尾鰭がつく。
―嗚呼。
近所で、小さい子を見た、という噂が立つようになる。男の子だとも、いいや女の子だとも、男女だった、とも言われて、はっきりしない。蔵や戸口の周りで、うろうろする姿を見るのだと言う。きっと、家に入れてほしいのだ、と、誰かが言い出した。
男の子がまだ、生きているのでは、と思い、合間を縫って、山へ探しに行くが、見つからない。父は、男の子を探されるのを嫌がる。
あまりも噂が立つと、父も、居心地が悪そうである。品さんが、提案してきたので、父が従う。他所で、そういう絵馬を見たので、死んだ後で、あの世で結婚させてやったらいいと、品さんが、素描を元に、男の子と女の子が抱き合っている石像を彫った。仕事が早い。道祖神に、そっくりである。新盆の頃、出来上がって、蔵の前に置く。
供養になるのだろうが、良い気持ちはしなかったようで、父は、妹が死んだ蔵の前に、それを置いているのを、余所者に見られるのを嫌がった。
周りも、像が出来てから、家に入れてほしがる子どもが出なくなった、と言い出した。
哀れに思ってか、像に話し掛ける人もいる。特にサトさん。
男の子が死んだのではないか、と、気が気ではない。山へ探しに行く日を増やすが、成果は無い。骨なりと見付けてやらねば、と思うが、三ヶ月経った。
―『あの世で結婚させてやったらいい』?冥界婚みたいな発想か?『ムサカリ絵馬』みたいな。
―え、『双体祝言像』?じゃ、ないじゃないか。道祖神ではない。
お香さん泣き伏す。父、火災で預かり物が焼けたから返せぬ、と、傍目にも明らかな嘘を言う。証文も焼いて、周りにも秘密だったから、まだ蔵にあるというのに知られておらず、嘘八百。庇おうとして父に殴られる。
返せぬ有り様になったのであれば、捨てるなりすれば、と思うが、祟りでもあると思ってか、仕舞い込んでいるばかり、ほとほと呆れる。
―まだ蔵にある。
サトさん、ずっと、泣いて、妹を懐かしむ。甲蔵さん、男の子を庇うが、皆、父を信じて、火付けと心中の犯人として扱う。
―ここからは、書かれていない話。
ツネ、七月に死亡。
冊緒は賢くて、二ヶ月は山で生きていたが、『俺』に見つけられることなく死亡。
十月、冊緒を探して、山で『俺』は、滑落して『享年二十五歳』。
本家の跡取りが二人共失踪。
『父』は、分家の甲蔵さんに本家を継いでもらおうとしたが、父の冊緒の扱いに立腹していた甲蔵さんは、それを断って、Oを出てしまう。
別の分家の人間が『降籏家』を継いだ。
『俺』は『降籏淳緒』。『享年二十五歳』。