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座敷童の恋  作者: 櫨山黎
第八章
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ツネと冊緒:My precious Jasmine! My imperial Cheshire cat!

 雨合羽(あまがっぱ)が大嫌いな歴史(つねふみ)さんなのだが、優将が、黄色い雨合羽(あまがっぱ)姿(すがた)を褒めちぎると、凄く得意そうに、雨の中、一緒にスーパーに行ってくれた。


 俺の黒い傘と、優将が絆の家の経営するコンビニで買ったビニール傘が、風に(あお)られて、ババババ、と、変な音を立てた。


 トイレを済ませた歴史(つねふみ)さんが、途中、嫌そうに立ち止まってしまったので、俺は、傘を諦めて、黄色い雨合羽(あまがっぱ)姿(すがた)歴史(つねふみ)さんを抱いた。

 優将が、自分の透明の傘を差しかけてくれた。


 傘が意味が無いくらい濡れたが、一つの傘で、二人で、ずっと笑って、店まで歩いた。

 眼鏡だったら、濡れて、見え難かったかもしれないから、使い捨てのコンタクトレンズを買って良かったと思った。




 スーパーの外で歴史(つねふみ)さんと待っていると、優将が、本当にカシェのチョコレートを買ってきた。


 二枚しか置いてなかったのに、「買い占めた」と言って、笑う優将の顔が、本当に、小さい子みたいで、何か、笑えた。




 優将に、歴史(つねふみ)さんと家に入ってもらい、黒い傘を差して、庭の、歴史(つねふみ)さん専用のゴミ箱に、糞の入った袋を捨て、待ち合わせをしていた、最寄り駅の北口に行向かった。


 そこに、透明のビニール傘を差しているというのに、哀れなくらいびしょ濡れの、待ち合わせ相手を見つけた。


「高良」


 いろんな感情が胸に去来したが、「行こうか」とだけ言って、俺は、何とか微笑んだ。


「…優将から、聞いたんだ。台風で、親御さんが帰って来られないって。一人でいるくらいだったら、翻訳(ほんやく)作業、手伝ってくれたらいいなと思って」


 嘘だった。でも、『一人でいるくらいだったら』って思ったのだけは、本当だった。


 ごめん、本当は知ってる。


 台風じゃなくても、親御さんが帰って来ないことも、君が、台風の風の音が嫌いなことも。全部知ってて、知らない振りをしてる。


 …君のお父さんが、他人に何をして、何をされたのか、知ってる。


 さっきまで君の彼氏と一緒だったし、彼氏に、君を俺の家に泊めることも、言ってない。


「一駅だけど、まだJR、止まらなくて、良かった。うちの親も、帰って来られるかなー。…レインコート、持ってなかったんだね。雨の中、来させて、ごめん」


 茉莉花は、ギュッと目を閉じると、ぶんぶん、首を振った。


 濡れた髪が、頬に、少し貼り付いていた。白いカットソーに、珍しく、ネイビーのチュール地の、ロングスカートと、あの、白いサンダルを()いていた。


 何故か、長いこと会っていなかったような気分になって、胸が苦しいような気がした。


「来てくれて良かった」


 暴風の中、「俺、台風が怖いんだ」と、嘘を言うと、相手が泣いたので、困った。取り敢えず行こうか、と、掛ける、俺の声が、風に混ざっていく。


「有難う、高良。…うん、私も、台風、怖い」


 自分も泣きそうになりながら、「そっか」と言って、自分の頭より低い位置にある傘の隣を歩いた。




「風が、窓から迫ってくる感じがするんだ」


 俺が、「台風の時?」と言うと、茉莉花は「うん」と言った。相手は透明の傘だから、俺の位置からでも泣き顔が見えて、何だか、苦しい。


「窓の隙間で、ピーッて、台風の風が、音を立てるのを、一人で聞いてると。…『お前のことなんか誰も好きじゃない』って、誰かに言われてる気になるんだ」


「え?」


「こんなに外が怖いのに、お前が一人にされるのは、こんなに部屋が暗いのに、一人にされるのは、お前が、皆から嫌われてるからなんだ、って、言われてる気になるんだ。…そしたら、部屋の電気、()けられなくなるんだ」


「何で…?」


「こんなに部屋が暗いのに、一人にされるのは、何か、悪いことをしたのかもしれないって、思っちゃって。じゃあ、ずっと、暗い場所にいて、怖い音を聞いて、じっとしてた(ほう)が良いのかもしれないって思っちゃって。…いっつも、優将が、電気、()けてくれてたんだけどね。停電の時も…何か、懐中電灯とか…」


 涙声が、「雷の(ほう)が好き」と言うのを、聞いた。


「暗いより、好き」


 自分も泣かないようにしながら、「そっか」と言うしかない、俺の目に、相手が、凄く小さい子のように映った。




「わ、JR止まった」


 俺より先にシャワーを浴びて、昨日のとは別の、青い甚平に着替えた優将が、ニュースを見ながら、嫌そうに言った。

 優将の携帯は、俺が無理矢理、リビングで充電させている。幸い、父親の充電器と型が合ったのだ。


 シャワーの前にコンタクトレンズを(はず)した俺は、眼鏡を掛け直し、風呂上がりの髪をタオルで拭きながら、携帯を確認した。


「うちの親からも帰らないって連絡来たわ…。お友達と一緒だから大丈夫でしょ、だって」


「…女子泊めるって、言った?」


「親が帰って来られない友達二人、としか伝えてないから、昨日と面子(めんつ)が同じだと思ってる可能性あるな…。いや、もう、しゃーない。非常時だから。電車が止まるような天候なのに、今更帰せないだろ」


 父親も、午前休だった母親も、通勤したのだが、想定より、台風の進路が早かったのである。


 台風だけど仕事は行く日本人の気質(きしつ)って、こういう時、ホント、良くないよなって思う。

 塾に行った奴等は、どうしたかな。

 昼まで、雨も降ってなかったから、油断したってのはあるよな。


 両親は、職場で足止めになる前にサッサと個別にビジネスホテルを取って、一泊の構えだそうだ。決定したのは母である。


 …今、雨に濡れて家に来た女子に風呂場を貸してると知れたら、目玉が飛び出るかもしれんな。


「かーちゃん、判断(はや)ない?ビジホ取ったん?タクシーで帰るとかは?」


「あー、母親は、仕事先のキャンパスがさ、駅ビルに入ってんだ。凄い近いんだよ、ホテルが。逆に、帰宅困難時って、ホテルもタクシーも、早い者勝ちだから。帰るのに苦労するくらいなら、ビジネスホテルで優雅に一泊する気なんだよ。俺も、もう高校生だし、(たま)にあるんだ、こういうこと」


「えー…合理(ごうり)ぃ。やらんかもだけど、ゲームとかさせたら、効率(こうりつ)(ちゅう)になりそ」


「うん、我が親ながら感心する…。(すき)も可愛げもないくらいの合理主義だから…」


 怒られそうだから言わないけど、『可愛げがない』とか。


「ツネ、今日はリビングな」


 優将が、皆より先にお風呂に入ってピカピカになった歴史(つねふみ)さんを抱き上げながら、微笑んで、そう言った。歴史(つねふみ)さんは、大人しく抱かれている。


「そう。夜はお客さんと一緒にいてもらおう。女子はリビング、優将は俺の部屋」


「そっか、ツネ、女の子だったな」


「よし、優将が、歴史(つねふみ)さんを見ててくれるなら、夕飯作るか。停電になる前に」


「…マジで和食、作ってくれるん?」


「茄子と鶏肉の甘酢煮(あまずに)と、味噌汁と、オクラの煮浸(にびた)し。昨日、手羽元が安くて、一キロ買っちゃったよ。朝は、停電にならなくて、冷蔵庫の中の食材が無事だったら、柳葉魚(ししゃも)な」


「旨そうだけども…。何で、クラスメイトに、昨日の昼から、ズーッと、飯作ってもらってんだろ。朝もエミちゃんが作ってくれたしな…。冗談抜きで、意味分からんくなってきた…」


 大丈夫、俺にも分かってないから。


 優将は、歴史(つねふみ)さんを抱いて、歩いて、優しく揺らしながら、「上手くいかんな」と言った。


「離れようとしてるのに…」


 ()()()()()()()


 この、高知能の人間が、いろいろ画策してるのに、()()()、茉莉花さんと離れることは、成功してないんだよなぁ。台風まで来ちゃって…。




 夕飯の支度をしていると、湯上りで、髪を乾かし終えた茉莉花が、白い、着てきたものとは別のカットソーとジーンズ姿で、リビングに来た。


「有難う、高良。あ、眼鏡に戻ってる。(なん)か手伝う?」


「ああ、これは、夕飯の分なんだ。あと二十分弱火で煮ておけば、出来上がるから。こっちは、十八時くらいに食べようか、停電になっても嫌だし。お昼、食べた?」


「うん、食べた。え?高良、食べてないの?もう、おやつみたいな時間だけど」


「朝が多めだったところに、雨が降っちゃって、バタバタしてさ。あー、おやつ食べちゃうか、優将」


「え?優将も食べてないの?」


 優将は、歴史(つねふみ)さんを抱いて、歩いて、優しく揺らしながら、こちらを見ずに、「んー」と言った。


 俺が、「コーヒー飲む?優将」と聞くと、また、そのまま、「んー」と言った。


 …茉莉花さんの顔、見ようともしない。

 「茉莉花が台風の日に一人だ」って、死にそうな顔してた(くせ)に。


「あ、じゃあ…コーヒー、()れてくれる?そこに、道具、揃ってるから。俺、オクラ()でた時の(ざる)とか、洗っちゃう」


 茉莉花は、微笑んで「分かった」と言った。


 俺が「実はコンビニで、シナモン買ったんだ」と言うと、優将が、目を見開いて、こっちを見たので、思わず、ニヤッと笑ってしまった。

 そう、お前がビニ傘買ってる時にね。絆んちのコンビニは、謎の品揃えなんだよ。


 …いやー、チャツネ、まだあったよ、棚に。

 どういう客層向けの商品なんだろうな…?




 俺が、甘酢煮(あまずに)の鍋の火を止める頃、コーヒーも入った。

 俺は、藍色のマグカップを三つ出した。


「あ、優将、郵便物、台風で濡れそうだったから、朝、ポストの奥に押し込んどいたよ」


 コーヒーをカップに注いでくれながら、茉莉花が、穏やかに、そう言った。優将が、また、振り返りもせず「んー」と言った。


 あ、自然。


 やっぱり、この組み合わせが自然だな、って、俺も、思ってしまっていて。

 …この二人が、離れなきゃなんない理由の(ほう)が、分かんなくて。


 黙って、冷蔵庫から、牛乳を出した。


 蜂蜜入りのホットミルクにするかと言ったら、茉莉花は喜んで、自分で作ると言った。俺は、更に、藍色のカップを、三つ出した。


「私、三人分作るね」


 その声は、明るくて。


 一人で、暗い場所で、風の音に責められている気分で置いておくんだったら、全部のことを脇に置いておいて、これでいいんだ、と思えた。


 現実の(つら)いことは、何も解決してないけど。


 白い無地の琺瑯(ほうろう)の鍋が、少し重いけど可愛いね、とか、焦げやすいから気を付けてね、とか、こういう、つまんない話で構わないから。


 誰も自分のことを好きじゃない、って気持ちになってほしくなくて、このまま、ずっと話していたい、と思った。




 乾燥モードに設定した食洗器に、食器類を入れながら、俺は、「何食べようか」と言った。


「あ、チョコレート食べる?優将のカードで買ったものだから遠慮は()らないよ」


 俺の言葉に、また優将が、目を見開いて、こっちを見た。

 微笑み掛けると、優将は、そっぽを向いて「喰えば」と言った。


 優将が優しく抱いている歴史(つねふみ)さんは、うとうとしていて、優将が、どんなに()()()い言い(かた)をしても、全然、効果が無くて、俺は、クスクス笑った。


「降ろしなよ。おやつ、食べらんないじゃん、優将」


「…いーの」


 俺が、食洗器のスイッチを入れて、手を拭いてから、「ほら」と言って、歴史(つねふみ)さんを抱き取ると、優将は、少し(ふく)れた。


 その顔が可笑(おか)しかったから、また微笑んだ。




「コーヒーもホットミルクもあんの。(みず)(ぱら)になりそ」


 …こらこらこら。思っても無いこと言うなよ。悲しい顔してるじゃないか、幼なじみが。


 茉莉花が、少し赤くなりながら、「チョコレートには合うもん」と言うと、優将は無表情で、「あっそ」と言って、ダイニングテーブルの席に着いた。


 茉莉花が、優将の前に、ホットのブラックコーヒーと、ホットミルクを置いた。


 優将のコーヒーにだけ、シナモンが入っているのを見て。


 何故か一瞬、胸が痛かった。


 抱いている歴史(つねふみ)さんが、規則的な呼吸を出し始めたので、背中を()でた。


 暖かいな、と思った。




「えー。…胡椒(こしょう)?なの?」


 茉莉花が、優将の正面の椅子に座って、チョコレートを(ひと)()けら食べながら、不思議な顔をした。


「美味しいけど、初めての味。…へー、これ、チョコなんだ」


 白い頬が、ほんのり紅潮していく。

 フルーツを、優将の家の冷蔵庫で見つけた時と同じ顔してるから、美味しい時の顔なんだ、って、今なら分かる。


 買って良かったね、と、心の中で(つぶや)いていると、優将が、俺の口の中に、チョコレートを(ひと)()けら、突っ込んできた。


「…ちょっと、優将さん」


「ツネ降ろさないと、おやつ、食べらんないんだろ」


 優将が、そう言って、ニヤッと笑った。その顔を見て、茉莉花が、驚いた様子で「仲良いんだね」と言った。優将は無表情に戻って「いーから喰え」と言った。


「旨いだろ、高良」


「…んー」


 甘いけど、ちょっと、ほろ苦くて、ちょっとだけピリッとしてて。噛むと、胡椒(こしょう)の粒がザラっと潰れて、フワッと、胡椒(こしょう)とレモンの香りがして。


 自分は一生、この味を忘れないんだろうな、と、直感した。




「あ、旨いけど。モリモリ食べる感じの味じゃないな。高級感があって。うん、美味い。コーヒー、合うよ、ありがと」


 歴史さんを抱いたまま、片手でコーヒーを飲んで、礼を言うと、茉莉花は、ほんのり染まった頬のまま、微笑んだ。


 出された物を全て飲み終えた優将は、無表情で、「電話してくる」と言って椅子から立ち上がり、充電が出来てきたらしい携帯電話を、充電器から取ると、リビングから出て、玄関の(ほう)に向かった。


 茉莉花が目を見開いて、「玲那(れな)かも」と、小声で言った。


 俺は「そうだね」と言うしかなかった。玄関から、低い声が、ボソボソと聞こえた。歴史(つねふみ)さんは、起きない。


 テレビのニュースは、不安な台風情報を垂れ流し続けて、窓からは風の音がして。…やっぱり、問題は、何一つ、解決してないんだ、ってことを、再認識させられる。




翻訳(ほんやく)、有難う。進んだね。昨日の分は確認できてないんだけど、凄く助かってる。()しかして、担当部分の前半は、ほぼ終わってる?」


 結局、歴史(つねふみ)さんを抱いて立ったまま、コーヒーもホットミルクも飲み終えた俺が、カップをダイニングテーブルに置き、抱いている歴史(つねふみ)さんを優しく揺らしながら、そう言うと、茉莉花は、顔を曇らせた。


「…変なの」


「え?」


「何か…読める、って言うか。読め、ちゃう?…変なの」


 茉莉花が、少し震えているのが、分かった。


「何か…分かっちゃう」


「古典…得意なんだっけ」


「いや、でも、何か。変、なの。隙間時間に、ずっと読んじゃって」


「…そう、なの?」


「あ、ほら。それこそ、この子の名前で思い出したけど。ツネっていう女の子と、(ふみ)()っていう男の子がいて」


「え?…男の子(をのこご)女の子(をみなご)、名前、出てきたの?」



 その名前。


 動悸(どうき)が激しくなる。



「…何か、感情が流れ込んでくる、って言うか」


「大丈夫?…震えてるよ?」


 茉莉花が、両手で顔を(おお)った。

 俺は、思わず、左手で歴史(つねふみ)さんを抱いたまま、右手で、その、華奢(きゃしゃ)な肩に()れた。






 目の前に広がるのは、緑の豊かな場所だった。


 黒っぽい着物に、襷掛(たすきが)け姿の野良着の男性が、こっちに微笑み掛けてくれた。


 燃えるような赤い夕暮れだった。


 会ったことがある、その人は、「(よし)()さん」と、声を掛けてくれた。

 

 俺が「(こう)(ぞう)さん」と呼び掛けると、相手は、もう一度、微笑み返してくれた。






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