異界:Give me a sandwich!
For, you see, so many out-of-the-way things had happened lately.
え。何で。
左側が重いと思ったら、腹の上にイケメンの腕が乗ってるし。
苦しいと思ったら、右の腰に、美形がしがみ付いてるし。
…ええ…?
あ、寒。喉痛。
…あー、分かった。
お客さん泊めるから、強めにエアコン設定して、日中のロフトの熱気を飛ばして、部屋を冷やしてから、弱冷房にしようと思って、忘れて、そのまま寝たから…。
お客さんに、俺の体温で暖を取られているわけだな…。
しまった、そりゃ、エアコンのリモコンの場所が、皆、分からなかったよな。教えなかったから。悪いことしたかな。風邪引かせたかな?熱中症にさせるよりは良いかもしれないが。
どうしてこうなった。
動けねー。
あと、寝起きで眼鏡を掛けてない視力で見ても、寝顔が綺麗過ぎて引いてる。
特に、右の腰に巻き付いてる人、天使の寝顔してんな。Émileも、美しい鼻筋の横顔を御披露くださっている。
…まだ夢の中にいるのかな。
…じゃあ…。同じ設定で、女の子が良いかな、未だしも。
あと、こういう時は座敷童、出て来ないけど。
あの、着物姿の女の子とかに、こういう場面を見られるの、何か、…しんどいな。
…頭、回らない。
座敷童に、何の気を遣ってんだ、って話ですがね。
取り敢えず眼鏡を掛けよう、と、体を起こすことを試みてみると、耳元で、「ねぇ起きて」という、優しい声がした。
首だけ動かして、そちらを見ると、切れ長のキャットアイが、焦点の定まらない俺の瞳を捉えた。
あー、近眼ですが、この距離なら分かりますよ。
こいつぁ凄ぇ。
寝起きの浮腫み、みたいな現象、無いんですか…?
直線的なパーツの顔立ちだから、うっかりするとキツい印象になりそうなのに、太めの眉と、少し厚めの、大き目の唇で、不公平な程に調和の取れた顔になっていて、シャープな顎のラインと黒髪で、それ等が更に綺麗に纏まってる、というか。
不公平って、誰に対する不公平かって、俺に対する不公平ですが。
うぉー、目ぇ覚めた。
何でイケメンにフランス語で起こされてるのかは分からんが、目は覚めたぞ。
Émileは、いつになく、ふにゃり、と笑って、「やっぱり、眼鏡取ってた方が良いな」と言った。
「前から思ってたけど、口が開くと、何か、三角で、ウサギみたいで可愛いね。人中短いんだ、高良」
???
…はぁ、左様で御座いますか…。はい、本日、眼科に行かせて頂きますので…。目は覚めたけど、頭は回らんな。あ、声、出ない。
咳き込みながら「おはよう」と言うと、日本語で「おはよう」と返ってきたので、ちょっと安心した。
「あ、洗面台の収納に、髭剃りとかの、来客用のアメニティグッズがあるから、好きに使って…。あと、キッチンに置いてある、俺の、黒いエプロン、使って良いから」
Émileは、「そっか、ありがと。朝御飯作るね。じゃあ また あと で」と言うと、サッサと甚平から、黒いTシャツとジーンズに着替えて、ロフトを降り、俺の部屋を出て行った。
…寝起きの良い人だなー。
そんで、フランス国籍だとカミングアウトしてからの振り切り方。
いや、母親の客は、海外からの人が多いから、幼少期に、母親から、英語は勿論のこと、数ヶ国語の挨拶程度は出来ておけ、っていう、謎の教育を受けたから、簡単な挨拶くらいは理解出来るけど。寝起きに、日本の自室で、何でフランス語を聞かないといけないのか、までは、分からんな…。
動けない俺は、Émileの姿を、呆然と見守ってから、腕だけ伸ばして、枕元から探し当てた眼鏡を掛けた。急に、ソフトフォーカスだった世界の輪郭が、はっきりした。
枕元の目覚まし時計を見る。
…六時か。
きっと、疲れてるから、『茉莉花さんの彼氏』に、添い寝されて、甘い声で、耳元で起こされて、しかも、それが、何かフランス語で…あと、何か、褒められて、そしてこれから朝御飯を作ってくれる、という夢を見てるんだな…?
いや、夢だとしたら、逆に、俺の潜在意識、どうなってるんだろうな…?
小説より奇なり、ってやつか。…現実の解像度が、局地的に、豪いことになってるな。俺の視力で、眼鏡なしで分かる美、って、画素数どうした。
そして、右の腰に巻き付いてる人が起きない。遅くまで付き合わせてしまったから、寝かせてあげたいんだけれども。動けねー。
「ごめんな、優将。エアコン、寒かったな」
声を掛けると、優将が、ゆっくりと俺から離れて、モゾモゾと起き上がった。
あらー、こちらは、寝起き、悪い。
そして、喉がカラカラだ。失敗した。
ぼんやりと、「んー」と答える優将は、何だか、小さい子みたいな表情をしている様に思えた。
目が閉じられていると、本当に睫毛が長い。
ま、髭の薄い人、というのは、一定数、存在するかと思うんですよ。
ただ…人体には他に、寝起きの浮腫み、っていう現象があったと思ったんですが…。
先程から、観測できないですね…?
霊障で、異界に来てしまったのか…?ここは、俺の部屋だと思ったんだがな。
いや、美形とイケメンと一緒に寝起きする霊障とか無いだろうし、ただ単に、寝起きも顔が綺麗な人間が二人、俺の部屋に泊っただけなんだろうな。
…霊障より、そっちの方がファンタジーだと思えるのは、何故なんだろうな?
「エアコン、弱くするよ。もう少し寝る?優将。今、朝、六時過ぎたとこ」
「や、起きる…。変な夢見たし。切って良いよ、エアコン。着替えて、下に降りるわ。洗面所借りる。おはよ、高良…」
「おー、夢見、悪かったか。おはよう」
昨日、疲れさせたんだったら、悪かったなー、資料まで漁らせてしまって。
「…んー…、何か、高良が口説かれてる夢見た。…ウサギみたいで可愛い、って」
あー…。うん。
「夢だね、夢。起きよ?」
夢、夢。はい、起床。良い朝だ。エアコン、切るよー。
…いやいや、マジでフランス映画みたいだ。
映画なんて、親に付き合って見る程度だから、本当に、大した数、見てないし、こんなシーンは知らないから、フランスの映画、みたいなのは、俺の勝手なイメージだし、ロケーションは異界で決定かもしれないけど。
えー、身支度を終えて、階下に降りて、優将さんと洗面所に行きましてね。優将さん、昨日のシャツ、皺になってたんで、うちで洗うことにして、俺のモスグリーンのTシャツ貸して。
で、身繕いを終えて、煉獄に向かいましたら、…朝から、イケメンが、海老を茹でてくれていたんですよ…。
何を言っているんだと思われるでしょうが。
昨日俺が、エビフライにする気力を失くした海老が、綺麗に爪楊枝で背ワタを取られて、茹で上げられていまして。手際よく殻が剥かれて、アボカドと和えられて。
聞きます?御手製のソースの話…。
マヨネーズとケチャップ半々に、粒マスタードと、うちの父の好きなピクルスを刻んで、混ぜてくれまして。
そして何と、Émile、フライパンを使用して、一番良い具合まで食パンをトーストしてくれまして。ええ、外カリッと、中フワッと、良い感じで食パンの湿気が飛んでて。
あ、正解された方、いらっしゃいますか?これらを使って、海老とアボカドのサンドウィッチが完成したんです。ねー、俺は、分かりませんでしたぁ。どうでした?
いや、優将さんはですね、どうしたかと思うじゃないですかぁ。
それがですね、…コーヒーのドリップを始めたんですよ。嘘じゃないんです、俺、見たんですよ…。巧いのなんのって。うち、ドリッパーはあっても、ドリップケトルなんか無いから、いつもの、白い琺瑯の笛付きケトルなのに。
うわぁ、見間違いかなぁ、怖いなー、怖いなー、と思って見てたらですね。
トーストの香りと、コーヒーの香りがしてきまして…。はい、今、我が家ににシナモンが無くて、申し訳ないくらいでした。ええ、綺麗に豆の粉から泡が膨らんでましたよ。
で、ベーコンですよ。気になりますよね?だってフライパンでトースト作ってるんですもん。
…いやー、これ、フライパンでトースト、って、トースターの掃除も要らないし、頭を殴られた様な気分でしたね、画期的過ぎて。
ほらー、うちの合理主義の母親が、『トースターを処分してフライパンでトースト作るようにしようかしら』って目で見てるじゃないですかー。ミニマリストでもないのに、物を所有しないことに掛ける、この情熱の原動力は何でしょうか、トースターに村でも焼かれたんでしょうか、焼かれてたのはトーストだったはずなんですが。
はい、本題のベーコンですが。
なんと、キッチンペーパーで挟んで、500Wで三分チンして…。カリッカリの、チップスみたいな、素敵な焼き上がりになったんですよぉ。脂も綺麗に落ちてるから、優将さんにも安心ですね。
フライパンに油汚れがつかない上に、余分な脂が落ちて、フライパンで焼くより、短時間で…。華麗な、学ぶ事柄しかない動き。ちょっと、これ以上、詳細に見るには、動体視力の鍛練が必要かもしれません。
さぁ、ここからが佳境です。
PB&Jの登場です。
そう、Peanut butter & Jelly sandwichです。
ええ、この方、アメリカ帰りでいらっしゃるんです。
うちの父親の好物のブルーベリージャムと、俺が炒め物の隠し味に使ってる、スキッピーのピーナッツバターの粒入りと。…カリッカリのベーコンを…。
挟んだー!やりました!本場のPB&Jの完成です。
いやー、PB&Jに、更にベーコンを挟むんだ、と気付いた時から、滾る展開になりましたね!
いや、もう、赤T先輩と一緒にですね、口を開けて見てました、はい。
優将さんが、テーブルセッティングまでしてくれるもんで、キッチンの傍らに、ぐっちゃぐちゃの黒い甚平を着た赤T先輩と棒立ちで、心の中で実況するくらいしか、仕事が無いですよ。
凄いっスね、先輩。みるみるうちに、二種類のサンドウィッチが完成して…やっぱり俺達、異界に迷い込んだのかもしれません!
…ここ、煉獄だと思ってたんですけど…。似た様なもんなんですかね?
一連の出来事を、口を開けて見てたら、Émileが、ふふっ、と笑って「はぁい、やっぱりウサギみたい」って言ってきたもんで、我に返りました。
あ、優将さん、こちらを驚愕の顔で見るのは止めて。あれは夢だから!
七時前くらいに朝食が完成したのと同時に、父が、灰色の甚平姿で起き出して来て、煉獄の様子を見て、目を擦った。
俺が「…おはよう 父さん。よく眠れましたか」と言ったら、父は、困惑した様子で、「うん、よく眠れたよ、ありがとう」と言った。
ダイニングテーブルの席に着こうとしていた赤Tと優将が、目を瞬かせながら、こちらを見た。
降籏教授、寝起きでも口が回るのは偉いなって思いました。流石、大学ではフランス語選択でいらしたとか、昔取った杵柄ですね。
凄いボリューム。…食パンに具材をサンドしたのを半分に切って、一人、二種類ずつだから、都合、食パン四枚だもんな。…父さんと赤T先輩は、逆に、ギリギリ足りるかな?ってくらいだけど。
うちの母親が、来客時には、事前に食パンを三斤取り寄せて、オーダーで一斤八枚切りにしてるんだが、今回は正解過ぎたな。使い切ったかー。
因みに、スライス後の食パンは、余ったら一枚一枚冷凍保存です。冷蔵保存だと、パサつくし、冷蔵庫の臭いがつきそう、と言って、うちの母親が嫌がるんですよ。
自由にキッチン使って良いって言う割に細かいなーって思いながら暮らしてます。
父親は全く、そんなこと言わないんで、これまた対照的ですな。
あと、PB&Jか…。好きは好きなんだけど。俺と母親の共通点なんだが、甘い物を、食事として食べられないんだよな。おやつ、って感じで、朝食や昼食の括りで食べられないんだよ。…美味しそうではあるし、せっかく作ってもらえたんだから、デザートのつもりで食べるか。
PB&Jはアメリカの弁当のイメージだけど、この、朝にViennoiserieを食える感覚が、多分、フランスなんだろうな。PB&Jがタルティーヌ位置、と言いましょうか。
寧ろ、フランスだと、しょっぱい物が朝御飯に出るのが珍しいと噂で聞いたので、和洋、というか、米英仏を、好い感じで折衷してくれていると言えるのかもしれない。
ホットのブラックコーヒーがあって良かった。優将さん、最高。
え、美味いわ、このコーヒー。味に膨らみがある。…本当に、いつもと同じ豆?
優将さん、流石です。そして、突っ込まないけど、ブラックで飲んでて、凄い。マジで『後から本当に』するんだなぁ。鉄の意志を感じる。
今朝の降籏家のキッチンというフィールドに於いて、Émileに引けを取らない動きが出来るって、やっぱりUMAか妖怪だったんでしょうか。
そうだ、Émile、カフェオレボウルとか無くて、すまんな。向こうでは浸して食べると聞くが。
うち、プラスチック製の味噌汁茶碗しかないよ。改めて、自分の家のこと、日本の家だなー、と思った。
案の定、母は、「朝は入らないから一つだけ頂くわね」と言って、海老アボカドサンド一つを父の皿に置き、PB&J二つを、皿ごと赤Tの前に置いた。
…うん、その配給量は的確だ。
父も赤Tも、実に嬉しそうである。
それにしても、優将さん、センス良いよなーって。うちの母親が、サンドイッチを食べるのに敷いてるパーティーペーパー。ネイビーと白と緑と赤と黄色のチェック柄のペーパーナプキンなんだが、うちの母親のお気に入りの藍色のマグカップと、白い皿に合わせたんだろうな、と。他所の家で、「自由に使って良い」って言われて、これを出してこられるのが、もうね。
そう、テーブルウェアの使い方に、優将の家での、茉莉花さんのお持て成しを思い出した。こういうところ、育ちが良さそうな感じがするんだよな、この二人。
そして、あんな、他人の出生や刃傷沙汰の話をした後だけど、母は、実に普通に接してくれて、ホッとした。
非現実感は続くけど、ずっと不機嫌な気持ちでいるよりは、訳が分からずに大勢でワチャワチャしていた方が、精神衛生上は良いのかもしれない。
…おー、海老アボカドサンド美味い。
お?レモンも一絞り、してるか?いや、朝から、ピクルスを、輪切りじゃなく、刻む手間を加えて、手製のソースに混ぜたのが凄い。海老の処理も含めて、本当に有難い。
でも、味、濃いなー。パンが無いとクドいかも。だから、海老アボカドのサラダをパンに挟んだ、と言うよりは、ハンバーガーの具材を食パンに挟んだ、って感じで、やっぱり、これで一品の料理なんだろうな。フレンチとアメリカンの真ん中の感覚の味、と言うか。
PB&Jは、意外に、あんまり甘くなくて、スゲー美味い。
この、カリカリベーコンを挟んだのが、食感を含めて、正解過ぎる。カロリーも含めて、アメリカンでしかない。
ただ、この、食に対する拘りはフレンチ、海老の皮とアボカドの種と皮を、紙袋に包んで、生ゴミの臭いを軽減してくれた衛生的気遣いは日本、という気がして、やっぱり、国際的な感覚の人間なんだろうな、と思う。
文化の良いとこ取り、と言うか。折衷案とかグレーって、大事ですよね、と思う次第です。
「有難う、美味しいよ」
父が、絶賛の言葉を掛けた。
母も、「美味しいわ。有難う」と言った。
赤Tは、気恥ずかしそうに、「有難うございます」と言った。
「いやー、自分の料理とは比較になんないッス、お恥ずかしい。皆さん、朝から身綺麗ですし」
いや、赤T悪くないと思う。比較にならないのは本当だけど、それは、赤Tのせいじゃないと思う。
前も思ったけど、自分だけで食べて満足してるなら、何の料理に白滝が入っててもいいじゃん。自炊してるだけ偉いんだよ。俺も、ホワイトシチュー以外なら、ギリ受け入れられるかも白滝、カレーって強いから、って思わないでも無かったし。
いえ、もうねぇ、霊障に比べたら、白滝くらい、いいんだよ。…俺、愛犬がいなけりゃ、ここで今、朝御飯食べられてたか、分かんないしさ。
だから、当然Émileは偉いですが、何も、朝から海老を茹でなくても良いんだよ。その点では俺は赤Tの味方ですよ。
そして、朝から身綺麗、という点に於いても、赤Tを擁護しますよ。
この人達ねぇ、寝顔も寝起きも綺麗だったんだから。
この人達が見苦しい瞬間なんて、ホントに少ないんだから。
寝起きで、そのまま出て来ても、水道水より透明度があって綺麗なんじゃないかって疑うもん。
比較の対象が本当に悪いだけで、赤T悪くないと思う。赤Tが身綺麗にしていないことに関しては、一旦置いておくとしても。
Émileは、はにかんで、「いえ」と言った。
「自分一人だけだと、流石に、朝から海老は茹でないですから、俺も。夜なら、野菜とビール煮にしたりはしますけど。肉より楽だし」
あら、フランドル風?…一人でも海老、茹でることは茹でるんだ。それはホント、Émileすげー。
ん?ビールは何処で買ってるんだ?高校生。
…はい、スルーで。
グレーと同じくらい、スルーも大事ですよ。
朝から白黒つけてたら、眼科に間に合いませんって。
イケメンは、続け様にイケメンなことを言った。
「レモンとアボカドあったから、ジュースにしようかと思ったけど、海老があったから、嬉しくなっちゃって。こちらこそ、自由に食材使わせてもらえて、良かったです」
…え?
母が「アボカドジュース?美味しそうね」と言った。
Émileは、嬉しそうに、「美味しいですよ」と言った。
「アメリカのダイナーで、よく飲んでたんです。このお宅も、ブレンダーありますもんね。作れますよ、家でも」
…うっわー。味がしなくなってきた。こんな味濃いのに。優将さんの顔、見られねぇ。
んー、でも、そうなんだ。
…こう…話し合いとか、増やせないんでしょうか、茉莉花さんと。
…上手くいったら、凄く上手くいく二人なんじゃないか、って気がしてきたんだけども。好物の話とか、ちゃんと、なさってます?自転車が趣味、とか、言った?
彼女と、繁華街で、ホットサンドとアボカドジュース…楽しんだら、凄く、良いと思うんですけど。
…そういうイメージが湧かないのは、何でなんだろうなぁ。
うん、ミューズって、立ち食いで物を食べなさそう。こう…地に足がついた、現実の女性じゃない感じ、っていうか。
うーん。浮舟は、やっぱ不味いよな、高校生で。死んだ女そっくりの女を使った御人形遊びプレイは…。
なーんで、そんな、爽やかじゃないことになっちゃうんだ?ド偏見で言うと、湿度の高い、フランス映画みたいな…。
あっさり、マックで飯喰って解散する学生カップル、みたいになってないと言うか。
カラーと言ってしまえば、それまでなんだろうけど。
『インディペンデンスデイ』を日本で作ると『ウルトラマン』になりそうな感じ、と申しましょうか。
日本で、服飾とデザインの世界を扱った映画を作っても、『クレールの刺繍』みたいにならなさそう、と言うか…。
人間関係って、組み合わせなんだな、ってことが、よく分かるよな。
別に、茉莉花さんもÉmileも、個別では爽やかだと思うのに。
組み合わせると、途端に、粘度が出ると言うか…。
そう考えると、悪い人間関係より、悪い組み合わせの方が多いんじゃないか、とまで思う。相性、と言おうか。
そうだな、良くも悪くも、茉莉花さんとÉmileって、相性が良過ぎるのかもね。
なろうとしてもなれないよ、ゼロか百の関係って。
…難しいですね、人間関係って。
いやいや、本当にね。茉莉花さんに、国籍のこと言っても、ちゃんと聞いてくれると思うんだよな。霊障の話をしても信じてくれて、無償で、訳分かんないバイトを手伝ってくれる気でいてくれたような子なんだから。
後ろめたくて隠してると、後ろめたさだけ伝わっちゃって、全然、良い結果にならないと思う。
お節介だから言えないけど…。
あ、携帯に台風情報来てる。母さん、来客中は、会話を楽しむ為に、テレビ消してるからな。
わー、雨が降る前に、眼科、済ませよう。
済ませたかったんですよ、ええ。…駅前で偶然、塾の夏期講習に向かう、制服姿の千伏さんに遭遇するまでは。
ええ、携帯の充電が切れて、一晩以上連絡が取れなかった優将さんに、ガチギレしてる千伏さんに遭遇するまでは。
「どういうこと?用事が有ったのに!全然、連絡取れないし。何かあったかと思って、心配してたのに、友達と三人で、どこに行くの?!」
ほらぁ、ダイジョブ、じゃなかったじゃん。充電器貸すって言ったのにぃ。
で、最寄りの駅じゃないですか。塾の夏期講習に向かう、制服姿の慧も、来ちゃったんですよ…。
うちの最寄り駅、便利過ぎて、こんな時は一周回って不便かもなって…。
「あれ、ゆーま。え、…どこ行ってたの?若しかしてなんだけど、昨日、家に帰って来なかった…?郵便物、ポストに刺さりっぱなしだったけど」
「んー」
「え?何処かに泊ってたのに、彼女のあたしに、連絡も無し?!」
「え?優将、誰かと付き合ってんの?」
「あたしと付き合ってるの、柴野君は!」
優将は、ちょっと黙った後、唇の両端を形良く上に上げた。
…アルカイックスマイル。
慧が、驚いた顔をした。
「…え?ゆーま、そうなの?」
優将は、いつもの無表情に戻ると、ゆっくり瞬きをしてから、頷いた。
「そうなんだ…」
慧の声が震えた。
「知らないうちに、まりかもゆーまも。…そうなんだ」
慧は、微笑んだが、目が笑っていなかった。
茉莉花という単語を聞いて、Émileがビクリと震えた。
慧が、Émileを見た。
慧の顔は、もう笑ってはいない。
Émileが、目を逸らした。
まー、Émileにしてみたら、千伏さんの言い分が、ギリギリ理解出来るか、ってところで、優将さんの交友関係に口出しして来る慧の気持ちなんて、意味分かんないだろうから、関わりたくもないだろうな。
急に、緊迫した空気が流れた。
―――まずい。どうも、慧の、押してはいけないスイッチを押してしまったようだ。
ただなぁ、別に、優将、初めての彼女でも無いだろうに、慧の、この反応。普段、よっぽど、深い話はしてこなかったんだろうな、と。
「ねぇ、茉莉花と付き合ってるんだよね」
恐ろしく低い声で、慧はそう言った。
「―――うん」
籠もった声で、Émileはそう答えた。
「…俺が口出す事じゃないだろうけど、大事にしてやってよ?茉莉花」
Émileが、目を瞬かせて、慧の顔を見た。
ああー…えっとね、慧。Émileは、本当に、慧が口を出すことだと思ってないんだよ。
この溝、絶対、埋まらないやつだわ。
それになー、この前のこいつの行動、見ちゃってるからな。俺の中でのこいつは、自分のことしか考えてなくて、茉莉花さんに、Émileと瑞月の話をしてけしかけようとした奴、みたいになっちゃってて。
あと、『面倒臭いな』って、確かに思った。
付き合ってる相手に、わざわざ、『自分は幼なじみだから』って、いろいろ言う幼なじみに、いちいち、彼女出来た、とか、彼氏出来た、とか、言わなくなっちゃうかも…。
言い難いんだけど、こいつって、『良い奴』かは判断できないんだけど、『自分のことを良い奴だと思ってる奴』なんだろうな、と思うもので。善人オーラをわざわざ出してくる奴、と言うか。
そう、『グレー』が無いんだよな、『正論しか言わない』『良い奴』って。
こう…。人の前で食べ物を食べるのが怖い子がいたとして、その子が、トイレの個室で昼食を取ってることに気づいたら、本人に『衛生的じゃないからトイレで食べない方が良いよ』って言えちゃう人、と言うか、としか言わない人、と言うか。
『正論』だけど『正解』じゃないんだよね、それは。
そう思うなら、『その子がトイレの個室で昼食を取らなくて済むような働きかけ』までしてあげることがセットでなければ、解決にも、何にもなんないんだよな。言っただけ、指摘しただけ、っていう。
『トイレは汚いって指摘してあげたのに』って言われたところで、『汚いって言われてしまったけど他に食べる場所が無いから続けるしかない子』が出来上がるだけなんだけど、そこまで想像して喋らない、というかさ。
恋愛の話と似てるんだろうな。親身になって解決する立場に無いし、その気も無いなら、わざわざ口を出すべきではない、二人の問題、ということで。
まー、ここまでくると、価値観の問題だから、俺から指摘することでもないけど…。
俺は、「慧」と言った。
「早く塾行けよ」
慧は、キッと俺を睨んだ。
「何で、三人、どっか泊ったのに、俺だけ誘われてないの?」
「だけ、って言われても…。どの範囲なんだ。心言も絆もいないだろ?」
あれだな、『皆持ってるから買って~』の『皆』って誰だろう問題だな、小学生が言うやつ。
慧は、ハッとした顔をしたが、続けて言った。
「何で、この三人なの?!俺、誘われてないけど!」
「偶然だよ…。別に、待ち合わせしたとか、示し合わせたわけじゃない。そういうこともあるだろ?」
慧は、更に、ハッとした顔をした。
そう、『優将がいる集まりには自分も含まれるに決まってる』という、強い思い込みがあるんだろ、お前。
…本当に面倒臭くなってきたな、何か…。
千伏さん、黙ってるけど、多分引いてるな…。
慧は、悔しそうに言った。
「何か、何か、最近、全然、皆、俺と遊ばなくない?誰も家に来ないし!」
あー。分かった。
…これが『座敷童に去られた家』の実態ですよ。
慧、それはね、お前の友達じゃなくて、優将と、茉莉花さんの友達が、優将さんと茉莉花さんと一緒に、お前のところに来てたんだと思うよ。
お前の友達でも、お前の人徳の結果でも、お前自身の人望の厚さの御蔭でも無くて、それは多分、優将さんと茉莉花さんの友達が、優将さんと茉莉花さんと一緒に、お前のところに来てたのに、今まで、お前が気づかなかっただけなんだ。
お前の力だけじゃ、あんな、合コン相手人気ナンバーワン校の女の子を集めて、合コンなんてできないのに、美人の幼なじみで世話を焼いてくれる茉莉花さんの有難味を、ちっとも分かってなかっただろ。
そういうのを積み重ねた結果だよ。
俺は、溜息をつきながら、「慧」と、もう一度言った。
「だって、俺、誘われてないぞ、お前の家に」
慧は、ハッとした顔をした。
俺は、続けた。
「何で自分は誘われないんだ、って言われても…。俺も、あの合コン以外で、お前から何かに誘われたこと、無いけど?…誰かがお前に声を掛けるのって、そんなに、当たり前か?あと、お前から、誰かのところに行こうとしてるか?誘われるの、待ってるだけなのか?」
うちは来客の多い家、と言われがちですが。
それって、両親共に、人を誘ってるからなんですよ。
で、絆って、遊びたければ、自分から俺のところに来るし、課題が忙しけりゃ来ないんですよ。俺も、会いたきゃ、自分から、絆に会いに行きますし。
今回も、偶然が重なったとは言え、俺から、この二人を家に誘って成立した『お泊り』であって、黙ってたら二人が泊りに来てくれた、とかでは、全然無いんですよ。
…何だろうな、誰しも、暇じゃないし、誘っても来てくれるか分からないなー、誘って迷惑じゃないかな、みたいな遠慮だって、あると思うんですよ。
だから、会いたかったら、自分から誘ったり、自分から会いに行ったりしないと、疎遠になっちゃうのって…割と、普通のことだと思うんですがね…。
連絡もしないで、誰かが家に来てくれるのを待つ、って。
…今まではそうだったとしても、進学や就職したら、敢えて時間を作ったり、自分から計画しなきゃ、そうもいかなくなっていくのが自然なのでは?
慧は「何なの?!」と言った。
「合コンだって、開いてあげたじゃん!優将だって、それで、彼女、出来たんでしょ?なのに、なのに、なんか…最近、みこちんも、余所余所しいし。皆、合コン開けるような、女の子の友達いないくせに!」
ヤベ。こいつ、『開いてあげた』って思ってんのか、あの、お前が飲酒した、幹事の役なんか、何も果たさなかった合コンを…。
しかも『女の子の友達いないくせに』って、大半の男子校の人間に対するディスですよ。
そんなに上から、よくもまぁ…。
それ言われたら、傷付く奴、多いと思うけどな?
いや、ホント、上からだわ。
第一、優将さん、お前の助力が無くとも彼女出来るでしょうに、それも、お前の功績だと思ってんのね。
何様なんだね。
…っていうのが、分からないんだろうな、『座敷童に去られた家』の住人には。
開いた口が塞がらない。
愈々、付き合い、考えたくなったな。
心言は単に、お前に引いてんだと思うぞ。
Émileが、堪りかねた様子で言った。
「お前に関係ないだろ。 マジで 浅はかなこと言ってるぞ。お前、そういうこと言うなよ。 考え無しに喋ると他人の気持ちを傷付けることがあるんだからな」
…ガチギレェー。
長身の男に、英語で捲し立てられんの、こっっっわ。
でもまぁ、怒りますよね。
そもそも『水戸と茉莉花を会わせよう』みたいなのが発端の合コンだったのに、それが、親切心というよりは、『会わせてあげよう』みたいな、上からの思考でセッティングされていた、というのも露呈したし、二人が付き合ったら付き合ったで、口は出して来るし、『開いてあげたのに』とか、『女の子の友達いないくせに』とか言い出して、もう、心言にも絆にも失礼だし。
『お前には関係無いだろう』と言いたくもなりますよ。
慧は、半ベソで、「まりかもゆーまも、俺の友達なのに」と言った。
それから、「茉莉花を大事にしないといけないんだからな!」と、捨て台詞を吐いて、Émileに、『お前には関係無いだろう』と言われたこと自体は、何も理解していない様子で、走り去った。
優将が、聞こえるか、聞こえないかの声で「彼女より重い」と言った。
ちょっとちょっと、そういう、リアルな話を聞かせないで頂戴よ。
優将は、目を伏せながら、「大事にしてないのは、あいつの方なんだけどな」と、低い声で呟いた。
黙って、ことの顛末を見守っていた千伏嬢が、それを聞いて、目を見開いた。
うわ。
…あー、あの、優将さん、ほら。
自覚が御有りでないから。
…千伏さんはね、何かを、勘付いてしまったかもしれません。
本当にダイジョブなんですか…?
優将は千伏嬢に向かって、いつもの無表情で「ごめん」と言った。
「充電切れてて。で、この後も、友達の眼科に付き合う約束してんだわ。夜、連絡する。それじゃ、駄目?」
千伏嬢は、目を見開いたまま、「分かった。あたしも塾だし」と言って、立ち去った。
…絶対納得してないと思うけど。
本当にダイジョブなんですか…?
うわー、台風の前に、台風でしたよぉ。んもー。駅前で。結構、目立っちゃったな、おい。
Émileが、「あ、やった」と言った。
「管理会社から着信来てる!俺、一回、自転車、アパートに置いて、管理会社と連絡取ってきてもいい?」
「おー、Émile、良かったな。全然大丈夫、眼科開くまで、あと一時間あるし、時間潰してるから」
うう…。本当は、眼科が開く前から並びたかったんだけどな。
そっか、管理会社から着信来てるかー。じゃあ、Émileを待つか。…慧とかに関わってなきゃ、今頃、眼科に着いてたのに。
雨が降る前に家に帰って、歴史さんの散歩まで済ませてあげたかったんだけどなぁ。
「本当に有難う、高良。泊めてもらえて助かった!」
「いや、親子喧嘩も見せちゃったし。朝御飯も作ってもらって、こっちこそ、何か、悪かったな」
Émileは「親子喧嘩?」と言った。
「あー、お父さんと…かな?なんか、あれ、怒ってたの?すっごい静かだったけど。俺、高良のお父さんが詩の暗唱?を始めた辺りから、ヒアリングを諦めてたんだけど…。もう、無理だよー、俳句までだよ、何とか理解できる古語は…。日本語だけど、意味分かんなかった」
優将も、「だな」と言った。
「あの…。怒ったウサギを、友達の家で見た時みたいだった。何か、急に、足ドン初めて、走り出して。それから急に静かになって。『え?今、怒ってたの』って感じ…」
Émileは嬉しそうに、「やっぱり、赤ちゃんウサギくんだ」と言って笑った。
「俺の うさぎ くん。親子喧嘩になんて見えなかったから、全然、気にしないで」
え、ちょっと止めて、俺のイメージを可愛いウサギで固定しないで。
あー、でも、傍目には、何故か伊良子清白の詩を暗唱し始めた父親と、別段、声を荒げずに悪態をつきながら進路の話をする俺、という、不思議な図式だったってことだろうか。
来客を不快にさせなかったんなら良かったが、複雑な気分だな…。
Émileは、フェラーリマークの赤い自転車に跨りながら、「そう言えば、何?座敷童?だっけ?調べに行くの?」と言った。
「ああ、長野にフィールドワークに行かせてもらおうかって話をしてて」
「長野行くのかぁ。俺の母親の実家も長野なんだよ。A市。父親は宮城出身なんだけど」
…長野のA市?
「…お母さんの旧姓、伺っても?」
「え?どうしたの?…柳澤だけど。なんかね、お祖父さん、もう亡くなってるんだけど。代々、木工職人か石工か忘れたけど。何か、彫刻?彫る家の人だったんだって。彫る前に、像の図も描いてたらしいんだけど、絵が好きな子に育ったのは遺伝かね、って、よく笑われたよ、長野の親戚に」
「…O地区って、分かる?」
「…分かるかも。親戚の家は、大糸線のN駅の近く。え、なんで?」
「うち、母方がO地区で」
「へー、偶然」
…柳澤。
…資料の146頁を御参照ください。
…いや、もう、ここまで来たら、偶然も必然も、同じマトリクス図の上に整理された要素に過ぎない。
何だこりゃ。
…いや、まさかな。流石に。
あの地域の石像を彫った柳澤品緒の子孫が。
…いやいや。偶然だと思いたいよな、やっぱり。
怖いからさ。