郷土資料:Then unrolled the local materials, and read as follows.
自室に戻ると、真っ暗な部屋の中で、ロフトの下のウォールライトだけが付いていて、そこに優将がいた。
甚平姿だから、一瞬、着物の子かと思ったが、身長が全然違ったので、ホッとした。
座敷童と似てるのに、やっぱり、優将は怖くないんだよな。
「あ、高良。エミちゃん、寝たぞ」
「エミちゃんって」
優将の小声の報告に、思わず吹き出してしまいながら、俺も、ロフトの下に行って、優将の傍に座った。
「いや、エミー…ル?なんか、『エ』にアクセントあって『エ㍉ル』みたいな発音で…口が回らんから、結構頑張ったんだけど、…エミちゃんで承諾してもらったわ…。高良にも笑われたー」
高良にも、って。
ちょっと可笑しい。
「優将、意外。そういうの苦手なんて」
「いや、お前。短時間でフランス語の人名の発音習得しろって。しかも夜中に。どんな無理ゲーよ。後は何か、ロフトでプロテインの話してたら、エミちゃんが寝ちゃったわ」
「…プロテインの話、してたの?」
優将さんの話題の広さ、舌を巻くよね。
感服。
「あー、聞いたらさ、通ってるジムが同じだったんよ。ここの駅から徒歩三分。ほら、俺、学校帰りに途中下車すれば、行きたい時を選んで通えるから。そんで、エミちゃん、グロング飲んでるって言うから」
「…待って待って。…ジム行ってるの?貴方達…」
美形とイケメンの情報量多いな。
「俺は、ほら、あんま、家にいたくないからさ。今日も、泊めてもらって、マジ助かったんだけど。エミちゃんは、向こうだと、クラブとか行く前に、ジム行くのが習慣だったらしくて。嫌なことは運動で発散してるってさ。ほら、うち、強豪の部活多過ぎて、運動系の部活に、逆に、気軽に入り難いし。ジムなら、好きな時間に好きなだけ運動できるから」
え?油物が苦手で、空き時間、ジムに行ってて、プロテイン飲んでるの?優将さん。
…何それ、美形に美を足し算していくことにしかならない習慣じゃん…。『ウサギと亀』のウサギが寝なかった感じの努力じゃん…。
Émileもかー。
いや、イケメンを舐めてたわけではないですが。
そんな努力を自然にされてたら、羨む方が的外れ、って気がしてきた。
妬むなら、自分も、腹筋くらい習慣にしろってことかもな…。
あと『向こうだと、クラブとか行く前に、ジム行くのが習慣だった』って言葉から受けたカルチャーショックがデカい。
まず『向こうのクラブ』ってのと『クラブ行くんだ』ってのと、『ジム行ってからクラブ行くんだ』ってのが、もう。
文節ごとに言葉が脳を殴ってくる感じ。
パンチドランカーになりそう。
「あー、そだ、写真貰った」
「何の?」
「エミちゃんの自転車の。俺、充電ないから、高良の携帯に送ってもらった。見てみ?」
友達の携帯の使い方、どうなの?
だから、充電器貸すって言ったのに。
「え…。ロード?…ビアンキ?これ。あー、白で、サイクルウェアと色揃ってるんだ」
え、格好良。
マジかー、自転車乗りだったんですか、Émileさん。
意味分からんくらいスタイル良いな。
…何で携帯に、『茉莉花さんの彼氏』の格好良い写真が送られてくるんだ…?
格好良いのと同じ分だけ意味分からんのだが。
「そうそう、ツール・ド・フランス見に行くくらいには好きなんだって。フランスのねーちゃんちに一台、黒のカーボンフレームのやつ置いてて。あと、アメリカの親のとこに一台と、普通の街乗り用のクロスバイク置いてきたんだって。だから、日本に来てから乗ってないって言ってた。で、エミちゃんが、自転車が好きだから、って、フランスのねーちゃんが、こっちの友達に連絡してくれて、余ってたフェラーリの折り畳み自転車を」
「…待って、金持ちエピソードが、雪崩みたいなんだけど…。ロード二台と?え?あー…そういう買い方するから『自転車が余る』のか…?」
日本語は分かるけど『自転車が余る』っていう言葉が、既に、全然頭に入って来ない。
『茉莉花さんの彼氏』のジムと自転車の情報が、全っ然処理できない。
…優将さんって、『茉莉花さんの彼氏』とも、普通に接するの、ホント…偉いよな。
二人きりでも、何か、共通の話題探して盛り上がって、どんなエピソード聞いても話を合わせて、妬んでもないんでしょ?
俺だって、Émileを冷遇してるつもりも無いけれども。
「…優将って、あんまり…人と喧嘩しなくて、偉いよな」
「んー?どした?急に。親に思いっ切りババァとか言ってるとこ見てるのに、そう言ってくれるなんて、お前も偉いけど」
「…あれは、正当な怒りを感じたし。何て言うか。煽るようなこと言っても、キッチリ相手の怒りを収めてから引くし、自分からは突っかからないよな。そういうところ、良いと思う」
「あら、そー?…んー、飽きてんのかもね」
「飽き?」
「身内で一生分揉めたから、もう、他所ではいいや、って」
…コメントし辛ぇー。
でも、達観してて偉い。
「いやー、良いんよ、家が嫌なんだったら、いなきゃいいし。嫌な場所にずっといて、不機嫌に暮らす必要もないし。世界が一個だとしんどいよ?ジム行ったら、ジムの知り合い出来て。行ってないけど、塾行きゃ、塾の知り合い出来て。なんか、小さい世界をいくつか持っといて、学校しんどくなったらジム行く、とか。なんか、乗り切れば良いじゃん。あとは時間が解決よ。強いフリして突っかかっても、疲れるだけで、フリは結局フリだから、強くもないし。ま、筋肉は裏切らないらしいから、鍛えたきゃ鍛えれば、得はしても、損はしないし?その時々で、気分が楽な方に行ってさ。わざわざ揉めんでも、何とか生きていけるって」
「あー、…不機嫌に過ごさないようにする、ってのは、ホント、偉い…」
結局、『この人間には不機嫌に接しても良い』という、甘えが、不機嫌ハラスメントに繋がるんだろうしな。
なるべく他人に、そういう甘え方をしないようにするためにも、不機嫌に過ごさないようにする、っていうのは、偉いと思う。
前、『俺が辛かった時に、コタツでテレビ観て、暢気にミカン喰ってた奴、全員死ね』って、言ってたけどさ。他人のことを、『皆が自分と同じ痛みを味わえばいい』みたいな感じに、優将が傷付けてるところを、見たことは無いんだよな。
結局、翻訳とか、いろいろ、手伝ってもらっちゃって。
「そーそー、不機嫌に過ごさんでもいいし、わざわざ自分が不機嫌だって他人に示して、喧嘩せんでも。面白いことは、何かしらあるでしょ。今日だって、エミちゃんの自転車の話、聞けたじゃん。そういうのは、本当にオモロいと思ってるよ。…あんま、ツール・ド・フランス見に行った奴の話、とかも、実際には聞けん気がするし…」
…そっか。
「やっぱ、偉いなって、思った…。自分を大きく見せようとしないし」
この人、自分の善行を他人に擦り付けたりするからな。承認欲求とか、どうなってんだろ。彼女いるとか、ジム行ってる、とかも、わざわざ、自分からは言わないもんな。
「そ?あ、そーいや、すげーな、かーちゃん。同じ顔だった」
「…よく言われる…」
優将が、クスクス笑った。
無表情でいる時間が少なくなったな、と思うと。
ちょっと嬉しい気がした。
「で?…かーちゃんに聞いた?」
「うん…」
「…何で泣くん?」
茉莉花さんのお父さんが、瑞月のお母さんを脅して。瑞月のお母さんが茉莉花さんのお父さんを刺した、って。
…茉莉花さんには、言えないし。
…出来たら、苧干原瑞月にも、言いたくない。
「明日、言うから。…長くなっちゃうから、明日。…言うから」
「ん。…も、寝よ?高良」
「いや、郷土資料の確認とか、今日の分の翻訳の確認したい…」
来客と霊障で、今日の分の茉莉花さんの翻訳のチェックと清書と終わってないし、さっき母親から聞いたことの確認もしたいし。
「眼科には、睡眠不足で行かん方が良いと思うけどな…。明日、眼鏡も作るなら、寝よ?」
「うう…。ド正論…」
俺の言葉を聞いて、優将は、静かに微笑んだ。
暗いロフト下で、ウォールランプの光が当たって、輪のような光が、柔らかく、優将の髪の上で踊っている。
反して、頬には、長い睫毛の影が落ちている。
その、灯りに浮かぶ顔が、凄く優しく思えた。
「正論は正解じゃないから、やりたいようにやりな。手伝えることがあるか分からんけど、一緒に見よ?」
「…悪いよ。先に寝ていいし」
「でも、気になること残してたら、どうせ眠れんし、多分、布団で、また泣くよ?」
ああ。
何回も、一人で、布団で泣いたことのある人間の言葉なんだろうな、と思ったら。
また泣いてしまった。
「おお。ダイジョブ?…疲れてるから、泣くんだと思うけどなー。よし、ほら、立って。机にあるん?」
「うん、資料は、机の上…」
椅子に座って、デスクライトだけ点けて、郷土資料を開いた。
何回か見たけど、蔵の前の石像の資料なんて、無かったんだよな。
違うか。
集落の外の人間には、基本『秘匿』されてるなら、調査の人間が入った時は、蔵に隠してるんじゃないか?じゃあ、載ってなくて当然だ。
読み方を変えないと。
ああ、これも一つの『創造』かもしれない。
一つの資料の読み方を変えて、違う意味を見出すんだ。
まず、降籏家の資料から。…そんな項目、無いな。そりゃそうか。
…そうか、家単位で載ってる訳はないから、何回か見ても、気づいてないし、分かってない、ってことなんだよな。
今まで、関係無いかと思って、流し読みしてた部分は、どうだ?
石工の柳澤さん、はどうだ?石造物の資料。
「何か手伝う?」
「あー。石碑の碑文に、降籏とか、柳澤とか、書いてないかな、って。…石造物の項目とかに、分かれてないよなー。そりゃ、郷土資料であって、石造物専用の資料じゃないし」
目次から読むと効率が良いんだけど、そもそも、項目自体が書かれてないとなると。
「お、貸してみ?あー、あるある」
「早っ?!」
「シーッ、エミちゃん、起きるって。ほら、見てみ、石造物は、写真と載ってるやん」
「ああ、まぁ、割と、そうね」
「バーッと捲って、写真資料があるページ見て、そこから石碑探して、碑文がある石碑は、同じ頁か、別の頁に碑文の内容が纏められてるんだから…。はい、ここ。資料の146頁。柳澤。147頁、降籏。纏まってるやん。てか、資料だから、纏めた奴の癖が分かれば、相当雑じゃない限りは、パターンがあるから。これで良い?」
パターン処理かぁ…高速処理機能付き美形が部屋にいるなんて、ラッキーだった。
高速処理機能付き美形…?何だそりゃ。
…もう、今夜は何にも意味分かんないけど、これで、資料は読める。
「ありがと…。俺、右脳でクラブとプロテインと自転車の情報を処理して、左脳で母親から聞いた話と資料を処理しようとして…頭が真ん中から割れそう」
霊障も有ったし…。
もう、ホント…。紅海並みに割れそう。
「そんな、絵本の桃太郎の桃みたいな割れ方する頭を夜中に見るくらいだったら、手伝って良かったわ…。ほら、疲れてるって…。謎の単位と同じようなこと言ってるよ?はい、資料の146頁を御参照ください」
「…いやいや、マジですげー、優将さん。もう、マトリクス図の上に要素の整理とか頼めちゃいそう…」
「できるとは思うけど…。まず、要素を出そうな?要素が分からんと、整理も何も」
「そうですね…」
すんません。
「ほら、敬語になってる…。疲れてんだって。パッパと終わらせよ?」
「道祖神、三体の内、双体握手像 文化8年(1811) 硬砂岩…。双体握手像 文化9年(1812) 細粒花崗岩。お、陽石型、年代不詳。ん?」
『柳澤品緒作、彫刻。双体祝言像』
え?
何だこれ。
『道祖神、三体の内』なのに。…四体目?
いや、一行開けて書いてあるし、これだけ、書かれ方が違う。
他は、石工の名前なんて無くて、作られた年代や素材が書いてある。でも、これは、逆に、作られた年代や素材は書かれてないし、『道祖神』とも書かれていない。作者が書いてあるし、『彫刻』なのか。
んん?写真資料も無い。
…何だ?これ。
まあいい。147頁。
お、筆塚。
柳澤品緒作。明治24年(1891)建立。
じゃあ、双体祝言像?ってのも、明治の作かな?
ん?『明治34年(1901)、南の民家の火災の火焔を受け、損傷している。』
あ。『いる』。
優将に似た男の子が、俺と一緒に、郷土資料の本を覗き込んでいる。
…いかん、ボーッとしてきた。…寝よ。
「ありがと、優将。やっぱ、残りは明日にするわ…」
「お、偉い。寝よ」
傍らにいた優将の方を見て、男の子の方を、もう一度見ると。
男の子は、消えていた。