Émile:Speak in French when you can't think of the English for a thing.
「…そっか、向こうで生まれた、ってことかな?水戸は」
「うん、俺、今、二重国籍なんだけど」
水戸は、言い難そうに言った。
「その…。十八歳になったら、フランス国籍を取って、高校卒業したら、フランスに住もうと思ってるんだよね。俺、フランスで生まれたし、フランスで過ごした時間が一番長いし、親族もいるし」
…向こうの学校を受験しようとしてるって噂は本当だったか。
「あー、お姉さんがいるって?」
「うん、姉も、フランスで生まれたんだ。Sophieっていうんだけど」
おお、智慧か。…良い御名前ですが。
予想してなかった展開になってきたな…。
…うーん。
「その…。お節介は承知で、純粋な疑問として聞くんだが、彼女さんは、どうするんだ?近い将来、遠距離恋愛になるんだよな?」
水戸は「それなんだよね」と後ろめたそうに言った。
「そういうのもあったから、日本では彼女、作らない様にしてたんだけど。…付き合ってたら、いつかは、言わなきゃいけないんだけど、言い出せなくて」
一応、『日本では』って言葉をスルーした俺って偉いなって思ってる。
水戸は「ねぇ、優将」と言った。
無表情で、黙って話を聞いていた優将が目を瞬かせた。
「本当はフランス人でした、って言ったら、茉莉花ちゃん、どう思うかな。俺、国籍も正式にフランスになっちゃうし、フランスと日本で遠距離恋愛になっちゃう、って言って、納得してもらえるかな。…別れたいから嘘ついてるとかって思われるかな、フランス人だって言ったら」
優将は、無表情のまま、聞いたこともないような高い声で、「うーん?」と言った。
…すげぇ。リアクション取り損ねてる優将さんなんて、初めて見たよ、俺。
斜め上の展開になってきたな。
…後ろめたいだろうな、まぁ。そんな『秘密』があるとは、って感じだし。
…そっか、校門で彼女じゃない女の子と抱き合ってたのは単なる挨拶で、それよりも、本人が問題にしてるのは自分の国籍で、彼女に国籍を黙ってることの方が後ろめたいんだ。
こりゃー…価値観の溝、厳ついぞー。
…彼氏に「俺、本当はフランス人だったんだけど、黙っててごめんね」って言われること、あるかな?人生単位で。
ヤベ、連日いろんなことがあるのに、今、一番、訳分からんかもしれん。
水戸は、悲しそうに微笑んで「それがさ」と言った。
「高良には言ったけど、俺、九州の中学校にいたことがあって。その時、クラスメイトに、フランス国籍持ってるって言ったら、引かれちゃったんだよね。俺は、海外にいる時と同じように、Émileって呼んで、って言ったんだけど、取っつき難かったみたいで。だからそれ以来、敢えて自分が二重国籍だって、言わなくなっちゃって。両親日本人で、見た目も完全にアジア系だから、黙ってりゃ分からないことだし…」
…そーうねぇ?クラスメイトをÉmileって呼ぶのって、まぁまぁのハードル、あるかもね…?
「瑞月って、唯一、日本でも、俺を、Émileって呼んでくれる幼なじみだったんだよね。だから、思い入れがあるっていうか。俺も、Jasmineって呼んでたし」
優将が遂に「何て?」と突っ込んだ。
俺の心の声の代弁、有難う。
「瑞月、イギリス生まれで、二重国籍なんだ。瑞月・Jasmine・苧干原。八月で十八歳だから、今度、どうするのかは分かんないけど。あの…日本だと、同じ学年なんだけど。瑞月は八月生まれで、俺は三月生まれだから、向こうの感覚では、一つ上のお姉さん、って感じだったんだよね。それで、海外転勤族では、よくあるんだけど、日本の、待機用社宅っていうのかな。次の転勤場所が決まるまでの社宅があって。そこで知り合って、日本に戻るタイミングが合う度に、瑞月のお姉さんと一緒に、よく遊んでもらってたんだけど」
それが苧干原弥朝か。
…嫌なところで繋がるよなぁ、ホント。
「七年くらい前に、俺、交通事故に遭ったらしいんだけど、覚えてないんだよ、三日くらい意識が無くて。それで、どうも、俺を庇って、瑞月のお姉さんが怪我をしたらしいんだけど、大人が、何も話してくれなくて。亡くなったって聞いたんだけど、俺を庇ったことが原因なのかどうかすら分からないし。…謝るにしても、何にしても、一回、ちゃんと話をしたいんだけど、上手くいかなくて。すっごく、恨まれてるみたいだし…多分、俺のせいなんだろうけど」
…いかん。リアクションの正解が分からん。
謎は補完されてきたが。
「そりゃ、瑞月、好きだけど。…俺も、彼女、いるし」
「待て待て、日本で作る気なかった彼女を、何で作ったんだよ」
俺は、堪らず、突っ込んだ。
水戸は「それが」と、気恥ずかしそうに言った。
「瑞月と話がしたいのに、全然上手くいかなくて。何か、腹立って、やけくそで、付き合わない?って、茉莉花ちゃんに聞いたら、何でか、OKしてもらえちゃって。俺にも予想外だった。あんな可愛い子にOKしてもらえるとは思ってなかったからさー」
うっそだろー!?マジか。
そんな偶然が重なって、優将さんの目の前で、茉莉花さんに彼氏が出来ちゃったんですかぁ!?
いや、でも、バイアス掛かってた、確かに。
どうせフラれるわけないやってメンタリティで告白とかするのかな、って思ってたけど。
こんなイケメンだからって別に、自信満々で女の子にアプローチする訳じゃないんだ。フラれる可能性だって考えて行動してるんだな。
それは確かに、偏見だった。
「確かに、茉莉花ちゃんって、…知り合いに似てるかも、って思うし、それで親しみやすいのはあるんだけど。可愛いって思って声掛けたし、少なくとも、わざわざ会う時間を作ってるわけだし、そりゃ好きだよ。俺にしては、今までで一番、時間、割いてるかも?画塾もあるのにさー」
…あれ?そう聞くと。水戸さん、意外と茉莉花さん、好きなのかも。
…意外、っていうか、相当好き?絵を描くための時間を割いてるっていうのは。
「こう、ホームシックじゃないけど。何か…理解されないな、って時に、偏見なく、傍にいてくれる気がするんだ。…言ってないのに、伝わり過ぎちゃうな、ってことはある気がするけど」
「…あー、見透かされてる、って言ってたっけ?」
俺の言葉に、水戸は苦笑いした。
「なんか、こう…。可愛いなー、とか、そういう、思ってることは全然、口に出さないから、伝わってない感じなんだけど。こう…俺が、どういうつもりで、何をしてるのか、っていう、自分でも無自覚の、知られたくない部分が、すっごい、伝わっちゃう感じがして。…でも、何か、それが、癖になるっていうか。…絵に繋がったりするんだよね。だから『面白い』なって。こう…知り合いと似てる女の子、と付き合ってる、みたいなのにくっ付いてくる、ちょっぴりの罪悪感も含めて…」
…待って、本当に高校生の恋愛の話?
癖になる、とか、罪悪感とか。
二十世紀初頭のフランスの画家とモデルみたいな爛れ方してない?
こう…、あれですか。「可愛いなー」は伝わらないのに、本質的な性欲みたいな、知られたくない部分は、ダダ洩れで伝わっちゃってるんですか。
しんど過ぎません?
何らかの性癖の香り、というか、性愛は見え隠れしてますが。
「…その恋愛は…楽しいのか?」
フランス映画みたいではあるけど。
偏見だけど、何か暗くて、芸術性が高い、みたいな。
ずっと、見る側に人間性を問い続けてくる性質で、心理描写がやたら多い作品、みたいな。
感情のぶつけ合い、じゃないけど。
殴り、叫び、雨の中、キスで仲直り、みたいな。
…ごめん、それはド偏見だった。
フランス映画、大した数見たわけじゃないのに。
そーいや、こいつ、腹、殴られてたな、瑞月に。
んー、日本人的な感覚でない、と思うと、確かに、無い話でもないのか。
そりゃー、変とも思ってなければ、内申点に何の関係があるんだ、って感じだろうし、そもそも、思い付きもしないかもな。
思わず「その恋愛は楽しいのか」という、お節介にも、根源的な質問をしてしまった俺に対して、水戸は、言い難そうに、言った。
「楽しいから付き合うのかな?恋愛って、そういうもん?」
あー、それは。
すみません、恋愛経験も無いのに、生意気言いました。
分かんないです。
「いやいや。お互いが好きで付き合ってる方が大事だから。それは本当に、お節介言ったわ」
「…俺は、好きで付き合ってるつもりなんだけど。…気になる点としては、…あまりにも、『可愛すぎる』というか。『俺の好み』過ぎるんだよね、あの子」
はっ倒そうかな、こいつ。
急に、何だ?自慢か?
…いやいや、落ち着け、話は最後まで聞こうぜ、俺。
「あまりにも『常緑生』、っていうか。女子高にいる可愛い子、っていうか。あまりにも『好み』、あまりにも『こうあってほしい恋人』、なんだよね、あの子。あんまり外に出たくないなー、とか、片付けてないし、あんまりキッチン触ってほしくないなー、みたいなのが、綺麗にキャッチされて、『伝わってる』感じがする、というか。言ってないのに。…こう…『俺がそうあってほしい姿』を、キャッチして、『そうしてくれてる』感じがして。…あの子が楽しいのか、は、分かんない、っていうのが、気になる…かな…」
感覚的というか…ゼロか百の恋愛してるな…。
お互いに、すっごく理解できる部分と、全然分かんない部分のみの構成で出来てる関係、っていうか。
もうちょっと、グレーさ、というか、歩み寄り、というか、話し合い、というか。こう、『中間』がほしいよな。
お互いが、何が好きか、とか、どういうのが楽しいか、とか、何をしてほしくない、みたいなのは、『感じる』じゃなくて、『会話する』方が良いと思うぞ。
少なくとも茉莉花さんは、自分より、瑞月のことの方が水戸は好きなんじゃないか、って言ってたしさ。
…そりゃ、俺は、恋愛経験ゼロの人間だし、流石に、お節介だから、言えないけど。
やっぱり、楽しそうには聞こえないんですが。
ずっと黙って聞いていた優将が、溜息をついて、立ち上がった。
「高校生でそんな、プレイみたいな恋愛したくねーな。背徳感ヤベェ」
…だから優将さん、本人に向かって背徳感とか言うもんじゃありませんよ。
んー、でもまー、茉莉花さんのそんな話、やっぱり、聞きたくないですよね。
そろそろ俺もキッツい。
…プレイ、かー。
言い得て妙、と言うか。
シチュエーションだけだと、何だろう、『源氏物語』だと浮舟か、と考えると、あれは完全に、死んだ女そっくりの女を使った御人形遊びみたいな描写だったから、そういうプレイだと言われたら、背徳感てんこ盛りだよな。
俺が知ってることを総合しても、やっぱり、自分のせいで死んだかもしれない知り合いと似てる女の子との恋愛って、…特殊っていうか。
『背徳感』っていう言葉の使い方は正確かも。
第一、癖になるとか、罪悪感、みたいなニュアンスを要約しても、その単語になる気はする。
水戸は、キョトンとして、「はいとくかん…?」と言った。
そうか、日本語的な表現かもしれんな。
…授業で頻出の単語でもないし、案外、こういう言葉を知らない可能性もあるのか。
…『背徳感』が頻出単語の高校も嫌だな、何か。
俺も、優将さんからくらいしか日常で聞かないし。
「あー…。不道徳的観念…かな」
水戸は「不道徳」と復唱して、少しショックを受けた顔をした。
…すまんな、たかだか高校生の交際に、こんな単語を使って。
別に肉体関係の有無を示唆したい訳でもないんだが…他に何て言えば良いんだろう。
そこに、無表情の優将が、止せばいいのに「悪いことって気持ちが良いよね」と言ったので、水戸はハッとした顔をしたが、優将は、構わず、ロフトに上る為の梯子に手を掛けた。
「はいはい、エロいエロい。夜だから、もう寝ますよ」
優将さん、聞きたくないからって、そんな正直な感想で会話を切らないの。
優将さんの言葉って偶に真実を穿ってるんだから、受け取り手によっては行動が左右されちゃうんだからさ。
案の定、水戸は、衝撃を受けた顔をした。
「エロス?…生と死?…そんな…。じゃあ、今、俺は、はからずも、詩神か破滅の魔性と付き合ってんの…?…Museは、Partnerじゃないじゃん…」
…そうですね。
大体ミューズって、不倫相手か早死にする薄幸の美女で、経済的なことのサポートまでも含めた、ダリにとってのガラみたいな感じのパートナーじゃないですよね。
芸術家にインスピレーションを与えてくれる存在ですが、まー、美女の方か芸術家の方かが早死にしたり失踪したりで、長久的に、生活を共にする伴侶、って感じじゃないんですよね。
散文的な、今日何食べる、とか、どっちが洗濯するとか。そういう、凡そ、生きる為に必要な煩雑なことを気に掛けないで、詩文的な、創作のこととか快楽とか、そういうことに耽溺出来ちゃう間柄って言いますかね。
…気付いちゃいましたぁ?
「別れようかな…」
水戸の突然の呟きに、俺と優将は「えっ」と言った。
「プレイ、って…。なんか、そんな…不健全なことに、年下の女の子を巻き込むの、良くない気がしてきた…。国籍のことも言えてないし」
優将は、真っ青になって「あの」と言った。
「や、ちょっ、待っ、良くない。他人の言葉に、操作…いや、左右されるの、良くない。って言うか、俺の一言で別れたら、寝覚めが悪い」
優将さん、『寝覚めが悪い』って、本音が転び出てるぅ。
いや、でも、俺にも流石に予想外だったぁ。
うわぁ、こんな空気の中で就寝って、冗談じゃないですよ。
「水でも飲もうか…。キッチン行かない?」
スポーツドリンクを配布したというのに、こんな提案しか思いつかなかったが、場の、あまりの空気の粘度に、水戸も優将も、「うん」と言ってくれた。
階下に降りながら、俺は、話題を変えることにした。
「そっか、Émileか。ジャン=ジャック・ルソーね。良い名前じゃん」
小説風教育論『エミール』と言えば、「『子ども』の発見」ですよ。
架空の人物、エミールの成長段階を示しつつ、それまでは「小さい大人」「できそこないの人間」と思われていた『子ども』を、「教育すべき存在」として発見してくれた、ってやつ。
中世ヨーロッパに「『子ども』らしさ」っていう概念を作ってくれたんだよな。
水戸は苦笑いしながら「有難う」と言った。
「『Émile, ou De l’éducation』ね。でもそれ、読んだこと無いんだよね、よく、名前の由来か、って言われるんだけど」
ごめん、言っといて、俺も未読ですわ。
「俺の名前は、Galléから取ってるんだって。Charles Martin Émile Gallé」
「あー、ガレもいいよな」
絆の家に、ガレ風のランプがあったような。
そんな話をしていたら、先に階段を降りていた優将が、小声で「うわ」と言った。
俺と水戸は「え?」と言って、優将の視線の先を見た。
そして水戸も「うわっ」と言った。
…あー、うん。
玄関で、赤Tが爆睡してる。
服も昼のままだし、いろいろ言いたいことはあるが、空気が変わったのは良かった。
有難う、赤T。
でも、ヤバい。存在自体が。
「跨いで行こうぜ…」
俺の提案に、優将が、困った様に、「良いん?」と言った。
踏んだって構わないんじゃね?くらいには思ってるが、俺は、いろんな感情を押さえて「良んじゃね?」と言った。
成長して良かったと思うことの一つは、経験済みだから、というのもあるが、こういうことが怖くなくなることだと思う。
霊障や不穏な恋愛話に比べたら、『子ども』の頃に怖かったものは、蹴って転がしておいてもいいディスポーザーになるのだ。
…ま、多分、ルソーは、そういう小説、書いてないと思うけど。