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座敷童の恋  作者: 櫨山黎
第七章
41/93

震動:Shaking.

 夜、月の光を浴びながら、少しだけ外に出る。


 寝起きに、ピザ食べたような感じになっちゃった。

 でも、苺、美味しかったな。

 無花果(いちじく)も。


 あー、昼よりは涼しいかも。


 ゴミ捨て場の近くに、秋祭りのお知らせが貼ってあった。

 テストと思いっきりかぶりそうだなー。


 浴衣ちょっと着たいけど。

 今年は、どうしようかな。


 一瞬、水戸さんの顔が浮かんだ。


 浴衣でデートなんて、普通憧れだよね。


 一緒にお祭り行こうとかって言うべきなのかな。

 一応、付き合ってるんだから。


 でも、何か、二人でお祭りに行くのを想像すると、違和感があった。


 お祭りってさ、慧や優将と行くもんだったな。

 もっと小さい時は、中澤さんや里歌さんがついてきてくれてさ。

 里歌さんハードコンタクトなのに、夜、目にゴミが入っちゃって大変なことになったり、三人揃って迷子になって怒られたりしたのに、凄く楽しかった気がする。


 ―――やめよう、思い出すのは。

 もう、三人で一緒に行ったりしないよ。


 何だか、慧とは、あれから疎遠だし。

 もともと、慧んちには、私達から出向いてたんだから、私のところに慧が誘いに来たりはしないだろうし、優将は―――こういうの、玲那(れな)と行くんだろうな。

 行くとしたらだけど。


 …お祭りなんて、(たい)して楽しみにしてたわけじゃないけど。

 三人で行くことはもうないな、なんて漠然(ばくぜん)と思ったら、…楽しくなくなった。

 悪い(くせ)だ。


 そういうのはもう、卒業しなきゃ。


 今日は、高良がいたから、ちょっと、優将とも一緒にいられた気がする。


 …何か、ぎこちなかった気がするけど。


 一人で食べない御飯って、やっぱり、いいなって、思っちゃう。




 …優将に、紫苑学院(しおんがくいん)の学祭の時のお金、返せてない。

 封筒に入れて、まだ、机の引き出しに入れたまま。


 何となく「返して」って言われない気がするんだけど。


 …もう、高良の『バイト』も終わっちゃったら、優将との繫がりが、あれっぽっちの、借りたお金しか、なくなっちゃった気がして。


 何だか、自分から、渡しに行けない。 


 そういうのも、良くないよね。

 …今月中には、返そう。



 リビングに、紙袋が置いてあった。

 私がいない時に、お母さんが、洗濯物、置いて行ってたみたい。


 鉢合わせなくて、良かった、って、思うようになっちゃった。…あんなに昔は、会いたかったのに。


 親とだって、こうなんだから。

 優将と関係が変わっちゃっても、仕方が無いことだ。

 血が繋がってるのでも、なんでもないんだもん。




 高良と約束したから、ちょっと読んでみる。

 寝ちゃって、悪かったな、って。

 でも、高良、凄く優しかったな。


 …思ったより、読める。

 ああ、これを書いた人には、好きな女の人がいたんだな、って。




 『おかうさん、いらしき。けふは快晴なり。諸々のこと、教はる。内緒、と言ひて、歌ひき。短き歌にて、我にも歌ふべく勧めき。をのこご、ゆかしげに寄り来にけり。我に懐きたれば、つき来ぬ。をみなご、おかうさんに懐きき。おかうさんも、美しと言へり。父の恥かきっ子なれど、自慢の妹なり。』


 『をのこご、己と、をみなごとのことを知らず。さりとて、睦まじ過ぐれば、あとあと、困ぜぬやと思へり。いつか、教ふべきや、と迷ふ。』


 『おかうさんより、けふも、土産を給ふ。年の頃、数へに十八と聞く。勤勉にして清らか。親孝行なれば、かくして、名代におはするなり。』


 『教え給ふる、諸々のこと。日ごとに、興、増しゆく。我も行かまほしき心地す。』


 『蔵なるものがために来たるは分かれり。預かりて長し。返す当てもあらず。わらべら、さる物ありとは知らず。わらはを守るまじきや、と思へり。』


 『サトさんが、お倉坊主なんめり、と言ふ。郷里に聞く、わらはの怪異と言ふ。をのこごのことを教へず、もろともに遊ばせば、さる風に言はれなむ。』


 『サトさん、道祖神分からず。おのれの里には、丸き石なりき、といふ。をみなごの清げなる顔したれば、覚ゆる、といふ。自慢の妹なり。』




 確かに、日記っぽいんだよなー。


 『女の子(をみなご)』が妹で、別に、自分に懐いてる『男の子(をのこご)』がいる。数えで十八歳の『おこうさん』が、よく来てくれて、なんか、『サトさん』って人もいる。




 出来る分だけ、打ち込んで、送ってみた。

 中澤さんが、お母さんのお古のパソコンを、学校の調べ物用に設定してくれたから、ワードも入ってる。

 バージョンは、そんなに古くないみたい。

 フリック入力の方が得意だから、携帯で打ち込んで、自分のパソコンにメールして、ワードにコピペしちゃった。

 よくない(くせ)




 お風呂から上がったら、水戸さんから携帯に、連絡が来てた。

 どうしようかな、と思う。

 結局、一人でいるよりいいのかな、と思っちゃって、明日、家に行くことにした。






 水戸さんちの近くの公園に、二人で出てみたけど。


 何かね、『相応しくない』って感じがするんだよね。


 水戸さんと、一緒に街に行ったりとか、遊びに行ったりとかって。


 電話も、何話していいか、よく分かんないし。


 ただ、ほぼアトリエみたいになっている水戸さんの部屋で会うだけ。

 そりゃ、連絡くらいはするけど。


 ただひたすら、水戸さんが絵を描くのを、ぼんやり見ていたり、キスしたりするだけだ。

 それ以上はしない。

 と、言うより、してこない。


 キスした後、私と目が合うと、水戸さんは私を、ちょっと避ける。


 何か後ろめたいのかもな、この人。


 私が誰かに見えるのかもしれないし、瑞月を思い出すのかもしれないし。


 どっちにしろ、何かの葛藤(かっとう)があるんだと思う。


 自分のせいで死んだ人に、そっくりな私と一緒にいて。

 …死人とキスしてる気にならないのかなーって、他人事(ひとごと)みたいに思う。


 …よく付き合ってるよね、私達。


 瑞月が、水戸さんの学校に行っちゃったみたいなんだけどな。

 聞いた(ほう)がいのかな。


 …分かんない。


 聞いても、どうしたらいいか、分かんないし。


 瑞月と、どう接したらいいか、…分かんないし。




 結局、水戸さんの部屋で、ぼんやり、ただ、水戸さんの手が動くのを見る。


 描いてるうちに、水戸さんは、私が見てるのを忘れる。


 その時間が案外長い。


 その間に、水戸さんは、微笑んだり、キャンバスを睨んだり、何か呟いたりする。


 水戸さんの絵は、正直怖い。

 上手いとかとは別だ。


 描かずにはいられずに、現実の不安を吐き出しているようにも、俯瞰(ふかん)して、計算して描いているようにも見える。


 怖いな、と思う。


 この人は、執着や不安が強いんだと思う、多分。


 そしてそれが多分、描きたいものの全てで、でも、その執着を、ある瞬間に、バッサリと捨ててしまうような人でもある気がする。


 凄く極端な人なんだ、って、思う。




 その日、完成した絵は、また、どこかの展示用らしかった。


 私は、改めて、離れた位置で全体を見て、息をのんだ。


「これ…」


 タイトルは…。


「ああ…『マドンナ・リリー』」


 一本の白い百合が、歪んだ光を滲ませた黄土色の背景の中に咲いてる。


 ただ、それだけの絵だった。


 花弁は(ねじ)れて、()(しべ)は花粉をベットリつけて、()(しべ)曖昧(あいまい)輪郭(りんかく)で、どれも、しっとりと、歪んだ光を(たた)えてる。


 自分を誇るみたいに。


 まだ(つぼみ)も残ってる茎は、Y字に分かれてて、平行な葉脈の、深い緑色の葉が、申し訳程度についてる。


 ただの百合の絵だけど。

 分かる。


 これは、『私』で、『瑞月』で、…『ミサさん』なんだな、って。




 沈黙が続いた。

 それが、感想の代わりだった。


「怖い顔…してる」


 水戸さんが、ようやく口を開いた。


 そうかも。

 怖い絵だな、って思ったから。


 今まで見た絵の中で、一番性的だと思ったから、黙っちゃった。


 『聖母(マドンナ)』じゃないんじゃないかな、って。


 何かあったのかな。


 この人。

 私も瑞月も『ミサさん』も。

 こんなに描いてても。

 絵として吐き出しきったら。


 バッサリ切り捨ててしまえるんだろうな、って、分かっちゃった。


 私はまた、『家』に入れないんだろうな、って。


 一人で、絵を描いてて、平気な人なんだなって。


 何をするより楽しいことがあるから、…結局、一人が、平気な人なんだって。


 誰のことが好きでも、一緒なんだろうな、と思う。

 多分、瑞月と付き合ってても、この人、こんななんじゃないかな、って。


 人間は孤独だと思ってるから、孤独じゃない振りをしているものを見ると、嘘だと思うんだろうな。


 孤独なのが当たり前だと思ってるから。

 一人が平気なんだろうな。


 そういうところは、凄いな、と思った。


 多分、そういう風に、自分が思えないから。


 一人で御飯、食べたくない。


 きっと、これ、分かり合えない。




「これ、展示会に出すの?」


「…そのつもり」


 もう大分慣れたつもりだった絵の具の臭いが、その時、ふと鼻についた。


 水戸さんを見た。

 水戸さんの目を見た。


 水戸さんは、今度は(ひる)まなかった。

 私の目を見返してきた。

 でも、また。


 目を()らした。




 何となく、寄り添って、ベッドに座った。

 (あった)かいな、と思った。


 この人のこと、どう感じるのが正しいのかなぁ。


 多分この人、私が、いつも絵に何かを感じているのに、気付いている。


 だから一つは、後ろめたいんだと思う。


 本当に、どうして一緒にいるのかなぁ。


 私の顔を見ても、死んだ人に似てて、後ろめたそうで。

 瑞月のことも後ろめたそうで。

 私が絵を見ても、後ろめたそう。


 一緒にいる意味って、何だろう、って、思う。


 自分でも、何で、ここに来ちゃうのかも、よく分かんないけど。



「シモーネ・マルティーニの『受胎告知』って絵、知ってる?」


 水戸さんの胸元にくっつけた頭の(ほう)に、妙に声が響いた。

 不思議な震動だった。


「さぁ…見たことあるかもね、学校柄」


 …学校。


 ミッション系の、お嬢さん学校。


 女子高()()()、って、里歌さんに言われちゃったの、…多分、まだ、気にしてる。


 好きでも嫌いでもない学校だったし、友達だっているのに、そこに所属してるだけで、『なんか』って見下されちゃったような、…凄く、複雑な気分。

 里歌さんは、そんなつもりで言ったんじゃないと思うけど。


 黙っていると、水戸さんは、勝手に話を続けた。

 …聞いてるだけでいいんだったら、こんなに楽なことは無い。


「中世か初期ルネサンスかの中間かな?国際ゴシック様式の代表作。そこにね、『マドンナ・リリー』も描いてあるんだ」


 視線を上に上げたら、水戸さんの喉仏(のどぼとけ)が見えた。

 上下に動いてる。


「マドンナ・リリーって、他の百合と、どう違うの?」


「宗教画的な決まりごとかな。聖母の、目に見えない純潔をあらわす白百合。だから、()(しべ)が描かれないのが決まりだったんだ」


「…じゃあ、あれ『マドンナ・リリー』じゃないね、やっぱり」


 また、ちょっと沈黙して、水戸さんが困ったように笑った。

 また、執着(しゅうちゃく)が動いた。


 私は、右手の人差し指で、そっと水戸さんの喉仏(のどぼとけ)に触れた。


 水戸さんは、少し、驚いたように震えた。


 でも、そのまま、話し始めた。


「分かっちゃうか、やっぱり。でも、あれは『マドンナ・リリー』なんだ」


 聖母もミサさんも、『マドンナ・リリー』なのかな。


 屈折した人だな、と、ぼんやり、思った。




 喉仏(のどぼとけ)から伝わる震動は、何だか面白かった。


 でも、眠くなってきた。


「…茉莉花ちゃん?」


「…喋ってて」


 馬鹿みたい。

 眠いから本を読んでって言ってる、小さい子と、そんなに変わらないこと、言ってる気がする。


 でも、震動が、妙に心地よくて、指先が喉仏(のどぼとけ)から離れなかった。


 喋っててほしい。


「…喉仏(のどぼとけ)ってさ。英語で“adam's apple”って言うんだ。『アダムの林檎』って意味。エデンの園の禁断の実の林檎がアダムの喉につかえて、喉仏(のどぼとけ)になったって事らしいよ。日本では、ここの骨が仏様の姿に似た形だから、『喉仏(のどぼとけ)』って言うらしいけどね」




 本格的に眠りに入りそうな時、私は水戸さんに起こされた。


 外はもう暗くて、帰る時間だった。






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