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座敷童の恋  作者: 櫨山黎
第七章
37/93

母親:Here! you may nurse it a bit.

「やだイケメーン。はぁい、これ名刺ー。親御さんに渡してねん」


 言葉にならない。


「…ババァ、友達に名詞渡すなっつってんだろ。はっ(たお)すぞ」


 関係、劣悪(れつあく)ー。あと、煙草(たばこ)(くせ)ぇー。


「やーん、紫苑高校の子ぉ?インテリっぽくて超いいー。頭よさそー」


「友達をブランドもんのバッグみたいに言うな。()よ用事済ませろ」


「はいはい、レースの半襟(はんえり)見付けたら帰るわよぉ。高かったんだから、あれ」


「…もう店に小物置いとけよ。マジ片付けできねーのな」


「うっさいわねぇ、あんたのお父さんよりか、家に帰ってくるだけマシでしょ」


「…それな」


「あ、ピザあげるー。なんか、四種類味があるやつー。バーイ」


 優将の母、という人は、明るく、そう言うと、キッチンの、大理石天板の上に、ピザの箱を置いて、サッサとリビングを出て行ってしまった。


 …(すげ)ぇ。


「…ペパロニかマルゲリだけのがマシだ、っつってんのに、覚えねぇなー、あのババァ」


「…優将、ピザ嫌いなのか?」


「…脂っこくて、途中で頭痛くなるんだよ。和食のが好きだ。…ごめん、これ、一緒に喰ってくんね?」


「分かった、夕飯な、これ」


「助かる」


 …いやー。

 凄かった。


「…綺麗なお母さんだな。似てないけど」


 息子の美形度が高い理由が分かった。

 香水と煙草が混ざった残り香が、まだしてるけど。


「見ての通りの夜の蝶あがりですわ。長野の田舎から出てきた男が引っ掛かったってパターン」


 …見ての通りって話なら、見なかったことにしようかな。


「高良、悪かったな。名刺、捨てるから貸して」


「あ、うん」


 優将は、郵便物用と思しきシュレッダーに、母親の名刺を入れた。

 音で茉莉花が起きないかな、と、俺は、再び気になった。


「…本名の名刺だっただけマシか。源氏名のだったらグーが出てたな」


季湖(としこ)さん、っていうのか」


 店のオーナー、ってのは。


「おー。クソ暑いのに、バッチリ和服着て。金髪を夜会巻きにして。見ての通り、()()ですわ。クソ親父の金で店持ったんだわ。もう数年、和服以外の服、見てねぇ」


 …見ての通り、って話だったら、見て見ぬ振りも出来ないかな。


「仕事が忙しい、とか?あんまり、帰って来ない、って」


「…さーてね。店舗の上を居住スペースにしてるらしいが、見たことも行ったこともねぇな」


 優将は、「休憩しよ」と言って、冷蔵庫から、スポーツドリンクの入った500㎖ペットボトルを出してくれた。


「…まぁ、あれで、一応、ハウスキーパーを入れよう、とか、してくれようという気はあるらしいし。ピザでも…二ヶ月に一回、差し入れるかどうか、って話だけど、食べ物を喰わせようとしてくれるだけ、親爺より、マジでマシ…」


 …言葉にならない。




 二人でスポーツドリンクを飲んでいると、ガチャガチャと、再び、玄関で音がし始めたので、優将が慌てて、ペットボトルの蓋を閉めてダイニングテーブルの上に置き、玄関に向かった。


「ヤベ。手癖(てくせ)(わり)ぃんだ。気に入ったら、茉莉花のサンダルでも持って行っちまうぞ。茉莉花の物、盗んでないか確認してから帰さないと」


 劣悪(れつあく)ー。




 リビングのドアを開けたら、やはり、玄関のドアの前に、白い夏着物姿で、戦闘力の高そうな|、(とげ)が並んだみたいな睫毛まつげの美人がいた。


「やだ、お見送り?信用無いわねぇ」


「前科があるからだっつーのが分からん星から来た異星人の人?」


 …ええ、季湖(としこ)さん、俺、気付いちゃったことがあるんですけど。


 『お見送り』と『信用』って普通関係無いし、優将が何も言ってないのに自分からそれを言っちゃうってことは…。

 茉莉花の物を持って行った『前科』があるし、『信用無い』ことを今からしようとしていた、という文脈に…。


 なりませんかねぇ。


 (すご)


 …流石(さすが)に、母親が友達の履物を盗むかもしれないから、お見送りしよう、と思ったことないわ。


「はいはい、帰るわよー。あら」


 隣家の玄関から、女の人が出て行くのが見えた。


「あら、小松さんの御宅も、御帰りだったのね」


 これまた、キャリアウーマン風ショートヘアの、眼鏡を掛けた、黒いパンツスーツ姿の美人だったが、それほど茉莉花には似ていなかった。その人は、駅方向に歩いて行って、こちらに気付いた様子は無かった。



 育児放棄(ネグレクト)



 表面からは、二人の母親が、それをしている、とは分からない。


 季湖(としこ)さんは、俺の顔は見たが、優将が俺と何をやっているかについて、全く注視しなかったし、茉莉花のサンダルには興味を持った可能性があるが、ソファーで茉莉花が眠っていたことに、気付いたかどうかも怪しい。


 茉莉花の母、という人も、茉莉花に会わずに家を出て行ってしまった、ということは、夏休みだというのに、茉莉花が家にいなかったからといって、気にしていないのかもしれない。


 目に見えない所で、俺の知らない所で、こうやって、『見ない』という虐待が行われているのだ、ということを、俺は、初めて知った。




 作業を進めていると、茉莉花が寝返りを打った。

 優将は、作業を中断して、キッチンに向かった。


 …ホットミルクを作るんですね?


 優将は、手慣れた様子で、ミルクパンと、大きなマグカップを用意した。


「…なんか、手伝う?」


「パントリーから蜂蜜出してくれる?」


「…分かった」


 これまた、高そうな蜂蜜…。


「ウェッジウッドのワイルドベリー柄って、マグカップもあるんだな…」


 優将は返事をせず、ミルクパンに、牛乳を注いだ。


「…マグカップを入れた牛乳をチンするのじゃ、駄目なのか?」


 手間ですよ。

 後でミルクパンも洗わないといかんし。


「マグカップに金彩が入ってるから、そこが溶けて焦げる可能性があるんだよ、電子レンジ使うと」


「…じゃあ、金彩のない、お安いマグカップで作れば…?」


 優将は返事をしない。


 …この家には、お安いマグカップなんか存在しない可能性もありますが。


 …やっぱりこれ、『茉莉花用』のマグカップなんですかね…。


 ウェッジウッドが好きそうな感じのお母様ではいらっしゃらなかったですし。

 何も、ウェッジウッドのワイルドベリー柄で統一しなくとも、とは思いますが。

 それなりの御値段では?


「…優将のお父さんって?」


「…長野市の、柴野医院って、知ってる」


「…知ってる。…え、結構大きい病院じゃん」


「そこに帰った」


「…()()()?」


「そう、だから、実質、今、開業医。長野で」


「…どういうことだ?」


「こっちで研修医してる時に、うちのババァに引っ掛かってさ。反対されたのに、結婚しちまって。で、まぁ、俺が生まれたから、うちの、長野の、S地区にいた祖父ちゃんが折れて。この家を建てる援助もしてくれて。祖父ちゃんとしては、俺は可愛いから、金は出してくれたけど、勘当のつもりだったらしいんだわ、それで。帰ってくんな、ってね。ところが、祖母ちゃんは、一人息子の親父のこと、諦めてなくて。祖父ちゃんが死んでから、親父を、長野市の親戚の病院の跡取りにして、養子に入れちまって。名字一緒だから、傍目には分かんねーけど。親父、すげーマザコンだから。一時期、夜の蝶に入れあげたものの、目が覚めたんか知らんが、祖父ちゃん死んでからは、祖母ちゃんの言いなりで。柴野医院継いじまって、マジで帰って来ねーのよ、長野から。祖母ちゃんは、夜の蝶も、夜の蝶の息子も、家になんか入れたくないから、店を持たせたのも、慰謝料とか、手切れ金くらいのつもりなんだろ。ババァも好き勝手やってるし。俺が成人したら別れる予定の、仮面夫婦だよ」


 …壮絶(そうぜつ)


 優将は「仕方ない」と言った。


「ババァ、マジで、分かんないんだってさ」


「え?」


「自分がやってもらったことないから、って。料理とか掃除とかも、マジで、出来ないし、してもらったことないし、中学出たら働いてたし、って。だから、入学式とか出て、ピザとかくれるだけマシでしょ、って言う」


「…そうか」


 連鎖(れんさ)


「それでも、親父よりマシ。…あれは、さぁ」


「うん」


「…なんつーか。本当は、うちの祖母ちゃんのことしか家族だって認識できてないのかも」


「…え?」


「誰に対しても、ずっと敬語なんだよ。それ、丁寧なんだと思ってたんだけど、違うんだ。…そんで。結婚前は、ババァにとっても、何でも言うこと聞いてくれる丁寧な奴、だったらしいんだけど。…曖昧な言葉が分かんなかったから、はっきり命令してくれる夜の蝶が良かっただけみたいだな、なんか。頭はいいんだけどよ」


「え…?」


「俺が生まれた途端、『見ておいて』とか『洗濯くらいして』とか、曖昧(あいまい)なことしか言わなくなっちまったわけさ、夜の蝶が。『バッグ買って』とか、分かり(やす)いこと、言わなくなったのよ。で、俺が転ぼうが、『見ておいて』って言われたら、本当に見てるだけ、『洗濯くらいして』って言ったら、マジで洗濯しかしない、みたいな。…それで、ババァはババァで、参ってたみたいだな。優しい、言うこと聞いてくれる人だと思って結婚したら、全然、自分で察して動いてくんなくて。子育て理解もない、傍目(はため)には、でっかい家建ててくれた外科医の旦那だから、周りも『素敵な旦那さんね』とか言うし、と。そんで、(かば)ってくれて、家まで建ててくれてた祖父ちゃんは死んじまって、親父は、相談も無しに長野市に行くって言い出して。ババァも、…キレちまった。元々、料理も掃除も出来んし、(こら)(しょう)がある(ほう)じゃねーのに、子ども生まれたってだけで、母親らしくなろうって、一時期でも努力したんだろうから、我慢した(ほう)だとは思うよ」


 ホットミルクが出来るまで、俺は、結局、黙って、それを聞いているしかなかった。


 茉莉花が、もう一度、寝返りを打った。


 優将は、そっと移動して、ソファーの近くのコーヒーテーブルの上に、ホットミルク入りのマグカップを置いた。






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