育児放棄:By-the-bye, what became of the children?
優将は「さて」と言って、苺と無花果の皿にラップを掛けて、冷蔵庫に入れた。
「あ、取っておいてあげるんだな、あの子に。アメリカンチェリーは?」
「俺達が喰わなかったら喰わなかったで気にする奴だからさ。自分が寝てたせいだ、って。そっちは、俺等で喰お。起きてから出してやりゃいいじゃん、他のは」
…読みが凄い。
「…ああ、そういう話だったら、コーヒーも、頂きます。…えっと、シナモンが入ってない方が俺、か」
無垢一枚天板のテーブルに置かれている、ウェッジウッドのワイルドベリー柄のティーセットを見て、俺は、もう一つ、気付いた。
…時に優将さん、この…カップって、どなたが御購入されましたかね。
別に変じゃないんですが、この、狂気を感じる程オシャレなインテリアから、これだけ、ちょっぴり浮いて、可愛いんですけれども。
…まるで、苺の柄が好きな人のために、インテリアが完成した後から購入したような雰囲気の、ね。
いやでも、そんなことないですよね。ウェッジウッドですもんね。そこそこの御値段ですよ。
そんな理由で買わないですよね…?
優将は、椅子に腰掛けながら、「どした?」と言った。
俺も、椅子に腰掛けながら、「いや」と言った。
「…統一感のあるインテリアだなぁ、と。部屋も綺麗だし」
「あー、家建てる時、デザイン費込みだったらしいわ。全部屋らしいから、建築費に、プラス二十万くらいしてるかもしれんな。掃除は、掃除だけしてくれるサービスを、うちのババァが手配してんのよ。ハウスキーパーっつーの?ババァ、何もしねーからな」
「…あー、デザイナー入ってんのか、インテリアに」
「んー、一部屋十万から十五万、とかすんじゃね?確か。そんで、クッションとか、棚に飾る本、みたいなのも、デザイナーが選ぶのよ、カーテンとか」
道理でオシャレですわ。
外観も含めて、ダークなグレーと白っぽいグレーのグラデーションの中に、濃いブラウンとベージュ、って感じで、色調が統一されてて。
家電は白か黒。
皿も高級そうな白磁、ランチョンマットとペーパーナプキンはワインカラーだけど、これも無地。
そこに、唐突な苺柄。
「飲まないの?」
「あー、飲み飲む。いや、可愛い柄だな、と思って、このカップ」
これだけ浮いてんだよ。『ハレルヤ』の店内にいた俺並に。
優将は返事をしない。
…あんまり深読みしない方がいいですか?コーヒーが不味くなるかもしれませんしね?
「…ブラック、飲めるんだ?優将」
「…可能」
それ、嗜好として好きなんじゃなくて、可食ってことですよね。
そりゃー、コーヒーは可食可飲の物体ですが。
どうするんですか、以降、あの幼なじみは、ブラックのコーヒーを、お前に出し続けますよ?平気なら、いつもの無表情で、お飲みになったら宜しいのに。
「…これ以降、ブラックコーヒーを出され続けることになるんじゃないか?」
「後から本当にすりゃ良いじゃん。これから、俺は飲めるようになる。今、飲めてるし」
力技。そして、幼なじみの出してくれた物は飲む、という心意気。
…素直にミルクを入れるのの、何が駄目なのさ。
もう、明らかに、俺がブラック飲めるのを、茉莉花が『いいなー』って言ったから、張り合っちゃったんじゃん。
これで自覚ないのってなんなの。
「…仲いいんだな」
「…単純に、一緒にいる時間が長いんだよ。…親いないし」
「え?」
「親、マジでいねーの。育児放棄。俺等、親のカードだけ渡されて暮らしてんだ、昔っから」
「は…」
「うちも、茉莉花んちも、ほとんど、親が帰って来ねーんだよ。だから、慧んちに御世話になることが多かった、ってだけ」
「え…」
優将は、俺の様子を見て、「あいつには言うなよ」と、小声で言った。
「うちは、まぁ、単純に夫婦仲が悪いんだが。…あいつんちは…。あの…幼稚園の時にさ」
「幼稚園…」
それって。
あの子がO地区に預けられてた時期、か?
「俺は覚えてるんだけど。…髪の長い女が、茉莉花んちに乱入してきたんだよ、刃物持って」
乱入。
「…事件じゃないか」
「もみ消したけどな」
「…え?」
「…どうも、あいつのお父さんの不倫?かなんか、分かんないんだけど。相手が家に乗り込んできて、あいつのお父さんと心中しようとしたらしいんだよ。それを、近所の大人で取り押さえて。うちと、あいつんちと、慧んちの親で、もみ消したんだ。当時も、確かに、仲は良かったんだよな、近所で。三人同郷だとは知らんかったけど」
心中。…妻子ある男と。
『お祖母ちゃん』が…『心中』…『瑞穂が』って。
いや、待ってくれ。
「それって…」
「茉莉花は忘れてるから、言わんでやってくれな。…で、しばらく、茉莉花は、どっかに預けられてたんだけど。…両親が不仲になっちゃって。こんな場所に、戸建てで家まで建てたのに…。ローンもあるだろうから、なぁ」
「…不仲が…回復しなかった、と」
「…不倫相手に、刃物持って乗り込まれたら、なぁ。関係回復も難しいだろうけど、違う意味でも、いたくないだろ、そんな家。トラウマなるわ」
普通に暮らしてて、刃物を持って乱入されるとは、思ってなかっただろうしな…。
「…うーん…離婚は?」
「…その辺は、よく分からんけど。…あんなでかい家、あんな立地に建てちまって。ほとんど住んでねーのに、なぁ…。ま、だから、中澤さんちに、凄い、お世話になってんだけど。…近所で、そんなことがあったらさぁ。気にして、そこんちの子に、夕飯くらい出すかもな…。いや、忘れさせておいてやりたいんだよ、茉莉花には。…忘れたかったのかもしれんから」
優将は、「喰お」と言って、アメリカンチェリーを勧めてくれた。
コーヒーとは合う気がしたが、あまり味を感じなかった。
…凄い話を聞いてしまった。
育児放棄。
そんな。
自分が不倫して、事件になって、帰って来なくなった父親と?そんな家にいるのが嫌で帰って来なくなった母親?が、いるって?
「作業しよ、高良。これ飲んだら」
「あ、うん。え、作業って?そう言えば、それ、タブレットか?」
優将は「うん」と言って、自分の傍らのテーブルに置いた、黒いタブレットを手にした。
「うん。くずし字解読アプリ入れてきた。無料のスマホ版もあるから、高良も入れれば」
「え。あ、それで、時間かかってたのか、着替えて来るって言ってた時」
「そ。精度は90パーセント以上。俺の能力で足りない場合、課金するわ」
「…字解持ってきてないから、凄い助かるけど…」
「スマホに、取り敢えずアプリ入れときな。重くなったらアンインストールすればいい」
今、そんなのあるんですねぇ。親がアナログだった上に、俺も携帯持ったのが最近だもんで。
「今日中に、原文を、まぁ…印字の、古文くらいには直してやるわ。そこから解読しな」
「すっげ…」
「紙出しがいい?データ?ワードで送ろうか?パソコンのメアドある?ああ、そうだ」
優将は、携帯をいじり始めた。
「三人でグループ作って、ビジネス用の、データが大量にやり取りできるアプリ入れよう。無料版あったはず。10ギガとかいけんじゃないかな。四人くらいまでならビデオ通話も出来るから。QRコード送るから導入しな。携帯一つでこと足りるから。パソコンに落としたかったら、そこから自分ちでやりな。紙出ししたやつも欲しいなら、うちでプリントアウトしてやる。取り敢えずは…お前と茉莉花の分、二部でいいか」
「有難う…」
「何時までOK?今日」
「犬が待ってるから…九時くらいには、家にいたいかな。流石に、その頃には、親も、餌くらいやってるかもしれんが。散歩はしてやりたいし」
「オッケ。作業終了目標、八時な。夕飯も喰いたいだろ」
俺が感心して「すげぇ」と言うと、優将は無表情で、「最速で終わらせるぞ」と言った。
…それ、行動原理がですねぇ、幼なじみと俺のバイトを『最速で終わらせてやる』ってことだと思うんですが。
本当に自覚がないんですか?
いや、あのですね。
常々、俺、優将さんのこと、高知能だなって、思うことがあったんですが。
ノートの分かり易さとか、いつ勉強してるんだ、とか。
あったんですけど。
こう、今ひとつ、勉学に興味が向いてないから生かされてないのかな、って。
それで、ですね。一回スイッチが入ったら、…凄いじゃないですかぁ。
で、今回、そのスイッチ入れたの、多分、茉莉花さんですよね?幼なじみと俺のバイトを『最速で終わらせてやる』ってことですもんね。
育児放棄なんて話も、知らなかったけど。それを知った上で、あの子を、こんなに気に掛けてくれる存在がいるのに。
彼氏は、瑞月と学校で抱き合うような感じで…。
うーん…。
…なんでこう…上手くいかない、というか。
誰も幸せにならない組み合わせに…なってるんでしょうか、本当に。
いや、それにしても、凄い。
優将は、タブレットを、自室からリビングに持ってきたと思しきディスプレイとプリンターに繋いで、ダイニングテーブルの上で、サクサク、解析と、プリントアウト作業に入ってしまった。
まだ外が明るいのに、こんなに作業が進むとは…。
「んー。ここ、合ってる?高良」
タブレットのカメラで接写してアプリに読み込んで解析後、難読の箇所をディスプレイに拡大して見せてくれる、この気遣い。…こいつに五万払った方がいい気がしてきたな。
「あー…。文法的に変かもだが。あとで脳内補完するわ」
「まーね、九十パーセントだからな、精度」
「…いや、全然、これ…いけるよ。地名の漢字は…相変わらずアレだけど」
書いた奴の誤字もあるだろうしな。
「そ?…何か、『に』の書き方に癖があるやつが書いたんだな、これ。『y』みたいな」
「…読めるんだ?」
「パターン。助詞だろ、この位置だと」
「うん、格助詞だとは思うけど…」
…やっぱり俺より高知能な気がするんだけどなぁ。この作業、思い付いた時点で、どういう脳なの、っていうね。
「起こしちゃうかな、プリンターの音で」
俺は、意外とガーガーいうプリンタの音で、ソファーで眠る茉莉花が起きないか気になったが、優将は「いいよ」と言った。
「起きた時に一人、の方が、可哀想じゃん。ここで作業しよ」
「そっか…」
そこまで考えてるのか。
ま、その、寂しがらせるよりはいいのか?
えーっと。
…あれなんだよなぁ。
こう…。
もう、気遣いのレベルがね。
恋人でもないんだったら、…『ただしイケメンに限る』の水準になってて。
優将の行動を式にして、赤Tを代入すると、解が『犯罪』になる可能性が…出るとか、出ないとか。
そりゃ俺は、優将さんの気遣いの行動の数々を、ストーカー扱いしたりはしないですが、そこに赤Tを代入すると、あーら不思議、茉莉花さんのロッカーの番号まで分かっちゃう、赤い服のオジサンが出来上がるんですよね。
「お、休憩する?高良。集中切れた?」
「…いや、ちょっと、脳内で、新しい単位を作ってた。疲れて…」
「…どうした…」
「アルファベットの大文字Uで、ユーマっていう、美形度を表す単位を作ってた。Uの最大値が100u。uは小文字な。uが60あると、何かの広告塔に使えるレベルの美形度で、使い方としては、美形度が65uあるから、雑誌の読者モデルになれると思うよ、みたいな単位だ」
「…単位を…脳内で作ってた…?」
いえね、右脳がインテリアの違和感をキャッチして、左脳が、インテリアの解析と古文の解読を行っているものでねぇ。
ちょっと、バグって来てるんですよぉ、俺の脳。
俺の脳梁って、そんなにいっぺんに、右脳と左脳で、情報を行き来させられるのかなぁって。
俺のキャパ、超えて来てるんじゃないかと思うんですよ、今日。
瑞月が学校に乱入してきた後、タクシーに乗って、父親に呼び出されて、赤Tに会って、女の子とホットサンド食べて、今、優将さんちにいて、ですねぇ。
育児放棄の話とか聞いちゃって、本来、日常では勉強と家事と犬の散歩くらいしかしてない俺の脳のキャパ、いっぱいいっぱいなんですよ。ああ、もう、二度と、日常に変化が欲しいなんて思わないだろうな、俺。
こんなにいろんなことがあったのに、赤Tの絵が強過ぎて、ちょいちょい、思考に赤Tがカットインしてくるし、もう。
「いや、ちょっと、右脳と左脳のバランスがバグって来てて。…可変しいな、前提として、他人の美形度を勝手に数値化しよう、という試みが、倫理的に微妙なラインなのに、単位まで作るなんて…」
「…そんな脳は怖いな…」
あ、その言い方だと。
まるで俺が父親に似てるみたいで、何か嫌だな。
「何でその…Uの最大値は100なのよ。1とかじゃ駄目なん?」
あー、御自分が美形値100って言われてるようなもんですからね。
それは気になりますか、失敬。
そして、それは、U=1を基準にして、1.5Uとか、2Uの美形度、みたいな単位に、というお話でしょうか。
でも。
「そんなに話に乗ってくれると思わなかったな…。そこまで考えてなかったが、多分、お前を1にしちゃうと、小数点以下でしか存在できない人間が多過ぎるんだと思うわ」
赤Tとか。
俺の視力みたいな単位になるかも。
「…高良、意外と酷いこと言うんだな」
普段口に出してないだけかもしれん。
何せ、会話が得意とは言えないもので。
こんな、疲れたら、単位作るとか、要らんこと口走っちゃうくらい。
結構考えるよ、俺は、いろいろ。
実際、黒いTシャツとジーンズ、なんていう、何の変哲もない服装でも、そんだけ脚が長けりゃ、このオシャレなインテリアとマッチしてて。
Uの最大値は100が言い過ぎなんだとしても。
U=1を基準にしちゃうと、俺も小数点以下の世界に行きそう。
いや、酷いことって、言えないじゃないですか、口に出しては。
赤T、好きですよ、俺も。
でも、サンタクロース以外の赤い服のオジサンって、やっぱり、一般社会に馴染めない、研究棟にずっといた方がいい妖怪なのかも分からんな、と思って。
…やっぱ、研究職、ってさ。
…ああいう学生も来るんだと思うと…。
自信なくすよな。
いや、なる気はないんだけどさ。
農学部だって実験とかあるし、研究っぽさはあるけど。
…いやいや、いくら、獣医に対するモチベーションが下がってきてるとは言え、…文系の研究職って。
志望変更し過ぎだろ。ないない。
「…やっぱ休憩しよ、高良。出前とか、頼も?」
「いやいや、ホットサンド代から何から出してもらってるのに」
俺がそう言うと、「口癖同じ」と言って、優将は、クスッと笑った。
あ。
若しかして。
口癖が友達になった切っ掛けとか。…ないですよね?
俺が硬直していると、急に、玄関から、ガチャガチャという音がした。
「げ。今日、月曜日か。ババァ、店、休みかよ。連絡入れてから帰って来いっつーのに、覚えねぇな」
「え、お母さんか?」
「おー。悪。強制的に休憩な」