好奇心:It was all very well to say ' Drink me.'
解読のための本のコピーと、資料まで入手出来てしまった。
これからどうしようかな、と思いながらも、俺は、駅の方向に向かった。
赤Tは、皆で一緒に御昼御飯を食べよう、と言ってくれたのだが、赤Tの店選びのセンスは、繁華街に大学があると思えないくらい微妙なので、丁重に御断りしてしまった。
中学のころ連れて行ってくれたインドカレーの店は唯一よかったが、いつだったかもう忘れたが、一緒に行った韓国料理屋がテキトー過ぎて、御冷と焼酎のロックを間違えて持って来られて、大騒ぎになったのである。
あれで懲りた。
全くの別件だが、台風で停電した際、赤T達は、そのまま店で刺身を食って、全員食中毒になったという噂もある。
多分、生鮮食品を保管していた冷蔵庫の電源が、停電で切れたのだろう。
いろいろ聞いた結果、店の失態は赤Tのせいじゃないんだが、赤Tのテキトーさが店のセレクトに影響してしまうらしい、というのが、若輩者の俺にも分かるようになってしまったのだ。
尚、俺と赤Tと食事する時は、絶対父が一緒なのだが、赤Tは、大学教授が一緒でも、店選びのスタンスのテキトーさを崩さない。
若しかしたら『いい店』の基準が安さなのかもしれない。
ただ、自分で払ってないし、大体は学生の分も父が払ってしまうので、いくらだったのかは知らない。
でも、あの韓国料理屋は高くないと思っている。
高かったとしたら、サービスに問題があると思う。
赤Tの名誉のために言うと、毎回、旨いことは旨い。
父も、諸々のことを気にしていないから、毎回赤Tチョイスの店に、息子を一緒に連れて行くのだろうとも思う。
いつだったか、赤Tが連れて行ってくれた家族経営の中華料理店は、店の主人御手製らしい搾菜が銀色の調理用バットごと卓上に置かれていて、その搾菜は、胡麻油でビッシャビシャだったが、旨かった。
ただ、本当に、見たことないくらいビッシャビシャの搾菜だった。
御飯が進んで、本当に旨かったのだが、この時の記憶は、何かが可変しいのだ。
何故なら、中華料理のイメージとは、普通、搾菜のみでホカホカの白米を掻き込む、というものではないはずなのに、搾菜以外の料理の記憶が無いからだ。
多分…改竄された記憶と見ていい。
今よりも幼かった頃の俺に、何かがあったのだと思う。
焼酎のロック以上に。
そんなこんなで、やっぱり、今日は、なんとなく、赤Tとランチを一緒に食べなくて正解だったような気がしている。
駅までの下り坂の途中で、偶然、人混みを抜けたので、俺は、何となく、『小松茉莉花』に電話を掛けた。
何となく、『一人になったな』と思ったからである。
ふと、思い出したから、掛けた。
何て言おう。
資料揃ったよ、とか。
手伝ってくれる?とか。
…自分の顔と、知らない着物の男に顔が鏡で重なって見えて、…怖かった、とか?
「え」
「あ」
目の前に、携帯電話を耳に当てた、白いシンプルなカットソーと、凄く綺麗なレースとリボンが使われたサーモンピンクのプリーツスカートを穿いて、白いサンダルを履いた、長い黒髪の女の子がいた。足の爪に、淡いピンク色のマニキュアが塗られているのが見える。
嘘だろ。
電話を掛けた相手が、俺の電話を取りながら、目の前に立ってる。
「え、高良?」と言って、茉莉花は、電話を切りながら、俺に近寄ってきた。
俺も、電話を切りながら、「うん」と言った。
会えると思ってなかった。
「…連絡くれた、ってことは、怖くなったんだね。一緒に、本、見よっか?」
ピンクの造花のついた、涼しげな籠バッグを持って、気づかわしげに、「怖かったね」と言ってくれる人物の、美しい瞳を見て。
俺は不覚にも、ちょっと泣いた。
「ここじゃアレだから、御昼、一緒に食べない?そこ、坂、上がって、裏道に入ったところの御店。近いんだけど。そこで話そ?」
「…うん」
泣いたのが流石に恥ずかしかったので、俺は素直に、その言葉に従った。
…待て。彼氏持ちと繁華街で昼飯喰っていいのか?
…あ、彼氏の方は、学校で瑞月と抱き合ってましたねぇ。
それは流石に、茉莉花には言えないが。
…人間関係が煮詰まって、佃煮みたいになってきたな。
どうするか。
…いやでも。…見た目はデートに他ならないんだよなぁ。
…ああ、道端で話し込むより目立たないか?
暑いし…。
抱き合うよりはセーフかもしれんが、もう、俺にはアウトとセーフの判断がつかん。
何だか、慧が企画した合コンのせいで、妙なことになり続けている。
ただ、…あの合コンがなかったら、恐らく、この子と、ここまで話せるようになって、本の解読を手伝ってもらえることにはならず、誰にも相談できずに、和綴じの本と恐怖を抱え込んでいたのではないか、と思う。
「ここ。ホットサンド、平気?食べられる?」
「ああ、うん」
案内されたのは、父の勤務先の近くの裏路地にある、アメリカンダイナー風だが、外観よりは多少狭い、カウンターと、いくつかの丸いテーブルがあるだけの、シンプルな店だった。
店員も、カウンターの中の店主しかいない。
大学生風の人間が数人いるが、混んでもいない。
…入り易い。
茉莉花は笑顔で、「ね」と言った。
「立ち食いのホットサンド屋なんだよ。珍しいでしょ。ここだったら、嫌になったら、ホットサンドと飲み物持って、すぐ出ていいし。涼しいから、ずっといてもいいし。立ってると、疲れちゃうかもだけど。そしたら、駅に向かって歩いて、帰りながら話そ?」
あ。
俺が『ハレルヤ』にいるが嫌だったのを知ってるから、出入りがし易い、気楽な店を選んでくれたんだ。
何故か心拍数が上がった。
暑いのに、坂を上ったからかもしれない。
あと、赤Tとは比べ物にならないほど店選びのセンスが卓越してて、何かもう、言葉にならない感動がある。
「…助かる。お勧めは?それを食べるから」
もう、一見の店でメニューを選ぶ気力が残ってない。
「…えっとね」
そう言うと、茉莉花は、少し頬を染めた。
「ツナとチーズと、トマトのやつと…」
「…うん?」
「アボカドジュース」
「え?」
「私は好きなんだけど…。瑠珠も優将も、一緒に飲んでくんなくて」
茉莉花は、恥ずかしそうに、そう言うと、頬を染めたまま笑った。
「コーラとかにしよっか?」
「いや。…二言はない。お勧めを食べると言ったからには、食べる。わざわざ、相手にお勧めを聞いておいて、これじゃなかった、などとは言わない。それなら、俺が自分で選ぶべきなんだから。わざわざ相手に聞いておいて、好みを否定することはしない」
茉莉花は気の毒そうに「真面目だね」と言った。
母親にも、昨日、そんな顔で、似たようなこと言われたな。
…いや。
だって、そんな風に言われたらさ。
誰も一緒に飲んでくれないお勧めのジュースとやらを…実は不味かった、とか、騙されてもいいから、小遣いからいくらか捻出して、一緒に飲んでやろうかと。
思っちゃうじゃないか。
ただ、そんな気分で言ったと思われるくらいなら、クソ真面目だと思われた方がいいから、是非とも、融通の利かない気の毒な人だと思っていてほしい。
おかしいな。
赤Tに、御冷と焼酎のロックを間違われる店に連れて行かれた時は、こんなこと、思わなかったのに。
…まぁ、思うわけもないか。
吃っっっ驚したぞ、ありゃあ。
本当に、違う意味で忘れられないからな。
逆に搾菜の店の記憶が曖昧なことが、今更、本気で気になってきたくらいにな。
「じゃ、頼んじゃお。安いんだ、ここ。あ、メニュー、貼ってあるでしょ、あれ」
「…ホントだ」
そう、観光地値段でも、繁華街値段でもない。
飲み物とのセットと考えると、相当良心的な値段だった。
絶妙。
「多分ね、学生さん狙いだと思うんだ。場所的な話で。その代わり、この場所、お店の入れ替わりが激しいんだけど。居抜きでね。前はカレー屋さんだったんだ。その時も、トッピング無しのココナッツカレー、ミニサラダ付きで、一皿六百円とかだったよ」
「おー、繁華街にしては。…安くて旨い、的な」
「そうそう。大学近いし、学生さん向けなんだろうね。裏道なんだけど、こういう感じの御店ばっかり入るの。カレー屋さんの時は椅子もあったんだけど。ね、ここ、ちょっと穴場?とか思ってて」
「いいな」
やはり店選びのセンスがいい。
気遣いも光る。
いや、赤T、茉莉花よりも、この辺にいる時間が長いのに、どうして店選びのセンスが磨かれないんだ?
出てきたアボカドジュースは。
冷たくて…旨かった。
「あー、レモン果汁で、青臭さを消してあるんだな?旨い…」
「…ね、美味しいよね?」
頬を再び染めて、茉莉花が、照れ臭そうに笑った。
「飲んだら美味しいと思うのになぁ。…誰も飲んでくれないんだもん。野菜の色だから、って」
あ、いかん。
『誰も一緒に飲んでくれないお勧めのジュース』を一緒に飲んでしまったと思ったら。
味が分からなくなってきた。
何だこりゃ。
「あ、ホットサンドも来たよ、高良」
「あ、食べる食べる」
助かった。
「お腹空いた?まだ御昼食べてなかったんだね」
「うん」
赤Tの御誘いを断ってしまったもので。
あ、断ってなかったら、今頃、赤Tと父さんと、赤Tのセンスで選んだ店で、父さんの奢りでランチか…。
何故だろう、身銭を切っても、ホットサンドでよかったと思ってしまうのは。
「学校帰りに、そのまま電車で来ちゃったんだ。で、気に入った服上下とサンダルと籠バック買って、そのまま、御店でタグ切ってもらって、着ちゃった。だから、ロッカーに制服と靴、入れてるの。後で取りにいっていい?」
「勿論」
「高良も、こっちに来てたんだ、偶然だったね」
「本当だな」
ロマンチストだったら、運命を感じてたところだ。
危ない。
比較的リアリストで良かった。
霊障で悩んでおいて、リアリストも何もないとは思うが。
俺は、これまでの経緯を、掻い摘んで茉莉花に説明した。
「…瑞月が、慧のお父さん経由で…」
「そうらしいんだよ」
「知らなかったけど…。私も含めて、皆、親とかが、あの辺の出身なんだね」
茉莉花は、言い難そうに続けた。
「思い出したんだけど。…おばあちゃんがね」
「O地区の?」
「うん、もう亡くなったんだけど、幼稚園の時聞いたんだった。あのね、蔵の前に、男の子と女の子が抱き合ってる像が立ってる場所があって。その像が変だったから、覚えてたんだ」
「え」
…それって、まさか。
「なんで、って聞いたら、御供養なのよ、って。姉弟で心中した子達がいたのよ、って。だから、子どもが触ったらけない、って言ってて。引っ張られる?とか…そんだけなんだけど。なんか、気になって。ほら、男の子と女の子じゃん、見えるの」
心中。
俺は、「ちょっと待って」と言って、研究室から貰って来た、郷土資料のコピーの束を捲った。
「それ、こういうのじゃないか?この写真のやつ」
「…あ、これ、こういうやつだ。…でも、蔵の前じゃないね、この写真」
「これは…双体道祖神」
「え?」
「道の神様だな。…読むぞ?『O地区は平地で、集落は比較的まとまっている。集落周辺に田圃がある』…平地だから耕作地が作り易い、ってことかな。えっと、『集落の北側に神社が位置し、集落の東に、不動尊がある。そして、行政単位の東部、西部、中部に、各一体ずつ、双体道祖神が祀られている』。そう、普通、道端にあるんだ。四辻とか」
「…つまり、これは道の神様で、O地区には三体しかないはずで。蔵の前にあるのは、変なんだ。記憶違いかな」
「いや、変じゃないか?その話自体が。『姉弟で心中した子達』って。何で子どもが心中するんだよ?…何かあるんじゃないか?」
茉莉花は目を見開いた。
「高良が見えてるのも…男の子と女の子…」
俺は、…ゾワリとした。
怖くなった。
が。
不思議と。
資料と実地を照らし合わせたい気分に、なっていた。
危険を察知して起こる恐怖心を、好奇心の波が、一瞬越えたのを分かった。
…良い旅を、だって?冗談じゃないぞ、クソ親父。
だが、今日、手元に揃ってしまった。
読む対象も資料も、一緒に読んでくれる相手も。
…何より、父親の笑顔と、出るはずのない文化財、という言葉。
出るはずのない文化財の、第一発見者。
いや、捕らぬ狸の皮算用。
俺はロマンチストじゃない。
手堅くいけって、母さんも言ってたじゃないか。