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座敷童の恋  作者: 櫨山黎
第七章
33/93

研究室: It's by far the most confusing thing I ever heard!

 駅に向かう途中、父から、大学に来るように連絡が入ったので、俺は、自宅最寄り駅とは反対方面の電車に乗り、父の勤務先大学の最寄り駅まで乗って行くことにした。


 …携帯購入してから、使い走りが増えた気がする。多分、気のせいじゃない。


 気軽に連絡を取れない利点もあったわけで、(いま)だに『携帯禁止』と建前上(たてまえじょう)は貫いてくれている学校の方針には、本来、感謝すべきなのかもしれない。


 建前(たてまえ)は携帯電話の所持禁止だから、クラスの連絡を取る為のSNSグループも無いので、非常に助かっている。

 辻原あたりに連絡先を知られた日には、テスト期間中、質問で、携帯が鳴りやまないとの噂である。それは避けたい。




 ともあれ、私鉄の終点駅が自宅、というのは便利である。

 始発に乗れば、満員電車になる前に、ギリギリ座れる。


 そう、自宅購入条件が、当時大学非常勤講師だった母より、大学に正式に職があった父の勤務先に合わせて、そこから電車で一本、ということだったらしく、父にとっては、非常にいい場所に自宅最寄り駅があると言える。


 そして俺の、中高一貫の紫苑学院(しおんがくいん)受験の一番の理由は、前述したが、自宅最寄り駅から三駅の場所が、学校の最寄り駅で「家が近いから」、である。


 そう言えば以前、優将と瑠珠(ルージュ)に、俺の自宅最寄り駅付近のコーヒーショップで会ったが、優将の住所は、その駅からJRに乗り換えて、すぐ隣、一駅先らしい。

 歩きで、以前、もくせい公園まで行った時は、それほど意識してなかったが、電車の駅で考えると、優将達の家の最寄り駅と、俺の家の最寄り駅は、たった一駅違いだった、というわけである。古い年賀状で確認した中澤家の住所も、大体その辺りである。


 一駅で乗り換えがある、と思うと多少面倒かもしれないが、電車で四駅と思うと、自宅から比較的近い高校だと言えるだろう。瑠珠(ルージュ)も、夏休み、偶然会う、ということは、家は、そう遠くないのかもしれない。


 結局、親の仕事に合わせて住む場所が決まり、その場所周辺から生活圏で、進学先も生活圏から決まることが多いものなのだろう。




 さて、父の職場であるが。


 交通の要衝(ようしょう)とも言える大型駅付近、それも駅からだと、繁華街を越えていかなければならないので、駅到着から徒歩十五分はかかる。比較的駅の近くに自宅があり、電車一本で勤務先に来られるとは言え、そこから十五分歩くのかと思うと、便利だが、そこまで近い感じはない。


 それにしても、大きい駅である。いつ行ってもどこかを工事していて、ガチャガチャしている。




 暑いが、何とか大学に着いた。


 地下一階、地上十八階建ての超高層ビルが見える。

 あれが、父の勤務先キャンパスであり、父の研究室は十五階である。


 特に守衛(しゅえい)さんなどに止められることもなく、タワー内の一階に入る。

 入り口から真っ直ぐ進むと、目の前が総務課なので、父を呼び出してもらう。




 結局、内線電話から、十五階まで自分で来たらカードキーで開けてやるから、という、ぞんざいな扱いを父にされ、総務課の人に苦笑された。

 自分で、携帯で連絡を取れば良かった。

 大学の人に、要らぬ手間を掛けさせてしまった。

 俺はまだ、自分が携帯電話を所有していることに慣れていないのだろう。


 自分が悪いわけでもないのだが、申し訳ない気持ちになったので、「すみません」と言って、俺は、エレベーターホールに向かった。

 足元が絨毯敷(じゅうたんじ)きでフカフカする。




 それにしても、硝子(ガラス)が多用された建物である。

 聞けば、セクハラ防止のための仕様で、研究室の廊下側の壁がほぼ硝子(ガラス)、しかも、学生入室時には、ドアを少し開けておく、という規則になっているそうである。

 逆に、プライバシー保護と冷暖房の空調効率が気になるところではあるが、李下(りか)(かんむり)(ただ)さず、といったところであろう。


 どこも経営に苦労してるな、と思う。大学は特に、ブランドイメージを守る必要性も高いだろうから、尚更、事件防止に努めるのだろう。




 十五階の、カードキーが必要な場所まで来たら、出迎えてくれたのは、父ではなく、院生の赤T(アカティー)だった。


「お(ひさ)しッス。おっきくなったッスねー。身長抜かれたわー」


「…どうも、閼伽(あか)()さん」


「どぞ、こっちッス」


 閼伽(あか)()(てい)一郎(いちろう)さんは、博士課程の学生さんで、渾名(あだな)赤T(アカティー)という。


 大学一年の時、本名の略称と、偶然来ていた赤いアニメTシャツ、そして、夏目漱石の小説『坊つちやん』に出てくる俗物の教頭『赤シャツ』から取って、赤T(アカティー)という渾名(あだな)がついたそうで、本人が調子に乗って本当に赤いTシャツを常に着るようになったので、いまだに赤T(アカティー)が渾名である。


 成人した頃合いからアニメTシャツではなく、無地の赤T(アカティー)になったそうなのだが、正直すべり倒している。


 顔は、…某地下鉄テロ事件の首謀者として、死刑になった、某教団教祖に、本当に似ている。


 一時期、御落胤(ごらくいん)か親戚か、と、本当に噂が立ったのだ。


 髪と(ひげ)を整えてくれて良かった。


 修士論文執筆時に面倒で、いろいろと放置していたところ、ヨガの境地に達したような風貌になってしまったので、あの父が、見かねて、理容室代を(おご)ったとの話である。


 本人が明るいから赤T(アカティー)と称されて親しまれているが、一般企業とかにいたら、友達がいたかなぁ、と思ってしまう感じの個性の人である。


 一時期体臭がフライドチキンだったが、そこも改善されたようで良かった。


 ケンタッキーでバイトしながら学費捻出していた時期があったそうで、本人曰く、仕事はフライヤー担当、(まかな)いもチキン、が続いたら、ケンタッキーの体臭になれた、との話である。


 赤T(アカティー)は凄く嬉しそうに、そう言っていたのだが、これまた、それを聞き付けた父が、珍しく、早急に科学研究費(かがくけんきゅうひ)、通称、科研費(かけんひ)の降りる作業を赤T(アカティー)探してあげて、バイト生活から解放させたそうである。


 だから赤T(アカティー)は今、図書室で、すぐ巣を作ってしまう学生の取り締まりをしてお金をもらい、更に論文を書いて奨学金を得ながら学生を続けている。

 この前会った時は、図書室、特に地下の書庫前に巣を作るのは学生、それも、院生の習性だと赤T(アカティー)は言っていた。

 赤T(アカティー)も以前はそれをやっていたのに、今は仲間を売って日銭を稼ぐ赤いブタになり下がった、と、明るく言っていた。


 …。


 明るくて、本当にいい人だと思うし、友達も多いのだが、普通の企業に就職するよりは、ずっと研究室棟にいた方が良いかも、と、何故か思わせる、個性の強い人物である。


 それにしても、某宗教教団教祖に似るくらい髪と(ひげ)を伸ばして放置し、体臭が揚げ物になることを(いと)わない、真直ぐな気性?であれば、流石(さすが)の父も世話を焼くのだ、ということが判明した次第だが、赤T(アカティー)の真似をして父に世話を焼いてもらおう、とは、何故か欠片(かけら)も思えない。


 だから、学校帰りだというのに、制服で父の職場に呼び付けられるのだろうが、どっちがいいか、ということを、何故か(はかり)にかけられないので、多分、ヨガの境地に達した風貌に自発的になりでもしない限り、父との関係性はこのままだろう。


 …何故か、ってこともないんだが。

 親に心配を掛けない、という点では親孝行かも分からんな。


 こういう学生さんを複数見て育ったから、キャンパスライフについて、本当に、幻想も憧れも無いのだが、早期に現実を見せてくれる教育だったのかもしれないと思うと、良い教材?として、その存在に感謝すべきなのかもしれない。




赤T(アカティー)、先生の息子さん、いらしたー?え、イケメン」


「え、格好(かっこ)()


 廊下を歩いていると、父の研究室の方から、オフィスカジュアルな、水色のシフォンワンピース姿の、髪の長い和風美人と、大人しそうな、いかにも学者風の、清潔感のある、中肉中背の眼鏡の、白いポロシャツの男性がやって来た。


 院生なのだろう。


「あ、高良君。こっちの女の人が新井(あらい)さんで、こっちの男の人が荒井(あらい)さんッス」


「…え?」


「えっと、女の人が、『新しい』新井(あらい)さんで、男の人が、『荒々しい』荒井(あらい)さんッス」


「はぁ…」


 赤T(アカティー)の説明に、新井(あらい)さんは、気不味そうに、「古株(ふるかぶ)なんだけど…」と言い、どう見ても荒々しくない荒井(あらい)さんは、困ったような笑みを俺に受けた。


 なるほど、同音異字の名字…下の名前も言う、とかじゃ解決しないのか、この問題。


 いや、あまりに話し慣れている。

 きっとこれは赤T(アカティー)の持ちネタなのだ。

 正直すべり倒している。


 赤T(アカティー)がフィギュアスケート並にすべっているところに、やっと父が登場した。


降籏(ふるはた)先生、高良君来たッス。相変わらずイケメンッスねー」


 赤T(アカティー)、相変わらず敬語下手ッスねー…。高校生より下手なのは、どうかと思うッス。口調が移りそうだから気を付けよう。


 父は父で、赤T(アカティー)に、向かって、ニカッと笑った。


「だろー?奥さんに似たんだよー」


 その、惚気(のろけ)とも自虐とも息子自慢ともつかない言葉に、赤T(アカティー)も含めた院生三人が、口を真一文字に結んで、黙った。


 おいおい、「そうですね」も「そんなことないですよ」も言えないことを言って目下(めした)を困らせるな。


 肯定したら『降籏先生』がイケメンでなくなり、否定すると『奥さん』と『高良君』が不細工になる文脈じゃないか。

 それなりに、この場で偉いのなら、目下(めした)に気を遣わせない方がいいと思うぞ。




 研究室に向かう途中、荒々しくない荒井さんが、気の毒そうに、俺に言った。


「研究職に()くなら、容姿で広告塔にされないように、気を付けてね…」


「…研究職に()くとは(ひと)(こと)も言ってないんですが…。広告塔というのは…」


「大学のイメージが良くなるから、容姿が並くらいかそれ以上だと、テレビとかラジオに引っ張りだされて、大学のホームページとかに顔写真載せられて…。広告塔に使われることがあるんだ…。目立ちたくないから研究職を選んだのに…。何でなんだよ、『美人研究員』だとセクハラ扱いするのに…。俺は…。性差別を受けているのでは…」


 …まさかの経験談ですか?


 荒井さんは「苦痛だよ」と言った。


「もうイケメンって言われたくない…。相対的に(かぶ)が上がってるだけなのに…。実態は、普通の研究員なんだよ?イケメン研究者って言われてハードル上げられて、日常で生き(やす)いと思う?」


 …『相対的に(かぶ)が上がってるだけ』って、分かるー。

 だって背景が赤T(アカティー)だもんな?

 そりゃ、容姿が並くらいかそれ以上なら爽やかイケメンに見えるのは(いた)(かた)ないし、この中で広告塔に男性を使おうとしたら、赤T(アカティー)よりか、この人だろうしな?

 シビアな話、大学のイメージがかかってんだろ?


 …そりゃな!


 ごめん、赤T(アカティー)

 …何も言えん!


「荒井ちんは別に不細工じゃないじゃん…」


 困ったように新井嬢は、そう言ったが、「分かるかい?」と荒井さんは俺に向かって言った。


「『不細工じゃない』と『イケメン』の間に流れる川の長さと深さが…。『荒井ちんはイケメンじゃん』、じゃないんだ」


「…いやその、パーツは悪くないって、荒井ちん。…フツーに良いよ…」


 新井嬢は、尚も困ったように、だが、正直に『フツー』と言った。


 優将とか水戸の容姿の良さを見慣れてるせいもあって、俺も、本当にコメントに困る。


「…それが困るんだよ。結論、『整ってるが華が無い』ってことなんだが、華なんて、どうやって身につけりゃいいんだよ…。顔のパーツが整ってるなら、パーツの整形のしようもないじゃないか…。第一、派手な格好(かっこう)の研究者になる気も無いし、その(なぐさ)めの言葉、俺の伸びしろゼロなんだよ…。…何で、こんな目に。引きこもって研究してたいのに…」


「荒井ちん、半端にコミュ力もあるからね…」


 新井嬢は、尚も困ったように、だが、容赦(ようしゃ)なく、そう言った。


 荒井さんは、「そう、半端に」と言った。


「日常生活は滞りなく送れる程度、研究室で上手くやっていける程度に。研究室棟から出ない(ほう)が良い、ってレベルの壊滅的(かいめつてき)な感じはないけど、一般企業に入るには気が弱い、くらいの…。だから広告塔にも使えるくらいのコミュ力。営業向き、とかのレベルではない…」


「荒井ちん、研究室に着いたら、お菓子あげるね…」


 新井嬢は、ついにフォローを諦めて、菓子を与えて慰めることにしたらしい。


 俺も、何も言えん。


 荒井さんは、「ありがとう新井ちゃん」と言った。


「大体『イケメン』なんて…。女の子に『巨乳』って言ってるようなもんじゃん…。見た目だけの話でしょうに。なんで俺に対するハラスメントには当たらないんだ?褒めてるつもりなら『巨乳』って言っていいわけじゃないのと同じくらい、『イケメン』って言われたくない人もいるんだぞ?今後、その単語を俺に使う人間には、俺のことを外見で判断する程度の人間性及び知能だと判断するぞ?いいのか?と、言ってやりたい…」


 こんなに強い内容を、こんなに気弱に言える人っているんだな…。

 語尾も荒々しくない荒井さん、見た目が優しそうなので、多分、いろいろ損を引き受けてきたのだろう。


 あと、…廊下が長くて、なかなか研究室に着かない。

 足元、絨毯(じゅうたん)でフカフカするから歩き(にく)いんだよな。


「…荒井ちん、それ、私に対するセクハラになるかもだから、女子のいるとこで言わない方が良いよ」


「女子?どこに女子が?この場に女子なんていないと俺は思ってるからね。高良君、この人、フィールドワーク先で捕まえた、佃煮(つくだに)になる前の(いなご)を」


 新井嬢は、荒井さんが全部言い終わる前に、無表情で、荒井さんの背中を、バン、と叩いた。


 仲が良いらしい。


「もー、荒井ちん、うるさい。あ、栗川(くりかわ)先生」


 その場にいた全員が、立派なスーツ姿の、恰幅(かっぷく)の良い、総白髪の男性に一礼したので、俺も、それに(なら)った。


 優しそうな声が「ああ、降籏(ふるはた)先生」と言った。


「こちらの学生さんは?聴講(ちょうこう)かな?」


「息子です」


降籏(ふるはた)高良(たから)です、初めまして」


 笑顔の父の報告と俺の挨拶に、栗川氏は動揺した。


「えっ、イケメ…、えっ、…どういうことだね、身長はともかく、顔のパーツの共通点、眼鏡だけじゃないかね…」


 失礼のThe() Old(売り) Sheep(雑貨) Shop()


 その眼鏡(パーツ)外付け(ウェア)でして、百歩譲って視力は遺伝するやも分かりませんが、眼鏡自体の素材には、遺伝子との関連性は皆無なんですよ。


 あと、「どういうことだね」って、どういうことなんですか。

 貴方(あなた)、偉い人じゃないんですか。

 そういうの、目下(めした)に言ったら駄目ですよ。


 しかし父は、意に(かい)した様子もなく、「妻似でして。顔も頭も良いんですよー」と、明るく言った。


 もうやめてくれ。

 本当だ、荒井さん、(つら)いですね、これ。


「あ、あー、奥さん!はいはい、会ったことあるなぁ。そうかそうか、才媛(さいえん)のサイエンティストだったなぁ…。そうか、…気の毒に。研究職に着くなら、容姿で広告塔にされないように、気を付けるんだよ…?自分の研究の時間が減るから。ただでさえ、講義とか研究会の準備とか、雑務も多いのに…」


 …研究職に就くとは(ひと)っっ(こと)も言ってないから、広告塔にされると決め付けて、今から俺の未来を気の毒がるの、やめてもらえませんかねぇ?多分偉い人。


 あと、なんか親爺ギャグ差し込んできました?

 …ん?栗川教授?伝承文学の?昔話研究の(くり)(かわ)(さとる)


 …偉い人だったー。

 もう何も喋らないでおこう。




 研究室に入ると、新井嬢が御菓子を出してくれて、荒井さんが御茶を煎れてくれた。


 赤T(アカティー)は、俺用の椅子を用意してくれながら、「凄いじゃないッスか」と言った。


「地域伝承の、某集落の座敷童伝承の特異性。他所の座敷童伝承との比較研究と、分布図とか入れて…。博論(はくろん)まで持ってけますよ、このタイトル。高良君、流石(さすが)ッス。よく見付けてきたッスねー」


「え…っ、あの、書くとは(ひと)っっっ(こと)も言ってないんですが?」


「でも、これ、見付けたの、高良君って聞きましたけど?先生から、発見者、って」


「…まぁ…俺ですが」


 博士(はかせ)論文(ろんぶん)って言いました?今。

 あと、学士の卒業論文も書いたことないのに、勝手に提出する論文のレベル、上げないでもらえます?


「父さん、どういうことなんだよ」


 俺が小声で尋ねると、父は、信じられないくらい、いい顔をして、紙の束の入った封筒を俺に渡してきた。


「はい、あの本のコピー。これなら、書き込みとかしちゃってもいいくらいだから。ザックリ読んだけど。()()()、多分」


「何が?」


()()()()()()()文化財が」


 父は、イッヒッヒ、という、聞いたこともないような、下卑(げび)た笑いをした。


 俺は、ゾクッとした。


「…何だよ、それ」


「文化財発見の際には、市の教育委員会か、警察に御連絡くださいねぇ、発見者さん」


「…()らぬ(たぬき)(かわ)(ざん)(よう)、って言わなかったっけ、俺」


「言ったし。解読が全部終わって、俺に解読文を添削してもらって、その内容を見てから、フィールドワークをやるかどうか、自分で判断する、とも言ってた」


「そう、まだ、何もやってないよ俺」


 ニヤッと笑って、父は返事をしない。


 …俺が自分の判断で、フィールドワークをやると思ってる、ってことか。

 …何があるって言うんだ?


「基礎知識として、赤T(アカティー)にコピーしてもらったO地区の郷土誌と、O地区のゼンリン地図、渡しておくねぇ。良い旅を(Bon voyage)。そして、抜けられない(ぬま)に、ようこそ」


「…なにそれ」


「勉強は楽しいもの。新しい知識が増えるのは喜び。でも学生がやってることは、いつまでたっても『お勉強』。研究は『修行』。絶対終わらないし、やってもやっても(くつがえ)る。新しい発見があったら、簡単に学説なんて(くつがえ)るんだからね。所詮学説なんて流行なんだよ。流行に乗るんじゃなくて、流行を作り(たま)え、高良君」


 父の、ニヤッとした笑みに、再び寒気を感じていると、新井嬢が御茶とクルミッ()を出してくれた。

 そして、やおら、A4サイズのチラシを手渡してくれた。


「あ、これー、就職先の(かん)の企画展のチラシですー。今度、鎌倉彫(かまくらぼり)の特集やるんで、時間あったら来てくださいねー」


「あ、どうも。えっと、就職先って?」


「学芸員なんです、あたし。春から社会人しながら研究生で、今日は午前休で、研究室から、このまま出勤です。そーだ、研究職に就くなら、教免か博物館学芸員資格取得しといた(ほう)がいいですよー。(つぶ)しが利かないから。就職した後から社会人入学してもいいんですけどね、働きながら研究出来るし」


 赤T(アカティー)と荒井さんが、「うんうん」と言った。


 研究職に就くとは(ひと)っっっっ(こと)も言ってないから、勝手に、取っておくといい資格を教えてくれるの、やめてくれません?


 父は、もう、「クルミッ()うめー」と言って、誰の話も聞いていない。




 俺は、大量の紙の束の入った封筒と、チラシを手に、「そうですか」としか言えなかった。


 だから、研究職に就くとは(ひと)っっっっっ(こと)も言ってないんだが。


 ()()()()()()()文化財。


 …興味が出て来ないと言ってしまったら、嘘になるんだろう。父親に、それを見透かされているようなのは、腹立たしいが。






(新約聖書『マタイによる福音書』三章四節)


「ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜(のみつ)を食べ物としていた。」




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