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座敷童の恋  作者: 櫨山黎
第一章
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降籏高良:Not Jabberwock, Not Bandersnatch,Not Borogove,Not the Jubjub bird,Not Rath, Not Toves.

 柴野(しばの)優将(ゆうま)という奴は、よく分からない奴なのだった。


 多分こいつは、頭は悪くない。悪くないが…とにかく。


 何を考えているのか全く分からないのだ。


「よぅ」


 中澤(なかざわ)(けい)柴野(しばの)優将(ゆうま)は、幼稚園くらいからの幼なじみだそうで、よく一緒に登校してくる。

 そして、俺、降籏高良ふるはたたからは、同じく、幼なじみの日富絆ひとみきずなと、よく一緒に登校する。


 そして、学校前で、この四人は一緒になる。

 全員、同じクラスだ。


 俺と(きずな)は、四歳からの幼なじみだ。


 家が近所で、今までずっと、幼稚園も学校も、時にはクラスまで一緒だった。絆の家は、コンビニ経営で忙しく、俺は、両親が大学教授と助教授で忙しく、お互い鍵っ子同士、ほぼ腐れ縁で、ここまできた。中高一貫校の、この学校を一緒に受験したら、偶然一緒に受かったのも、理由としては大きいが、仲の良い幼なじみと言ってもいいと思う。


 そこで、高校から入学組の、優将と慧が友達になった理由は、よく覚えてないが、人懐こい絆が、おっとりとした慧と、すぐ仲良くなり、その関係で、この四人は、よく一緒に行動するようになった。…という、経緯(けいい)だった気がする。


 聞けば、お互い似たような関係の幼なじみ同士、そこにまた、中学から同じだった川口心言かわぐちみことが加わるようになり、普通に賑やかな学園生活を送り、高二の今に至る。


 しかし、柴野優将という奴は、よく分からない奴なのだった。


 外見は、一言で言うと、良い。

 所謂(いわゆる)『美形』なのだと思っている。

 出会ってからもスクスク伸び続けている長身。形の良い眉に、通った鼻筋。印象的な目。繊細で、整った顔立ちの部類に入る。

 今朝の優将の髪は、朝の陽光に透けて、ほとんど金髪に見えた。


 髪は、生活指導担当教諭に追い掛け回されて、時々黒に戻ったり、茶色にしたりしているが、基本的に、こいつの格好は校則違反だ。

 学ランを着ないで、制服のシャツの上からパーカーを着てきたり、学ランの下にTシャツを着てきたり。

 そのくらいだったら、正直、結構皆やっているが、何だか、こいつは目立つのだ。

 そして、似合っている。

 そしてまた、何の気紛れか、きちんと制服を着てきたりもする。

 それがまた、妙に似合っていて、どういう印象をこいつに持っていいのかよく分からなくさせるのに一役買っている。

 あの髪色までもが、何の拍子にか、上品に見えることがあったりするのだ。


 成績は、普通。

 真ん中くらいで、時々、これまた、何の気紛れだか、中の上を取ったりする。

 教科別だと、理系教科では上位に入ったりもするので、なかなか侮れない。

 …いつ勉強してるのか、不明だ。

 慧と同じ塾にでも行っているのかもしれないが、詳しく聞いたことはない。


 それなりに運動も出来るようだが、部活に所属しているという話も聞かない。何かスポーツでもやっていたのかもしれないが、それも、よく分からない。


 まぁ、うちの学校、ラグビー部と野球部とサッカー部、バスケ部や陸上部が強過ぎて、他が、それほどでもないから、中学までは部活に強制参加でも、高校に入ると、受験の準備を理由に、帰宅部になる奴が多いんだけどな。


 極めつけが、この無表情。


 俺も、わりと、表情が表に出ない(ほう)らしいのだが。


 会話の途中の、必要な瞬間に、喜怒哀楽を出すことはあっても、普段は、ほとんど無表情だ。それだけに、表情が出た時が、妙に印象的ではある。


 そして、時々、妙に鋭い意見を言うことがある。

 こちらが返答に困ることも、しばしばだ。


 軽い口調で、淡々とそれを言われると、時々、何もかも見透かされているのではないかという気になってしまう。


 …実は、友達の中で、一番高知能なのではないか、と疑っている。

 高知能だが、単に、勉強に対する興味が持てていないだけ、というか。

 何かの拍子に、勉強に集中したら、大化けしそう、というか。



 ―要するに。


 柴野優将という奴は、よく分からない奴なのだった。


 興味深い友人ではあるのだが。


 何で、友達になってくれたのかも…。

 覚えていないし、正直なところ、分からない。




 校門の近くまで来ると、見知った顔が増えてきた。

 心言(みこと)もいる。

 こちらに気づいて、軽く手を振ってきた。


 某私鉄の駅から徒歩十五分。

 校門の、向かって左側には、『学校法人 紫苑(しおん)学院』。右側には、『紫苑中学校 紫苑高等学校』の文字。


 『Zion(神殿)』の音と、紫苑(しおん)の花の色の紫が、キリスト教の典礼(てんれい)(しょく)で、待降節や、四旬節、死者のための典礼に用いられ、償い、回心、節制、待つこと、死者の贖罪と冥福を祈ることを表していること、また、紫苑の花言葉の『追憶』に由来した校名。…なのだそうだ。


 花言葉の方は、実は、本来の由来と合致するのかは分からない。


 とある古典の教師が、今昔物語の何かの段の話を交えて、校名の『紫苑』の花言葉の『追憶』が、人間の原罪の為に屠られた子羊・イエスへの想いを示しているという講話をした時に、後で宗教主任が文句をつけたが、教師の(ほう)は譲らなかった、という噂がある。


 このように、創立から現在まで、時間が経過していくにつれて、教員間でも勝手な解釈が付け加えられ、どれが本当なのか分からなくなってきていて、お互い譲らないし、折り合いをつけるためか、花言葉の方も、学校案内のパンフレットに載るようになってしまった、という話らしい。


 どこまで本当か分からないが、この辺りの曖昧さが、いかにも日本人らしいと思う。


 校門を通り抜けて、『神殿』という荘厳な意味よりは、花言葉ぐらいの意味の(ほう)が似合う規模の校舎を見上げた。


 校庭とテニスコートの先には、二つの校舎。全校生徒八百名足らずの、中高一貫教育の私立進学校。


 それが、俺が中学から通っている、プロテスタント系の宗派の学校の、現在の状況だった。




「そも、ベクトルとは何ぞや」


 優将(ゆうま)は、無表情で、そう呟いた。


 俺は、数学の課題を解く手を止めた。


 昼休みの教室は、ざわついていて、その、哲学的とも取れる語り口は、聞き違いとも思えた。


「ベクトル?数学の?」


「まぁ、物理でも使うっけね?その、ベクトルの『意味』が分からんって奴がいてね。『意味』って(なに)よ」


「『意味』?」


「あの矢印自体のこと、とか教えても納得しなさそうなんよ」


 そう言うと、優将は、残り少ない、パックのコーヒー牛乳を、音を立てて飲み干し、丹念にストローとストロー袋を取り外して、遊ぶようにパックを畳み始めた。


 確かに微妙な問題のような気がした。


 俺は、手元の参考書のページを繰った。


 高校でベクトルと言えば、通常は幾何学的ベクトルのことである。


 『大きさ』と『方向』を持つ物理量としてのベクトルで、平面上や空間内の矢印、『有向線分』としてイメージされる。


 例えば、速度、加速度、(ちから)はベクトルである。あと、二つ以上の数の組として表される多次元の量としてのベクトルというものもある。

 線形代数、高校数学でいうと、行列やベクトル空間などの概念にあたるだろうか。物理のベクトルは、量として使うことが多い。


「ベクトルとは。…ベクトルの定義を満たせばベクトル?」


「定義がか分った上で『意味』を聞かれたら?」


 んー…。


 そんなに考えて数学を解いたことは、正直無かった。


 だって、例えば、それは、俺にとって、今の今まで、紙を切る鋏のような、単に『速度、加速度、(ちから)』等を出す為の、便利な道具だったのだから。

 鋏の定義、材質、製造方法を考えることは、紙を切る時には必要なかった。


 そういえば確かに、『意味』は、よく分からない。紙を切る鋏の『意味』が、上手く出来ないのと同じくらい。


 なのに、計算は出来るというのは、どうなのか。


 分からなくても、紙を鋏で切ることは出来る。しかし、行為自体としては、正体が良く分からない品物の合計金額だけを出しているようなものではないのか。合計を出すことだけが仕事だというなら不都合はないが、曲がりなりにも、『論理』をもつ数学で、それが許されるのだろうか。


 だが、『あの矢印自体のこと』というのも、そう(はず)してはいないような気がした。


 しかし、それが満足な答えか、といわれると。…んー。


「あの矢印で表すもの、かな?ベクトル空間に存在する矢印?」


「そうすると、速度、加速度、力って(なん)なん?」


 確かに。


「『速度』とはベクトル空間に存在する矢印です」では、普通納得しないだろう。しかし、参考書には、「速度、加速度、力はベクトルである」とある。それは、ベクトルの十分条件ではあっても、必要条件を満たしてはいないようだ。


 何だか怖くなってきた。


 もしかして、『ベクトル』って、物凄く曖昧なものなんじゃないだろうか。その曖昧さ故に、多くの数学的要素を内包し得るのかもしれないが。


 俺は何だか、優将にその質問をした人物が慧眼を持っているような気がしてきた。


 凄く、興味が湧いた。


「誰に、そんなこと聞かれたんだ?」


「オサナナジミ」


 …こいつの幼なじみか。


 どうにも、一筋縄ではいかない人物のような気がする。逆に、あの、ポワッとした雰囲気の慧と、歩く校則違反みたいなこいつが幼なじみなことの(ほう)が、パッと見は不思議なのだから。


「同い年か?」


「そ。常緑学院(じょうりょくがくいん)の二年」


 常緑学院(じょうりょくがくいん)って。


 …うちの学校の姉妹校の女子高じゃないか。同じ沿線で、一駅違いの。


「何?!常緑(じょうりょく)?!」


常緑(じょうりょく)が、どうしたって?!」


 全然関係ない奴らが、かの有名な、ミッション系お嬢様女子高の名前を聞いただけで、勝手に会話に入ってきた。男子校でなくとも、あの女子高の名前は、男子生徒の間では、なかなかの威力があるらしいと伝え聞く。


 …姉妹校なのに、学校同士では交流がないからなー。昔は、野球部が甲子園に行くと、応援に来てくれていたらしいが。

 多分、理由の一つとしては、何処かの時点で、交流が異性間交遊に発展した場合、勉学の妨げになる、と判断されたのだろうと推測している。


 そして現在は、その交流のなさが益々(ますます)、『常緑(じょうりょく)学院』という存在に対して、ミステリアスなベールを被せてしまって、魅力的に見えている状態、と言える。


 まず、常緑(じょうりょく)学院は、この辺りでは、制服が珍しい。

 うちの地域の学校の女子用制服は、黒か紺の、無地のプリーツスカートが採用されていることが多いのだが、常緑学院(じょうりょくがくいん)は、()ず、そこが違う。

 『常緑(じょうりょく)』という名からなのか、濃い緑を基調にした制服で、チェックのプリーツスカート、白いシャツにリボンタイ、学校指定の、同じく濃い緑色の、校章入りハイソックス。中間服の代わりに、シャツが長袖か半袖に変わり、これまた学校指定校章入りの、クリーム色がかったベストかセーターの着用許可され、冬は、それに、紺色のブレザーがつく。


 次に、その珍しい制服が似合うだけの容姿を持った学生が多い、らしい。


 そんなこんなで、常緑学院(じょうりょくがくいん)は、合コン相手校の一番人気なのだった。


 うちの校名の由来の論理でいくと、緑色は、年間の典礼(てんれい)に用いられる、希望、忍耐深く聞く、歩みの堅実さ、という意味を持つ色なのだが、どうにも、あのチェックのプリーツスカートに限っては、その色は幻惑の効果を持つらしかった。


「何?!何々、常緑(じょうりょく)に知り合いいんの?!」


「あー。まぁ」


「紹介して!紹介!」


 集まってきたクラスメイトは、口々に、優将に向かって、ショーカイ!ショーカイ!と、呪文のように言い出した。

 いつの間にか、少し人数が増えている。

 客観的に言わせてもらうと、ちょっと痛いくらいの情熱を感じて、引いた。

 男子校とは、そこに通う生徒に、()くも逼迫(ひっぱく)した女性不足の環境を強いているのかと思うと、なんだか悲しい。


「そのうちな」


 そう言うと、優将は、ゆっくり瞬きをして、見たことがないような優しい微笑みをした。


 それは、この上なく優しいのに、何故か総毛立つような恐怖感を抱かせる、完璧なアルカイックスマイルだった。


 いつもの無表情以上に、感情が全く読み取れなかった。


 その場にいて、その笑顔を見ていた全員が硬直した。




 次の瞬間、昼休み終了のチャイムが鳴り響いた。


 皆、我に返って、バタバタと、自分の席に戻り始めた。


 何だよ、今のは。


 紹介したくないのか。したいのか。そのどちらでもないのか。そのどちらでもあるのか。


 取り敢えず、俺は、掛けていた縁無し眼鏡を外して、レンズを拭いた。


 柴野優将という奴は、本当に、よく分からない奴なのだった。


 UMA(ユーマ)とでも呼んでやろうか。


 しかし、その幼なじみの(ほう)には、それから一週間もしないうちに、会う機会がやってきたのだが。






(はた) 我が旗なる主(アドナイ・ニシ) 『主はモーセに言われた。「このことを文書に書き記して記念とし、また、ヨシュアに読み聞かせよ。『わたしは、アマレクの記憶を天の下から完全にぬぐい去る』と。」モーセは祭壇を築いて、それを「主はわが旗」と名付けて、言った。「彼らは主の御座に背いて手を上げた。主は代々アマレクと戦われる。」(『(しゅつ)エジプト()』17章14-16節)

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