彼氏:You'd better not do that again!
結局、付き合うとかいっても。
取り敢えずデートなんだろうか?
でも、一緒に行きたいような場所も思い付かないし、結局、あれから一週間ちょっとしてから、また別口の、水戸さんの絵が展示してあるグループ個展のようなものに行くことになった。
しかも、現地集合で。
色気も相手への希望も特に無い、何とも不毛なデートだけど、デートだというからには、…それは、取り敢えずデートなんだろう。
グループ個展といっても、なかなかの規模だった。
結構新しいビルの、一階と二階を貸切で使って、十五人くらいで、色んな作品を展示してるとかで、場所は、すぐ分かった。
入場料は無料。
受付で名前を一応書いて、どこぞの開店祝いででも見掛けるような、大きな花束が沢山飾られている入り口を通過した。
展示している人の中には、絵を趣味でやってる、わりと社会的地位のある年齢の人が多いみたいだった。その人たちへの花束なんだろう。
その中に、『水戸大空様』という花束が三つくらいあった。
おお。人気者?
入ってすぐ、その絵が分かった。
前に見た絵と比べると、比較的小さな作品ではあったけど、あの人、いつの間にこういうのを描くんだろう、と思った。
また、何とも言えない青だ、と思った。
なんてことない、空と山の絵だった。それなのに。
どう思っていいのか分からない青だ。優しいような、悲しいような。
晴れ渡った空なのに、どこかくすんで見えた。
黄ばんだようにも、灰色がかったようにも見えて、所々に浮かぶ雲が、中途半端に陽光を吸い込んでいるようで、何だか、いつの時間帯の空なのかも分からなかった。
焦燥感。違和感。
この、綺麗な風景画のどこに、私をこんな気持ちにさせる要素があるんだろう。
絵の中の、山の緑の微妙な明暗を見つめていると、何だか、何をしに、こんな所にまで来たのか分からなくなった。
タイトル『名前』。
ああ、「大空」か。
でも、大空というには、あまりにも爽やかではないし、キャンバスの大きさのせいか、スケールも小さい。奥行のある空間を表現するテクニックが、逆に息苦しさを与えている気がして、辛い。
要するに、これは『自画像』でしょ。…『心象風景』より質が悪いよ。
実物とかのスケッチを元にしたというより、頭の中のイメージか、写真を見ながら黙々と描いたんじゃないかな。
夜中、一人でさ。
実際、その姿は簡単に想像出来た。
辛いなー…。辛いよ、この青。
しかめっ面をしてるのなんか、私だけだった。
見ていく人見ていく人、「まぁ、上手ねー」なんて言う。
上手いけどさ。マズイんじゃない?…私、この人マズイと思う。
こんな絵描かせてちゃ、マズイと思う。危ないよ。
そうは思ったものの、具体的に私が何か、それについて働き掛けるかどうかっていうのは、また別の話だ。
私は―――多分何も出来ないだろう。いつもと一緒だ。
あ、そうだ。
高良、あれから、どうしたかな。
連絡来ないけど。
高良が怖くないなら、別に、あの状態のまんまでも、良いのかなぁ。
「ああ、もう来てたの」
気付くと、後ろに水戸さんがいた。
…びっくりしたー。
瞬きしながら、軽く会釈した。
「まぁ、こっちおいでよ」
「あ、どうも」
絵を見ながら座れる所で待っていると、お茶を持った水戸さんが来た。
こうして見ると、普通の人なんだけどね。
この人は私のこと、どう思ってんだろうなぁ。
よく考えてみたらさ、自分が、誰かに好きになってもらえるとか、全然想像できないってことに、気付いちゃったんだよね。
自分なんかのこと、誰が、好きになってくれるのかな、って。
だから、水戸さんだろうと、瑞月だろうと、どんな思いを私に寄せてくれていたんだとしても、よく分かんないし。
今まで、真剣に、彼氏を作ろうとか、考えてなかったんだ、って、分かっちゃった。
なんか、そういうのすっ飛ばして、『慧のお嫁さん』になろうとしてたんだな、って気付いちゃって。
それじゃ、やっぱり、慧も、私のこと、好きにならないだろうし。
やっぱり、何で、私に水戸さんが「付き合おう」って言ったのかも、分かんない。
複雑な気持ちで、お茶を受け取った。
さっきから、上っ面だけの展示の感想やら、来てくれたお礼やらを、普通に水戸さんと話してるのに、絵から受けた違和感のせいで、そっちは大して自分の頭に入ってこなかった。
多分、『水戸さん』が、『上っ面だけの展示の感想』を受け取ってない。
「あ、あのっ。紫苑学院の、水戸大空さんですよねっ」
いきなり、四、五人の女の子が、こっちにやってきた。
女の私が焦るくらい短い、グレーのマイクロミニにしたプリーツスカートに、グレーの襟の白のセーラー服。全員同じスカート丈で、真っ黒い髪にストレートパーマをかけてる。
この制服は、樟葉高校か。
確か、美術科がある学校だ。
「あ、はい」
マイクロミニストパー集団は、水戸さんの返事に、キャー、と黄色い声をあげた。
「あ、あのっ。一緒に写真撮ってください」
お、モテるねー。
私は傍観しながら、お茶を飲み続けた。猫舌には、ちょっと適さない温度だった。冷たいお茶買ってくれば良かったかな。
あれ。
優将の渡してくれる飲み物って、…こういう感じに、なったことない。
いっつも、ちょうどいいんだ。
あったか~い、にしても、つめた~い、にしても。
なんでだろう。
…いや、やっぱ短!スカート。気になってきた。
箱襞のプリーツスカートを、上に折り曲げてミニ丈にすると、プリーツが変になると思う。
脚は綺麗だと思ってるよ!
でも、そのスカートのプリーツは、もうちょっと、こう…。
いっそ、20㎝くらい切って、縫って、丈を詰めた方が綺麗だと思うんだよねー。
そう言えば、スカート丈と髪型と靴下位置ってさー、流行りより、いつも一緒にいる友達に合わせた感じになることが多いよね。マイクロミニストパーで集団になれるってことはさ、この子達、協調性があるのよ。
あー、そっか、女子トイレに連れ立っていけるタイプの人達?
…私が、なれないタイプの人達。
そんなことを考えていたら、水戸さんが、私の方を見た。
「ね、写真だって」
「は?」
うん、そうだってね。聞いてた。
「撮ってもいいの?」
…?そら、百枚でも二百枚でも撮ったら良いじゃないですかね。
「どうぞ?」
何ならカメラマンになりましょうか?
「あ、じゃあ、許可が出たから」
そう言って、水戸さんは立ち上がった。
あっちの方から、「えー?」「何あれー?」「彼女?」とかいう声が聞こえてきた。
あ、そうか。
『彼女』だった、私。
自分の立場を忘れてた自分に焦った。
いやいや、でもね?そんな、羨ましがられるような立ち位置にはいないよ?そっちが想像してるみたいな、素敵な話は無いよ?
焦る私にはお構いなしに、写真撮影は進んだ。
芸能人じゃあるまいしさー。せめて、水戸さんの描いた絵をバックに取りゃいいのに。
あ、でもこの人、顔から好きになられたら、なかなか絵の良さを見てもらえないのかもしれないな。
本音言うと、顎のラインがマジで絶品。
私も、顔は非常に好みです。
あとなんだっけ、ジョージア州だったっけ?何だっけ、帰国子女で英語が話せる、みたいな情報が乗っかると、もう、トッピングでラーメンの麵が見えない的な。
トッピングだけで御馳走様、的な。
麺に辿り着けないというか。
確かに、ちょっと見ただけじゃ、こんな繊細な絵、描きそうにないけど。
…あ、『繊細』?かな。
手放しに『上手』とかで割り切るのも、何か違う絵だと思うんだよな。
だってさ、絵を見て泣くことなんて、そんなに沢山は無いじゃない?
でも、私は、この人の絵を見て泣いた。
こういう感覚って、何なんだろう。
いつもと逆だ。初めてだ。
いつもの、フィルターを通して見てることを頭のどこかで感じているみたいな、ぼやけた感覚でなくて、直接見てるのに、くっきりとした実像の下に、見えない何かが潜んでる気がする、不思議な気分。
なんだろ、これ。
ぼんやりと、そんなことを考えていると、水戸さんが戻ってきた。
「お待たせ」
いきなり、右の頬にキスされた。
何処かで、マイクロミニストパー集団のものと思しき悲鳴が上がった。
――――そう来たか。
ああ、何か、今の瞬間に、決定的に『彼女』にされてしまったような気がした。
要らぬところばかりアメリカンナイズされおって。
…油断した。
思わず睨みそうになって思い留まって、どうにか笑った。
いやいや、付き合ってるんだから。普通普通。
私の、その様子に勘付いたのか、水戸さんは、笑いを堪えるような顔をしてから、言った。
「―――ご飯食べに行く?」
…行ってやろうじゃないの。受けて立つわよ。
ああ!面倒臭いわね!付き合うのって!