プロローグ:The Madonna's Recommended School.
初めての『瀬原集落聞書』シリーズ以外の投稿です。御読み頂ければ幸いです。
A childish story take,And with a gentle hand
Lay it where Childhood's dreams are twined
In Memory's mystic band,
Like pilgrim's wither'd wreath of flowers
Pluck'd in a far-off land.
空調をつけるほど暑くもないけど、そこそこ不快な湿気が、春の終わりを告げてる。
生温さが、教室中を包んでる。
この空間で元気なのは、先生だけだ。
伝えるべき情報を、伝えるべき相手に伝えてる人がいるのに、情報を受け取る側は三割も受け取ってない。
別にそれは、授業中に限ったことじゃないんだけど。
とにかく、うちの学校の授業は、そんなもんだ。
学校のレベルも、そのくらい、って言うと、良くないのかな。
聞いてる人は聞いてるわけだけど。
伝える側も、受け取ってくれる人を選んで話しかけてるような雰囲気がある。
この高校選んで良かったのかな、って、時々不安になる。
私が成績良い方の生徒、って、結構不味いんじゃないかなって。
少なくとも、数学の時間は、担当のおじちゃん先生がある程度尊敬されてるから、私語は少ない。
私、数学はイマイチだけど、先生は、そんなに嫌いじゃない。
『三割』っていうのがミソだと思う。
寝てなくて、内職してないんだったら、一応、三割程度は授業内容が脳に入ってくる。
数学イマイチなのに、先生が、ちょっと面白い、ってだけで、授業が苦痛じゃない、っていうのは、恵まれてることかも。
受け取ったからって、消化できるかどうかは別なんだけどね。
お昼御飯の後の脳が、早くも思考を拒否しはじめてる。
高校受験の時より、頭が悪くなってたりして、って、時々思う。
「これはこれと同じ。分かるか?」
分かるけど。分かりません。
「平行となっているから、ここが、こう」
先生は、口で言うより動く方が多い。実演のつもりらしい。
数学を実演できるのかどうかって話は置いとくけど。
いつも先生が教鞭代わりにしている竹の棒を、バンバン黒板にあてる音がする。
つまり、あの矢印は「ベクトル」って名前で、「大きさ」と「方向」と「向き」を持つらしい。
まず、「方向」と「向き」との違いが分からない。
「矢印」って名前だと、何でいけないんだろう。
…外国語なんだよね?
取り敢えず、位置に関係なく、「向き」と「大きさ」が同じなら、同じベクトルらしい。
はぁ。
「これがaだとしたら、これで2a」
それも分かる。でも。
「同じ」は無理がある。
チョークなんかのぶっとい線で、定規も使わずに書かれたへなちょこ矢印が、平行なもんか。
ある意味、線自体が、長方形だと思う。
そこに変な飾りがついて、矢印になったんだろうな、って感じ。
それは仕方ないけど。
『向き』と『大きさ』が同じなら同じベクトルなんだったら、黒板の表面から少し離れたところに存在しても、黒板のベクトルと同じ。
仮に、私の後ろにあっても同じ。
『向き』と『大きさ』が同じなら。
同じ同じ同じ同じ同じ。
常に目に見えない無数の同じ方向のベクトルが存在することが可能。
無数の矢印が、『一斉に』教室にいる全員に突き刺さる想像をしちゃって、何か、チクチクしたみたいな、変な気持ちになった。
左手を握ったり開いたりして、ちょっと考えを紛らわせてみる。
だって、そういうことじゃないの?そんな物の『大きさ』を知る必要性も、よく分からない。
伝えるべき情報。なのかなぁ。これ。
チャイムが鳴った。良かった。勝ったよ。私は意識を手離さなかったよ。
取り敢えず、aと同じ向きのベクトル大きさが二倍で向きが同じなら2a。
…やっぱり三割くらいしか分からないなぁ。
あと、先生はベクトルが好きなのかもしれない、ってことは分かった。
偶然、次の時間の英語でも『ベクトル』が出てきた。
「今数学Bはベクトルやってんだってねぇ」
暢気な口調で英語教師は言った。
この人の話を聞いてると気抜けする。
「Vectorはドイツ語なんだけどさ、英語ではVektorっていうのね」
英語教師は、いきなり、黒板にスペルを書き出し始めた。
「これ、『方向』って意味ね。そんで、『病原媒介生物』って意味もあんの」
Virus。
「まー、ドイツ語だかラテン語だかでも、スペルは一緒。ビールスとか、ベイルス?これが『ウイルス』。『病原体』とかね。Vectorの『病原媒介生物』って意味は、これと関係があんの」
と、言われると、納得しそうになるんだけど。
中途半端な説明だなぁ。
『方向』と『病原体』が同じ語源だって言いたいんだろうけど、そうなった経緯とか、スペルがどう変化したのかは、こっちの想像に任せてるの?
経過が答えほど重要じゃないってわけ?
そういうところを単なる余談で切り捨てちゃうのって、先生の性格?
気になってきちゃった。
中途半端に振らないでほしいな、そういう話。…数学より分かんない。
そもそも、メインの話題は、英語のドリルの『エイズ発祥について』の文章。
だから、数学の時間でもないのに、『ベクトル』なんて持ち出されたんだけど。
はー、猿とそういうことをねぇ。そして、“commercial sex worker”なんて言葉、覚えても、いつ使えばいいんだろう。それとも、私が知らないだけで、頻出英会話単語なのかな。
それはそれで嫌だ。
内容は…。
結局、テストにあんまり関係ないところだけ印象深く、終わる。
とにかく、うちの授業はそんなもんだ。
教師がどうとかってより、生徒という受け取る側が、さっぱり授業向きじゃないのが悲劇だ。
三割。
…余談の方が多いや。
知識を吸収してるはずなのに、賢くなった気がしない。
何で、こんなことしてるのかな、って、思っちゃう。
もしかしたら、結局、私は、この学校が気に入っていないのかもしれないんだけど、自分でもよく分からないし、もう入学して二年にもなるから、深く考えたくない。
私の受け取る現実は、どこか一枚フィルターがかかっているような感じがする。
どことなく不透明で、私と現実を隔てているフィルター。
気付いてはいるけど、取り外し方が分からない。
何かが間違ってるような気がするのに。
これで良いのかな、って。
So she was considering in her own mind (as well as she could, for the hot day made her feel very sleepy and stupid)