93話◆もう一人の自分。
思い詰めたような真剣な眼差しで僕を見詰めるルイ。
ルイが言う大事な話ってなんだろう…。
そんなに真剣な顔をしてまで言うんだから、きっと、とても大事な話なんだよね。
……だから話をする前に僕を縛らせろと言うんだね。
いや、なんでだよ。
「ねぇ待ってよルイ。
その大事な話とやらは……僕を縛らないと話せないものなの?」
「ああ。」
即答かよ。
幼くいたいけな美少年の僕を縛るって…
どんな変態プレイなんだよ!
じゃ、そんな話聞かなくてもいいや…と言いたい所だけど、そこまでしなきゃ話せない内容とか逆に気になるじゃん。
まぁ最悪、普通の縄や鎖位ならば簡単にぶっ千切れるしな。
「じゃあ…縛ってもいいけど…話す事と僕を縛る事に何の関連性が?」
「お前が暴れ出すからだ。
イワン、アヴニールを拘束しろ。外されるなよ。」
僕のブレスレットに変形していたイワンがシュルっと僕の身体を縛るように全身に巻き付いた。
ロープと言うよりは幅広のビニールテープみたい。
しかも、お肌に優しいソフトな肌触りなんだけど伸縮性があって縄や鎖みたいに簡単にちぎれる気がしない。
見た目が黒いガムテープで両手首を前に揃えた形で全身をイワンに拘束された僕は仏頂面になり、ソファに座ってルイが話すのを待つ。
つまんない話だったら拘束されたままで暴れてやる。
「まず………デュマスを何処で見たのか思い出した。」
「デュマス…はぁ?デュマスの事で僕、縛られてんの?
納得いかないんだけど!」
どんな重要な話かと思ったら、マルくんトコの気味の悪い新しい従者の話かよっ!
確かに変に気になる存在ではあるけど、なんでそんな奴の話で僕が縛られなきゃなんないんだ。
僕は不満げな表情を通り越し、不快感をあらわにルイに抗議した。
僕を縛ってるのが普通の縄ならば、もうブチブチってちぎってたね。
でもイワンだから、ムニョンと伸縮自在でちぎれない。
「デュマスを見たのは、王城で催された新年を祝う夜会でだ。
私はその時に、奴を知った。」
「祝賀パーティーの時に見たって不思議じゃないだろ。新年を祝うパーティーはダンスフロアには入れない下級貴族でもほとんどの貴族がお城に挨拶に来るんだから………ん?」
ん?ルイは「見かけた」ではなく「知った」と言った。
下級貴族の若者と上級貴族の従者が理由も無く知り合いになるはずはない。
ルイの言うこの場合の「知った」は警戒マーカーに近い。
「お前がシャルロットになって国王とダンスをしている時に、私は奴をダンスフロアの外で見かけた。
私はその時、シャルロットを寝かせていた歓談室に誰も入れないように結界と、同時にドアノブを握った瞬間『誰も居ない部屋』に入ったと錯覚する魔法を使っていた。」
「そうだったんだ……で、それがデュマスと何の関係あるの。」
「皆がラストダンスを踊るお前達に注目する中、一人だけ王城から出て行く男を見かけた私は違和感を抱いた。
……………イワン、耐えろ。」
イワン耐えろ?僕を拘束するイワンに何を耐えろと…
ルイはハァッと大きな溜め息を吐き、部屋に結界を張った。
いや、既に張っていたらしいのだが強化したっぽい。学園内では魔力に対する警戒が厳重だから、あまり強い魔力は使えないのだけれど………
「恐らく……あの男はシャルロットの居る歓談室に向かったのだろうと…。
シャルロットの姿が見えなかったので、そのまま引き返したようだ……と。」
「ほうほう……それは一体どういった意味かな?ルイさんや。」
僕の身体から陽炎のように全身を纏う怒気が立ち昇る。
ルイは苦悩するような表情を浮かべながら、こめかみに冷や汗をタラリと垂らした。
世界を恐怖に陥れると言われている魔王様にこんな表情をさせるのは、世界広しと言えど僕しか居まい。
だが、そんな事はどうでも良い。
僕は今、頭の中によぎった最悪の答えが合っているのかどうかを確認したい。
ルイは僕の頭に浮かんだ言葉を拾ったのだろう、苦しげな表情を浮かべたまま「その通りだ」と小声で呟いた。
「いや、ちゃんと言って下さいよ。ルイさんや。」
僕は拘束された状態で、ニコリと微笑んだ。
ルイは僕から顔を背けてグッと目をつむり、ボソッと「踏ん張れイワン」と呟いた。
僕は今、五感をかなり強化している。
ルイの呟きや誤魔化しの動作を一切見逃さないためだ。
自分の心臓の音や血流までもが大音量で聞こえる位だが、それらの雑音は一切耳に入らない。
僕がいま聞きたいのは、ルイの言葉だけだ。
「で?」
「…恐らく…あの男は…シャルロットを辱めるため部屋に来たのだろう…。」
ブチブチブチィッッ
僕は笑顔のまま拘束を引きちぎり、ソファから立ち上がった。
引きちぎられたイワンは欠片で集まり、再びロープのようになって数匹の蛇が同時に噛み付くようにして僕を拘束しようと試みるが、目に見えない速さで僕がイワンをはたき落とし、身体に触れさせない。
ユラリと揺れながらドアに向かい、ドアノブに手を掛けようとしたがグニャリとドアノブが溶けて無くなった。
ドア自体がグニャグニャして力が分散され、押しても引いても開けられない。
コンニャク……いや、スライムみたいだ。
ああ…今気付いたけどルイが部屋に掛けた結界って、魔力が部屋の外に漏れないようにだけじゃなくて、僕を部屋から出さないためでもあったのか。
「アヴニール、何処へ行く気だ。」
「ん〜?ちょっと軽くデュマスを殺しに。」
「何が軽くだ。話は終わっていない、戻れ。」
「もう終わったよ。
デュマスが姉様を襲おうとしたんでしょ。
未遂だったから罪はないなんて言わないでね。」
僕はルイに背を向けたまま、ドアの結界を破ろうと何度も試みる。
ルイの魔力の方が僕より強いのは重々承知しているが、何処かに綻びが無いかと指先に魔力を集中させてスライムみたいなドアに何度も手を突っ込んだ。
頭の中は、今まで感じた事が無いほどの殺意で満たされ、僕が僕じゃなくなったみたいに感じる。
「まだ話に続きがある。座れ。」
「これ以上、どんな続きがあるって言うんだよ。
だいたい、なんであの時すぐ教えてくれなかったんだよ。
そうしたら、あの場でデュマスを……………。」
「殺していたか?
あの日あの場で伝えていたら、本当にデュマスを殺していたかも知れないな。
王城でそのような事をすれば、ローズウッド候爵家は無くなっていただろうな。」
ああ…そうだろうな…箍が外れた僕はデュマスだけでなく、王城で殺戮の限りを尽くしていたかも知れない。
そうなれば僕の家族も処刑だよね。
そんな事、絶対にあるワケ無いと思う反面、そんな場面が見てきたかのように鮮明に頭に浮かぶ。
僕の殺意はデュマスを殺しても止まらないかも知れない。
「だからなんだ!アイツは生きている!
今すぐ!ここであいつを殺させて!
憎しみが止まらないんだ!あいつが死ぬまで許せない!死んでも許さない!殺したい!殺したい!
でないと僕が…!僕が壊れる…!!」
こんな激しい怒りを、今まで持った事があっただろうか。
怒りに任せて口から出る「ぶっ殺すぞ」なんて言葉が、どれだけ薄く軽く感じる事か。
ただ純粋に熱く激しく憎しみが高ぶっていくのに、ひどく冷たく心の内側がすり減って僕らしい感情が消えていく。
そして消えた僕の心を殺意という文字が重なり続けて隙間がなくなる程黒く黒く塗りつぶしてゆく。
姉様を傷付けようとした事への怒りを置き去りにして殺意だけが加速してゆく。
僕が消えそうになるのが止まらなくなる━━━━
バサッ━━と背後で翼の音がした。
僕の身体が大きな黒い翼に覆われ、ドアから引き離されるように後方に引っ張られる。
僕の全身が黒い翼に包み込まれるように囲われ、羽根の内側で柔らかく抱き締められた。
光が遮られて僕の周りが真っ暗になり、視界を遮断された僕を抱き締めるルイの鼓動と静かな息遣いだけが僕の耳元をかすめる。
「痛々しくて見ておれん。
アヴニール…お前が人を殺すのは駄目だ。
どうしてもと言うならば、魔王の私がお前の代りにデュマスを殺してやろう。」
「だっ…駄目だよ!ルイだって人を殺しちゃ駄目だ!
そんな事したら本当に魔王になって人間の敵になっちゃう………あ……。」
ただただ冷たくすり減った心の端に、ポゥ…と温かな灯火が点った気がした。
そこから、消えかかっていた自分の一部たちが灯火に集まるように元の場所に還って来たような…そんな感覚があって。
僕は大きな黒い翼に囲われた暗がりで、そっと顔を上げてルイの方を見た。
ルイの顔の横から部屋の明かりが射し込んで、ルイの顔の半分を照らしている。
久しぶりに見た魔王のルイは血のような真紅の双眸に長い角をはやし、背中に漆黒の大きな翼を持つ「人外」の姿をしていたけど、僕を見る瞳があまりにも優し過ぎて…心臓がズクンと音を立て高鳴る。
「私も、お前には人を傷付けて欲しくない。」
「…既に殴ったりして…散々傷付けたりしてるけど。」
「それは許容範囲内だな。
私だって、この先お前の護衛として人を殺す事はあるかも知れない。
お前も父のように騎士の資格を有すれば、誰かを守る為に人を殺める事もあるかも知れん。
だが今回のように憎悪を殺意に変えて人を殺すのは駄目だ。
お前がお前でなくなる。」
僕を覆うルイの翼の内側で、僕の身体を柔らかく包むように抱き締めていたルイの両腕にグッと力がこもり、僕を強く抱き締めた。
「ルイ……ちょっと苦しい。もう離して。」
照れもあってか、僕は苦笑しながらそんな言葉を言ってみたりしたが、ルイの腕から解放される事は無かった。
「私を置いて、どこにも行くな。」
ごくごく小さなルイの呟きが、五感を鋭くしたままの僕の耳に入る。
ルイの呟きは僕に聞かせるための物じゃ無かったのだろうと思う。
僕自身、あの時……僕の中から僕が消えて無くなると思った。
僕の思考を読み取れるルイがそれに気付いても不思議ではない。
…………愛されてるんだなぁ……僕。
「ッッ!!ルイ…!」
僕を抱き締めるルイの両腕にさらに力がこもった。
たった今の僕の思考をもモロに読んじゃったみたい。
「ああ、愛しているとも。
私はお前の全てを守りたい。
人としての尊厳も、お前自身が持つ矜持もひっくるめた、お前の全てが愛おしく…全てを守りたい。」
自分はなんて現金なヤツなんだと思う。
思うんだけど、さっきまで真っ黒く塗りつぶされていた僕の内側が明るい光に満たされ始めた。
ルイだけでなく、姉様や父上や母上、他にも大切に思う人たちの顔が浮かんで胸の内側が暖かくなってゆく。
ああ……これが「僕」なんだ。
皆に愛され、皆を愛する…愛する皆を守りたい。
これが僕だ。
守りたいがゆえに殺意に囚われて大事な皆を忘れてしまいそうになるなんて…
もう二度と、僕じゃない者になりたくない。
「僕もルイが……好き……
……「僕」は何があってもルイを好きだよ…。」
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「大きな魔力を察知して来て見れば…
陛下では無かったんですね。
あの殺意のこもったアホみたいな大きな魔力。」
「部屋の外からも結界を重ねて張ったのだな……。
助かった……礼を言う。」
アヴニールの部屋に隣接するルイの従者部屋を訪ねたジェノは顔をしかめた。
ルイは魔王の姿のまま、自身の従者部屋のベッドに疲弊したかのようにグッタリと座っていた。
崇敬する我が主君が人の姿ではなく荘厳なる魔王の姿でみすぼらしい部屋に鎮座しており、配下の自分に礼を述べる事にジェノは不満を感じずにはいられなかった。
「陛下が配下に礼を述べるものではありません。
それより…あのクソガキ…こんな所であんな魔力を放出したら王城から騎士団が飛んで来るって分かってますよね?アホですよね?とんでもないど阿呆ですよね?
そんな事になったら魔力の使い過ぎで人間に変化出来ない陛下も、陛下をお護りするために魔族の姿になる私も討伐対象となるじゃないですか。
言っときますが、そうなったら私は学園内の人間がどうなろうと知った事じゃない。
人間どもを皆殺しですよ。
そうなると分かってるハズなのに頭悪いですよね!
あのクソガキ!」
捲し立てるようにツラツラと文句を口にするジェノだが
本音は別の所にあった。
ただ、その本音をルイに読まれたくないがために、五月蝿いほどに文句を連ねる。
「……フッ……辛辣だな…。
だが悪いのは私だ…もう少し配慮すべきだった。」
「陛下の謝罪や反省など聞きたくありませんから!
陛下にそんな事させるクソガキに死んで詫びろと言いたい位です!
いや、もう言ってやりますよ!で、クソガキはいずこへ?」
「アヴニールなら、シャルロットの寮に向かった。
急に顔を見たくなったそうだ。」
「………ああ、陛下のお気に入りの生意気なクソガキ様はアホな上に超シスコンでしたっけ…。」
もはやアヴニールに対するジェノの罵詈雑言を指摘する気も失せたルイは「はぁ…」と痛む額に指先を当て溜め息をついた。
「超シスコンでも、生意気なクソガキでも…アヴニールならば、それで良い。」
「…………アヴニールならば?」
ルイの言葉にジェノが反応するが、ジェノは疲れ切った様子のルイに、それ以上を訊ねる事が出来なかった。
従者の姿に変化したルイを見届け、ジェノはルイの部屋を出た。
膨大な魔力を有する魔王に対し、ここまで疲弊させる程に魔力を使わせたアヴニールに、ジェノは改めて胸の内側で燻っていた感情が再燃しかかるのを感じる。
━━やはりアイツは危険だ………陛下のお側に居させるワケには━━




