87話◆とある従者の1日の始まり。
朝を迎えベッドで身体を起こした僕は、寝ぼけ眼を擦りながらベッドを下りてスリッパを履き、ペタペタと足音を立てリビングに向かった。
僕の部屋はホテルのスイートルームと同じく、だだっ広い一間にベッドやらリビングやらが在るワケだが…リビングから離れたベッドにまで良い香りが漂って来ていた。
空腹中枢を刺激するような美味しそうなニオイが。
匂いに誘われリビングに行って見れば、テーブルには既に朝食が並んでいる。
昨夜は食堂に行かずに、ルイが作ってくれた蕎麦もどきを夕食とし、浴場にも行かずに清浄魔法で身を綺麗にして…
1日の疲れにプラスして、ルイとのイチャイチャに小っ恥ずかしさが募り過ぎた僕はルイの膝上でグッタリしてしまい、割と早い時間に寝かされてしまった。
だからなのか、起きたばかりでお腹が空いている。
寝る子は育つと言うからな。
スクスク育つためにたっぷり睡眠時間を取らされる今の僕。
いやぁエナドリ片手に睡眠時間を削って仕事していた喪女の頃が懐かしい。
よく1日2時間の睡眠時間で生活出来ていたよな。
テーブルに並んだ朝食を見ながら、ふと考える。
これは、僕がピヨコやアホんデル伯爵家の丸君が居る食堂に行くのを煩わしく面倒だと思っている事を知っているルイの有り難い配慮なのだが…。
学園に来て2日目にして食堂ヤダ、お兄さん達コワい、ボク自室で一人でご飯食べるって…引きこもりみたいになってないか僕。
本来、学園寮は他家との交流の場でもあるので、今の内に人脈作りの下地を作る機会でもある。
親に言われて侯爵家の僕やピヨコにお近づきになりたいって貴族令息らも居るだろう。
だが今、僕とお近づきになりたそうな令息達に対してはぽってり丸君が睨みを効かせて「オレ様の敵になる気か?」と威すような視線を送っているらしい。
まったく子どもみたいな事を…って、子どもか。
僕がリビングに来たのを見たルイが淹れたての紅茶をテーブルに乗せた。
美味しそうなミルクティーだ。
この魔王様は本当に気が利きすぎて僕を大事にするから……この分だと毎日の夕食も部屋に用意されそうだ。
「ルイ、朝ごはんの用意ありがと。
朝は確かに助かるんだけど、今夜から夕食はなるべく食堂で取るようにするよ。
彼らの事、面倒だからって避け続けるワケにもいかないしね。」
ピヨコも丸君もなぁ…ホント面倒。
ホントは絡まれる事を考えただけで憂鬱になる。
ミライミライって、ピヨコのウザさも確かに面倒なんだけど、あれはもう無視しようと決めてる。
だけど、この寮内でボス気取りの丸君を避け続けるのは、この先どんな弊害が起こるか分からないって不安がある。
彼の従者をしていたオジさん…いや、ウォルフのお父さん。
あの人が僕が原因でいきなりクビにされたみたいに、丸君のご機嫌損ねた程度で「パパに言い付けてやるからな」と、アホみたいな理由でオジさんみたいな被害に遭う人をもう出したくない。
子どもがクレーマーで親はモンペかよ。
躾がなってない子どもが下手に権力なんか持ってると厄介だよな。
ここはやはり、侯爵家ボンボンの僕が丸君のケツを叩いてやらねばならないかも知れない。
それにしてもオジさん、大丈夫なのかなぁ…新しい勤め先、見つかるかなぁ…
「ウ~ン」と苦々しい顔でショリショリとサラダを食べる僕の前に焼き立てのパンケーキを置きながらルイが言った。
「そんなにあの男の身の上が心配ならばローズウッド家で雇えば良いだろう。」
「エッ!?」
「食堂で騒ぎがあった際にあの男の思考を幾つか読んだが、雇い主と違って肚に後ろ暗い考えを持たない潔癖な人物だったぞ。
だからこそ雇い主からは疎ましく思われ距離を置かれていた様だが。」
そうか…そうなんだ!
確かにオジさん、アホんデルんチには似つかわしく無い常識人っぽかったしな。
ウォルフのお父さんを僕の家で雇えば、ウォルフは学園を辞めなくて済むし!いいじゃん!
ルイが言った様な清廉潔白な人物ならば、敵が多くて背後関係まで把握した者しか雇わないローズウッド家でもすんなり雇えそう!
「ルイ、それナイスアイデアだよ!
さっそくパパ上に連絡して面接の段取りを……!!」
「連絡は昨日の内にもう済ませた。了承も得た。」
「仕事早いな!オジさんにも知らせなきゃ!
あ、でもアホんデル家に居た事とか…パパ上にスパイだとか思われたりしないかなぁ。」
「心配しなくとも、お前の父親は慧眼の持ち主だ。
そんな肩書きだけで判断したりはすまい。
ゆえに早々に直接話会いたいとの事だったので男にもそう話をつけてある。
なので今日、面談をする段取りをした。」
「ホントに…早いね…」
パパ上もオジさんもルイの行動力には驚いただろうな。
でもまぁ、鉄は熱いうちに叩けって言う位だし何事も早い方がいいよね!
ルイがパパ上に勧める位ならそれなりに優秀な人物なんだろうし。
それにしても…ルイは仕事は早いし、僕の懸念も理解してくれてるし…!さっすが僕のルイだよね!
…僕の………ぼ、僕のルイ…かぁ……
素でサラッと思ってしまった…で、自分の思考にテレるとか……ナニ!?何なの!?僕!
「……な、…ナニ…?」
ハッと気付けば、ルイが僕の顔をガン見している…
まさか………
「………フッ」
やっぱり!僕の思考を読みやがったぁ!
嬉しそうな顔で微笑むのやめろ!
ルイ!お前にはなぁ言っておきたい事がある!
朝食の後、少し時間を貰うからな!
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アヴニールが、歩いて学舎へ行くと寮を出て行った。
従者として学舎まで送ると言ったが、これは拒否された。
『馬車を呼ぶならまだしも、抱っこされて学校とか恥ずかし過ぎる!冗談じゃないから!』
と強く言われたので仕方ない。
私は自分の仕事をする事としよう。
主人が学舎へ行き寮を留守にしている間、従者は暇を持て余している訳では無い。
主人のスケジュールを組み必要な物を揃え準備を整え、主人の実家に主人に起こった出来事などの報告をしたりと実に暇が無い。
この日、私はアヴニールを送り出した後に寮を出て買い物に行き、その後に噴水のある広場へと向かった。
町を模して造られた学園内の敷地にある商店や公園といった施設では他家の従者らと顔を合わせる事もあり、従者同士で交流する事もあれば、上級貴族の従者同士で互いの雇い主の情報を探る様な駆け引きじみたやり取りがある場合もある。実に面白いものだ。
噴水のある広場に到着すると、同じくローズウッド侯爵家に仕えるマルタが噴水前のベンチに腰掛けて私を待っていた。
待ち合わせをしていたマルタと話し、アフォンデル伯爵家のガキ…いや、子息と揉めた事や、その従者をローズウッド家で雇用するかも等の情報を共有した。
マルタが居る女子寮にもアフォンデルの娘が居り、その侍女も居る。
そちらでも何か不穏な動向があればローズウッド侯爵家と私にも連絡するようにと伝えた。
マルタが先にその場を離れ、私も帰路につこうと噴水前のベンチから立ち上がった所で………それは起きた。
広場の噴水近くにある動物の形のトピアリーの陰からリコリス子爵家令嬢アカネがこちらを見ている。
トピアリーの裏からひょっこりと顔を出したアカネは辺りをキョロキョロと見回し、改めてマルタが居ない事を確認すると私の方を見た。
もじもじと上目遣いで口元に拳を当てたアカネはトピアリーの陰から姿を現すとおずおずと…
おずおずと見せて実に大胆に。
早足で私の前に進み出て来た。
アヴニールよ、今朝お前が言った予想の通りだったな…
『アカネちゃんはルイをロックオンしたからね。
近い内に絶対にルイを落としに来るよ。』
今朝話を聞いたばかりで、さすがにその数時間後にこうなるとは思いもしなかったが。
「ルイ様とこんな所でお会いするなんて…
奇遇ですね!これって運命かしら!?」
奇遇…運命…。
待ち伏せをしていたのは明らかなのにそれを言うのか。
満面の笑顔と視線に上機嫌な声の圧が強い。
私は意識せずに圧から逃れるように顔を少し上げた。
顔を上げた視線の先に学舎のカリヨンが見える。
今頃アヴニールや学生達は学舎で授業を受けている。
そう授業中なのだ。
この時間に学生は学舎の外には居ない。
━━━━なぜ、お前はここに居る!?
そう問いただしたい所だが、『ルイ様ルイ様、最推しルイ様」と、うるさい量のアカネの思考がダダ漏れしているので聞くまでも無い…。
いや、口を開きたくないというのが本音だろうか。
唇を動かして口を開き、声を出す。
たったこれだけの事が苦行であるかの様に煩わしい。
「……リコリス子爵令嬢アカネ様、お声掛け頂きありがたく存じます。
ですが私はローズウッド家の使用人です。
アカネ様に敬称を付けてまで挨拶を頂けるような身分ではございません。」
煩わしさから声を出すまでに僅かではあるが時間を要した。
でき得る限りやんわりと言葉を選び「話しかけないでくれ」と訴えながら半歩ずつ下がり、少しずつ距離を取る。
アヴニールが言った通り、アカネは私を魔王だと知った上で積極的な接触を試みて来たが、私を魔王呼びはしない。
『魔王』を倒していないアカネには本来ならば私と交流を図る条件が揃ってないとの事。
『ゲーム関係で何らかの制限があるのか、アカネちゃんはルイが魔王だと今の時点で指摘したりするような真似は出来ないっポイんだよね。
けど目の前にルイが現れた以上、アカネちゃんはルイに猛アタックする事を止められないと思う。』
猛アタックとは、どのような?と私の疑問にアヴニールが答えた。
『親密度を上げるために、顔を合わす、見せる、話しかける。
あとは……攻略情報を入手していたらルイ好みのプレゼントを持って来るかも。』
私の好みの物だと?
私自身が私の好みの物品など何も思い当たらない。
なのに、か?
そう尋ねるとアヴニールは少し複雑そうな表情をした。
『んー…まー…これに関しては、攻略情報もアテにならないって言うか…ルイの情報が出てるかどうかも分からないし。
でも、攻略情報があればアカネちゃんならやりそうだよな。
クリス義兄様達をドン引きさせたプレゼント攻撃を。
仲良くなってない内からドンピシャで好みの物をプレゼントされるのは逆に気持ち悪いって思われる事を学習していれば無いかもだけどね。』
アヴニールは、アカネからのプレゼントとやらに警戒する他の攻略対象達を見て、そう思ったようだが。
残念ながら学習してないぞ。アヴニール。
「あの…ルイ様、これプレゼントの【喉越しの良い山の湧き水】です。
ホントは【熟成された葡萄酒】をお渡ししたかったのですけど学園でお酒は売ってなくて。」
アカネの手には水の入ったガラス瓶があり、それを私に渡そうとしている様だが…。
水……?水だと?
私の好みの貢ぎ物とやらは湧き水か葡萄酒なのか?
どちらにもまったく興味が無いのだが。
アヴニールが口にしていた、攻略情報とやら…。
それは一体、どこからの情報なのだか。
「…お気持ちは嬉しいのですが他家のお嬢様からの頂き物を受け取る事は出来ません。
それに私は水も葡萄酒も興味ありませんし……はぁ……。」
差し出された水の瓶を前に、私は何と無駄な時間を費やしているのかと、意図せず呆れを含む大きな溜め息をついてしまった。
「そんなっ…!
だってルイ様の好きな物は美味しいお水と葡萄酒って書いてあって…!公式なのにガセ!?
じゃあ、ルイ様が今欲しい物ってなんなの!?」
私の反応が予想外だったのか、驚いたアカネは思った事をそのまま口に出した。
そんなアカネにつられたワケではないが、私も頭に思った事を思わずそのまま呟く様に口に出してしまった。
「私が今欲しい物……カツオのダシ……か?」
「え?」
アカネに聞き直され、ハッと意識を此方に戻す。
心無しか呆けた様な表情のアカネと目が合い、私は作り笑いを浮かべた。
「今の私が欲しい物は、主人であるアヴニール坊ちゃまの平穏な日常…でしょうか?
私の主は日々悩みが尽きない様ですから。」
「いやっ違っ…!そういうのじゃなくて!」
「大切な主人の心が常時穏やかであり、日々健やかに過ごして頂きたいと思っております。」
「違うんです、アイテムでっ!私が渡せるアイテムで何か欲しい物っ!ルイ様ぁあ!」
私はアカネに軽く頭を下げて彼女の言葉を聞かなかった事にし、足早に広場を後にした。
何の生産性も無い、アカネにかかずらう時間が惜しい。
それに…………
『実はさ…少し怖いんだよね。
アカネちゃんのアプローチを受けたルイが彼女に惹かれたりするんじゃないかって。
今の僕と違ってアカネちゃんは正規のヒロインだしさ、何より…ルイ好みの可愛い女の子だからね。』
広場を出て直ぐ、ふと今朝アヴニールが私に言った言葉が頭をよぎった。
魔王としての初めてのアヴニールとの邂逅の際に私が言った「お前がうら若き乙女であったなら寵愛を授けてやっても良かった」的な台詞を今も引きずって、の言葉なのだろう。
今の私には外見はもとより年齢も性別も関係なく、魂がアヴニールである事だけが全てだと伝えてはあるのだが、私の好みは美少女だとの思い込みがアヴニールの中にささくれの様に残ってしまっている。
「…………愚かな考えだ…。」
そう呟いた私の口角が上がってしまうのは、仕方があるまい。
それがアヴニールの嫉妬からの言葉だと理解しているからこそ、そんな愚かな考えを持つ事すらも愛らしさで埋め尽くされてしまう。
「………………陛下、気持ち悪いですよ。
往来で一人ニヤニヤして。」
広場前の通りに出た所でジェノに出くわした。
魔王である時の私にとってのジェノは、全幅の信頼を寄せるに値する臣下であるが、人間に身をやつしアヴニールの従者になっている私にとってのジェノは、他家の従者という私と同じ様な立場のただのいけ好かないヤツでしかない。
奴も今の立場を利用してか、対等な身分であると言わんばかりの慇懃無礼な態度を改めもしない。
それでも、こやつの私に対する忠信は本物なのだから、ある意味余計にたちが悪い。
私は反射的に眉間にシワを寄せて、この場では同等の立場にあるジェノを厳めしい表情で睨んでしまう。
「ああ、失礼…陛下ではなくルイさんでしたね。
どーせあのクソガキの事でも思い出してニヤニヤしてたんでしょ。」
「思い出すも何も、私は常にアヴニールの事を考えている。」
「うわぁ…それはちょっと…」
「黙れ。私は従者として、主が穏やかな日々を過ごせるようにと常に憂慮している。
我が主の心労が絶えないのは、お前の主人のオカッパくそガキがやかましいせいでもあるのだぞ。」
ジェノから「なんだソッチの意味か、つまんな」と奴の思考が流れて来た。
気持ち悪いだとか指摘しておいて本音はこれか、と苛立ちが顔に出た。
「そう言われましても、私はルイさんほど自分とこの主人を大事には思ってませんのでね。主人の代わりに謝る気もありませんし。
私の主のガキが気に食わないのなら、軽く呪っておきましょうか?元気が無くなって大人しくなるような…。」
「………やめておけ。」
冗談半分で言ったのだろうがジェノは人間を見下しており、呪詛やまじないの熟練者であるジェノは私の憂いを無くす為ならば躊躇無くそれを実行に移す。
本来ならば、そうであるのだが━━
「………フフ、冗談ですよ。」
「お前が言うと冗談に聞こえん。」
「今の立場を危ぶむ様な真似はしたくないです。
ルイさんの大事なアヴニール様を敵に回したくもないですしね。
それに、せっかく人間に成りすましたのですから、この機会にやりたい事もありますので。」
「今の私が言うのもなんだが………
人間に正体がバレるような無様な真似だけはするな。」
ジェノは「はい」とも「いいえ」とも取れる曖昧な仕草を見せ、私に思考を読まれるのを避けるように「まだ仕事がありますので」と、そそくさとその場を去って行った。
奴が何を考えているのか知る事は出来なかったが、私の意に反する事をするならば私が奴に粛清を与えるだけだ。
私も寮にある自室に戻り仕事の続きをしなくてはならない。
まずは、ローズウッド侯爵と今日の面接の結果について連絡を取らねば。




