82話◆魔王様の距離感。
テーブルの向かい側のルイが迷走して可笑しな事を言い出した。
この世界には存在しないミライを自分の婚約者だと宣言するって?なんでだよ。
「婚約者だと言って、どうすんだよ。
ローズウッド家は敵が多いから邸に勤める者は家族構成とか交友関係とか把握しとかなきゃなんないし、僕の従者のルイに婚約者がいるだなんて知れたら父上が会わせろとか絶対に言うぞ、やめとけって。
僕もうミライになるつもりはないし。」
僕は冷めた表情で呆れた様にルイに言った。
て言うかさ、父上の前にミライの姿で行ってルイの婚約者の芝居しろとか言われたら無理ゲーなんだが。
それに………何かが気に食わない。
「………分かった、ミライの事はもう忘れよう。
オカッパがミライを婚約者だと吹聴するのは腹立たしいが、あの馬鹿の妄想だと思って聞き流す事にしよう。」
意外とすんなり聞き入れてくれたルイの言葉に、僅かにホッとした自分が居る。
メンドくさい事になった気がして、何だかモヤッとしていたんだよな。
納得したルイがテーブルの向かい側の席を立ったので、何げなしにルイを目で追った。
席を立ったルイは僕の椅子の隣に来て僕を見下ろし、ポケっとルイを見上げていた僕の背中と膝裏に手を入れると、いきなり僕の身体を椅子から抱き上げた。
「はぁあ!?いきなり何すんだよ!」
僕を抱き上げたルイは僕が座っていた椅子に腰を下ろし、膝の上に僕を横向きで座らせた。
これは…まさかのイチヤイチャ恋人座り…!?
いや、絵面的にはパパの膝に座る子どもってのが近いよな。
一瞬、恋人座りだとか考えた自分が恥ずかしい。
いや、それにしてもさぁ!
なんでいきなり膝に座らせる!?
そんな恥ずかしさを掻き消したくて、ルイの膝に座らせられた僕は思考を読めと言わんばかりに「ナニやってんだよ、下ろせよ」って言葉をたくさん脳内に思い浮かべながら、怪訝そうな表情でルイを見上げた。
「お前がミライに嫉妬するとは思わなかったのでな。
愛おしく、お前に触れたくなった。」
「嫉妬なんてしてないよ!
触れたくなったからって、いきなり膝に座らせるとか何なんだよ!距離感がおかしいだろ!
恥ずかしげもなく、どストレートに愛おしいとか言うな!」
って言うか……僕が自分自身であるミライに嫉妬?
いや、確かに…ルイがミライを婚約者だと宣言するって言われた時に、確かに何かこうモヤッとしたけど。
それ、嫉妬?嫉妬…………なのかなぁ??
僕、そんな風にルイを意識してる?してるんだっけ?
「自覚は無い様だな。」
「おまっ…!僕の思考を読むな!」
ミライは自分なんだから、自分に嫉妬するなんて変な話だと思う。
なんだけど、ミライは僕と姿かたちの違う別物で…女性だ。
そういえばルイって初めて会った時に、僕が若い女だったら良かったのに的な事を言ってたもんな。
やっぱり幼い少年よりは、若い女の子の方がルイの好みなんだろう。
「私は、お前がどの様な姿かたちになったとて気にはならない。
魂がお前である事が全てだ。」
「だから思考を読むなと言ってんじゃん!
それに、甘ったるい言葉掛けまくるのも過剰なスキンシップもやめろ!
ってゆーかもー、今日のルイは距離感がおかしいって!
」
僕はルイの膝上から何度も滑り降りようと試みたが、僕を囲ったルイの腕が僕を逃がしてくれなかった。
散々脱出を試みて無駄な労力を使いまくり、疲れ果てた僕は逃げるのを諦めてルイの腕にすっぽり納まった状態でルイの胸に頭を預けた。
「無駄に疲れた……
今日のルイは距離感も行動も精神状態もおかしい。」
「距離感や行動がおかしいのは自覚している。
今日だけは…こうやってお前に触れられる喜びを噛み締めていたいのだ。許せ。」
今日この世界に存在を認められたのか、僕はこの世界から消えなかった。
だから、そんな言われ方をしたら無下に突き放す事も出来なくて、僕はルイの胸に寄りかかる様に身を預けたまま目を閉じた。
「すごく疲れた…すごく眠い。」
「このまま眠ればいい。私がベッドに運んでやる。」
ルイの胸に頭を寄せたまま、僕は今日一日の疲れのせいか、ルイにくっついている安堵感からか、ゆっくりゆっくりと眠りに落ちて行った。
━━━━魔王様…だよなルイって。
この世界では本来倒すべきである魔王にくっついて安堵感を得るって何でだ。
意味不明過ぎてウケるんだけど。━━━━
ルイは、膝上で眠りについたアヴニールの身体を抱き上げて椅子から立ち上がり、ベッドに運んで寝かせた。
アヴニールの身体に深めにシーツを掛けると部屋の入口に向かった。
アヴニールを起こさない様にと静かにドアを開き、ドア前の廊下に立っていたジェノを強く睨みつける。
「何の用があって此処に来た。
なぜ、そこに居て聞き耳を立てている。」
「人聞きの悪い事をおっしゃらないで下さい。
陛下にお話があって今、来たばかりなんです。
聞き耳なんて立てていませんよ。」
「では、お前が頭に浮かべた『2人揃って恋愛ベイビーかよ』とはどういう意味だ。」
相変わらず睨み付けてくるルイに対し、ジェノは困り顔で苦笑した。
「私、獣なんで耳が良いんですよ……お二人の会話が少しばかり聞こえまして……。
多分それで無意識にそう思ったのでしょう…私自身の記憶にはありませんが。」
記憶に無いというのは嘘である。
どういう意味も何も、恋愛初心者同士のグダグダしたやり取りを聞いた瞬間に素でそう思ってしまったのだから、それ以上説明のしようが無い。
と、そんな事を頭に思えばまた不意に思考を読まれるかも知れないと、ジェノは頭を切り替えた。
「話を逸らすようで申し訳ありませんが、食堂での先ほどの会話から察するに、アヴニール様は少女の姿に変化する事が出来るという事ですね?
魔族のみが使える深淵の闇魔法を使って。」
ルイは肯定をしなかったが、無言のままで否定もしない。
それだけで、ジェノの予想は確信へと変わった。
「私はクソガキ様のアヴニール様が深淵の闇魔法を使える事に驚きを隠せません。
私とて元は魔族ではありませんし、深淵の闇魔法を習得するのに十数年もの時間を要しました。
それなのに魔族でもない上に、まだ生まれて僅か数年のクソガキのアヴニール様が深淵の闇魔法を使えるなんて本来なら、あり得無い事です。」
ルイの前でも躊躇なくアヴニールを貶す言い回しをするジェノに対し、ルイは苛立ちをあらわに眉間にシワを寄せてジェノを睨み付けた。
だが無言で睨むだけで話を遮る事をしないルイに、ジェノは話を続ける。
「私、以前クソガキアヴニール様と近くでお会いした事があるのですが、その時にクソガキアヴニールから『処女の香り』がしたのです。
私の種族ユニコーンは処女の香りに敏感です。
それは穢れなき乙女とのみ心を通わせられるというユニコーンの性質に………」
「お前は自分の匂いが残るほどアヴニールに近付き、アヴニールの匂いを嗅いだと言うのだな……?
だから学園の下見から帰ったアヴニールから、お前の獣臭がしたのか…。
アヴニールの肌に残る、お前の僅かな残り香を嗅いだ時の私の苛立ちが、お前に分かるか?」
「分かりませんよ!分かるわけないでしょう!
肌に残り香なんて、いかがわしい言い回しもやめて下さいませんか!
あんなオスのクソガキを相手に嫉妬される私の身にもなってくれません!?陛下!」
苛立ちを口にしたルイに対し、ジェノも思わず声を大にして反論せずにはいられなかった。
そして、自身が忠誠を尽くすと誓った相手でもあるルイに対して反論した自身に対してジェノは「あぁ、やはりな」と小さく呟いた。
「………それで、お前はアヴニールの正体が少女だとか、実は魔族ではないかとか言いたいのか。」
「クソガキの正体なんて、この際どうでも良いです。
私自身の記憶との違和感を覚える事が多々あり過ぎて、そちらの方が私には大ゴトでしてね。
魔王城を守護するファフニールが既に倒されていた上にクソガキに懐いてる時点でもう意味不明ですし。
陛下の性格が丸くなったとか、私こんな風に陛下に軽々と話しかける様な性格でしたっけとか…しかも陛下に対して意見して反論するとか有り得ないハズなんですよ。
もう「変な事になってる」箇所を挙げていったらきりがない。」
ルイはアヴニールによって、今現在自身達の居る世界が未来の結果をいくつか保持した状態で、時を遡った過去である事を知らされている。
前世ではヒロインであったアヴニールがファフニールを倒しており、魔王に最終決戦を挑む条件を満たしていた。
そして、その決戦イベントはヒロインだった前世ではなく、アヴニールという少年に転生してから、かなり早い段階で行われた。
ゲームで言うならばスタートするより前に。
アヴニールは、今より未来である筈のヒロインとしての前世の因果を持っている。
ルイはそう知っているが、アヴニールから知らされた「この世界の」の不思議についての情報をジェノに話す事に躊躇いがあった。
「お前の性格は自分でも気付いてなかっただけで恐らく元々なのだろう。
今まで、こうやって互いの言葉を交わす事も無かったから気付いてなかっただけだ。
……それを言う為にわざわざ部屋を訪ねて来たのか?」
「今が2度目の過去」である事は、ルイとアヴニールの2人だけが知り共有している真実だ。
2人だけが知る世界への介入を拒む様に、ルイはジェノにそれを伝えなかった。
伝えた所で、この様な荒唐無稽な話を信じるとも限らないが。
「はは、まさか。
私って、こんな性格でしたっけ?なんてわざわざ陛下に聞きに来たりしませんよ。」
半ば呆れ気味に「やれやれ」と首を振ったジェノの態度に、ルイは心底イラッとした。
と同時に、改めてジェノという人物像がルイの中でハッキリと際立って来た。
ルイが目覚める以前の側近としてのジェノは、側近に至った経緯や有能であったとの植え付けられたかの様な記憶はあるが、あとは付き従う様に傍らに居た程度にしか記憶が無く、会話した覚えさえ無い。
「ほう、では何を言いたくて此処に来た。」
「拾い上げればきりがない程の数多の違和感は、もう深く考えるのを諦めました。
それでも、降って湧いた様なこの感覚だけは無視出来なかった。」
ジェノは薄氷を張る様にパリパリと薄い結界を自身とルイの周りに張り巡らせた。
高ぶる感情と共に溢れる魔力を抑え込むのが困難だと、ジェノは周りに気付かれる事が無いよう先に結界を作り、その中で一瞬だけ人間の姿を解いた。
額に角を生やした、魔族としての人型の姿を一瞬だけ現したジェノは、強い怒りの表情をルイに見せてすぐに従者の人間、ジェノの姿に戻る。
「この世界は、ルイ・サイファー陛下のものです。
陛下は深淵の闇を支配なさり恐怖を司る神でもあります。この世界を統べる御方だ。
魔族のみならず生きとし生けるもの全てが陛下の足下に平伏す。その様な存在であるのです。
陛下の他に、恐怖や暗き世界を象徴するかの様な者の存在を許してはならないのです。」
「それは邪神とかいうヤツの話か?
邪神を信仰する怪しい団体も現れた様だが、邪神自体が実在するのかさえ分からないのだぞ。」
人々が目にする事はそう無いが、この世に女神は実在する。
魔王も人々の目には触れる事の無い伝説に近い存在ではあるが、実在している上にしれっと人間として今、此処に居たりする。
だが邪神の存在だけは、前の世界において名前すら聞かなかった。
アヴニール同様に、それはこの世界に唐突に現れた異質な存在だ。
「実在しようがしなかろうが、それを崇める人間が居るのは事実です。
その様な存在は、人々の記憶からも排除しなければなりません。
その為にも是非、アヴニール様を我が魔王軍にお呼びしたい。」
「アヴニールを魔族の軍勢に入れるだと?
アヴニールを人間どもの敵にさせる気か?
それを私が許すとでも思うのか?………ジェノよ。」
ルイは深紅の瞳に焔を揺らし、射殺す様な視線でジェノを睨み付けた。
僕の部屋の前で、魔王様とその側近が何やら揉めていたなんて僕は知らずに眠っていたんだけど……
変な夢を見た。
何だか懐かしい風景…日本の夜の街中を歩いている僕。
僕の前には、パーカーにジーンズ姿で黒髪を頭のてっぺんで団子に結った女性が歩いている。
その女性が振り返り、眼鏡の奥で目を細めた。
「あそこのハイボールと唐揚げが絶品なんだ!
今日はわたしがおごってあげるからさ、元気だしなって!」
僕に向けて話しかける女性には見覚えがある。
見覚えがあると言うか、これは「未来」だ。
前々世の僕じゃないか。
うーん改めて思えば以前の僕って、可愛く振る舞うとか着飾るとか、ホント女らしくするっての無かったよな。
化粧もしてないし髪ボサボサじゃん。
………ん?目の前に僕だった未来がいるなら、この僕の視点は誰のものだろう?
未来だった時の僕、この時誰に話しかけていたんだっけ?
過去の自分が話しかけている「僕」が誰なのか覚えがない。
目線の高さからして男性だとは思うけど、彼氏で無い事だけは確かだ。
25歳喪女の未来は、彼氏居ない歴が年齢と同じだったしな。
そんな未来が男性を飲み屋に誘っている?…ダレを。
「え?わたしに出来る事があるなら、そりゃ手伝うよ。
あははは、別に謝らなくていいよ。」
未来は、僕が憑依?している人物と会話を続けているが、こちら側の人物の声も言葉も僕には聞こえない。
このヒト、僕に…てゆーか未来に謝ったんだ?何を?なんで?
「えー?やだなぁ、大袈裟だよー
何度も謝ったりしなくていーって、それに助けてくれだなんて、君はホントに大袈裟だね。」
━━━━でも本当に、すまないと思っている━━━━
未来と話していた相手の言葉が声ではなく、活字の様に頭に浮かんだ。
その瞬間、ズキッと頭に激しい痛みを感じた気がしたが、目覚めと共に痛みは無くなった。
「……………結局、ダレ?」




