78話◆私の知らない優しい悪役令嬢。
シャルロットとアカネを乗せ、学舎の門前から女子寮が建ち並ぶ方角に向け走り出した箱馬車の中、窓に顔をへばり付かせていたアカネが頬に丸い痕が付いた顔で振り返った。
「何でルイ様が、ここに居るのよっ!!」
感情を隠せずに素のままの口調で声を発したアカネを、シャルロットの専属侍女マルタがキツい視線で睨みつける。
マルタからすれば、下級貴族とはいえ男爵令嬢の肩書きを持つアカネの方が、侍女の自分より身分は上になる。
とは言え自分が仕える主人は、男爵令嬢ごときにその様な口の利き方をされて許される身分ではない。
黙ってられなかったマルタは、たしなめる様な口調でアカネに話しかけた。
「貴女はローズウッド侯爵令嬢に対し、何と無礼な口の利き方をなさるんですか。」
「待ってマルタ、いいのよ。
それよりアカネ様、アヴニールの従者のルイをご存知なのですわね。」
「知ってるもナニも!!!ルイ様はマっ!!!」
「魔王」と言いかけたアカネの背筋にゾクッと悪寒が走り、アカネは言葉ごと声を呑み込んで口をつぐんだ。
ゲームとしては始まったばかりのこの時期の世界は、魔王の存在については限られた僅かな者しか知らない設定だ。
人々が魔王の存在を知り、怯え暮らす様になるのはゲーム中盤辺りから。
その設定をヒロインである自らが壊す事に頭の中で警鐘が鳴った様な気がし、ルイが魔王だと暴露する事に危機感を覚えた。
━━この世界のルールを壊したら私、ヒロイン失格?
ヒロイン失格なんてなったら、私…この世界から追い出されちゃうの?
それは絶対にイヤ…!━━
恋をするなり冒険者になるなり、ヒロインとしての自由を謳歌する事は許されているが、世界観を壊す様な言動はタブー。
このヒロインの身体には、そんな制御が植え付けられている気がする。
「ルイは、我がローズウッド侯爵家の遠縁にあたる者で、今年学園に入学するアヴニールの従者として雇われましたの。
魔の潜む深淵に近い、森を管理していた一族の出身との事ですけれど……そんなルイを、アカネ様はよく知ってらっしゃいましたわね。」
感心した様におっとりと語りかけるシャルロットに、アカネがビシッと指を指した。
「それっ!!あんたの弟って何なの!?
アヴニール!?そんなキャラなんて知らないわよ!
シャルロットには弟なんて居なかったハズよ!
学園に中等部が出来てるとか、ルイ様が居るとか!
もう、私が口を出さなくても既に世界観バッキバキにおかしくなってんじゃないのよ!」
アカネが喚き散らしたタイミングでシャルロットの女子寮に到着した馬車が停まり、アカネの向かいに座っていたマルタがアカネの腕をグイッと掴んで立ち上がると、引きずり出す様にして共に箱馬車から外に出た。
「もう我慢なりません。
意味不明な事を捲し立て、指を差し。
お嬢様とお坊ちゃまに対し呼び捨てを含む数々の無礼。
この事は文書にしたためリコリス男爵家に送り、ローズウッド侯爵家への謝罪を求める事とします。」
「えッ!うちに謝罪を求めるって!?やめてよ!!」
シャルロットは御者に手を借りて馬車から降りると、激昂状態のマルタを宥める様に肩にそっと手を置いた。
「マルタ、もういいのよ。
今日はアカネ様もわたくしも初めての事ばかりで疲れていて、言葉足らずかも知れないけど…
それに、アカネ様はわたくしのお友達なのよ。
だから砕けた言葉遣いをなさってるだけで…」
「そんな事が寛容の理由になりますか?
いくら御学友と言えど、分はわきまえて当然かと思いますけど。」
マルタは馬車の御者に、早々に支払いを済ませて馬車を去らせた。
自分が降りた後の馬車に、アカネを女子寮まで運ぶように依頼するつもりだったシャルロットは、去って行く馬車を見て溜め息をついた。
「マルタったら…
アカネ様を寮に送るよう御者に話をと先に言ってあったのに。」
「この様な者に、そこまで慈悲をかける必要は御座いません。
もう近いのですから歩けば良いのです。」
ギンッとマルタに睨まれたアカネは、驚いた様にシャルロットの顔を見た。
「えッ!!送ってくれるつもりだったの!?」
アカネが指摘せずにはいられない、バッキバキにおかしくなった世界観。
今までスルーしていたが、よくよく考えたら悪役令嬢である筈のシャルロットの性格が既に破綻している。
ゲームでは登場しょっぱなから性格ブスだった悪役令嬢シャルロット。
こんな優しい心遣いの出来るお嬢様じゃない。
しかも恋敵であるヒロインを友達とか言う。
「なんで、私にそんな風に優しく出来るの!
私とクリス様との仲を羨んでないの!?」
アカネは、思わず自分が口にしてしまった言葉に後悔した。
目の前のシャルロットが『そんな羨む様な仲かしら?』とでも言いたげな困った表情をしている。
━━そうだ…今の私とクリス様って…
これっぽっちも羨まれるような仲じゃなかった━━
「あー待って!今のは無し!」
困り顔のシャルロットの隣に立つマルタは、アカネの言葉の真偽が分からない為に、シャルロットの婚約者である王太子をアカネが愛称呼びし、あたかも二人はただならぬ関係だと宣言するアカネに対して鬼の様な形相になった。
「何と無礼な!しかも今のは無し!?
口にした不敬極まりない言葉はもう取り消せませんよ!
貴女は、王太子殿下が不義を働いていると仰有るつもりなのですか!?」
「ほーんと、無礼な上に品の無い愚かな女だこと。
ローズウッド侯爵家のシャルロット様のご友人とやらは。」
上位貴族の女子寮の前で揉めていた為、寮の方から何人かが何事かと此方を遠巻きに見ている。
騒ぎの元となっているのがシャルロットだと気付いたこの令嬢は、この場に二人の令嬢を従えて現れた。
「まぁ、アフォンデル伯爵令嬢様。お久しぶりです。
新年の王城でのダンスパーティー以来ですわね。
その節は、お世話になりましたわ。
そちらの方々には初めてお目にかかりますわね。」
シャルロットは緩く首を傾けるに留まる挨拶をした。
アフォンデル伯爵令嬢の後ろに控えた二人の令嬢は初めて見る顔で、ダンスパーティーの際にアフォンデル令嬢と共に居た二人では無かった。
シャルロットの言葉に一瞬憤りの表情を見せたアフォンデル伯爵令嬢だが、すぐに平静を装い険しい表情を隠した。
「白々しい…随分と嫌味ったらしい言い方をするじゃない。
あの時の二人なら、もう友人でも何でも無いわよ。
貴女のお陰でね。」
「…?え?わたくしのお陰…?ですか?」
「フン、丁度良かったわよ。
子爵令嬢の彼女達はわたくしと同じ寮には入れないもの。」
シャルロットは新年のダンスパーティーにて、眠りにつく前にアフォンデル伯爵令嬢達と談笑室に居た記憶までしか無く、彼女達と別れた後に国王陛下とダンスをしたらしいという、ルイによって思い込まされた、おぼろげな記憶しかない。
眠りについてから、国王とのダンスをするまでの記憶に関しては殆ど無い。
なので、シャルロットは彼女達が眠ってしまった自分を介抱し、家族が迎えに来れるよう知らせてくれたのかもと思っていた。
よって、自分がアフォンデル伯爵令嬢と友人らに何かをしたという覚えは一切無い。
当然シャルロットは、あの日自分に扮したアヴニールが何をしたかも全く知らない。
「まぁいいわ、それよりシャルロット様。
こんなみすぼらしい下品な取り巻きに殿下を奪われそうだなんて、貴女の程度が知れますわね。
ダンスパーティーでも言いましたけど、さっさと殿下の許婚者を辞退なさってはいかがかしら。」
「あら…あの日にも、仰っしゃられましたの?
それは大変申し訳ありません。
わたくし、全く覚えておりませんの。
アフォンデル伯爵令嬢様のご親切に甘え、再びこの様にお時間を取らせてしまうなど心苦しく感じますわ。
それにしてもアフォンデル様は、ご友人を取り巻きとお呼びになりますのね。」
シャルロットは困った様に眉尻を下げながら、たおやかに微笑んだ。
見ず知らずの令嬢に、みすぼらしい下品な取り巻きと言われたアカネは蚊帳の外となり、シャルロットといけ好かない令嬢の静かなる戦いをアワワワと混乱しながら見る羽目になった。
シャルロットよりもシャルロットの前に立つ令嬢の方が、アカネがゲームの中で見た性格ブスの悪役令嬢に言動が似ている気がする。
「わたくしの友人達と、貴女のみすぼらしい取り巻きを一緒にしないで!
それに何度でも言ってあげるわよ!
シャルロット様、貴女は殿下の婚約者を辞退しなさい!
わたくしの方が、未来の国母となるに相応しいわ!
貴女に殿下の婚約者を務めるなんて出来ないわよ!」
シャルロットに詰め寄る勢いのアフォンデル令嬢を少し離れた場所で見ていたアカネは、近くに居たマルタに思わず同意を求める様に率直な意見を口にした。
「ねえ、こいつ何なの?この頭の悪そうなヒス女!
コイツの方が絶対に未来の王妃サマとか無理でしょ!」
マルタはアカネの言葉に溜め息ひとつ吐いて一度だけ頷いた。
「無理でしょうね。
私からすれば貴女も似たようなものですけど…。
貴女の方が頭は悪そうですが、あちらの御令嬢ほど下品ではありませんわね。」
マルタの辛辣な言い回しに、アカネはガン!とショックを受けた。
思わずマルタの侍女服の袖を摘み、駄々をこねる子どもみたいに訴えてしまう。
「ひどッッッ!私だって一応は貴族令嬢なんだけど!
本人目の前にして頭悪そうとか言っていいの!?
そりゃ私、貴族令嬢らしくないかもだけどさぁ!」
「あら、褒めたつもりですわよ。
心根の品の無さではアカネ様、あちらの御令嬢には敵いませんもの。」
品の無い令嬢だとマルタに言わしめた件の令嬢の前に立つシャルロットは、目を細めて微笑みながら静かに口を開いた。
「婚約者として不相応と殿下がわたくしに仰っしゃるのであれば……あるいはわたくし以上に、より相応しい方が現れたのでしたら━━いつでも身を引く覚悟は出来ておりますわ。
わたくしは聡明な殿下のご意思を尊重しております。
殿下を愛し愛されるにせよ、国の豊かな将来を思い未来の国母となるにせよ………」
シャルロットは背を伸ばし姿勢を正し、アフォンデル伯爵令嬢の目を正面から見据えると凛と通る声で答えた。
「殿下のご意思を伺うまでも無く、アフォンデル伯爵令嬢様が、そのどちらに至るにも相応しくない方であるのだけは、わたくしにもハッキリと解りましてよ。」
━━アンタじゃ役不足なのよ。おととい来やがれ━━
シャルロットの言葉がそう脳内にて翻訳されたアカネは興奮気味になり、摘んだままのマルタの袖をグイグイ引っ張っぱった。
「ねぇ聞いた!?今、シャルロットがヒス女に役不足だって言ったの!!
シャルロットは敵だけど、なんかスカッとした気がする!」
「お嬢様は貴女の事も含めて役不足だと言われたのだと思いますわよ。
それに、お嬢様を呼び捨ては無礼だと申し上げましたでしょう?
お仕置きです。」
アカネに袖を引かれたマルタはニコっと微笑み、アカネのほっぺたをムニと摘んだ。
「いっいひゃい!!ナニすんのぉ!!」
「あら、失礼。
アカネ様を見ておりますと、我が家の出来の悪い弟妹達を思い出しまして。」
アカネの頬からパッと手を離したマルタはアカネを見て口の端を上げて満足げにクスリと微笑った。
シャルロットは激昂した状態で何かを喚いているアフォンデル令嬢を放置してその場を離れ、マルタとアカネのもとに来ると二人のやり取りを見て楽しげに笑った。
「アカネ様、よろしかったらアカネ様の寮までご一緒に歩かせて頂けませんこと?
馬車では到着が早くて、あまりお話出来ませんでしたもの。」
シャルロットはアカネの手を握り、微笑みながら訊ねた。
マルタは頷く様に頭を一度下げ「私もお供致します」との意を示す。
本来ならば悪役令嬢として、ヒロインの数々の障害となるシャルロットに手を握り締められたアカネは、手を振り払おうとしながら「わぁあ!」と半パニック状態になった。
抱っこされたまま威嚇し続ける仔猫のような状態だ。
「わ、私は貴女からクリス殿下を奪うつもりなのよ!
だから、貴女は私に嫉妬して、私をイジメたくなるのよ!
だって私!クリス様が好きなんだもの!!
そう、決まってるのよ!」
「まだ言うか?」と笑顔のまま表情を強張らせゲンコツを握ったマルタの前で、シャルロットは「あらそうなの」と言いたげにケロッとした態度のまま目を丸くした。
「先ほどもアフォンデル伯爵令嬢様に言いましたけどわたくし…
殿下を心よりお慕いし、殿下もまたその方を愛しく思ってらっしゃる。
殿下と相思相愛になられる方が現れましたら、わたくし婚約者を辞退しても良いと思っておりますのよ。」
「ウソ!私がクリス様を奪っても、嫉妬しないと言うの!?
いや、絶対にそんな事ないわよ!
嫉妬した挙げ句にえげつないイジメをしてくるに決まってる!」
黙って聞いていたマルタがヒクっと引きつり笑いを浮かべた。
シャルロットの本心を聞いて驚いたのもあるが、アカネの言うえげつないイジメって何なのかと。
「それに、クリス殿下を奪うのでしたら、わたくしからではありませんわよ。
殿下の恋心を奪う相手は、わたくしの弟ですわ。
一番の難敵はアヴニールを溺愛する殿下自身ですわね」
楽しげに話すシャルロットにアカネがフリーズした。
この世界に来て、初めて聞いたソッチ系。
ゲームには一切なかったソッチ系。
ゲームに存在しなかったキャラクターな上に、攻略対象者のクリストファーが熱を上げているのが何と少年。
は?まさかのBL?
しばし氷の彫刻の様になっていたアカネは、フリーズが解けた瞬間、ニコニコ楽しげに微笑むシャルロットに向け魂の叫びをあげた。
「ッだから、あんたの弟って一体何なのよー!!!」




