74話◆ニコラウスの気がかり。
大切な友人にして俺の生命の恩人でもあるアヴニールに、俺とリュースは彼の姉であるシャルロット嬢がアカネからの謂れなき誹謗中傷によって被害に遭わないよう見ていてくれと頼まれた。
俺もリュースも最初は、リスクも大きいのに男爵令嬢が、侯爵令嬢を陥れる様な真似をするか?なんて考えたりもしたのだが、他ならぬアヴニールの頼みだ。
あまり見ていたくも無いが、アカネを見張る意味合いで観察する事にした。
アヴニールの姉君のシャルロット嬢は、気品がありたおやかで、見た目も所作も優雅で美しい。
王太子殿下の婚約者としても相応しい佇まいをしている。
見るからに高嶺の花って感じだし侯爵令嬢で王太子殿下の婚約者である彼女と、お近付きになりたい者は多いようだが、友人の御令嬢達と会話をしている彼女に、話し掛けて良いものかとクラスの奴らが躊躇って話し掛けられないでいる。
一方のアカネは明るく活発でほがらか、見た目は美しい少女だと言える。
あのぶっ飛んだ本性を知らなければな。
男爵令嬢であるアカネには話し掛け易いのか、彼女の周りにはクラスの男子が集まっていた。
ワイワイと楽しげな談笑をしつつ、自己紹介やアカネに質問している声が聞こえる。
当然だろうが、彼女の額と鼻の頭が擦りむけている理由を訊ね出した。
「ねぇ、その顔の怪我はどうしたんだ?
転んだの?」
「痛そうだね、大丈夫かい?」
「これは……実は……」
アカネの声にスンと鼻を鳴らす音が入った。
まさか泣き真似か…?
「シャルロット様が…私を突き飛ばし……」
━━はぁ?
アカネを見ると、これ見よがしに口元に手を当て泣きそうな顔を見せていた。
アヴニールの言った通り、マジでシャルロット嬢を悪者にする気か、と俺は苛立ちながら席を立とうとした。
が、俺より先に既にリュースがアカネの机の隣に立っていた。
「アカネ様、記憶違いをなさっているのでは?」
ニコニコと聖職者らしく慈愛に満ちた笑顔のリュースは、アカネを取り巻く輪の中に入って祈る様に両手の指を組んだ。
「リコリス男爵令嬢、アカネ樣……
先ほど貴女がお怪我をされました時、その場には殿下をはじめ私を含む生徒会の皆さまがいらっしゃいましたよね。
貴女は私達が見ている前で、1人でお転びになりました。
ちゃんと思い出して下さいね。
貴女が虚偽を訴えた為に不敬罪に問われた時に私は証人として、教会の熱心な信者である貴女を真実を語る事で追い詰めたりしたくはないのです。」
感情を表に出さずに終始ニコニコと微笑むリュースは、心底腹を立てているのだと俺は知っている。
だから、ただ文句を言ったりするのじゃなく、こうやって脅す様な真似まで…。
リュースにそれをさせたアカネが悪いんだが。
「ふっ…不敬罪?私が?な、なんで…?」
「それは貴女が、王太子殿下の婚約者でいらっしゃるシャルロット様に言い掛かりをつけ……
結果、この国の王太子殿下に嘘をつくという大きな無礼を働くのですから。」
仮面の様に貼り付いた笑顔のまま淡々と述べるリュースと対照的に、狼狽えるアカネの表情が見る見る青ざめた。
周りに集まった男子達にもザワザワと不穏な空気が流れる。
「不敬罪と一言で言ってもピンからキリまでです。
我が国の法は割と寛大なので、牢に入る事は無いとは思いますが、家名に泥を塗る事だけは間違い無いかと。」
「か、勘違いだったわ!
そう、勘違い!転んだ後にシャルロット様を見ちゃったから、そんな印象になったのかしらっ!」
腹黒いリュースを相手に慌てて取り繕うアカネを見て、俺は思わず苦笑した。
と、同時に━━アヴニールが予想した通りの事が起こって少し驚いている。
確かにアカネは、俺やリュースをはじめ王太子殿下にもグラハム樣にも変な執着を見せるが、いくら殿下の婚約者とはいえシャルロット嬢を貶める様な事までするとは思わなかった。
アヴニールはこうなる事を予測していたのか…。
リュースがアカネの側から離れると、周りに集まっていた男子どもも、関わりたくないと思ったのかアカネの側から離れて行った。
「おかしい…不敬罪なんて言われた事無かった!
みんな、私の話を親身になって聞いてくれて…
同情して好感度が上がるハズなのに!」
呟きにしては割と大きめの声で、アカネが不思議な事をブツブツと言い出した。
結果は思ったものと違った様だが、そうなるまでの経緯を前もって知っていたかの様な口ぶりだ。
リュースにも聞こえていたのだろう、俺の隣の席に腰を下ろしたリュースは「ふう」と溜め息をついた後に俺の顔を見た。
「お疲れ、リュース。
珍しく本気で腹を立てていたな。」
「最初はそうでしたけど…彼女の呟きを聞いていたら…
腹立ちよりも何だか………」
女性に対して失礼な言い回しだと思ったのかリュースは口にしなかったが、多分アカネに対して俺と同じ事を思ったのだろう。
何だか気味が悪い━━と。
「とりあえず…さっきのアカネの事、アヴニールには一応報告しておこうぜ。」
生徒会室に向かおうと席を立った俺に、同じく席を立ったリュースがハッとした様に顔を上げた。
「今日、中等部は顔合わせだけで終わりだと聞きました。
アヴニール、もう学舎には居ないのでは…。」
「ええッ、寮に帰ったかもって事か!?」
「だったら迎えに行きませんとね!!
アヴニールの寮に!!」
さっきの仮面が貼り付いた様な笑顔とは違い、本気で満面の笑みを浮かべたリュース。
……アヴニールの部屋に行きたいって言ってんのか?
「いや、学園に来た初日からそれは…やめとけ。
アヴニールが居るか中等部の教室に見に行ってから考えよう。」
アヴニールの意に沿わない事をしでかして、アヴニールに不機嫌になられたら泣きそうな程落ち込むクセに、とリュースに言いたいのを堪えて俺とリュースは教室を出た。
▼
▼
▼
「やぁ、アヴニール。
こんな所で何をしているんだい?」
ウォルフを連れて来て話を聞いていた学舎中庭の噴水前のベンチ。
このベンチはゲームではデートスポットのひとつだ。
かつての僕はヒロインとして、このベンチで攻略対象者どもとデートイベントをこなしてきた。
たまたま、そのベンチにウォルフと並んで座っているだけなのに……
いきなり現れて僕達の前に立つクリス義兄様と、グラハムが仮面が貼り付いた様な笑顔で僕とウォルフを見ている。
「何って…クラスメートのウォルフと話をしてるだけ…。」
いや、待ってよ。
なんでクリス義兄様とグラハムは、僕の浮気現場を見つけたみたいな雰囲気を醸し出してんの!?
「ほー2人きりで、この場所で。
………君達は新入生だから知らないのかも知れないが、このベンチは語らいのベンチと呼ばれていてね。
このベンチで互いの想いを語り合えば、距離を縮める事が出来るというジンクスがあるんだよ。」
知ってるけど!
男女カップルで座っていたらな!
でも普段は誰でも使ってるベンチだし!
クラスメートの男同士で座っていて、そんなジンクスは適用されんだろ!
「クリス義兄様!グラハム様も!
僕は初めて、マトモな友人が出来たんです!
その友人と距離が縮まるならば大いに結構!
邪魔しないで貰えますか!」
「あ、アヴニール!待て、アヴニール!
王太子殿下とゲイムーア伯爵家のグラハム様に、そんな無礼な口のきき方を…!」
隣に座ったウォルフが制止する様に、ベンチから立ち上がりかけた僕の袖を掴んで小刻みに震えながら、ふるふると首を横に振った。
怯え過ぎじゃない?
「話の邪魔をしたのは悪いが、俺達はアヴニールを迎えに来たんだ。
午後からは生徒会室に集まって色々と話し合わなきゃならないって事を伝え忘れたからさ。」
グラハムがバツが悪そうに指先で頬を掻いた。
同意する様にクリス義兄様が頷いてから、僕の手を握って僕をベンチから立たせた。
「だから、早くおいで?」
いきなり全力のキラキラ王子様スマイルビーム。
いや、それは牽制か?ウォルフに?
いやいや、ウォルフは恋敵じゃないから無意味だし。
「もー!クリス義兄様!
迷子になったりしないので、子ども扱いして手を握らないで下さい!」
僕はジトっとクリス義兄様を不信感いっぱいな目で見てから握られた手を軽く払った。
「……義兄様……?
クリストファー王太子殿下がアヴニールの……?」
僕の隣で小刻みに震えているウォルフが、消え入りそうな小声で僕に訊いてきた。
ウォルフから一匹狼的な要素が微塵も無くなった。
「うん、僕の姉上がクリス義兄様の婚約者なんだ。
だから僕たち未来の義兄弟ってワケ。
グラハム様も仲の良いお兄さんって感じだから…無礼とかは余り考えた事が無いな…」
ウォルフは、身分の上下関係に過剰なほど神経質になっている様に見える。
これは、アホンダラ伯爵家でぽってり君の遊び相手をしていた時に、身分を振りかざされウォルフが逆らえない様にされたせいなのかも知れない。
「そう言えば、アヴニールって!?
家名を訊いて無かったけど…!」
「僕?家名はローズウッドだけど。」
「ローズウッド…!こっ……!侯爵…様の…
アヴニール様、ご無礼をお許し下さい!」
ウォルフは慌てた様にベンチから立ち上がり、地面に片膝を付いて僕達に向け頭を下げた。
「ちょ…やめてよウォルフ!
友だちって言ったじゃん!
身分も関係無いから友だちって言ったんだよ!」
貴族階級は確かに上下関係が厳しいけれど、この国は元々がゲーム世界なせいか、その辺は割と寛容だと言える気がする。
でなければ、男爵令嬢の主人公が侯爵家の婚約者のいる王太子殿下と仲良くなるなんてあり得無いし。
要は打ち解けて許されたなら、言葉遣いや砕けた態度を取った位では無礼にはならないし、不敬だと思われる事もない。
現に、伯爵家のグラハムは幼なじみだからって理由で王太子のクリス義兄様にタメ口だしな。
そんなだからウォルフの僕への態度にはクリス義兄様もグラハムも少しばかり驚いた表情をした。
クリス義兄様は地面に膝をつき頭を下げたままのウォルフの肩にポンと手を置いた。
「君は強い忠誠心を持った、素晴らしい配下になってくれそうだな。
だがここは学園で、ここでの私達は学生という身分だ。
アヴニールが君を友だちだと言うのならば、君にはアヴニールの友だちでいて欲しい。
アヴニールが許すのだ、対等に振る舞う事を無礼だとか思わなくて良い。」
おー!?クリス義兄様、たまには良い事を言う。
いつもは変態のくせに。
「王太子殿下………」
俯かせた顔を上げたウォルフが、ためらいがちに僕の方を見た。
ウォルフと目が合った僕は満面の笑顔を見せ、大きく頷いた。
「言っておくが…友だちだ…友だちだからな!
くれぐれも、それ以上を望んだりしてはならない!
なぜならアヴニールは私の愛し…!ごハッ!」
ウォルフの肩に置いた手に力を込め、語調の怪しくなったクリス義兄様の脇に、僕はさり気なく裏拳をお見舞いした。




