71話◆魔王様と側近ユニコーン、今は侯爵家の従者。
学園の敷地内は多くの学生寮や職員寮が建ち、規模は小さいが生活雑貨や食品を扱う店が並ぶ商店街の様な場所もある。
広場や公園の様な場所もあり、さながら小さな町の様だ。
主人に仕える侍女や従者は、主が学舎に居る間は寮にて主を待つか、町に出て主に必要な物を買い足したりしながら従者同士で交流して情報を交換する者もいたりする。
「学生と職員以外は学舎に入れないって、不便だと思いませんか?陛下。
まぁ必要とあれば忍び込む位ワケ無いんですけどね。」
学舎の近く、大きな噴水のある広場にて白髪の青年が噴水の縁に腰を下ろして水面を手の平で緩く撫でて涼を取りながら微笑んだ。
「………ジェノ貴様一体何を考えている。
私に何の報告も無く従者の真似事をして学園に来るなど。」
ジェノの向かい側に立つルイは訝しがりつつも不快感をあらわにした表情で、自身の側近であるジェノを見下ろした。
「陛下…いえ、ここでは侯爵家の従者同士、同じ立場ですね。
サイファーさんとお呼びしても?」
「ルイで構わん。
呼び名などどうでも良い。
それより…魔力を極力抑えねば入り込めぬこの場に、そうまでして潜入した理由を言え。」
ジェノは以前、蘭金剛石に呪詛を付与してアヴニールを呪殺しようとした事がある。
再びアヴニールに害を成そうとしているのではないかとルイはジェノに疑念を抱いた。
「クソガき……いや……
アヴニール様に何かをするつもりはありませんよ。」
クソガキと言いかけ、わざとらしく言い直す。
ルイが不愉快そうに顔をしかめてピクッと反応したのを見なかった事にしたジェノは、胸の内側で苦笑した。
ジェノはアヴニールを気に入らないと思っている態度を今さらルイに隠すつもりは無い。
ルイはジェノの態度にイラッとした表情を見せたが、ゆらりと立ち昇らせ掛けた殺気を納めた。
「では、なにゆえこの場に来た。」
「あんなクソガキの、どこに陛下が惹かれたのか…
ただ純粋に気にはなるので観察したいとは思いますが。
あ、でもオカッパチビの従者になったのはたまたまで、だから、この場に来たのも偶然なんですよ。」
「クソガキだのオカッパチビだの、誰を指している。
分かる様に説明しろ。」
簡潔に返って来ない答えに苛立ち、眉間に深くシワを刻んだルイが低く脅す様な声音でジェノに言った。
「オカッパチビは私が仕える事になった、クソボンボンのジュリアス様の事です。
ちなみにクソガキとはアヴニール様の事ですね。」
「貴様はまた、アヴニールを親しげにクソガキと………
そのオカッパチビとやらの呼び名が多過ぎる。
オカッパチビにクソボンボン。
我が主は奴をピヨコと呼んでいる。
私は其奴を何と呼べば良いのだ。」
アヴニールをクソガキと呼ばれ苛立つルイに、明後日の方向の可笑しな質問をされたジェノが、少しばかり焦る様に返す。
「クソガキは親しい呼び方じゃないですって。
それとジュリアス様の陰での呼び名なんて陛下が気を掛ける必要無いでしょう?
ルイさんがジュリアス様と会話する事も無いでしょうし。
陛下って…時々何かズレてるんですよね。」
ジェノは前に、ルイに意味不明な嫉妬をされた時も感じたが、この魔王様はアヴニールが絡む事に関してだけ、感情の制御が効かなくなるのか、どうも………
アホになる。
ジェノの記憶にある至高の存在である魔王陛下とは、威厳に満ち溢れ威風堂々とした佇まいを常としていた筈であったのだが━━
「魔王軍として今すべき事も無いですし、暇を持て余していたんです。
人間どもの様子見にと街に出た際に、オカッパチビと知り合いまして。
それで従者となった、それだけです。」
━━アヴニールというガキは、そんな至高の御方である魔王陛下をアホにしてしまう様な人物。
人間の身でありながら強大な力を持ち、邪龍ファフニールさえ従えてしまう幼い少年。
見てくれは整っているが所詮は人間のオスのガキンチョ。
奴の何が陛下をそうさせるのか、興味が無いと言えば嘘になる。
それに…敵としては大いなる脅威となるが、魔王軍に味方として引き入れれば大きな戦力となるだろう。━━
そんな企みを持つジェノの思考を僅かに読み取ったルイだが、フウと諦めにも似た溜め息を吐いて目を伏せた。
「まぁ良いだろう。
貴様の思惑を知った所で、魔力を解放出来ぬこの場では貴様を粛清する事も出来んのだからな。」
「従者の真似をして学園に来た位で粛清は無いでしょう、ルイさん。
もしかして、私の頭の中を覗きました?」
「私をアホ扱いした事は不問にしてやる。
その従者の真似事を全うする事だ。
我々はこの場では、少し魔法が使える人間の従者でしかないのだからな。」
ルイは踵を返し、ジェノを残して噴水から離れた。
歩いて去って行くルイの背を見送りながらジェノが呟く。
「アヴニールの事を探るつもりではいましたが、ホントに私、従者の真似をするつもりなんて無かったんですよ陛下。
人の姿でたまたま降り立った所を、あのチビガキに見られたってだけで……。」
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少しばかり前の事━━
暇を持て余したジェノは街の外れに人の姿で降り立った。
町人にしては少しばかり良い衣装を身に付けた格好だったかも知れない。
その姿を金髪のオカッパ頭のガキにたまたま見られた。
そのガキは、ジェノを指差しながら警戒心も無く、中年の従者の制止も聞かずに無防備にもズカズカとジェノに近付いて来た。
「そこのお前!飛行魔法が使えるのか!?」
初対面の大人に開口一番、なんて口の聞き方すんだ、このガキゃあ。
サクッと殺してやろうか。
そんな考えがジェノの頭を一瞬よぎった。
「その格好、貴族に仕える従者か何かか!?
なぜ、お前はこんな場所に一人で降り立った!」
矢継ぎ早に質問をされ、まるで餌を与えろと五月蝿い黄色いクチバシの雛鳥の様だ。
「私は、さる高貴な方の従者をしておりましたが、暇を出されましたので。」
ジェノは今の自分の状況を、人間らしく変換して言ってみた。
魔王陛下の側近の自分だが、今は暇なので━━と。
「暇を出された!と言う事は解雇されたのだな!
ならばお前、ボクの家来になれ!」
「……………」
恐れを知らぬ傍若無人な振る舞いに本気で殺意が湧いたが、所詮は厚顔無恥で愚かな子ども。
ガキを相手に本気で激昂するのも馬鹿馬鹿しい。
ジェノはニコリと無感情な微笑みを浮かべ、「さよなら」とでも言うかの様に無言で頭を下げると、その場をそそくさと立ち去ろうとしたのだが、ふと嗅ぎ覚えのある香りが僅かに鼻腔を擽った。
━━ん!?
このオカッパチビから、クソガキアヴニールの匂いがする━━
「ジュリアス坊っちゃん!また、そんな勝手な事を!
先ほど少女に身勝手をたしなめられたばかりではないですか!」
「黙れ!それとこれとは別だ!
父上が、学園に連れて行くためのボクの従者を探している。
ボクの従者を、ボクが自分で見つけて何が悪い!」
「そんな、どこの誰かも分からぬ者を坊っちゃんの一存でマーダレス侯爵家で雇い入れる事は出来ませんよ!」
2人の会話から、目の前の金髪オカッパのガキが学園に連れて行く従者を探しているのだとは理解した。
学園と言えば…
つい最近ルイに、アヴニールの受験の為に魔力を抑える事は出来ないかと相談を持ちかけられた事を思い出す。
「こいつはクソガキと同じ学園に入るのか……」
立ち止まったジェノは小声で呟くと顎先に指の背を当て、思案するように首を傾げた。
同じ年頃の貴族のボンボンが学園に行くとなれば、恐らくアヴニールと同じ学園に入るのだろう。
と言う事は、学園には従者に身をやつした魔王陛下も来る筈。
これは自分も学園に行けば敬愛する陛下のお姿をいつでも見る事が出来るし、アヴニールを探りたい自分には良い機会かも知れない。
「実は私、新しい働き口を探していた所なのです。
私でよろしければ是非。
私の身元については、ローズウッド侯爵領の近隣にあるサイファー辺境伯に尋ねて頂けましたら。」
魔王の棲む深淵をサイファー辺境伯領地とし、架空の貴族家で働いていたとの経歴を出した。
後は軽い暗示を交えつつ自分を一人の人間として認識させ、晴れてマーダレス侯爵家の従者として雇われて今に至る。
「うちのオカッパチビとアヴニールの間には、何らかの因縁らしきものもあるようだし、全く知らぬ仲でも無さげだ。
何と都合の良い。」
学園という狭い領域で共に暮らしていれば、アヴニールというガキンチョの人となりを探る事もしやすいだろう。
奴の警戒心を解き懐に入り込めば、我が軍門に下るよう言い含める事も出来るかも知れない。
それに━━
「奴が陛下に相応しいかどうかを私が見極めてやろう。
陛下に相応しくないとなれば、私が奴を倒す。」
━━………のは、アホみたいな力を持つ奴を相手に難しいかも知れない。
逆に言ってしまえば「相応しい」って、どこでどう判断すれば良いのだろうか。
オスのガキンチョって時点で、私の中で奴はもう陛下には相応しいとは思えない。
それを押してまで「相応しい」と思える何かがあったならば、私は陛下と奴の仲を取り持つべきなのか?
あいつを魔王陛下の伴侶として認めろと!?
いや、そのような事は断じて許されない事で……
だからもー絶対に無理があるって!
オスのガキなのに!!━━
「はぁ……いけない。
深く考え過ぎて熱くなってしまったな。
私まで取り乱してアホみたいになる所だった。」
ジェノは噴水から立ち上がり、水に冷えた手で熱くなった額を撫で、そのまま髪を掻き上げた。
「今しばらくは、一人の人間の従者として学園での生活を楽しみましょう。」




