66話◆この世界、そしてルイとの別れ。
何も起こらないかも知れない。
でも、もしかしたら僕は明日この世界から消えて居なくなるかも知れない。
だとしたら今日はルイと過ごす最後の日になるワケで…
寂しく思うけど別れを嘆いて、悲壮感ダダ漏れさせて盛り上がっといて、結局何も起こらなかったら凄くバツが悪いし恥ずかしい。
だから平常心を保ったままでいたい。
ルイだって…嘆く事も出来ないって言い方するけどさー
僕の存在そのものを知らなかった事になって、悲しい別れを体感しないで済むんなら、その方がいいんじゃないの?
と僕は考えたワケだが、ルイはそんな僕の事を阿呆呼ばわりして喧嘩を売りやがる。
「何でアホなんだよ!」
「悲しまないで済むなら良いだと?
それの何がいいんだ。馬鹿者が。」
いきり立つように椅子から立ち上がり正面からルイを見上げて睨んだ僕の背に、不意にルイの手が回された。
抱きしめず、包む様に僕の背に手を添えたルイは、背をすくい上げる様にして僕の身体を浮かせた。
不意に与えられた浮遊感にジタバタする間もなく、フワリと身体をすくい上げられた僕は、休憩用の肘掛け付きの背もたれ椅子に座ったルイの膝上に、向かい合った状態で座らされてしまった。
余りにもキレイに流れる一連の動作に、無抵抗なままストンとルイの膝に乗ってしまった僕。
だからぁあ!この椅子にルイが座るとろくな事が起こらないんだって!
玉座に座った魔王様のやらしい蛮行が始まるから!
「ちょちょちょー!ルイ!何すんだ!下ろせよ!」
「断る。」
主の言う事を聞けぃ!従者め!
ルイの足をまたいで向かい合わせに膝に座るとか、何かエロいんだって!!
僕はルイと自分の身体の間に自分の両腕を入れ、正面から抱き締められるのを防ぐ。
でももう、かなり密着状態に近い。
ルイの顔も凄く近い。近すぎ!
「アヴニール、私はお前が好きだ。」
「はぁん!?今、いきなり言う事じゃないよね!」
阿呆扱いの後の間近で顔を見ての告白。
何なんだよ!これ!!
「お前の存在が私の記憶から消え去るなど、私には耐えられない。」
「だから、そんなツラい事すら無かった事になるんだから…いいじゃん!って!
この状況、明日何も起こらなかったらどーすんだ!
ただただ死ぬほど恥ずかしいだけじゃないか!」
ルイと僕の間に僕の両腕を挟んだままで、グイッと強く抱き締められた。
僕の腕がバリケードになってるけど、かなり密着した状態だ。
いやいや、いつも抱っこされたりしてるから密着は今さら?
うん、今さらじゃん?気にしちゃ駄目だ、僕!
「明日、何事も無く普段通りの一日が始まったら…
そうか、アヴニールは死ぬほど恥ずかしいのか。
それは、いい気味だ。」
「は?いい気味!?」
「良いじゃないか、お前が消えれば何も無かった事になるかも知れないのだろう?
私にこんな事を言われた事も無かった事になるなら。」
「そっ…そういう……事を言う……」
「それで何事も無く明日を迎えたならば、死にたくなるほど恥ずかしい思いとやらを抱えて入学式に臨むんだな。
ハハッどんな顔をしているのか、これは見ものだ。」
「罰ゲームかよ!!」
ルイの胸元に顔を押し付ける様な格好で抱き締められているので、ルイの表情が見えない。
ルイの甘く低い声だけが僕の耳に囁く様に語り掛ける。
「お前が好きだ、アヴニール。
私はお前を失いたくない…
この先もずっと、近くでお前を見ていたい。
明日の、死にたい位に恥ずかしい思いをしているお前の姿も。」
そうか……これはルイの願いなんだ。
今日から続く一日がリセットされずに、明日以降も有り続ける事への。
「うぅ……クッソ恥ずかしい……
明日の入学式が終わったら……一発殴ってやる……」
僕も…ルイと会えなくなるのは…何かヤダ。
傷痕を小さくしたくて、先に悪い結果を考えてなるべく期待しないようにするのは僕の……
いや、私だった頃からの悪い癖だ。
「ほう、剣術でも体術でも魔法でも勝てない師匠の私を殴るのか?それは楽しみだ。
学園に入ったら喜んで相手をしてやろう。」
何事も起こらずに「明日」が来る事を僕が語った事に対して、ルイの声が僅かに弾んだ。
「私に拳を入れる事が出来なかったら、罰として接吻だな。」
「はぁあ!?なんで!!」
僕が明日を語ったからって、そんなに嬉しいのかよ。
はしゃぎ過ぎだろ!
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「それでは父上、母上、行って参ります。」
一夜明け、早朝のローズウッド侯爵邸の大きな門扉の前に僕用と姉様用に二台の馬車が用意された。
馬車に乗り込む前に、父上と母上に抱き締めて貰って、最後の別れにも似た気持ちで挨拶をした。
もう、両親とも会えなくなるかも知れない…。
いや、何事も無ければ普通に夏季休暇に帰って来るけれど。
って言うかさ………
学園の大門をくぐるまでは、普通に昨日と同じ世界なんだよね。
僕は一緒の馬車の向かい側に座っているルイの顔をチラッと見た。
僕の視線に気付いたルイが、緩く頷いた。
どういった意味で頷いたんだよ。
クッソ気まずっっ!!クッソ恥ずかしっっ!!
昨日のイチャイチャを思い出すじゃないか。
僕は正面に座るルイから、赤くなった顔を背けた。
「アヴニール。
お前は、あと僅かで自身がこの世から消えるかも知れない事に対する恐れは無いのか?」
馬車はあと20分ほどで学園に着くだろう。
僕の仮説が正しければ、僕の存在はあと20分で消滅してしまう。
「消えるって…死ぬのと違って痛いとか苦しいって無いと思うんだよね。
だから…そうなったら、そうなった時かなぁって。」
「アヴニールとして、この世界で培ってきた全てを失う事に恐怖を感じないのか?
……私との別れにすら、お前は何も感じないのか……」
ルイが身を乗り出し、向かい側の僕の手を両手で握った。
突然のルイの行動に昨夜の事を思い出し、ボッと火が点いた様に顔が熱くなる。
「る、ルイっ……」
握った僕の手を、祈る様にルイが自身の額の前に持っていった。
魔王様のルイが神に祈る様な姿は、僕からすれば違和感がハンパない。
それでもルイは真剣に、僕の言った仮説が決して有り得ない話ではないと思い、こうして祈るのだろう。
誰に?何に?神に?
ルイのその姿を見た僕の、感情の箍が外れそうになる。
取り乱したりして、何にも無かったら凄く恥ずかしい。
消える事に対して余り恐怖を感じてないのは本当。
だから、それを理由に悲しんだり怯えたりはしない。
けど━━
僕を失いたくないと、魔王である自身の立場すら顧みずにルイが祈りを捧げる姿は…
僕の胸を強く打った。
「やめて…ルイ…やめて…」
ぽつり…ぽつりと目から雫が零れ落ちて僕の膝を濡らしてゆく。
考えないようにしていたのに、そんな考えは頭の隅の方に追いやっていたのに。
どうして引っ張り出すんだよ。
僕は…アヴニールとして9年間を過ごした、この世界が好きだ。
前世の様に気が付いたらいきなりヒロインになっていたってのとは違って、前の記憶はあるものの僕はアヴニールとして生まれ、そしてアヴニールとして育ってきた。
家族や、たくさんの人達に愛されて、幸せな9年間を過ごしてきた。
それら全てが無かった事になるなんて…
僕を愛して慈しんでくれた全ての人達の中から僕の生きた証が全て消えてしまうなんて…
父上も、母上も、大好きな姉様からも、僕が居なくなった事を悲しまれる事すらなく。
ルイからも……。
「ルイの……ルイの中から僕が消えるのが嫌だ……」
「アヴニール……」
「もうルイと会えなくなるのも嫌だ!
この世界がリセットされたら、僕はまた同じ世界で、別の誰かになるかも知れない…!
その世界のルイは僕の知らないルイだ!
ルイじゃない、ルイなんだ!
僕をアホ呼ばわりする、師匠のルイじゃないんだもん!」
感情の箍が外れて剥き出しになった思いは、複雑に絡まり合ってしまって紐解いて言葉に起こすのが難しい。
何が一番嫌で、何が一番怖いのかも分からないままで浮かんだ言葉をただ口から吐き出してゆく。
「僕を好きだって言ってくれたルイに、もう会えなくなるのは嫌だ…!
僕だってルイが好きなのに……!」
ルイが僕を引き寄せて、強く抱き締めた。
互いの胸が重なり、激しい鼓動も重なり合う。
「アヴニール!大丈夫だ…お前は消えて居なくなったりなどしない…
お前が言っているのは仮説に過ぎないんだ…大丈夫だ、何も起こらない。
私達はこれからも、共に歩んでゆける筈だ…。
だからもう…泣くな…。」
僕からもルイにしがみつき、ルイの肩に涙を吸わせながら何度もコクコクと頷いた。
そうだ…僕の仮説はあくまで仮説でしかない。
このまま何事も起こらなければいい。
この先も僕はアヴニールとして、ルイやみんなと共に未来へと歩んでいきたい。
「ルイ…!ルイ……!」
「着きましたわよ。アヴニール。」
いつの間にか馬車が停まっており、箱馬車のドアが開けられて姉様がマルタと共に立っていた。
僕はルイの膝に乗って泣き腫らした顔でルイに抱き着いており、そろそろ〜と姉様の方を見た。
「………着きました……えっと学園に…もう?」
「ええ先ほど大門を通って、今は学園の敷地内ですわね。
アヴニールとわたくしの寮は別だから、ここで一度別れましょう。
入学の式典前に、クリス様のお待ちになる生徒役員室に行かねばならないから、一時間後に学舎の前で待ち合わせましょうね。」
僕とルイは密着したままで無言で互いの顔を見た。
僕がゲームのスタート地点だと言っていた学園の大門は、とっくに通り過ぎたとの事。
姉様がルイにベッタリくっついている僕を見て少し首を傾げ、優しくも困った様な笑顔を見せた。
「まだ幼いアヴニールには、長い間お父様とお母様に会えなくなるのは辛いかも知れないわね…。
寂しくなったら、わたくしに甘えてくれても良いのよ?」
姉様がクスクスと笑ってマルタと共に自分の馬車に再び乗り込む。
姉様達が乗った馬車、そのまま更に奥へと走り去って行った。
この場所はどうも、新しく出来た中等部の上級貴族用の男子寮の近くの様だ。
僕達はゲームのスタート地点を通過したが、リセットも僕の消滅も何事もまったく無く、無事学園に到着した。
僕は無言でルイの膝から降り、ルイも無言で馬車から先に出て僕を馬車から下ろす。
二人並んで馬車の前に立ち、離れた場所に見える学校の大きな校舎を眺めた。
「………………着いたね。」
「ああ、無事に着いたな。」
気まずッッ!!
邸を出て、馬車に乗ったばかりの時より滅茶苦茶気まずいつか、恥ずかしいッッ!!
泣いて縋って、感極まった挙げ句にルイが好きだとか喚く様にカミングアウトしちゃって。
結局、何も無かったのに。
これこれ、この何とも言えない空気!
こうなるのが耐えられないからヤダったんだよ!!
何も起こらなかったんだから、良かったじゃんで済む話じゃないんだよ、これは!!
「アヴニール………」
僕は泣き腫らした顔を恥ずかしさの余りに真っ赤にして、カタカタと小刻みに震えていた。
ルイに話し掛けられたが、今は何も答えられん!
恥ずかしい!クッソ恥ずかしくて…死ぬ!!
消えたい…!
「………とりあえず、寮のお部屋に参りましょうか。
アヴニール坊ちゃま。」
僕以外にも入寮生達が寮の前に増えて来て、ルイは寮の前で硬直状態になった僕に動くよう促した。
なんだけど、もう色々と感情が昂り過ぎた後の、この肩透かし食らった虚脱感。
これが最後かも知れないと、ルイに自分の気持ちを泣きながら訴えて吐き出した後の、結局は最後で無かったので全て無かった事にしたいという現実逃避思考。
虛無だ……僕は今、ここに居ない……居るべきではない。
僕の魂は今、ここには居ないのだ。
そんな思いからか、直立不動状態で動けない。
さすがに他の生徒達の前で僕を抱き上げる事が出来ないルイが、困った様に僕の顔を覗き込む。
「困りましたね、アヴニール坊ちゃま。
虚ろな目をして空を見てないで、一旦戻って来て下さい。」
「久しぶりだな!アヴニール!!
こんな所で立ち止まって従者を困らせるなど、まだまだ子どもだな!
貴族の令息として未熟だぞ!」
どこかで聞いた声にイラッとさせられた僕は、その声のおかげで意識が現実に戻ってきた。
カゴの鳥ピヨ子……違った。
マーダレス侯爵家のジュリアスくんの登場によって。




