65話◆学園入学前夜。
大聖堂に行った、あの晩以降━━
ルイとは少しばかりギクシャクした感じはしなくもないが、以前の主と従者に戻った気がする。
それが上辺だけだと互いに分かっている。
本心を隠して普段通りを装う。
僕達は互いに言いたい胸の内を明かせない。
ルイは…僕の思考を単語で読み取る事があるから、僕の言いたい事を少しは理解しているのかも知れないけれど、僕が自ら口をつぐんでいるので言及を避けている様だ。
当然、僕がルイに惹かれつつある事も知ってるハズ。
ある意味、両想いだと互いに知っていながら、それを素直に喜べない歪な関係。
いよいよ明日は学園に向かうという前日になっても、そんな状態は続いていた。
「明日は、いよいよシャルロットとアヴニールの学園入学の日だ。
学園は全寮制、次に邸に帰って来るのは夏季休暇になってからとなるな。」
「二人が邸から居なくなったら寂しくなるわね。」
父上と母上が僕と姉様に声を掛けてくれた。
僕と姉様が暫く邸を離れるとあって、いつもより少し豪勢なディナーを頂きつつ、姉様の方をチラッと見る。
いつも通りの美しく、たおやかな姉様が微笑んでいらっしゃる。
うわ女神か。
そんな姉様が学園に入った途端に悪役令嬢の本領発揮…となれば、もう悪霊が取り憑いたとしか思えまい。
とゆーか今までの経緯からすると、悪役令嬢は僕が化けた姉様って方が合点がいく。
でも、今後僕が姉様に化ける予定は無いから、学園に悪役令嬢シャルロットは現れないかも知れないけど。
悪役令嬢にイジメられる健気なヒロインを演じたいならば、アカネちゃんがどう出るかだよな。
「くれぐれも、くれぐれも!
問題を起こしたりさせないように頼むぞ!」
父上が目線で僕を指し示しながら、壁を背に立つルイに切実な面持ちで訴えている。
「アヴニールが暴走しないように見張っていてくれ」と念を押しているようだ。
「善処致します。」
父上に気圧され、ルイが少し困った表情をした。
魔王様を困らせるって父上よ…。
姉様の侍女のマルタと僕の従者のルイは学園には来るが、学園関係者でない二人は学舎には入れない。
基本、従者達は主の居る寮内が仕事場となるが、学舎以外なら町の様に広い学園の敷地内を自由に出歩く事も可能だ。
だから学舎内はルイの監視が無くフリーダム。
いや、だからって暴れるとかしないけど。
「お父様ったら……
アヴニールは賢く優しい良い子ですわよ。
これまで、アヴニールが何か問題を起こした事がありまして?」
姉様がクスクスと笑いながら鈴が鳴る様な美声で父上に訊ねる。
父上とルイは顔を見合わせ言葉を詰まらせたが、その表情だけは姉様の質問に大きく「ああ、問題ばかり起こしてる」と肯定の意思を表していた。
全く持って失礼な。
僕が率先して問題ばかり起こしてる的な、その表情。
僕が起こしたワケじゃない、僕はいつも巻き込まれる側なんだから!
姉様が平穏な学園生活を送れるならば、僕は何もしないし大人しくしているよ。
「同じ学園の敷地内の寮に入るとは言え、シャルロットとアヴニールの寮は離れた場所にある。
学舎の外で頻繁に顔を合わすのは難しいかも知れない。」
ひとつの町の様に広い敷地を持つ学園は校舎を囲む様に学生や職員の寮が多数あるが、男女が別なのは当然、貴族階級によっても建物が違う。
日本に居た頃の学生寮の様な狭めのワンルームマンションみたいな寮もあり、従者を連れて来れない貴族階級の低い者などはそこに入っているが、上位貴族の者は従者や侍女を1人だけ連れて来る事を許されており、あてがわれる部屋も広い。
豪華な造りのこの寮には、伯爵家以上の者が入れる仕様となっている。
て事は姉様が入る寮には、アホンダラ伯爵の所の小娘も入って来るワケだ。
マルタは侍女だが、姉様の1番近くに居る者として多少の武術の心得がある。
それでもやはり護衛と呼べる程の腕はなく、姉様と同じ寮にて生活を共にするアホンダラ伯爵令嬢の存在は軽視出来ない。
まぁ、アチラさんも学園の中で無茶はしないだろうけど…。
「姉様に何かあれば、僕が飛んで行きますよ。
比喩ではなく、実際に。」
うん、ビュンっと空を飛んでね。
魔法学園なんだから目立つ事は無いだろう。
ニコラウスだって飛べるし。
「アヴニール様、学園の敷地内では飛行魔法の使用を禁止されております。」
ルイがコソッと僕に耳打ちした。
そうなんだ?
見られてマズイならステルス使って姿消して飛ぶけど?
え?ダメ?
まぁーでも…学園でイジメに遭うのはヒロインであって、悪役令嬢の姉様は本来はイジメる側だ。
ゲームや前世では、アホンダラ伯爵令嬢の存在なんて知らなかったし、姉様と対立関係にある令嬢とか知らなかったしな。
僕が気付かなかっただけなのか、僕って存在のせいで色々と変わってきているのか。
……本来のコチラの世界にはない、僕の存在か……
「そうだ、シャルロット、アヴニール。
クリストファー殿下からの言伝てで、明日の入学式典前に生徒役員室に来る様にとの事だ。」
父上がテーブルの上にメッセージカードの様な物を置いて言った。
僕はそれを、あからさまに嫌そうな表情をして見下ろした。「うへぇ」って表情で。
見たくないし、触りたくない。
攻略対象者どもを寄せ集めた生徒役員会。
悪役令嬢の姉様も、ヒロインも所属していた。
同じ部屋に一同に揃うから、ゲームの時はステータス確認や比較がし易かったんだよな。
前回のヒロインの時は、互いを牽制し合うバッチバチの空気漂う生徒役員室なんて、針のむしろみたいな感覚だったけど。
「でしたら、アヴニール。
明日の朝、生徒役員室に一緒に行きましょうね。」
カードを開いて中を確認した姉様が、僕に微笑み掛けた。天使か。
「はい!姉様!ご一緒致します!」
うはー姉様と朝からデート!
向かう先が変態どもの魔窟でも、女神とお手て繋いで行けるならばメンタルにバフが掛かるしね!
ルンルン気分だよ!
「………手を繋いで行くつもりなのか。」
僕の思考を読んだルイの小さな小さな呟きが、僕の耳をチクチク刺す様な声音で聞こえた。
今ここで、まさかの嫉妬?ルイが姉様に?
姉様に嫉妬?……おいおい……ナニしてんだよ
僕。
ルイが姉様に嫉妬してくれたのを、少しばかり嬉しいと思ってしまうなんてさ……。
夕飯が済み、自室に帰って明日の準備をする。
と言っても、大きな荷物の殆どは邸の使用人達が前もって寮に運び入れてある。
だから準備と言っても、いわゆる心の準備ってヤツ?
僕は、暫くお別れとなる自室の机で頬杖をつき、背後に立つルイに話し掛けた。
「明日……学園の門をくぐった瞬間から、僕が以前に乙女として経験した世界が始まる。
正直なトコ、少し怖いんだよね。」
9年間、アヴニールとして過ごして来た世界が、ゲームのスタート地点でリセットされた様にガラリと変わるかも知れない。
もしかしたらイレギュラーな僕の存在自体が不必要な物……バグとして、その瞬間に消えて無くなるかも知れない。
そうなったら僕の魂は何処へ行くのだろう。
元の世界……?
「存在自体が消えて無くなる…とは、始めから存在しなかった事になるという意味……か?それは……」
僕の思考から単語を読み取ったルイが、言葉を探しながらも上手く選べずに声を詰まらせた。
僕の存在自体が消されたら、ルイの中の僕の記憶も不必要な情報として消え失せるかも知れない。
この現実にしか思えない世界の全てが、本当にゲームの世界であるならば…だけど。
「可能性の話しだから、必ずそうなると限らないんだけどね……
僕が知る明日からの世界には、アヴニールなんて存在は無いんだよ。
だから…排除されて消えてしまうかも知れないなぁって。」
存在を知らなかっただけで実在していたモブとは違う。
悪役令嬢のシャルロットはひとりっ子で、弟が居る設定は無かった。
「そうなると私も再び勇者に倒される魔王として眠りにつく…という事になるのか。
お前の事を忘れて…?」
ルイのピジョンブラッドのような紅い瞳がユラッと炎の様に揺らいだ。
苛立ちなのか、不安なのか、悲しみなのか、分からない。
「忘れてとゆーか…始めから知らなかった事になるとゆーか…
そうかも知れないってだけで、普通に今日の続きの明日を迎えるかも知れないしさ。
あんまり深刻には悩みたくないんだよね。
拍子抜けしたら恥ずかしいとゆーか…。
まー明日にならないと何とも。」
悲恋物語の今生の別れみたいに悲劇を嘆いて、何事もなくフツーに明日の入学式を迎えたら………
………恥ずかしくて軽く死ねる。
「明日にならないと分からない。
明日になってお前の懸念が実際に起これば、私はお前を失った事にも気付かず嘆く事すら出来ないのだろう。」
いやぁ…いやぁ〜……お前を失ったって言い方なぁ……
ベタに嬉しいんだけど照れ臭過ぎて、素直に喜べない。
そして、どこか……僕自身の消失について、ルイほど深刻になれない自分が居る。
「嘆くって。
悲しまないで済むのだから、いいんじゃないの。」
「前々から思ってはいたが、お前は自分をぞんざいに扱う事が多々ある。
それはお前が命を危ぶむ事の無い、並ならぬ力の持ち主ゆえの慢心からだと思っていたが…」
そうでは無いのだな、とルイの視線が告げる。
僕自身、この世界での自分の存在が良く分からない。
現実にしか思えない世界だけど、やはりゲームであって、長い夢を見ていた様に元の自分として目覚めるんじゃないかとか…。
「消えるって、死ぬ…ワケじゃないし…」
ルイが自身の目を片手で覆いながら大きな溜め息を吐いた。
呆れて、と言うよりは一呼吸ついて自身を落ち着かせる様に。
「自分の存在が消失するかも知れない事に、たいした感傷もわかないお前が、私と共に明日起こり得るかも知れない悲しい未来を嘆いたりする事の方が恥ずかしいとか言う。
お前はやはり、アホなんだな。」
「………ハァ?」
さっきまで、悲壮感溢れた表情していたクセに…。
何で、僕は今ルイにケンカ売られてるんだ。




