12話◆逢えない女神より、目の前の美しい生き神。
「エクストラヒールだと!?
女神の起こした奇跡の伝承の中で、女神だけが使えたと言う…!」
シェンカー大司教様の身体を金粉の様な光の粒子が包んでいく。
この魔法は伝説や伝承といった物語の中にしか登場する事が無い。
女神を妄信する聖職者の間では神が降臨した際の御業として伝えられているが、世間での認識は「あったらいいな~」的な希望から生まれた架空魔法だ。
生きてさえいれば、失った肉体の部位さえ元に戻る魔法なんて、この世には存在しないと誰もが思っている。
僕が居なかったら確かに無いよ。僕しか使えないもん!
シェンカー大司教様の裂けた眼球や皮膚、捩じ切れそうだった腕も元に戻っていく。
ただ、身に纏う衣装だけは元のダメージの凄惨さを物語り、裂けた上に大量の血が滲んだままだ。
「う…ぅん…」「くっ…」
ヤベエ、リュースとニコラウスのスタン状態が回復しそうだ。
意識を取り戻しそう。
「睡眠魔法、羊の唄!寝てろ!」
「グゥ……」「すぅ……」
僕はリュースとニコラウスを速攻で強引に眠らせた。
僕の存在をまだ知られたく無いんだよ。
来年、学園に行ったら嫌でも会うんだから。
「…………君は……いや、声からしてまさかとは思っていたが……
やはり子どもか…しかも小さいな。」
失った眼球が完治し視力を取り戻したシェンカー大司教様は、黒装束に身を包んだ僕をマジマジと見つめる。
シェンカー大司教様、さりげに失礼な言い方をしているよね。
命の恩人に対して。
「私はこう見えて大人なのでありますが……
それはこの際、どうでも良い。私は貴方を完治させた。
約束通り、この研究所を使用する許可を頂きたい。」
シェンカー大司教様は、リュースのお父さんで…歳は30代半ばだったっけ。
中々に色気がある美形なんだけど…………
こら、美形。あまり僕を見つめるんじゃない。
30代半ばは、中身が25歳の僕の前前世のストライクゾーンに入ってるから。
「この世にエクストラヒールを唱えられる者が居て、その神の御業を我が身で受けられようとは……。
奇跡だ。何と素晴らしい事か…。」
シェンカー大司教様の両腕が僕に向け、のびる。
突然の事で、無防備だった僕はシェンカー大司教様の両腕の中に囚われてしまった。
「ああ、あなたを愛している。
あなたはきっと、女神ヴィヴィリーニア様なのでしょう。」
「ちっ!違うからっ!離してっ!僕、女神とは仲悪いし!
女神様は僕を腐れビッチって言って突き放したからね!!」
強く抱き締めながら頬を擦り寄せ、顔を隠す様に覆う布の上から頬に唇を当てようとしてくる。
敬愛のキス?親愛のキス?
いや神だと思ってんなら、普通は手の甲にするんじゃないの!?
尊敬とか崇拝のキスって!!良く分からんけど!!!
心臓に悪い!!
「私の命を救って下さった女神に、私の愛を捧げます。どうか…」
どうか?どうか何だよ!怖いんだけど!!
いい大人が、しかも聖職者が小さな少年にコレはいかんだろう!?
いや僕、自分を大人って言ったけどね?少年じゃなきゃいいんだろとか!?
でも絵ヅラ的にはこんなん絶対にアウトだろ!?
「いい加減にして下さいよっっ!!
僕は女神とは無関係なんだから!!」
パニックに陥りかけた僕はシェンカー大司教様と僕との間に空気のクッションを発生させ、ボフッと跳ね返す様に強引に身体を引き離した。
少し離れた場所でシェンカー大司教様が尻もちをつく。
「僕は女神を妄信したりしてないし、むしろ好きではありません。だから、貴方の味方ではないし貴方が思うほど決して良い人ではない。
僕は研究所を使いたいから、貴方を治した。それだけなんで。
女神の化身だとか、そちら側の者だと思われるのはかなり迷惑です。」
また抱き着かれないように距離を取り、冷たくビジネスライクに言い放つ。
シェンカー大司教は少し冷静さを取り戻したようで、乱れた前髪を掻き上げた。
妙な色気があって、それがまたイラっとする。
「……そうか、すまなかった……もう無理は言わない。
だから機嫌を直してくれないか?
君に嫌われしまっては…その…私が…つらい。」
本当に分かってんのか?
この感じ、逃げられる位ならば上手くなだめて言いくるめて、何とか側に置いときたいみたいな…。
まぁ、僕としては研究所さえ使わせて貰えば良いワケだし…いいんだけど。
でも警戒心バリバリになった僕はシェンカー大司教様から距離を置いたまま近寄れない。
「では、君の望みを叶える為に、改めて君の名前を聞こうか。」
は?いきなり名前?
少年みたいな小さな大人Aじゃ駄目?
「この研究所を使用するには、私の許可が必要だとは理解しているのだろう?
私の許可を得るには、その者の素性を私の頭にインプットする必要がある。
この国の民であり、戸籍が明確である者。
本人確認が為された上で、私の許可を受けて初めて研究所への立ち入りが可能となる。」
何だそのシステム。
シェンカー大司教様の脳ミソがコンピューター的なモンですか?
生体認証キー?ワケ分からん。
戸籍で本人確認て………偽名じゃ駄目って事?
つか、素性バラさなきゃ駄目なの?面倒だなー。
もう勝手に入り込んで勝手に使うかな。
「…やましい事は何も無いんだけど…家族に知られるのは困るんで……。」
「研究所の存在自体が本来、誰にも話してはいけない極秘情報だ。
君がなぜ知っていたかなど今更問う気は無い。
だから、君の家族に君がここに来た事を話す事も無い。」
そうは言われても、素性を晒すのには躊躇してしまう。
目立ちたくないし……女神を妄信しているシェンカー大司教様に僕の素性がバレるのはリスクが大きい気がするんだけど。
「ちなみに、私の許可が無ければ施設内には入れても機材を動かす事は出来ないよ。」
うっ!!考えてる事がバレてるしてるし……
シェンカー大司教様は、ニッコリ微笑んでくれているけれど…
何だかその笑顔が、腹黒い笑顔に見えてきた。
「分かりました、シェンカー大司教様にだけは僕の素性をお伝えしましょう。
ですが、そちらで寝ている息子さん達には僕が此処に現れた事も内緒にして下さい。」
僕は黒装束の頭を覆う部分を捲り、顔を出した。
黒い前髪がハラリと前に落ち、シエルブルーの瞳が現れる。
「僕の名はアヴニール・ローズウッド……。
ローズウッド侯爵家の者です。」
「アヴニール君!君が!あの、噂の!!」
………予想外の反応だった。
ローズウッド侯爵家は上級貴族で姉上が次期王妃と言われているから有名だし、そこの嫡男ともなれば驚くだろうとは思っていたけれど…
「あの噂?……とは、どの噂ですか。」
「ああ…何でも、クリストファー王太子殿下は君の為に学園に中等部を作ったとか…。
何でも王城には、君の間があるそうだよ。」
どんな噂かと聞かずにはいられなかったけど、聞くんじゃなかった。何だ僕の間って。
「壁一面が君の姿絵で覆われているそうだ。」
本当に聞くんじゃなかったよ!!
「では、改めて……君にこの場を使用する権利を与えよう。
ああ、先に言っておくが額への接吻が必須だから、これは我慢して貰うよ?さあ、目を閉じなさい。」
マジで?うわぁ……
今、目を閉じた僕の前でシェンカー大司教様がゴニョゴニョと何らかの呪文を唱えている。
さっきの説明のせいで、認証の為に全身スキャンされているような変な気分だ。
やがて、ヒタリとシェンカー大司教様の唇が額に当てられた。
………………長くない!?
これ、よく考えたらレッサーキマイラ盗んだオッサンにもやったの?勇気あるね!!
いや、絶対違うわ僕仕様だろ!!
あ、でも本当だったら中断させるワケには………
「もう終わったでしょ!!額へのキスは聞いてましたけど、耳に唇が触れるのは聞いてません!!」
僕は再びエアクッション魔法でシェンカー大司教様を弾き飛ばした。
真っ赤な顔で耳を押さえてハァハァとシェンカー大司教様を睨む。
クリストファー王太子殿下のベタベタぶりも大概だけど……
この人は大人な分、タチが悪い。唇の触れ方もイヤらしい!
「ああ、すまない…君の甘い香りに誘われつい…。」
ついじゃねぇよ!あんた、そういう趣味の者か?
美少年好き?息子とその友人襲ったりしないだろうな!
僕は思わず寝ている二人に目線を送る。
「アヴニール君、私は君の思う様な趣味は無いよ?
君は……特別なんだよ。理由は私にも分からないが。」
「………まぁこれで……研究所を使えるんですね?…でも今夜は無理かな。寝ている二人と……オッサンいるし。
イワン、連れて来て。」
階段の方から、手足を細い針金の様な物で縛られ気絶したオッサンがビュンと飛んで来てシェンカー大司教様の前にゴロリと投げ出された。
「これは……」
「捕まえましたよ。話し聞かなきゃならないでしょ?
あの二人もじきに目を覚まします。僕は今日は帰るんで。
明日以降に来ます。
くれぐれも今夜ここで僕に会った事は内緒に。」
僕は階段の方に向かい、そのまま歩いて地下を出た。
研究所は使えるようになったけど、色々と釈然としないとゆーか…
「誰にも知られず、地味に生きていきたかったのに…エクストラヒールは見られるわ、身バレするわ………。
シェンカー大司教様は、攻略対象でも何でも無いじゃん!何でベタベタするんだよ!!何だかモヤモヤするぅ!!」
僕はマイソードを造れなかった事もあり、何だかイラッモヤッとするので、早々に帰宅して寝る事にした。
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「ち、父上!!そのお怪我は!?」
「大司教様!!た、大変だ、リュース!早くヒールを!」
大聖堂の地下研究所の入り口付近では、アヴニールが立ち去った後に目を覚ましたリュースとニコラウスがシェンカー大司教の大きく裂かれた血みどろの法衣を見て大混乱を起こしていた。
「まぁ、落ち着きなさい。」
「落ち着いていられませんよ!!この、焦げたレッサーキマイラの死体、死闘を繰り広げたんですよね!」
確かに間違いではないのだが、どう説明したものかとシェンカー大司教が困り顔をするが、アヴニールの事を思い出し、思わず笑みを零す。
「……父上、笑い事では……」
「いや、すまん。実は先ほど女神のごとき神が顕現なされてな……
死の淵にあった我が身を救って頂いたのだ。」
「そんな馬鹿な事を……」
リュースは司祭であり、信心深い信徒ではあるが、女神の様な高位の存在が現世に顕現するなど信じてはいない。
リュースとニコラウスは確認するかの様にシェンカー大司教に近付き、衣装の凄惨な様子や身体の具合を確かめていく。
「父上、右側の袖が肩から酷い事に……」
「ああ、腕は取れかけていた。他にも……まぁ、奥ゆかしい御方だったので、あまり語るのは………」
ニコラウスがシェンカー大司教の法衣の端を摘んだまま硬直している。ゆっくり顔を上げ、口を開いた。
「この香り…イワンですね…?イワンがいた!イワンは何処です!?」
「ニコラウス、イワンって君が深淵のへさきの洞窟で会った少年…?レッサーキマイラを容易く倒したという。」
ニコラウスはリュースの質問には答えず、シェンカー大司教を問い詰めようとする。
シェンカー大司教は二人の会話から、簡単に手に入れる事の出来ない素材が早々に補充されていた経緯を理解した。
━━アヴニール君…君はなんて素晴らしい才能の持ち主なんだ!
レッサーキマイラを容易く倒した上にエクストラヒールまで使いこなす。
その上……君は美しい!…私は、君に恋をしそうだよ!━━




