冬狼の怒り
突如吹き荒れる寒風。
大通りには通行人もいた。
巻き込まれて転倒する奴もいる。
近くにあった店の棚が倒れて売り物の果実が転がる。
これが、冬狼。
目の前に迫る牙に俺は内心悲鳴を上げた。
くそ、早く、対処しないと……
だが体はまだ飛びのいたまま宙にあった。
つまりどこにも足がかりがない。避ける方法がない!
じれったいほどゆっくりと流れる時間の中で、ついに冬狼の牙が俺の喉をえぐった。
と思った。
パン!
その破裂音はすぐそばで聞こえた。
というか頭に直接鳴ったと思う。
がくんと視界がブレて、全身に痛みが走った。
「な……」
うめきながら地面に手をつく。
顔を上げると、いつの間にか地面に倒れていたらしい。
何か無理矢理な力で地面に引き倒されたのか。
シエルの声。
「感謝しなさいよね」
さっきの位置からそう離れてはいない。
視線をめぐらすとシエルが冬狼と向かい合っているのが見える。
ということはさっきはシエルが魔法で助けてくれたようだ。
舌打ちしながら立ち上がる。
「くそ、いってえ……」
「大丈夫でしょ。不死なんだから」
「……じゃあそもそも必要ない手順じゃねえか」
言いながら俺はゆっくりと短剣を抜いた。
冬狼はさらにうなり声を大きくした。
「……どういうことなんだ? あれも冬狼?」
「の、子供ね」
「じゃああれが依頼の?」
「多分」
「くっそ、記載漏れかよ」
悪態をつきながらじりじりと間合いを計る。
シエルも杖を構えて呪文を唱え始めた。
さっと周囲に視線をめぐらす。
人通りはそこまで多くなかったので被害は大きくない。
だが転倒したせいで逃げ遅れた奴もいる。
冬狼が噂通りの凶暴性で暴れれば大怪我をする奴も出るかもしれない。
あるいはもっと悪いことが起きる可能性も……
「早めに仕留めるわよ」
言うが早いかシエルが俺の背中を蹴った。
「は……?」
不意の一撃に俺はよろめく。
冬狼はその隙を逃さない。
再び俺めがけて地面を蹴った。
牙の一撃は何とか短剣で受け止めた。
突進の勢いを受け流し、誰もいない方へと冬狼の体をいなす。
同時にシエルの魔法が完成したようだった。
杖の先に光がともり、収束するや否や一気に数条の熱線となって冬狼に殺到した。
「よし……!」
快哉の声が口から漏れかける。
体勢を崩している冬狼には避けようがない。
仕留めた。
そう確信した時だった。
小柄な影が熱線と冬狼との間に割り込んだ。
「チッ……」
シエルの舌打ち。
同時に熱線の軌道が複雑に折れて影をかわし、すべて空へと飛び去って消える。
魔法が起こした生ぬるい風が、遅れてあたりの空気を揺らした。
「っ……!」
冬狼をかばった少女は、両手を広げたまま俺たちの前に立ちふさがっていた。
引きつった恐怖の顔。
緊張のあまりしゃっくりのような呼吸をしている。
「どきなさい」
シエルが低い声で言う。
「やだ」
フラウの声は上ずっていた。
だが迷いなく答えた。
「だって、シャルーちゃんは、フラウの友達だから。友達は、助けないと、だから」
「一回目は外してあげたけど二回目はないわよ。あなたごと吹き飛ばす。さっさとどきなさい」
「やだ! ぜったいやだ!」
フラウが駄々っ子のように首を振る。
涙をこぼしながらわめき散らす。
「シャルーちゃんははじめてできた友達なの! 友達がいじめられるなんてやだ! フラウが守る! ぜったい守る!!」
「あなたねえ……」
シエルがあからさまに苛立っているのがわかる。
本当にそのままフラウごと燃えカスにしてしまうんじゃないかと不安になった。
が、同時に頭のどこかで、聞き分けの悪い妹に怒る姉のようだとも思う。
あるいは娘を叱る母親か。
「わがまま言ってないでさっさとどきなさい。あなたがかばってるのは冬狼っていう猛獣だって、なんでわからないの!」
「ちがうよ、シャルーちゃんだよぅ!」
とうとうわっと声を上げて泣き出した。
もう意味のある言葉は聞き取れない。
へたり込むフラウを見ながら俺はため息をついた。
「逃げられたな」
「……ええ」
フラウの向こうには、もう冬狼の姿はなかった。