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酒場の荒事

 源蔵じいちゃんは武術家だった。

 かなりの使い手だったが厳格、というかそれを通り越して偏屈だった。

 誰かに教えるのは好まなかったし、実際下手だった。

 しかも俺のことは大嫌いだった。


 だがどういうわけか俺に教えることだけは好きだった。

 呑み込みがいい、と言った。

 吐き捨てるように言うので本気か冗談かわかりにくかったが、冗談を言うような人柄ではないので消去法で本気だった。


 ある時俺は訊ねた。

 なんで俺に教えるの? 俺のこと嫌いなのに。


 道着の帯を締めながらじいちゃんは答えた。

 好きとか嫌いとかは意味がない。

 これは伝承だ。

 武の技が伝わりたがっている、だから教えるんだと。神棚に礼をしながらそう締めくくった。

 よくわからなかった。


 そんな謎なじいちゃんだったが、とりあえずこういう場面ではその気まぐれに感謝せざるを得ない。


 俺は酒場を見回して、それから足元の大男を見下ろした。

 完全に気絶しきっている。


 俺はそれほど大層なことはしなかった。

 相手の拳を避けざまにつかんだビールを顔に引っ掛け、ひるんだみぞおちに肘打ち一発、体勢を崩したところを足を引っかけて転ばせてさらにみぞおちをひと踏み。

 たかだかその程度だ。


 じいちゃんならこの半分の手順で終わらせてただろうな。

 そんなことすら思う。


「出口塞げ! 絶対逃がすな!」


 椅子やテーブルを蹴立てて男たちが動く。

 一番でかい奴を倒したんだからビビってくれるかと思ったがそうはいかないらしい。

 戸口を塞いだのが一人、俺の前側に二人、後ろ側から一人。


 気が高ぶっているのを自覚する。

 冷静でいるつもりでも、人の感覚は簡単に緊張して暴走する。

 だから息を下に沈めろ、とじいちゃんは言った。足裏に意識を下ろせと。

 体得しにくい感覚だが一度わかれば確かに重心は足の根にしずんで精神状態は安定する。


「ガキィ……後悔が、なんだって?」


 前にいる男がうなるように言った。


「後悔するのはお前だよ。この人数差で勝てると思うなよ」

「後悔ならもうしてる」


 少し考えてから付け足す。


「勝てるとも思ってない」

「なら死ねやぁっ!」


 床を激しく蹴る音。拳を腰だめに、男が飛び出してくる。

 俺はそれをすれ違うようにかわしてその後頭部に手刀を飛ばす。


 手ごたえは浅いがそれでいい。

 わずかに進む方向を変えられたその男は、俺の後方にいた男にぶつかった。

 もつれてテーブルごと派手に転ぶ気配を背後に、俺はさらに前に出る。


「くっ!」


 前を塞ぐ残りの一人が腕を広げる。

 俺を捕まえてわずかでも時間を稼ぐつもりだろう。

 が、俺はほんの少しだけ進路を右にずらして相手の左手に拳を打ち込んだ。

 ぽきりという感触と共に指が折れ、男の勢いが落ちて、すかさず俺は体当たりでその体を押し飛ばす。


 そこでわずかに俺も体勢を崩した。

 なんとか踏みとどまって顔を上げたが……


 出口を塞ぐ最後の男が懐から何かを出した。

 ナイフだ。

 小さいが、一瞬隙を与えたせいで相手に一つ武器を与えてしまった。


 舌打ちして、前進を再開する。

 相手の目は震えている。

 俺の手際はもう嫌というほど見せたのだからナイフというアドバンテージがあってもビビってる。

 なら行ける。


 俺は確信し――結局その油断があだになった。


 一瞬何が起こったのかわからなかった。

 視界が揺れた、と思った。

 そしてゆっくりと床が近づいてくる。倒れる。

 

 視野の隅に落ちて壊れる椅子。

 ……椅子?


「この! ガキが! クソが!」


 いつの間にかめちゃくちゃに蹴りまわされていた。

 あと踏みつけ。痛い。


 その痛みの中で徐々に悟る。

 投げられた椅子を後頭部に食らって転倒した。

 それだけのことだ。

 たったそれだけで逆転されてしまった。


 絶え間ない打撃に胃液が逆流して口からこぼれる。

 骨が折れ砕ける音がする。

 内臓がひしゃげて破裂する感触が――


「チィッ、ガキがよ!」


 ガン! と頭を踏まれる。


「もうあったまきた。こいつこのまま殺っちまおうぜ。金なんかどうでもいい。かっさばいてやんねえと気が済まねえ」


 殺す、か。

 はは、ついにきた。

 この世界では二回目の死だ。

 もう慣れた、と言いたいが、気持ちに反して芯から凍える寒気がやってくる。

 そうか、死ぬんだな。


 でもそもそも、と頭のどこかで違和感がささやく。

 なんでこんだけされてまだ死んでないんだろう。

 致死量以上の暴力はとっくに受けたような気がするのに。

 胃液を吐ききって体が一回り縮んだ感じすらするのに。


「ナイフ貸せ。切り刻んで犬の餌に下ろしてやる」

「いやそれはさすがに……」


 声が遠ざかる。意識の糸が頼りなく揺れる。

 どうやら殺される前に死ぬみたいだ。


 あいまいにぼやける視界。

 その中に浮かぶのは、意外にも妹でもじいちゃんでもなくて、シエルだった。


 あいつ、いらない世話焼きやがったけど、悪い奴じゃなさそうだったな。

 いい人じゃないのにいい人なふりをしていたこいつらと比べたら遥かにマシだった。

 もう会うこともないだろうけど。

 少し残念に思った。


「盛り上がってるとこ悪いけど」


 その時、酒場に似つかわしくない凛とした声が聞こえた。


「その人を返してもらうわよ」


 聞き覚えのある声。

 絶対ここに来るはずのない声。

 俺は目を開いた。


「っ……!」


 声にならない悲鳴を上げて、男の一人が壁にぶち当たる。

 光がひらめいて、同じくもう一人。

 そしてもう一人。


「魔法……」


 誰かが呟いた。

 爆音が響いて、そいつも壁にたたきつけられ沈黙した。


 ふらふらと持ち上げた俺の視界、酒場の戸口。

 そこに大きな杖を持った、ローブ姿の少女がいた。


「シエ、ル……」

「久しぶりね。無様だこと」


 口調はあくまで冷ややかだった。

 それでも彼女は来た。


「頼んで、ないぞ……」

「あら、やっぱり余計なお世話なんて言うつもり?」


 俺に近寄り、かがみこみながらシエルは言う。


「でもそれを言うならあなたの方が先よね」

「は……?」

「わたしだって助けてくれなんて頼んでない。あなたのお節介なんてなくたってあんな触手くらい避けられたわ」


 何のことか一瞬本気でわからなかったが、ふと思い至る。

 あのドーム天井の施設でドラゴンに襲われた時のことを言っているんだろう。


「じゃあ行きましょうか。宿まではちょっと距離があるからさっさと立って歩いてね」


 杖を振り上げ、その先から放たれた光でまた一人、男を吹き飛ばしながらシエルは言う。

 そんな無茶なと思ったが、動かしてみると俺の体は意外とすんなり立ち上がってくれた。


「……?」

「こっちこっち」


 戸口の外からシエルが呼ぶ。

 俺は追って外に出る。

 振り返ると、泡を吹いて倒れている数人の男と唖然とした顔のその他大勢が目に入った。

 もう誰も追ってくる気はないようだった。


 夜道を歩きながらシエルは何ごとかを唱え、杖の先から明かりを生んだ。

 光明に手をかざして、俺は首を傾げた。

 あれほど手荒にやられたのに傷一つない。


「なんなんだ一体……」

「蘇生禁術の副作用でしょうね。不死化といったところかしら。死者を生き返らせるほどの蘇生力が傷を無尽蔵に癒してしまう」

「不死化だって……?」

「まあそんなことはどうでもいいとして」


 ……よくないぞ。


「あなた、あんな無茶までして帰りたい理由って何なのよ」

「聞いてどうするんだよ」

「気になるもの。っていうかそれが知りたくて来たんだもの」


 そんな理由で……

 俺は呆れた。呆れに呆れた。

 あまりに呆れたんで、うっかり口を滑らせた。


「妹とじいちゃんのな、命日が近いんだ。こっちはどうだか知らないけど、あっちには死者が亡くなった日に毎年その人を悼む風習があって。俺は葬式には出られなかったから……」

「ふうん……」


 シエルが顔を上げた。

 その目は星を見ているのかもしれなかったし、あるいは単につまらないことを聞いたというリアクションだったのかもしれない。

 どっちかはわからなかったが、とにかく彼女は言った。


「宿に着いたわ。今日は休みましょ」


 建物に入る前に俺は振り返った。

 夜の底に沈む街。静かな通り。冷たい空気。

 月と星に照らされた異世界がそこにうずくまっている。

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