余計なお世話
騒動の一夜が明けた。
俺がわけのわからない施設?に来た夜、ドラゴン?の触手?に刺された夜、見知らぬ少女?に助けられた夜だ。
クエスチョンマークばかりの何から何まで意味不明な夜だった。
意味不明といえばそもそも学校にいたときは昼だったのに、こっちはなぜか夜だった。
一体どうなってる?
「マジでわっけわかんねえ……」
かぶりを振ってうめいていると、まだ少し薄暗い中で先を行く少女がこちらを振り向いた。
「いいから歩きなさい。遅れてるわよ」
「……」
わけがわからないといえばまだある。
俺は背負った巨大な鞄の重さに歯を食いしばりながら足を踏み出した。
「なあ、いくつか訊きたいんだが……」
「気が乗らないわね」
「いやまずこの荷物は何なんだよ」
「わたしの旅の道具よ」
……そういうことじゃなくてなんで俺が運ばなくちゃならないのかって話だが。
少女に連れられあの壊れたドーム天井の建物から出てから数時間が経っていた。
その間俺はその旅の道具とやらを担いで平原を行く道をずうっと歩き通しだ。
こっちの表情から察して彼女が言い足す。
「わたしがそんな重いもの運べると思う?」
言ってローブから出した両腕は、極端に華奢ということもないが確かに頼りない。
目深にかぶったフードからのぞく冷え冷えとした碧眼が言っている。
あなたまさかこの細腕に無理しろなんて言わないわよね?
俺は内心歯ぎしりしながら質問を変えた。
「じゃあせめてここがどこかとお前の名前を教えろ」
「言ってなかった? モント村とグノーサ市をつなぐ街道よ。わたしはシエル・ベゼ。冒険者ギルドの依頼で村にいたの。よろしくね」
さらっと言うが、聞かれなければずっと言わなかったんじゃないかと思う。
面倒くさいことを嫌う、そんな気配がある。
少女――シエルは歩きづめで暑くなったのか、フードを下ろして軽く頭を振った。
肩までの短めの金髪がさらりと控えめに輝く。
いつの間にか朝日が顔を出していた。
「ついでに言うとさっき出てきた儀式場、あれがある方がモント村。今向かってるのがグノーサ市ね。質問はもう受け付けないわよ」
「帰りたい。どうすれば帰れる?」
シエルは俺の顔をじっと見た。
「質問はもう受け付けないって言ったけど?」
「いいだろあと一つくらい。こんなに重いんだぞ」
「それについてはかなり知ったこっちゃないけどね」
それでもシエルは一応気にしたようだった。
「っていうかどうすれば帰れるってなによ。あなたモント村の人じゃないの?」
「日本って知ってるか? 東京って」
変な聞き方になったのには理由がある。
俺がここまでで見聞きしたものは多くないが、何となく察するものがあったのだ。
案の定シエルは怪訝な顔をした。
「にほん? とうきょう?」
「ほらきた」
俺は荷物の重さも忘れて額に手を当てた。
こういうことは古来からいろんな媒体で創作物で題材にされてきた。
ありふれているという意味ではめちゃくちゃ身近で、そのくせ実際に起こることなんて絶対ありえない、そんな題材だ。
というかそうじゃなきゃ困る絵空事だ。
異世界というのはそういうもんだった。
「まさか現実にあるなんて思わないだろ……なんであるんだよ」
「なんか頭抱えてるとこ悪いけど、まだ行程は半分以上あるの。急ぐわよ」
「待てって!」
慌てて追いすがる。
「なあ、聞いてくれ。俺はこの世界の人間じゃないんだ。別の世界から来たんだよ。何かの間違いでこうなった」
「はあ……?」
かなりうろんな感じの目でシエルが俺を見る。
「いや、本当なんだ! だから、どうしても元の世界に帰りたい。頼むよ。何とかしてくれ」
「何を言ってるかわからないけど……」
少し身を引くようにしながらシエルは言う。
「どのみち今は無理よ」
「なんで!」
「言ったでしょ。あなたの体は今蘇生禁術で何とか蘇った状態なの。しかも不完全に。二ヶ月も経てば効力が切れてまた死んじゃうわ。それを避けるには完全な形にした術で治癒しなおさないと」
「そんなの信じられるか」
「信じようが信じまいがどっちでもいいけど」
シエルは前に向き直って歩き出した。
「どのみち今は先を急がないとね。抜け出したことが教団に気づかれたらちょっと面倒くさいし。あなたもこのあたりの土地に明るくないならついてくる方がいいわよ」
と、そこで少し足を止める。
「そういえばあなた、名前は?」
「……高木カズキ」
「変な名前」
それだけ言って、再び歩き始めた。
◇◆◇
グノーサ市とやらに着いたのは、昼下がりを少し過ぎたころだった。
まず丘を越えたところで大きな城壁が見え、またしばらく歩いて城門にたどり着き、出てきた番兵の質問にシエルが一言二言答えた。
「シエル・ベゼ。冒険者ギルド」
併せて取り出した札のようなものを見て、番兵がうなずく。
それだけ終えるとシエルはさっさと門を通り抜けた。
荷物のチェックか何かがあると思っていた俺は慌ててその後を追う。
門を抜けた先は大きく開けた広場になっていて、たくさんの人が行きかっていた。
屋台のようなものもいくつか見えるし地面に広げた敷物の上に、何やら得体のしれないもの――占いにでも使いそうな水晶玉だが色がなんだかどす黒い――を並べた露店もある。
走ってくる子供たちに驚いて、鳩が空へと飛び立った。
空から降り注ぐ明るい光。
いい香りがする。
屋台で何か焼いているんだろうか。
シエルは人の波の間を縫って広場を抜け、入り組んだ通りに入った。
狭い道を選ぶように進んでいき、こじんまりとした建物の前で足を止める。
「ここよ」
何が。
訊ねる前にシエルは建物のドアノブに手をかけて開けた。
カランコロン……とベルが陰気な音を立てた。
「……いらっしゃい」
出てきた小さい老婆にまたあの札を見せ、金っぽいものを払ってシエルは階段の方へ足を向ける。
俺は、これ以上この脚に負担かけたら筋肉が断裂するんじゃないか、とか心配しながら後に続いた。
「さて」
たどり着いた狭苦しい部屋のベッドに腰かけシエルが息をつく。
「休むわ。出てって」
どうやら宿だったらしい。
まあそれはどうでもいいとして。
「いや待てよ」
思わずうめく。
話はこれからだろうが。
「そんなこと言っても疲れたもの。明日も仕事があるし休まないと持たないし」
「いやいやいや、俺は全然明日に行けるモードじゃねえんだよ」
荷物を乱暴に床に放りながら告げる。
「もう言ったけど、俺は異世界から来た人間だ。できればさっさと帰りたい。なんとかしてくれないか?」
「まだ言わないでおいてあげたけど、あなた正気じゃないわね?」
怪訝を通り越して憐みのこもった目でシエルが言う。
「蘇生過程で脳みそが損傷でもしたかしら」
「だから、本当なんだって。日本! 東京! 世田谷! 帰りたいのはそこなんだ!」
「ずいぶん具体性のある損傷ね」
「損傷してないって選択肢はねえのか!」
掴みかかりたい衝動にわななく手を抑えて何とか脇にあった椅子に腰を落ち着ける。
「とにかく頼むよ。できるだけ早く帰りたい。外せない用事があるんだ」
「……並行世界に関する議論は昔からあるにはあるけど」
顎に指をあててシエルは宙に視線をさまよわせる。
「二つの世界の間を行き来する方法なんて聞いたこともないわ。魔法でも無理」
「頼むよ、何とかしてくれよ」
「わたしとしてはやっぱり脳と記憶を損傷したと考えるのが妥当だと思うけどね。蘇生禁術を完成させるまではそのままかしら」
冷たく告げてシエルはしっしっと手を振った。
「とにかく出てって。わたしは明日までに体力を回復しないといけないの」
「断る。俺はすぐにでも帰らなきゃならないんだ」
「そんなに急いでどうするのよ。待ってる人もいないくせに」
「……は?」
「蘇生禁術の効果を待つ間にあなたの特性を解析する時間があった」
枕を手に取ってぽんぽんとしわを伸ばしながらシエル。
一言、言う。
「あなた、嫌われ者でしょ」
「……!」
自分の顔が引きつるのがわかった。
「誰にも好かれたことがない。誰にも相手されたことがない。違う?」
「……喧嘩売ってんのか?」
「当たりなのね。かわいそうな人」
シエルが枕を置く。
俺の胸に怒りが煮え立つ。
馬鹿にしやがって。
「まあとにかくあなたの話が本当で、元いた場所に帰りたいんだとしても、今は不完全な蘇生を完全にする方が先決よ。せっかくわたしが生き返らせてあげたんだからその恩に報いて些細な指示くらいにはしたがってほしいものね」
「頼んでない」
「え?」
俺の低いつぶやきにシエルの目がこちらを向く。
その瞳をめがけて目いっぱいの憎悪を注ぎ込む。
「助けてくれなんて頼んでない」
少しの間、沈黙が落ちた。
何かを言おうとしたシエルを制して俺は立ち上がる。
「お前の言う通り嫌われるだけの人生だ。生き返りたくなんてなかった。死んでた方がマシだった。なのに呼び戻しやがって。クソ女」
そのままドアを開けて外に出る。
最後にシエルの声が聞こえた。
「ならどうして帰りたいのよ」
「……」
俺は答えずにドアを閉ざした。