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一人じゃないということ

 俺たちにできたのは、結局のところシャルーを無事に逃がすことだけだった。

 本来なら捕まえなければならないところを役人と交渉して譲歩を引き出す、それだけ。


 守るといったところでこの程度だ。

 シャルーには嫌われただろうし、このあと彼(あるいは彼女)がどうなるかについては干渉しようがない。

 どうか元気でいてねと祈るくらいしかできることがなかった。


 それでも多分フラウは本気で祈るだろう。

 友達だったことをいつまでも忘れることもなく。

 だとしたらそれ以上に大切なことなんて他にないように俺には思えた。


「おはよー……」


 シャルー騒動から一夜明けて早朝。

 宿の戸口から出てきたフラウが言った。


 とても眠そうな顔。昨日の疲れがまだ取れていないせいだろう。

 それでもシエルと一緒のベッドで寝かせてもらって、少しは元気が出たようだ。

 シャルーとの別れの後、フラウはずっと押し黙ったままだったのだ。


「おう」


 俺は軽く手を上げて応じたが、すぐに作業に目を戻した。

 夜明け直後のこの空気感は、素早く描きとらないとすぐに霧散して取り逃がしてしまう。


「……なにやってるの?」


 フラウはさっそく興味を持ったようだ。

 近寄ってきて俺の手元を覗きこんだ。


「絵だよ。絵を描いてる」


 俺は下描き途中のキャンバスの表面を指先でたたいた。

 そこにあるのは朝の街の風景だ。

 宿の前からゆるく下っていく街路とその両側の建物が、まだあいまいながらも生地の上にその姿を現し始めている。


 画材やイーゼルは昨日のうちにギルドの店で買った。

 あまり期待はしてなかったが、意外にも冒険者の中に絵画趣味の奴が多いのかなんなのか、それなりに質のいいものが手に入った。


「なんで?」


 フラウが訊いてくる。

 俺は苦笑した。

 なんでときたか。難しい質問だ。


「さあな。武術とセットでじいちゃんに叩き込まれたから、描くときになんでとか考えたことはなかったよ。しいていえば、なんだろ。習慣?」

「ふーん? 楽しいの?」

「習慣って言っただろ。楽しいも何もない。でも描くと落ち着くから、まあ楽しいの側かもな」

「ふーん?」


 フラウにはやっぱりピンとこないらしく、しきりに首をかしげていた。

 獣人にはなじみのないものなのかもしれない。

 まあそれはともかく、確かにもう元気そうだ。


「絵はな、時間をかけて作り上げるものなんだ」


 俺は椅子代わりに尻の下に敷いた鞄を直しながら言った。


「描く対象に目で触れて、知って、輪郭をキャンバスに写し取る。それで終わりじゃない。色を塗って、重ねて、必要なら削り取って。そうやって不確かな感触を必死に探りながら描いていくんだ」


 ちらりとフラウの方を見る。

 興味がわかない話だろうと思っていたが、意外にも真剣な顔で聞き入っているようだった。


「……まあじいちゃんの受け売りだけどな」

「人となかよくなるやり方みたいだね」

「ん?」


 聞き返すと、フラウは大きな手振りをまじえて言った。


「その人となかよくなりたかったらまずよく見るの。それから言葉でさわるの。よく知って、いっしょにすごして、時間をかけながらときどきケンカもしてなかよくなるの」

「……」

「おとーさんがそう言ってた。おとーさんのウケウリ」


 言って、へへ、と恥ずかしそうに笑った。

 俺はしばらく黙ってその笑顔を見つめた。


「なあ、ちょっとあっちに立てよ」


 俺がだしぬけにそう言うとフラウは少し戸惑ったようだ。

 だけど面白そうな気配も感じ取ったらしい。

 ぱたぱたとしっぽを振った。


「なになに?」

「いいから行けって」


 指さした先は俺が絵の下書きをしていた風景の中だ。

 もう朝の静かな雰囲気は散り散りになりかけていたが、構わずフラウをそこに立たせた。


「動くなよ」


 と言うと、フラウは大きな声で「うまくかいてね!」と答えた。


「バカ、動くなってば」


 言いながらフラウとの距離を測る。

 その輪郭に目で触れて、よく知る。写し取る。

 彼女はまだ遠い。輪郭もわからず、その内面について俺が知ることもまだ少ない。

 だがフラウは言った。


「ねえ、カズキ。フラウたち、タウだね」

「え?」


 不意にかけられた言葉に思わず手が止まる。

 キャンバスから顔を上げると、フラウは考えるように顎に手を当てて、さらに繰り返した。


「うん、やっぱりタウ。フラウとカズキとシエル、いっしょでタウ!」


 『タウ』の意味については、シエルが昨日こう言っていた。

 獣人の言葉で、たくさん。たくさんの我ら。一人じゃないということ。


「……」


 俺は言葉を失ってフラウの笑顔を見ていた。

 俺たちは、タウ……そうか、タウか。

 ゆっくりとかみしめた、その時だった。


「……!」


 光が差した。

 街路の間を縫うようにして、朝日の強い光線が建物の姿を浮かび上がらせる。

 俺は慌てて声を上げた。


「フラウ!」

「え、なに?」

「シャッターチャンスだ! 絶対動くなよ!」


 シャッターと言って通じるわけもないしそもそも写真でもないが。

 それでもフラウは日差しの中で、慌ててぴしっと姿勢を正した。

 俺は下書きを再開する。

 線を一つ一つ刻みつけていきながら、その途中でふと気になって訊ねた。


「俺は嫌われ者だぞ。それでもいいのか?」

「もう友達だもん。好きでも嫌いでも友達!」


 フラウは間髪入れずに答えてきた。

 多分彼女にとっては考えるまでもなかったということだろう。


 そっか、なるほど。図太い奴だ。

 俺は見られないようにそっと笑った。

 それから、ふと思いついて下描きに一つ描き足しをした。


 フラウの腕の中。

 そこに白い、猫に見える狼を。

 おいしそうなパンをくわえさせて。

第一章終わりです。

次の話から第二章に入ります。

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