消化試合は終わった
思えば俺の人生は、生まれた時から消化試合だった。
産声を上げた瞬間から負けが決まっていて、あとは惰性で生きてきた。
常軌を逸した嫌われ体質。
俺は両親にすら疎まれていた。
友達なんてできたことがなかった。
誰かに愛される自分を想像することはひどく困難だった。
産道を這い抜けながら夢見た未来図は、きっとこんなんじゃなかったはずなんだけど。
冷え冷えとした無視や荒々しい暴力に触れるたびに俺は思わざるを得なかった。
なんでここまで嫌われるんだろう。
誰にも好かれない人生の意味って、なんなんだろう。
「知るか、馬鹿が!」
声とともに打ち込まれた拳に俺はくの字に身を折った。
「嫌われる理由だあ? 生きる意味だあ? そんなのてめえで考えろ!」
あまりに理不尽だ。
うずくまりながらぼんやり思う。
それすら教えてもらえないなら俺はまるっきりの殴られ損じゃないか、って。
冷たい風が頬を撫でる。
ここは俺が通う高校の屋上。
出入りが禁止されているわけじゃないが、人は少ない。
俺とあと俺を殴る数人くらいしかいない。
物陰は結構多い。
だから、誰かを連れ込んで集団でボコるには都合がいい。
と。
急に前髪をつかまれ乱暴に引っ張り上げられた。
「なあ高木よ、俺たちも別に進んでお前に乱暴したいわけじゃないんだよ」
だろうな、とは俺も思った。
集団にならないとなにもできない奴には誰かをリンチにかけるのだってストレスに違いない。
ともかく相手は続ける。
「もう学校にくんな。それで解決だから。な?」
「……」
相手の顔に唾を吐きつける。
……なんて気力はもう枯れ果てている。
やって意味のあることかどうかがわからないほど馬鹿じゃない。
何も言わないでいると奴らは去っていった。
屋上には俺だけが残された。
よろよろと起き上がる。
腹の鈍痛はしばらく残りそうだ。
落下防止用のフェンスに寄って、俺は下を見下ろした。
「……高いな」
落ちれば簡単に死ねそうだ。
しばらくにらみつけるように遠い地面を見つめて、それからため息をついて今度は天を見上げる。
「ハルカ……俺、やっぱきついかも」
ハルカは俺の妹だ。
俺を嫌わない数少ない人間だった。
過去形だ。もういない。
「お前はいつか、俺にもいつかわかってくれる人が、って言ったけどさ。どうなんだろうな。無理じゃねえかな」
フェンスの金網を握りしめる。
「もう、諦めても、いいかなあ……」
声が震える。
それでも天国の彼女がどう答えるかは容易に想像がついて俺はフェンスを放した。
妹は諦めた俺を決して許してはくれないだろう。
「くそ……」
どこまで続くんだろう。
この生き地獄はどこまで続く?
じいちゃんが死んでハルカが死んで、反対に敵はどんどん増えるばっかりで。
俺はどう生きればいい?
わからないまま、フェンスに背を預けた。
いや、預けようとした。
風を感じる。
ぞっと体を走る緊張。
そこにあるはずのフェンスはなかった。
「え……」
すっ、と。
あっけないほどたやすく俺の体は自由落下を始めた。
空が見えた。
大きく広がる青い空が。
手を伸ばす。
何をつかもうとしたのかは自分でもわからない。
生きてても意味なんてないのに。
それでも何か、手掛かりになるものはないかと、無意識に、どこか遠くへ。
もちろん手に触れるものは何もない。
そのはずだった。
「……!」
手の中に光の粒が集まる。
集まった光がまばゆく輝き、掌に熱が。痛みが。確かな重みが。
それは光を吸い込む黒い刀身。
鋭利な刃。
手に現れた長剣は、さらに暗い輝きを放って俺の網膜を焼いた。
◇◆◇
光が収まった。
俺はもう落下してはなかった。
というか固い地面にしっかりと立っていた。
「…………?」
俺はいつの間にか閉じていた目を恐る恐る開けた。
「……」
そこは薄暗い空間だった。
どこからともなく届くぼんやりとした明かりしかない。
ただし見回すとかなり広い。
大きなドーム状の施設のようだった。
ふと右手を見下ろすと、そこに剣がある。
刀身は長く鍔は複雑な装飾が施され、大きい。柄頭に暗い赤色の宝石がはまっていた。
「な……」
かすれ声が聞こえて、はっと目を向ける。
「一体、これは……」
老人がいた。
しかも変な老人だった。
白く伸びた髪も髭も随分長いうえに厚ぼったいローブみたいな服を着こんでいる。
まるでファンタジー映画の魔法使いだ。
いぶかしく思っていると、また別の老人が姿を現した。
「な、なんだ、儀式は失敗か!?」
儀式……?
意味が分からず足元を見下ろす。
「……!?」
そこには幾何学的な模様が幾重にも描かれていて、さながら黒ミサか何かに使う魔法陣のようだった。
「失敗……? いやしかし、あの手の剣を見ろ。あれは確かに伝説の通りの……」
「ではあれが聖剣で間違いないのか? 召喚自体は成功ということか!?」
「どういうことだ! 何が起きた!?」
さらに老人が増えた。
奥の方から、似たような格好でぞこぞこ出てくる。
いったいなんだ。俺は老人会の席にでも紛れ込んでしまったのか。
「おいお前! いったい何者だ!」
「はい?」
急に声をかけられて俺は面食らった。
普通に生きていて何者かなんて大仰で大雑把な質問を食らうことはない。
「いや、えっと、高校生ですけど……」
「こうこうせ……? なんだそれは!」
「なんだそれはとか」
これもだいぶ回答に困る質問だった。そこを疑問に思う奴なんているわけないと思っていた。
しかし答える前に老人の一人が俺に詰め寄ってきた。
「もういい。答える必要はない。お前は余計だ。さっさとその剣を渡せ」
さらにその後ろから屈強な男が二人、駆け寄ってくる。
不穏な気配を察して俺は後ずさった。
「……渡したらどうなるんです?」
「知る必要はない」
明らかに愉快なことにはならないパターンだ。
だが嫌われ者の俺のこと、逆らえば無駄に怒らせてしまうかもしれない。
なんとか穏便に済ませる方法はないかと考えを巡らせたその時だった。
ズン……!
と、地響きがした。
「……なんだ?」
場がざわめく。
もう一度地響き。
揺れで天井から埃が降り注いだ。
「……さっきより近い?」
誰かのつぶやき。
それを聞き終わるかどうかというところでだった。
天井が砕けた。
というか吹き飛んだ。
「うおお!?」
降り注ぐ細かい瓦礫片。
頭をかばいながら悲鳴を上げる。
低くした姿勢から天井を、というか天井部がなくなったせいで見通せるようになった星空――夜か?――を見上げると、そこからぬっと、頭を突っ込んでくる大きな影があった。
「あ、あれは……」
ギラリと光る眼球、くちばしのようにとがった口、長い首。
老人の一人が叫ぶ。
「ド、ドラゴンだ!」
場がわっと混乱する。
逃げようと駆け出しかけた一人の背を大きな炎が包み込む。
立ち向かおうとしたのだろうか、飛び出した屈強な男の体をドラゴンの口が引き裂く。
俺はその何もできず立ち尽くしていた。
いったい何が起こって何が始まったのか理解が追い付いてなかった。
だがこれだけは分かった。
今、俺は殺されかかってる。
「逃げなさい!」
凛とした声に、俺ははっとした。
棒立ちの俺に向いていたドラゴンの目を、鋭い爆発が連続で打ち据える。
振り向くと大きな杖を構える人影があった。
小柄。
少女だ、と直感する。
「早く、逃げて!」
呪縛が解かれたように俺は駆け出した。
奥の安全圏まで全速力で走り抜ける。
そこで俺は靴の底をこすらせて制動した。
「君も、早く!」
と、言うまでもなく彼女は後退を始めていた。
杖でドラゴンを牽制しつつ撤退するつもりのようだ。
が。
「……!」
俺は気づいた。
彼女の頭上。
その天井にも亀裂が開いていたが、そこから細長いものが下りてきていたのだ。
考える暇はなかった。俺は再び駆け出した。
勢いのまま一気に少女を突き飛ばして、持っていた剣を構える。
渾身の力でその細長いものに斬りつけ――しかし刃が到達する前に、俺は一瞬で胸を刺し貫かれた。
「がっ……!」
濁った息が漏れる。
剣が手から滑り落ちる。
胸から細長いもの――触手が引き抜かれて、俺は地面に崩れ落ちた。
遠ざかる意識の中、剣を奪っていく触手と、こちらに駆け寄ってくる少女が見えた。
見えて、そのまま俺は…………死んだ。
死んだはずだった。
「起きて」
長い眠りから起きたような気分だった。
実際にはそんなに時間がたっていたはずはない。
周りはドラゴンがいない以外は瓦礫の山があるのも数人の老人が倒れているのも同じだ。
上体を起こして見下ろす。
制服の胸のところに穴がある。何かに刺し貫かれた後のような。
だけどその下には健康そうな肌の色があって傷一つない。
「……?」
何かが妙だった。
何がとは言えないが、何かがおかしい。
そんな俺の違和感を見て取ってか、俺の横にしゃがみこんだ少女が言った。
「あなた一回死んだのよ。で、生き返った」
「……は?」
「わたしが蘇生禁術で生き返らせたの」
冗談みたいなことを平然と言う。
信じられるわけがない。
だけど俺の体に残る寒気は本物だった。
そして彼女は言った。
「でもこれは……失敗ね。やっぱり不完全だったみたい」
「……どういうことだ?」
「あなたこのままだと多分二ヶ月後ぐらいには体が崩壊しちゃうわ。そういうこと」
なんだかよくわからないが。
彼女は一人で納得して立ち上がった。
「じゃあ行きましょうか」
俺はぼんやりとその顔を見上げた。
これが俺の旅の始まりだ。
考えようによっては、ここで俺の消化試合な人生は終わったわけで。
そしてここからロスタイムが始まった。のかもしれない。
もしかしたら。きっと。