飛ばした王子はただの仕事中
「王弟殿、少しお話いいかのう?」
さっさと仕事を終わらせて婚約者の元に向かうぞと、俺にまかされている領地の資料を読んでいると、紫色の髪をした女性が部屋の中に入って来た。明らかに人間は持ち合わせない色な為、一緒にいた部下も彼女がどういう存在なのかすぐに分かったようだ。彼女に視線を向けるだけで、特に咎めたりしない。
「少し軍の練習の方を視察に行ってくれるか? ついでにこの書類を持っていってくれ」
そう話せば、軍人である彼は出ていった。人払いだと理解したと思うので、しばらくは帰ってこないだろう。それに練習の視察と伝えたので嬉々として稽古をつけているかもしれない。
彼が部屋から出ていったのを確認してから、俺は鳳凰の方を向く。
「貴方の方から出向かれるとは珍しいですね。俺に用事ということは、婚約者の事ですか?」
「近からず遠からずじゃな。ちょいと厄介な事になりそうでな。先にお主に話しておこうと思ったのよ」
「兄上には?」
「まだ言っておらん。我が王はこれ以上仕事をするべきではないからな。諸外国とのやりとりを一手に担い、国中の貴族を監視し把握するなど、一人の人間だけでできる仕事を遥かに超えておる。これから話す事で、我が王の力が必要となれば、我から進言しよう」
兄はバランスの崩れた国を立て直す為、国中の領地の情報を自分の所へ集めるようになった。まともな運営をしている場所もあるが、婚約者が以前住んでいた場所のように領民を奴隷のように扱い命まで奪うほどの悪政を敷くところもある。それでも自分の領地内で揉め事を済ませられるのはまだいい方だ。酷いところは、勝手に異国に借金をして、その国とずぶずぶ関係になっている場所もある。そしてその処理に兄上は奔走されていた。
兄上は貴族の監視を強める法律を作り、各領地の監査を行い、必要ならば支援をしている。後ろ暗いところのある貴族からの反発を受け流し、場合によっては証拠を見つけ牢屋に入れる。監査も大々的にするものと、内密に探らせるものと使い分け、一人でそれらの指示をしていた。もう少し軌道に乗れば、自分ではなくても回せるようなシステム作りをすると言っていたが、まだ王にもなっていないので、そこまでは難しいらしい。本当はもっとやりたい事があると言っていたが、それをするには体が足りないとも。
……たしかに今はできるだけ兄上の仕事を増やしたくないなと思う。一応義姉が病気になる前に癒しているが、ひとたび病気になれば、誰にも治す事はできない。
今のこの国のままでは、兄上がいなくなったらゆっくりと泥船の様に沈むだろう。
ちなみに王である俺らの父親は何をしているかといえば、芸術に愛を注ぎ、文化面で貢献はしていた。しかし嫌な仕事は全てこちらに押し付けられているというか、有能な部下が俺らをそう教育したというか……いや。止めよう。今は父のことを考えても頭が痛くなるだけだ。
「話は何だ?」
「使い魔の処遇についてじゃ」
「それはそちらの管轄ではないのか?」
使い魔と呼ばれる者達は、異界の生き物で、魔女ないし魔法使いと契約する事でこちらに滞在している。そして契約が切れれば、強制的に自分の世界に戻る事になっていた。魔女や魔法使いが時折虐待をする事もあるが、その場合は使い魔達の王が解決を図っていたはずだ。王達は皆、この世界にある国の王やそれに準ずる者と契約を交わしているので、治外法権という形で使い魔とのトラブルになったものに関しては、彼らの法律で裁いている。それに対して、俺らは何も言わない。
魔女や魔法使い達は彼らとの付き合いに、リスクがあることは承知の上のはずだ。こちらの常識と彼らの常識は違うのだから。
「それとも、国を通して何か魔女達に言った方がいい案件があるのか?」
国を通す、つまりは勅令だ。絶対的な権力として、彼らに注文をするならばこちらから行った方がスムーズではある。俺らも彼らとの諍いで、魔女や魔法使いの大量虐殺を見たいわけではない。
「それで話が済めば我が王にしてもらっておったわ。問題は、魔女でも魔法使いでもない人間との関わりじゃ。最近、使い魔も人間の貨幣を扱うようになってのう。それにより、ただの人間とのやり取りが増え、トラブルも急増しておる」
「あー、なるほど。確かに発端は、婚約者も絡んでいるな」
使い魔が人間の貨幣を求めるのは、契約者の為ともう一つ。俺の婚約者から異界の食べ物を買う為だ。
現在は公爵令嬢が婚約者が稼いだお金を確認し運用しているが、時折婚約者宅で行う豚貯金箱の確認作業中に引きつった声を出すことがあった。エゲツナイ金額が入っていることがある為に。
元々彼らは婚約者に対して好意的で、どうやら相当貢いでいるらしい。
あまりの高額豚に、信じられず一緒に数え直しをさせられた事もある。豚の貯金箱はいつも無造作に置かれているので、色々怖い。まあ、もしもあの家から何かを盗もうとしたならば、使い魔達が容赦しないだろうけれど。
「些細なトラブルは問題ないが、使い魔がお金になると思った人間が出てきているようでな。使い魔を捕え殺す事件や奴隷化させてペットにする事件も起きているらしい。少なくともこの世界で行方不明になった使い魔が増えているのは事実だ」
「は? 契約者は?」
「……最初は契約者である魔女が殺されていた。それで使い魔の確認を取ったんだが、その後獣のように毛皮を剥がれて売られていることが判明した」
「おい」
そんな話は聞いてない。だがこんな胸糞が悪い話、冗談で言うとは思えない。
「この国の話ではない。だから事件があった国の者にも確認を取らせている。それともう一つ。契約者の魔女が殺されても元の世界に帰れないように契約を歪める技法を思いついた人間がいるようでのう。元々こちらへ渡る条件として契約者が魔女や魔法使いである事が前提だが、渡った後の契約が歪められ、契約者が死んでも元の世界に戻らなくてもよいという契約方法があるらしい」
「は?」
「知恵の浅い同胞は、永住権ができたと勘違いし、その契約をしてしまうようだ。これは我らの失態だが、この契約のせいで、強制退去という逃げ道をふさがれ、最終的に売り物となってしまっているようだな。この方法で契約が切れると、こちらの世界の理に絡めとられて、同胞は本来の力が出せなくなる」
力が出せない。それはどの程度なのか。少なくともただの人間に遅れをとる程度には弱体化させられるということだろう。
「人間の中には我らをペットにしたいものや、我らの体で実験したいもの、さらに獣の姿がある我らを毛皮などにしたいものなど色々おるようじゃ。食べれば不老不死になるという根も葉もない噂まで出ておる」
どれもこれも、聞くに堪えない。確かに彼らの姿や言語は違う。しかし人間と同等の知性とそれ以上の力を持った者達だ。
使い魔の部分を人間にあてはめ、そんな扱いをされていると想像すれば、想像力が欠如した奴でもそのおぞましさが分かるだろう。
「この国は本当に何も起こってないのか?」
「調査中じゃ。だから王弟殿も調べて欲しい。このままでは、いずれ婚約者殿も巻き込まれるはずじゃ」
世界の命運を担う婚約者に何かしようなど普通はしない。しかし婚約者ほど使い魔と知り合っている者はいない。
恐ろしい未来が見え、俺は恐怖かそれとも怒りからか、体を震わせた。




