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ラルラジュナ撤退戦その4

 ゼアルはそのとき、アスタルテの断崖を左手に駆けていた。既に森は抜けており、追撃の気配もない。それ故張り詰めていた空気も徐々に解れつつあった。


「ゼアル様、どう逃げるおつもりなのかそろそろ教えて頂きたいのですが……」

「ああ、この崖を越えた先にアスタルテという国がある事は知っているだろう」

「はい、亜人国家アスタルテの事ですね」

「そうだ、彼らはヒト族を嫌って他の国との国交を絶ったが、アルヴヘイムとだけは二十年ほど前まで国交があった。魔族はヒト族ではないからな。その後アルヴヘイムの敗北と共にアルヴヘイムとも国交を絶ったが、両国の繋がりは深く、密かに民間レベルでの交流は続いていたのだ。我も、そしてロアンも彼らの伝手(つて)を借りてアルヴヘイムを脱出した。彼らとは知らない仲ではないのだ」

「……では、今こうして国境付近を走っているのは?」

「ああ、この状況でセルベリア国内を逃げ回るのは危険だと判断した。来た時の状況を考えると、落ち武者狩りにあう可能性が高い」


 ゼアルもヴァルナも、普通に戦えば市民どころか下級兵士にだってまず負ける事はない。だが彼らが徒党を組んで仕掛けてくればその限りではない。その上彼らから寝床や食料の提供を受ける事も難しいだろう。リチャードだって当然包囲網を敷いているはず。そんな中をラルラジュナから西ハーノインまで移動するのはまず不可能なのである。


「ここから断崖沿いに八〇kmほど進んだ場所に、人一人が通れる程度の洞穴がある。そこからアスタルテ領内に入れる」

「アスタルテは鎖国国家です。急に押しかけても大丈夫なのですか?」

「先ほど使い魔を送った。問題ない」


 ゼアル達が話しながら断崖の側を駆けていた時、ゼアルとヴァルナはふと背後に異様な気配を感じて振り返った。しかし二人の視線の先には何も見当たらない。……否、まだ見えないというべきか。理屈を超えた感覚が二人に訴えかける。


「お前も気付いたか、ヴァルナ」

「はい、強い魔力を持った者の接近を感じます。どこか異様で、それでいて……」


 ヴァルナが言い澱んだ理由はゼアルにも分かっていた。魔王の因子を持つゼアルにすら肩を並べる高魔力。同時にどこか懐かしさすら感じる不思議な感覚。ゼアルはこの感覚に心当たりがあった。それは……。


「眷属だ。我が父の、な」

「えっ、それはどういう……?」

「分からん。だが味方でない事は確かだ。ヴァルナ、部下たちを率いて先に行け、我も追手を倒したら直ぐに追いかける」

「な、何を言うんですか! 私も含めてここにいる兵は皆ゼアル様を守るためにここにいるのです! ゼアル様を置いて先に逃げるなど……」

「追手とまともに張り合えるのは我だけだ。ヴァルナの性格は戦いに向かないし、他の兵では足止めにすらならん。無駄に犠牲を出す必要はない」

「ですが……」

「それに、お前に万が一の事があったらセネトはどうなる?」

「それは……」


 痛い所を突かれ、ヴァルナは閉口する。


「済まない、だが我は死ぬつもりなど毛頭ない。あくまで最善だと思う対応を語っているだけだ、分かってほしい」


 するとヴァルナは逡巡するように間を置き、そして答える。


「……分かりました、では約束して下さい。必ず戻ると」

「…………分かった、必ず戻ろう」

「はい、その言葉、信じています」


 そして……、


「これから我は周囲に敵がいないか見て回る。お前たちはヴァルナの先導に従っては駆け続けろ!」


 背後の兵達にそう命令を下す。その不可解な命令に兵達は顔を見合わせるも、結局は素直に従った。

 一団の中でゼアルだけが速度を落として離れていく中、〝約束は絶対に守ってください〟とでも言いたげなヴァルナの視線を見るのだった。その後もゼアルはどんどん速度を落としていき、ヴァルナ達が視認できなくなるほど離れた時、その男は姿を現した。


「お別れは済んだか? ゼアル」

「……意外と紳士的なんだな、わざわざ時間をくれるとは」

「決闘に茶々を入れられるのは好きじゃない。最も、貴様が別行動を取らないようなら構わず仕掛けたがな」

「……そうか」


 短くそうとだけ応えると、ゼアルは男に馬ごと向き直る。ゼアルとリチャード。お互いを敵と認識し、間接的に戦い続けてきた二人の雄の、それが初めての対顔であった。


「お前が……リチャード……?」


 顔を見るのは初めてだが、伝え聞く身体的特徴、そしてこれまでの経緯から何となくリチャードの雰囲気を察していた。今ゼアルの目の前にいるのは正にそんな男であったのだが、ただ一点、目の前の男とリチャードが結び付かない致命的な矛盾があった。


「ヒト族ではないようだが……、本物か?」


 ヘイゼル王は紛れもなくヒト族だった。だが目の前にいる男はヒト族でもその混血でもない。これは一体どういう事か。


「これから死ぬお前に説明しても意味はないが、まああえて言うなら、人には色んな事情ってもんがあるのさ」

「……そうか、それならついでにもう一つ答えろ。お前はどうやって父の眷属になった?」


 見たところリチャードの年齢はゼアルとそう変わらないように見える。だが魔王ゼトが既に故人なのは言わずもがな。その質問に、リチャードは意味深に笑って見せた。


「これから魔王と殺し合おうというんだ。相応の準備をしていくのは当然だろう」

「……何?」


 リチャードの言葉をそのまま受け取るのであれば、眷族になったのはごく最近、ついさっきとも解釈できる。だがゼアルの父ゼトは、もう二〇年以上も前に死んでいるのだ。もちろんリチャードが嘘を言っている可能性もなくはないが……。


「さて、質問タイムはもういいだろう。お前の存在は何かと邪魔なんだ。何故魔王がヒト族の国を治めているのかは知らんが、お前がいなければ今頃俺は大陸を統一して皇帝になっていた。お前をここで殺れなければそれは更に先になるだろう。だから……お前はここで死ね、ゼアル」


 言ってリチャードは、腰に下げた剣を抜き払う。それは、高熱を帯びた鉄塊のように、刀身全体が赤く光っていた。


「……魔導器か」

「そう言う事だ。正直貴様とやり合うなら、これより魔王ゼトを討った魔導器の方が良かったんだがな。まあ背に腹は代えられんか」


 リチャードが雑に魔導器を振るう。ただそれだけで、魔導器は巨大な熱風を巻き起こし、周囲の大気をかき回す。


(やはり、ヴァルナ達を先に行かせたのは正解だったか……)


 こんなのとまともに戦えるのは、ゼアルを除けばイハサくらいのものだろう。それだけに、今この場にイハサがいない事が悔やまれる。

 成長してから初めて対峙する、己と同等かそれ以上の相手。ゼアルの頬に一筋の汗が伝う。過去に大勢の人が恐ろしいと感じた事はあった。だが、たった一人の男が恐ろしいと感じたこと、それは、ゼアルの生涯で初めての事であった。

 このときリチャードに恐怖したのはゼアルだけではない。先ほどまでゼアルが跨っていた馬、彼がゼアルの陰に隠れるように移動し、首を下げる。


「我はこれからあいつと戦わなければならん。いいこだから安全な所に避難していなさい」


 しかし彼はゼアルの側を離れたくないとばかりに顔を寄せる。


「何度も言わせるな。行け、オデン!」


 言って強めに馬の首を叩くと、名残惜しそうにゼアルに視線を向けながらも、やがて背を向け駆け出したのであった。


「馬の命すら無意味に殺すことはしないか。妙な魔王もいたものだ」

「これから始まるのは我とお前の戦いだ。無関係の者を巻き込んでいい訳はない」

「そうか、まあお前が逃げないのであれば俺は構わないがな」


 そう言って静かに魔導器を構えるリチャード。それに呼応するようにしてゼアルも構えの姿勢を取る。


「お前は強い、我が過去に戦ったどんな相手よりも。だがそれでも、必ず戻ると約束してしまったのでな。殺されてやる訳にはいかんのだ」

「上等、全力で挑んでくる相手を全力で叩き潰す。それが醍醐味ってモンだろう。いくぞ、魔王ゼアル!」

「来い、リチャード!!」


 ぶつかり合う二人の魔力と魔力。それは周囲の木々を焼き、大地を焦がした。

 ラルラジュナ宮殿から始まった一連の攻防戦と、その最後に起こった二人の戦いは、天下分け目の頂上決戦としてその後も長く語り継がれていく事となる。はたしてこの戦いの勝者は、そしてラングルド大陸の未来はどうなっていくのか。今はまだ、誰にも分からない。

ここまで読んで頂きありがとうございました。

誠に勝手ながら、書き溜めが尽きた為次回からの投稿は不定期になります。申し訳ありません。

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