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「マルセラ、彼女を部屋までお願いしてもいいですか?」
ルースが低い声で言った。マルセラは、けげんな顔でルースを見上げる。
「ええ、フィルが見つかったなら私はいいですけど、どうしたの?」
「ちょっと頭を冷やしてきます」
「ルース?」
不思議がるマルセラにそう言うと、ルースは背を向けて足早に離宮へと戻っていった。
「何かあったのかしら」
その後ろ姿を見ながら呟くマルセラに、かっとアディは頬が熱くなるのを感じた。
本当に、何だったのだろう、とアディも思う。
ルースに抱きしめられた時の胸の熱さや教えられた彼の匂いは、いまだアディの動悸を落ち着かせてはくれない。
「あの、ルースって奥さんとかいらっしゃらないのですか?」
唐突に聞いたアディにマルセラは目を丸くするが、うっすらと頬を染めたアディを見て何かを察したらしく、柔らかく微笑む。笑うと目元に寄るしわが彼女の人の良さを表しているようだ。
「独身ですし、私の知る限り想い合うお方もおられませんよ」
「そうですか……」
何故自分がそんなことを聞いたのかアディにはわかっていなかったが、その言葉には少しだけ安堵を覚えた。そんな複雑な気分を味わったのは、アディは初めてだった。
「彼のことが気になりますか?」
聞かれて、アディはじっと考える。
「何を考えているのかわからなくて……少し、怖いです……」
「ああ、あの方は、何でも自分で抱え込んでしまうきらいがありますからねえ」
しみじみと言ったマルセラの顔を、アディは見つめる。その瞳を見返して、マルセラは苦笑した。
「彼、ああいう性格でございましょう? なまじ器用で一人で何でもできてしまうので、他人に頼るという事をしない方なのですよ。だから、今みたいにご様子がおかしいと思ってどうしたのか聞いてみても、いつも、なんでもないとかわされてしまうのです」
「ルース、様子がおかしかったですか?」
アディから見れば今のルースは確かにおかしかったが、既知らしいマルセラも同じように言うということは、本当に様子がいつもと違ったのだ。
「そうですね。あの方ももう長くここにお務めですけれど、あんな表情は見た覚えがありませんねえ」
「どんな顔してました?」
「何といいましょうか……冷静沈着なあの方にはめずらしく、思いつめたような、我を失ったような顔をしておられましたね。もしかして、何か大きな失敗でもしたのかしら」
「失敗……」
アディを抱きしめたことを、ルースは後悔しているのだろうか。そう思うと、アディの胸は先ほどとは違う感情で痛くなる。
「そうなんですか……」
うつむいてしまったアディを見て、マルセラは微笑む。
「モントクローゼス様がお気に病むことはありませんよ。むしろ、彼にとっては良いことなんじゃないかしら」
「失敗が……ですか?」
アディは、歩き出したマルセラと一緒に離宮に向かう。
「あんなふうにご自分の感情を表されることは、彼はめったにありませんから。ほら、あの方、生意気でしょう? 普段からなんでもご自分の思う通りになると思っていらっしゃるので、たまにはいい薬です」
「は、はあ……」
思ったよりマルセラの口はきつい。年上のマルセラから見たら、ルースの意地悪もそのように見えるのだと、アディはなんだかおかしくなった。
ルースの事を語るその目が慈愛に満ちて見えたので、余計に微笑ましく思ったのかもしれない。その口調は、まるで母親が自分の子供に文句を言いながらも愛しくてしようがないと言っているようだった。




