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「ル、ルース……?」
「フィルの匂いがする」
言われて、アディは先ほどフィルに抱きしめられたことを思い出した。わずかに残る甘い香りは、確かに自分のものではない。
「あ、さっき……」
言いかけて、口をつぐむ。男性に抱きしめられたなど、言えるわけがない。
「フィルに、何をされました?」
ルースの顔がさらに近づいてきてアディは後ずさろうとするが、腕を掴まれていてそれ以上は動けない。
「な、何も……」
「言いなさい。何かされましたか?」
「されてません」
嘘をつくことに慣れていないアディは、耐えられずに目を逸らした。
「……あなたから他の男の匂いがするのは気に入らないですね」
そうつぶやくと、ルースはアディを引き寄せて自分の胸に抱きしめた。
「ル、ル……!!」
「静かに。人が来ますよ」
「でもっ……!」
「黙って」
アディを抱く腕に、力がこめられる。ルースがアディの髪に顔をうずめて言った。
「このまま、あなたを私のものにしてしまいましょうか」
「!!」
アディの胸が、どきどきと早い鼓動を刻む。押し付けられたルースの胸からも、フィルと同じ甘い香りがした。おそらく、城で使っている香かなにかなのだろう。
けれどそれは、同じようでいてフィルとは違う。やはりルース独特の香りだ。
自分にはない香りと抱きしめられた腕や胸の硬さに、目の前にいるのが執事である前に一人の男である事を、アディははっきりと思い知らされた。
「覚えておけ」
「……え?」
「これが、俺の匂いだ」
意地悪な声でも、面白がっている声でもない。どこか切羽詰まったようなルースの声に、アディは返す言葉がなかった。
☆
やがてゆっくりと体を離すと、ルースはアディの指に自分のそれを絡めた。そうして離宮へ向かって歩き始めたルースに、引っ張られるようにしてアディはついて行く。
お互い何も言わなかった。
ふわふわとした沈黙に包まれながら、アディは目の前の高い背中を見上げる。
まだ、心臓がどきどきしていた。うまく息もできないけれど、決してそれは嫌な気持ちではなかった。
ルースの表情が見えないのが怖くもあり、けれど見えないことで安堵もする。今は、彼から冷たい言葉を聞きたくなかった。絞り出すような熱のこもった声音だけを覚えておきたかった。
けれど、なぜそんな風に自分が思うのか、アディにはまだわからなかった。
ただ一つ気になることは。
ルースは、今、何を思っているのだろう。
二人が離宮へ近づくと、中から一人の女性が出てくるのが見えた。なにやらあちこちに視線をさまよわせている様子に気づいて、ルースが声をかける。
「どうしたのですか、マルセラ」
「ああ、ルース」
彼女はルースを見つけると、ほっとしたように近づいてきた。
アディは、あわててルースから指を離す。ルースは、ちらりと視線をよこしただけで何も言わなかった。
「フィルを見かけなかった? どこにもいないのよ」
年配の女性だった。服装からして、女官らしい。
「先ほどあちらのガゼボにいましたので、さっさと戻るように言いました」
それを聞くと、女性は安堵したようにため息をついた。
「そう。よかったこと。まったくあの子は……」
なにか言いかけて、彼女はちらりとアディを見る。それに気づいて、ルースが言った。
「モントクローゼス伯爵令嬢、アデライード様です」
はっと、その女性は顔を引きしめると、膝を折って礼の形をとった。アディがどういう立場なのか、瞬時に理解したようだ。
「マルセラ・ラガルドです。こちらの離宮に務めております」
「アデライード・モントクローゼスです」
軽く膝を折って、アディも淑女の礼をとる。




